認知症者の世界へのマッピング
On "Mapping" Dementia Person's Lived World
認知症介護の現場力の陶冶に「寄り添う」ことは最初の前提にこそなれ、それ自体が 現場力ではない。キットウッドはDCM(認知症介護マッピング)という現場で観察されたものが、評価を経て、介護の実践者にフィードバックされることが重 要であると私は説いた(→「寄り添う」ことと現場力)。しかし今回は別の方向から提 案をしてみたい。つまり認知症ケアの現場に介助者自身に直接還元する前に踏みとどまり、キッ トウッドがいう認知症者自身のその人らしさ(パーソンフッド)に接近する認識論上の地図を介助者自身が作成する(mapping)方法こそが、現 場力を形成することとの手がかりになるという主張である。
CSCD臨床コミュニケーション関連科目「認知症コ ミュニケーション」の博士課程のかつての受講生であり、実地調査を重ねている京極重智さんの最新の論 考(2013)をから、そのことを考える。彼は介護現場で「寄り添う」ことの重要性が声高に主張されているにも関わらず、その構造が理論的に十分に解明さ れていないのではないかという疑問点をぶつける。彼はアービング・ゴッフマンのドラマツルギー(dramaturgy)論に依拠しつつ、認知症高齢者と介 助者は、それぞれの当事者が保持する劇場=舞台があるのではないかと指摘する。たしかに私たちは、自らの社会的役割を、他者との間で、あるいはこの環境世 界(Umwelt)という劇場の中で演じている。ゴッフマンの相互作用論では、それぞれの行為者が「状況の定義」をおこなっている社会空間と説明される。 現象学的社会学の知見では、私も含めて敢えて自分自身が「状況の定義」という操作をしている自覚はほとんどない——それを「自然化」していると言う。
京極 さんによると、このような状況を見事に理論化できるのがアルフレッド・シュッツによる多元的現実論(on Multiple realities)である。シュッツは、当事者がその世界の中でリアリティ をもつことができるのは、何らかの「物質的誘因または物質的基盤」を手がかりとするからだと言う。現場周辺にある手すりやテーブル、食器はその物質的誘因 の最たるものだが、他者の身体もその延長に含まれよう。身体をもつ自然化された当事者として両者を見るのでない。当事者たちのしぐさや視線や音声など詳細 に記述していくことを通して彼らの劇場=舞台を観ること。これこそが認知症者というパーソンフッドに接近しつつ、その人と共同でつくる認識論上の地図作成 (マッピング)に他ならないのである。
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文献
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