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書評『国際常民文化研究叢書11:「民族研究講座」講義録』

池田光穂

共 同研究「第二次大戦中および占領期の民族学・文化人類学」グループ編『国際常民文化研究叢書11:「民族研究講座」講義録』
横浜:神奈川大学日本常民文化研究所、2015年、386頁、非売品

1928年3月に創設された台北帝国大学に土俗学・人種学教室はすでに設置されていたものの、1937年7月の日中全面戦争突入後の民族学(現在の文化人 類学)は、戦時体制に寄与する人文社会科学として見ると、新興学問のひとつとして未だ後塵を拝していた。1940年11月ウィーンから帰国したばかりの岡 正雄(1898-1982)は、古野清人と連れ立って帝国学士院会員であった晩年の白鳥庫吉を訪問した。当時の近衛文麿首相に民族研究所の創設への働き かけをおこなおうとしていたからである。

岡 はウィーンの日本研究所所長時代に、ナチスの「民族」統治政策に民族学の知識を総動員した親衛隊(SS)の民族 学・民俗学と人種研究をおこなうシンクタンクとして1935年に組織された研究機関アーネンエルベ(Forschungsgemeinschaft Deutsches Ahnenerbe)のことを詳しく調査していた。岡は、アーネンエルベに類似する組織を日本に設置し、民族学研究と調査の進展と大東亜共栄圏内 の統治科 学としてこの研究所の構想を思いついた可能性があるという[中生 2015:360-361]。民族研究所は、1943年1月に勅令第20号「民族研究所官制」により文部省管轄の研究機関として設立され、その所長には京 都帝国大学教授の高田保馬(1883-1972)が就任した。白鳥が初代理事長であった日本民族学会は1935年に創設されていたが、この研究所の設立に より学会組織は外郭団体として再編されることになり、1942年8月に(財)日本民族学協会になった。

日 本の敗戦により研究所は廃止されたが、協会そのも のは存続し、1964年4月まで学会活動を継続しておこなっていた。そして、協会の廃止に伴って、学会は新制の日本民族学会として再創設され、2004年 の日本文化人類学会として名称変更されながら現在に至っている。2014年には(この新制の)学会創設50周年を記念して、国際人類学・民族学国際連合大 会が千葉の幕張メッセで研究大会と同時開催されたことは、会員の記憶にも新しいことであろう。

  さて民族学協会であるが、この財団は1964年の同時期に民族学振興会と改称され、保谷市に事務所がおかれて、学会事務局機能に加え澁澤基金の管理運営 体制を維持していた。しかし1999年10月に財政難のために振興会は解散し現在は公益信託・澁澤民族学振興基金となっている——解散時の理事長は中根千 枝会員であった[中根 1999]。また民族学振興会は、会員からの著作の寄贈を受け、日本民族学会にゆかりのある様々な活動や戦前から引き継いだ大部の図書文書類を保管してい た。そのため振興会の解散により、これらの資料は神奈川大学日本常民文化研究所に一括して寄贈された。図書資料は、その後約4年の歳月をかけて蔵書登録が 済ませられ、OPACによる検索が可能になった。また、文書類は2001年夏から整理が着手され、保存処置がなされ、2006年以降簡易目録のもとに、一 部制限はあるものの、本学会員にも閲覧可能な状態になっている[泉水 2015]。これに鑑み、本学会(第26期)は、同研究所に保管されているこれらの資料公開を今後より円滑かつ迅速に進めるために、公開のための業務イニ シアチブを同研究所に移管し、関根康正会長(26期)の下で、公刊されたものを学会がサポートする趣旨の覚書を同研究所との間で交換した。この「国際常民 文化研究叢書」第11巻は、覚書締結後の初の公刊にあたる。

  この報告書には、敗戦前の1943年11月から44年4月にかけて、民族研究所が主催した都合6回の連続講義のべ42演者におよぶ「民族研究講座」につい ての講義録のうち28演題が収載されている、これまで3年以上にわたる著作権問題の処理、翻刻された口述録の補綴がなされてきた。報告書の一部、すなわち 泉水英計による刊行の経緯を記した「まえがき」ならびに、戦前の岡正雄と民族研究所とこの「民族研究講座」が実施された経緯に関する中生勝美の論文等は、 日本常民文化研究所のホームページ(参照文献として後述)からダウンロードして閲覧することができる。この報告書に掲載されているが、大部にわたる講義録 全体——講演本文で数えてみると400字原稿相当で2,100枚強に相当し四六版の一般刊行本にすると7冊以上はある——を通読するのは、歴史的興味を持 たない者には苦行になるかもしれない。言うまでもなく最新の文化人類学の情報ではなく、古いパラダイムや当時の人種主義的言説なども含まれており、論文な どで引用するには、さまざま留保も必要である。にもかかわらず、同時期の世界の民族学(文化人類学・社会人類学)の学問的水準や研究関心の比較をおこな い、さらには植民地・占領地を含めた世界の地域研究と「他者と他者表象」の統治について知ろうとする際、この報告書は、戦間期の日本民族学と当時の社会と の歴史的な関係を布置する貴重な資料となる。


