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「寄り添う」ことと現場力

On "acting close together" and the Genba-Ryoku

池田光穂

今日、高齢者に対する介護福祉現場における重要な行 動理念の中には「寄り添う(acting close together)」ことの重要性が強調されている。とりわけコミュニケーショ ンの取り難い認知症者との介護現場では「寄り添う」ということが重要視さ れ ている傾向がより強い。これが実践の場において指し示す具体的な内容は、相手の顔を見たり「自然なかたちで」触れたりしつつ、語りかけたり、相手の行動を 促すように誘導することであり、通常のルーティンの行動のレパートリーに組み込まれていることとされている。しかし、わざわざこの道徳的ニュアンスを含む 「寄り添う」という表現を用いるのは、より理念的な徳目(アレテー)としたいという介助 者の希望の表現である。ただし、介護者とのコミュニケーションがよ く取れるように情報を収集するために「寄り添う」という意味でもないようだ。

どうも趣旨は別のところにあるようだ。トム・キット ウッド(2005)に代表されるコミュニケーションの取り難い相手を、従来の医学モデル――別名「標 準パラダイム」――から観るのではなく、その代りに、その人らしさ(personhood)からみる新しいパラダイムのなかで、その人なりを承認 (validation)することの重要性が主張されているのである。もっとも、キットウッド(2005:119, 158-166)は、この日本文化的ニュアンスたっぷりの「寄り添う」ことの意義などは眼中にはないようだ。むしろ認知症介護マッピング(DCM)という 行動観察法を基調とする評価方法のなかで「前向きな働きかけ(positive person work)」を行うことと「質の高い認知症介護」との強い関連性を指摘しているからである。

私たちが関心をもつのは、この日本語の「寄り添う」 ことが、日本文化の認知症介護における現場 力とどのように関連しているのかということだ。私の結論は こうである。「寄り添う」ことは、その人自身に現場力を陶冶するための前提になるが、そのこと自体が直接的に現場力になるのではないと。なぜならキット ウッドが言うように、DCMは評価自体に意味があるのでなく、現場にフィードバックされて意味を持つからだ。私たちは「寄り添う」言葉のソフトイメージに 満足することなく、その先にある、現場での行動が帰結するものと、それに関する経験知が事後的にどのように結びつくのかついて、今考える必要に迫られてい る。
→その後の展開は「認知症者の世界へのマッピング」を参照

註:文中「寄り添う(acting close together)」という用語の英文は、筆者による試訳(翻訳)であり、先行発表例のない筆者独自のものです(2013年3月12日)。

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文献



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