コミュニティ
community,
comunidad, Komunitas,
समुदाय,共同体, 공동체,جماعة مشتركة, 社区
解説:池田光穂
コミュニティ(共同体)は、人々のイメージによると、(i)おなじ空間に[一時的あるいは永続的に]存在し、(ii)さまざまな活動を通して (iii)[仮想的にも現実的にも]紐帯を維持している(iv)集団のことを、原 義的にはさす。コミュニティのこの4つの属性からなる集団を、原初的あるいは本源的コミュニティ=primordial communityとまず名づけておこう——モデル・コミュニティ(typical community)と言ってもいいかもしれない。
英語のコミュニティ(community)語源は、ラテン語の communis が転じて communitas
フランス古語のcomunete、英語のcommon から、中世後期に現在の使われ方としてのコミュニティが確立したという。
しかしながら、そのような本源的コミュニティは現実には存在しない。 なぜなら現実のコミュニティは、 これらの4つの要件そのものが曖昧であった り、またひとつあるいは複数の要件がなくても、今日我々がコミュニティ(共同体)と理解するものからなっているからだ。これを、現実のコミュニティ(actual community)と呼ん でおこう。
例えば、(i)同じ空間には、町内の区画から地球サイズまでさまざまな広がりがある。(ii) 活動や(iii)紐帯は必ずしも永続的なものである必要がないし、場合によってはコミュニティのメンバーどうしが敵対関係にあっても、同じ空間に属するこ とでコミュニティのメンバーだとみなされることがある。さらに、ヴァーチャル・コミュニティ= Virtual communityの ように、(iv)集団であることを物質的に確認できないものが ある。
今日ではコミュニティ概念は、地域的なつながりの集団(=これを地域コミュニティ=local community あるいは地域社会と呼ぶ)と、 構成員の属性や帰属意識からなりたつコミュニティ (=これをテーマ・コミュニティ= Thematic communityと 呼ぼう)に大きく大別できるだろう。後者の集団が現代社会(近代社会)において重要になっているのは、言うまでもなく情報 通信手段の発達によるものである。
コミュニティという用語は、communitat-em, communis
というラテン語に由来。共同するもの、共通するもの、あるいは共通するものをもつ仲間(=人々の塊)の意味がある(OED)。日本語の「共同体
(kyodo-tai)」には、このような仲間の集まりの抽象的実体の意味が優先されるようだが、「私たち仲間」といったメンバー自体や、それが共有する
ものや特質をも示すためコミュニティの派生語を翻訳し混乱を招くよりもそのまま外来語表記する傾向が近年強まっているように思われる。ただし日本語のコ
ミュニティには、それ以上の(この国の人たち=community
が西洋から入ってくるものに小躍りしそうな積極的)意味を持たせているものがある(例:コミュニティ・カフェ)。このコミュニティは共同体の語感よりも、
内部の成員に対する拘束力のようなものが軽減されているように感じるのは私だけだろうか?(→「部
落、集落、村落、地域社会、コミュニティ」「ナショナリズム」を参
照)
さて、先の議論にもどり、(1)家族や世帯を単位とする地域的なつながりの集団(=これを地域コミュニティと呼ぶ)と、 (2)会社のように構成 員の属性や帰属意識が、後天的にあるいは人工的な結びつきからなりたつコミュニティ (=これをテーマ・コミュニティと 呼ぼう)に大きく大別できるだろう。
ドイツの社会学者フェルディナンド・テンニエスは「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」(Gemeinschaft und Gesellschaft, 1887)という論文を書き、前者、(1)ゲマインシャフトを親族や 地縁さらには友愛関係でつながった共同体とし、(2)後者すなわちゲゼルシャフトを 人 為的で(構成 員が)目的をもって集まる共同体であると区別した。テンニエスの想定ではゲゼルシャフトの典型は会社や近代国家である。
テンニエスの共同体理解は、社会の紐帯の形は進歩するという進化主義的な見解と、ゲマインシャフトのなかに伝統社会の形態を投影するロマンティ シズムな見解がないまぜになっている。後のナチズムや日本の帝国主義は、近代国家のなかにゲマインシャフト的な幻影を投影しようとしたし、共産主義社会の 理念は史的唯物論にみられるようにゲゼルシャフトの極北の体をなす。
また現在の官僚制が息づいている近代日本の社会では、コミュニティやリーダーシップという用語のなかにゲゼルシャフト的な心証を持たせることに より、人口の高齢化などにより旧来の維持機能が衰退しているコミュニティ(共同体)を蘇生・統合(=生き返らせる)しようとしている。
なお、社会的実践がくりひろげられる場を実践コミュニティ=community of practiceと呼ぶ。学校や職場など。人びとは実践コミュニティ[実践共同体とも言う]において、さまざまな役割を担い、行為す ることで、実践共同 体を維持することに貢献する。状況的学習において、実践共同体=実践コミュニティに参与することを通して学ばれる知識と技能の初期のプロセスのこと を、正統的周辺参加(Legitimate Peripheral Participation, LPP)と いう。
我々はコミュニティを、本源的な感情(primordial sentiment)を共有するよいものだと考える傾向があるが、コミュニティの
内外に「敵」を作り上げそれを排除したり差別し危害を加えることを美徳とするナチスやスターリニスト、あるいはヘイト・スピーチの団体もまた立派な(イデ
オロギーによる)コミュニティである。コミュニティという言葉だけで喜ぶのは、愚かなコミュニタリアンだけである。したがって良識のあるコミュニタリアン
を鍛えるためには、コミュニタリアンに疑問符をつけるリバータリアンやリバータリアン的な個人主義者(individualists)ないしはそのような反論相手が必要となる。
基本用語・キーワード
リンク(さまざまなコミュニティ概念の使われ方)
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その他の情報
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