第1期「民族研究講座」の案内ポスター(神奈川大学日本常民文化研究所蔵

  これらの講演(第1期)は、都合6回の連続講演会にわかれ、それぞれ、第1回民族学、第2回民族問題及民族政策、第3回支那及印度民族(この回は所蔵資料 がないために今回は翻刻されていない)、第4回欧米民族学、第5回北亜・中亜及西亜民族学、第6回南方圏民族学の5回分である。また今回の筆耕は28演題 におよんでいたことは先に述べた通りである。翻刻された全ての講演のタイトル(演者)は以下に述べる通りである。すなわち、民族学要説(岡 正雄)、民族理論(小山 榮三)、宗教民族学(宇野 圓空)、言語民族学(泉井 久之助)、技術民族誌学(八幡 一郎)、民族主義の問題(高田 保馬)、雑婚及同化問題(小山 榮三)、中国民族問題及民族運動(田中 香苗)、南方圏民族問題及民族運動(大岩 誠)、民族政策論(高田 保馬)、民族と政治(金井 章次)、スラヴ民族(茂木 威一)、アングロサクソン民族(間崎 万里)、ドイツ民族(岡 正雄)、ユダヤ民族(岩崎 陽山)、ラテン民族(井澤 實)、バルカン諸民族(道正 久)、中アジア諸民族(岩村 忍)、満洲諸民族(中野 清一)、蒙古諸民族(米内山 庸夫)、西アジア諸民族(大久保 幸次)、南方圏民族学概説(杉浦 健一)、比島諸民族(八幡 一郎)、旧蘭印諸民族(杉浦 健一)、ビルマ諸民族(蒲池 清)、仏印諸民族(山本 達郎)、泰・マライ諸民族(宮原 義登)、ニュージーランドの情勢(郡司 喜一)。

  巻末には、今回の翻刻に関わった本学会の会員を含む13名の研究者により、「民族研究講座」の講師の略歴が記されている(pp.375-386)。なお解 説に関わったこの研究グループは同研究叢書において「第二次大戦中および占領期の民族学・文化人類学」論集を2013年3月に刊行している。講座の講師略 歴には狭義の民族学者以外にも、軍人や医学者、ジャーナリスト、農学者などが含まれ、著作のリストのみで経歴詳細が不詳の演者も含まれている。評者に与え られた紙幅の関係で、これらの演題に逐一書評コメントをすることはおこなわない。本講義録を繙く者は、現時点における民族学・文化人類学の研究水準からみ て不満をもつかもしれない。また当時支配的だった人種主義論や民族・人種の優劣などの言及においては、不快な思いに苛まれるかもしれない。それぞれの講演 には注として付された13名の研究者による親切な解説と補綴の記録があるが、その解説の深度については疎密の差異がみられる。民族研究講座の実施の状況や 背景については、その巻末に中生[2015:367-369]による解説論文がある。彼は今回の翻刻の意義について、インテリジェンス(諜報活動とその基 礎資料集積)という観点から「民族研究所の社会的役割、及び戦時中の世界情勢に関する日本の分析レベルを知ることができる」と述べている。そして、このよ うな講師陣容について、岡の個人的ネットワークなのか、外務省や参謀本部の協力によったものなのかは不明だと疑問を呈している。いずれにせよ当時の斯界の 専門家をあつめた民族研究所ならではの陣容と内容である。

  この講義録は、以上のように歴史的資料として貴重である。しかしながら、現在の文化人類学と社会との関わりについて再考するために、上記とは違った観点か ら読み進めることも可能ではないかと思われる。そのための2、3の助言めいたことを記してみたい。

  まず、ひとつには、軍事的に拡張をとげる当時の政権の庇護のもと で民族学の研究調査を維持するために、岡が民族研究所の設置を働きかけるモデルになったナ チスのアーネンエルベとの比較であろう。また、地域研究の学知や方法論を、民族情況のみならず歴史や政治的文脈を異にする日本に輸入する可 能性と限界につ いてである。総力戦の社会状況の下、東京市数寄屋橋にある泰明国民学校——現在の中央区立泰明小学校——という〈ドイツから遠く離れた〉地点において講演 はおこなわれた。岡による「民族学要説」や「ドイツ民族」の解説には、ヒトラーの人種=民族政策と、その潮流と迎合しつつもその政策に完全には乗ろうとし ない(岡の依拠した)ウィーン学派による学識との微妙な緊張関係が見られる。またナチスの「民族政策」を講じる極東の演者は、実際に本格稼働していたヒト ラー政権のユダヤ人問題の「最終解決」プロジェクト(今日で言うところの)民族浄化政策というものの内実など知悉していたとは思われず、ドイツでの人種= 民族政策と、大東亜共栄圏における民族宥和すなわち(今日で言うところの)多文化共生政策とは、むしろ相容れないであろうと他人事のように述べている。こ の落差感覚は、現代の我々がテロや内戦の民族誌を読む際に直面する、フィールド(アウェイ)と図書館や自宅(ホーム)のギャップと通底するかもしれない。

