Making community of fraternity in your university campus
「使徒ヨハネ」の福音書には、「初めに言葉ありき」という不思議な言挙げに始まり、他の3つの福音書——文言に共通点が多いのでマタイ、マル コ、ルカを共観福音書という——にはない、イエスの言葉をより多く伝え、「神は愛」というスローガンでイエスの教えを今日に端的に伝え、生前のイエスの奇 跡の行状がヴィヴィッドに描かれるなど独特の雰囲気がある。ヨハネはイエスが処刑される時に唯一立会い、「最も愛された弟子」と言われた。手紙の結びの言 葉に、神とペンではすべてを伝えることはできず、本当はもっと親しく話し合いたいと書く、元祖コミュニケーション派の使徒でもあった。
ヨハネの福音書が唯一伝える有名なシーンがある。最後の晩餐の前に、弟子たちが恐縮して遠慮することを諌めてイエスは積極的に彼らの足を洗う。 足を洗った後に「私はお前たちの先生だ」と弟子に呼びかける。そして先生が弟子におこなったことを、今度は弟子同士で互いに足を洗う、つまり、お互いに愛 し合い、歓待すべきだと垂範する。イエスは弟子たちを慈しむことを通して、今度は、その慈しみを君の弟子に分かち合うことの重要性を述べる。さて、イエス とその弟子たちは今でいう新興宗教の教祖とウルトラマイナーな数少ない弟子たちである。いつも腹をすかして布教の途に就いていた。しかし、どんな身分の人 にも真摯に対話をしようとするイエスに魅入られた人は、貧しいなけなしの食料と酒を提供して、イエスの話に耳を傾ける。師匠と弟子たちは大食らいだとも記 される。初期の布教の姿を描いた図像には、横になってくつろいで会食する師匠と弟子たちの姿が描かれている(ルドルフスキー『さあ横になって食べよう』鹿 島出版会、1999)。イエスと使徒たちの情熱を支えていたのは、彼らを歓待したのは貧しく、清らかな生活を送っていた市井の人たちだ。当時の宗教界の長 老や権力者は、このようなアナーキーなカルト集団の活動を異端視し、監視し、そして捕縛、審問しようとする。その度に、パトロンに対して礼を言い、イエス と弟子たちはそそくさと出奔する。よい教えをより多くの人に伝えるためには、このような逃走は意味のある行動になっていた。
僕たちの大学では、学生に教室に居続け教員の話に耳を傾け、図書館で本を読み、フィールドデータをパソコンに入力し、研究論文を書いて、学友よ りもよりよい成績を残して、キャンパスから旅立ち、立派な社会人になれと訓育する。しかし、これはイエスが弟子たちに言った、厄介な迫害者には逃げること が一番だという教えとは真逆である。矛盾や厄介なことに出会ったらとにかく辛抱して続けることが重要だというのがキャンパスの掟だとすると、イエスの教え は、困難なことに直面したらそこから一度退き、再挑戦のために戦力を温存せよということだ。逃げてこそはじめて、態勢を取り戻して復活することができる。 今日の大学教授に、道行きで泥にまみれた弟子たちの足を洗い、歓待(=心温まる教育)した上で、同じことを後輩におこなうべきだ、自ら垂範する者はいるだ ろうか? 厄介だからここはひとまず一緒に逃げるとするか!という先生はいるか? 僕が理想とする大学が、先生と弟子たちの真の友愛の共同体になるために は、まだまだ幾多の課題があるように思える.
●友愛の関係と下僕との関係の違いについて
ヨハネの福音書から:
15:2わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。15:9父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。
15:10もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛の
うちにおるのと同じである。
15:11わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。15:
12わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
15:13人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
15:14あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
15:15わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞
いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。
15:16あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなた
がたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためであ
る。 15:17これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。
●そして『イエスという男』について理解しなければ、ヨハネも理解できぬ
1.逆説的反抗者の生と死 |
1.1 歴史の先駆者 |
1.2 イエスの出生 |
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1.3 それならお前はどう祈る |
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1.4 イエスの叙述の方法 |
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1.5 イエスは愛の説教者にあらず |
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1.6 十戒批判 |
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1.7 逆説的反抗 |
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1.8 貧しい人は本当に幸いか |
2. イエスの歴史的場 |
2.1 ヘロデ家とローマ風 |
2.2 ソロモンの栄華 |
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2.3 宗教史的背景? |
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2.4 ィエスと熱心党 |
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2.5 帝国の税金と神殿税(カイサルのものと神のもの) |
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3. イエスの批判ー—ローマ帝国と政治支配 |
3.1 イエスの相手 |
3.2 災害としてのローマ支配 |
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3.3 右の頬をなぐられたら |
3.4 諸国民の支配者 |
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3.5 奴隷について |
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3.6 社会関係と神観念 |
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4. イエスの批判——ユダヤ教支配体制にむけ |
4.1 預言者の墓を建てる者 |
4.2 イエスと旧約律法 |
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4.3 律法学者批判 |
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4.4 「汚れ」と「清め」ーパリサイ派の生活支配' |
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4.5 「安息日」批判 |
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4.6 神殿貴族の権力 |
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5. イエスの批判——社会的経済的構造に対して |
5.1 日雇労働者の賃金もしくは社会的平等' |
5.2 大土地所有、農業労働者、「失業」 |
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5.3 分水嶺の両側地主の慈善、神の前の平等 |
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5.4 農民一揆隠喩的語り口の限界 |
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5.5 資本の増殖と能力崇拝 |
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5.6 小作人の借金を棒引きにせよ |
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5.7 富に対する直感的な反発 |
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6. 宗教的熱狂と宗教批判の相克 |
6.1 イエスおける宗教的熱狂の自己相克 |
6.2 神の国——ユダヤ教の発想 |
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6.3 神の国——洗礼者ヨハネの極限 | |
6.4 「罪の赦し」を祈りたければ… |
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6.5 イエスと洗礼者ヨハネ |
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6.6 ヨハネの死 |
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6.7 倫理概念の異様な拡大?——「姦淫」の女 |
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6.8 イエスのまわりの女たち |
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6.9 「神の国」の逆説的批判 |
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6.10 宗教的熱狂の異常が日常に浸透し始める |
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6.11 植民地支配下の奇跡信仰 |
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6.12 イエスの熱狂——異常が日常に浸透し始める |
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6.13 「人の子」——終末論的確信 |
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6.14 「人の子」——一人の人間の確信と絶望 |
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6.15 イエスの受難物語 |
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6.16 十字架の死の苦痛 |
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