部落、集落、村落、地域社会、コミュニティ
Buraku, shū-raku, Son-raku, local community
日本語の部落(ぶらく)には、1.集落やコミュニ ティの意味と、そこから派生した、2.被差別部落、という意味がある。日本では1950年代以降のいわゆる「被差別解放運動」という社会運動の影響で、部 落という呼称には、後者の意味付けがつよく現在の社会でも膾炙している——この用語の普及は部落問題の社会的啓蒙には役立ったが「解決や解消」には十分む かっていないのも事実であり、人権侵害事案がなくならないのも周知のことである。
部落は、農漁山村における地域単位のことである。し たがって、農漁山村に対立する概念である都市には部落はなく(人間的な概念よりもより空間的な概念用語としての)「地区」があることになる。事実、日本語 のニュアンスでの部落は、村落における集落や、その集落からなりたつコミュニティのことを含意する。しかし、上記の、被差別部落を含意している場合は、部 落と地区に区別はもうけないように使われている。
江戸時代では、部落は自治的な単位として機能してい たために、部落=自治組織=ある種のまとまりをもったコミュニティとして理解されている。
したがって、部落、集落(しゅうらく)、村落(そん らく)、地域社会(ちいきしゃかい)、コミュニティという用語の間には、ゆるやかな〈意味されるもの=シニフィエ〉の統一像があるように思われる。
さまざまな保健医療プログラムには、部落、集落、村 落、地域社会、コミュニティを対象とするものがあることが言うまでもない。
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「部落の生活で根幹的に大切なことは何
か。それは部落が何事につけても一つに纏(まとま)ることだ。これは協調、協同、協力、封建的な言葉でいうと和を予想する。如何に部落が小さく、お念仏で
いうやうに日毎に、そして朝に晩に顏を見上げ見下ろしている親しさの雰囲気の中にあるといっても、すべての問題にすべての住民がすべての機会に常に同じ意
見であり得ないことは明かだ。したがつて部落が一つに纏るには他に対する自発的服従或は自己制限が必要となる。こんな制限を自分におしつける原因理由(モ
チーフ)はどこにあるのか。この問題は対象の部落も出された課題もともに重要だ。それは人間が集まつて作る一番単純な集団の中で組織はどうして生まれる
か、支配と服従はどのようにして得られるかに関連しているのだから」。引用はhttp:
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