  他のひとつは、民族研究所所長に就任していた高田保馬の2つの講 演「民族主義の問題」と「民族政策論」の瞠目すべき〈現代性ないしは今日性〉についてであ る。高田のいう民族および民族主義は(今日で言うところの)ネーションやナショナリズムに対応するが、ナチスでは(ユダヤ人排斥による人種=民族の純化 と)それを強力な国民=人種国家として推進しようとする国家のための人種概念が、日本ではネーション(民族)が国家政治に「先行して居る」ために、両国の 人種政治に共通点を見いだすことができないと高田は指摘している。また自分の経験だと留保しつつ、満州国でであった朝鮮半島出身の「同胞」が、日本は憎く て仕方がないが「ほかにとる途がないから仕方がないが、率直にこういうことが述べられた」が「私は、それはこまると考へた」とその困惑の心情を吐露してい る(p.89)。国家の民族政策の大義とインテリジェンスに与みしている民族研究所の所長が、1943年11月13日の講演において大東亜共栄圏の多民族 の共存共栄の未来を危惧しているのである。(1944年に民族研究所が戦災を受けて彦根に疎開し高田は新理事長に就任 する)高田は戦後占領期に大学教員不適格の判定を受けており、彼が孤高でリベラルな思想を戦時においても常に持ち続けてい たと、評者が素朴に擁護する気持ちは毛頭ない。しかし、昨今の政府科学技術政策に対して体制順応主義者が跋扈し自分の言説を容易に変節させ一円でも多くの グラントを獲得しようとする大学教員(もちろん一部だろうが)の存在を考えると、戦時に〈人類学的リベラリズム〉——もちろんそんなものがあったとしての 話だが——の矜持を維持しつづけることの意義についても考えさせられた。

  過去2年間、評者はハンナ・アーレント[原著 1951]『全体主義の起源』を大学院の授業で取り上げてきた。彼女の主張する東ヨーロッパにおける国民国家形成の失敗が、歴史的なユダヤ人嫌悪とは全く 別物である反ユダヤ思想や無国籍者の存在を生み出し、ひいてはヨーロッパにおける啓蒙主義の最大の産物である「人権概念」を腐食していくという同書の後半 にあたる重要なテーゼについて、本講義録を読むまでは私は未だ不案内なままであった。アーレントによれば、ヒトラーの民族=人種政策とは、人種の優越性や 劣等人種の科学的本質化を通して〈純粋なる国民国家〉を作り上げる壮大な、そして自己目的化して暴走するという〈倒錯した〉国家事業でもあった。岡がその 渦中においてアーネンエルベについて知り、全く異なる人種=民族思想を形成しつつあった極東の日本においてそれに相当する民族研究所を創設しようとした航 跡を追いかけ、それらのイメージが重なった時、ようやくアーレントの言わんとすることが私にとって具体的な輪郭を顕したのである。

  折しもこの講義録が刊行された後の2015年盛夏には、集団的自衛権と安全保障論「朝鮮人強制労働」に与る日本の産業文化遺産の世界遺産登録、そして戦後 70年の首相談話という、歴史の記憶や謝罪をめぐって種々の論争が起こった。アーレントの先述の本によると、ナチスの兵士は強制収容所のユダヤ人たちに、 ホロコースト事業が完結するとユダヤ人自身の存在そのものが人類の歴史から消去されるから人類の歴史にもユダヤ殲滅の記録は残らないはずだと嘯いていたら しい。これに少し先立つ時期にナチスに追われパリから脱出する寸前のヴァルター・ベンヤミンは、どんなことでも仔細に記録をとる年代記作者は「かつて行わ れた出来事は歴史にとってなにひとつ失われたとみなされてはならない真理」に顧慮するはずだという「歴史哲学テーゼ」[1940]を書いていた。この真理 は「人類の救済」にも与ることであると彼は記す。ベンヤミンのいう年代記作者の真理に照らせば、文化人類学という学問の成り立ちに関する歴史記憶もまた人 類に対する何らかの貢献が期待されているのだろう。この翻刻もまた、失われていたとみなされてはならない真理に顧慮した重要な作業だからだ。

  なお、本講義録資料は非売品であるが、日本文化人類学会会員には、その入手について便宜を図ってくださるそうなので詳しくは神奈川大学日本常民文化研究所 に問い合わせられたい。

参照文献

泉 水英計
 2015「まえがき」『国際常民文化研究叢書11:「民族研究講座」講義録』Pp.11-13、神奈川大学日本常民文化研究所。
中生勝美
 2015「民族研究所構想と「民族研究講座」」『国際常民文化研究叢書11:「民族研究講座」講義録』Pp.355-374、神奈川大学日本常民文化研 究所。
中根千枝
 1999「財団法人民族学振興会の解散について」『民族学研究』64(3):388-390.

神奈川大学日本常民文化研究所
 Online, 「国際常民文化研究叢書11」 http://icfcs.kanagawa-u.ac.jp/publication/report_03_11.html (2015年8月15日閲覧)

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