自己との会話、あるいは言説の調理[学]入 門
conversation with myself, or how to cook my own identity
今 回の課題は四角の枠でかこまれた対話例について、考えるのが今回の課題である。早速解説に入ろう。よくありそうな、イマイチ品のない10秒少しで終わるコ ントを自作してみた。
オ
ンナ:「ずっとエッチなこと考えているの?」
オトコ:「魅力的なあなたといるときには……」
オンナ:「いないときには?」
オトコ:「考えませんよ、他にやることあるし…」
オンナ:「よーするに、私とヤリたいだけでしょう?」
オトコ:「はい」
オンナ:「あなたは私の心に対して誠実じゃないわ!」
オトコ:「僕は自分の心には誠実だとは思いますが…」
僕 は、このコントを最初、ジェンダー論(=社会的性役割に関わる権利や利益の不平等の原因や是正をめざす議論)でまとめるか、あるいは言説分析(=発言にみ られる一挙一投足をミクロ政治過程としてその隠された言語を通した考えと行動を批判に捉え直すこと)でおこなおうと思った。一例をあげると、前者の分析で は、セックスを誘う役割や「ストレートに欲望を語る権利」はどうして女性よりも男性に多く配分されているのか?あるいはそのように表現されることが多いの か? などということを通して、議論を開始して、会話の中身を腑分けすること(=いわゆる「分析すること」)。後者の例では、男性の発話は、女性の質問に ついて答えるようなふりをして「自分とセックスしよう」というメッセージを伝えている一方で、女性の質問は、男性の応答を受けてそれを展開する論理的なも のになっており、両者の会話はチグハグなのに、なぜその両方のメッセージを違和感なく私たちが読み取れることができるのか?という疑問から出発することで ある。
●牟田和恵『部長、その恋愛はセクハラです!』集英社新書、集英社、2013年
1.間違いだらけのセクハラ「常識」 |
レッスン:男性が気付けない理由 その1 セクハラは『羅生門』。当事者の立場によって見方は異なる |
2.セクハラの大半はグレーゾーン |
レッスン:男性が気付けない理由 その2 ほとんどのセクハラはグレーゾーン。真っ黒だけがセクハラではない。 |
3.恋愛がセクハラになるとき ——ときめきスイッチが入ったときはもう橋をわたっている |
レッスン:男性が気付けない理由 その3 「真剣な気持ちなら許される」と思うのは大間違い。 |
4.女性はなぜはっきりとノーと言わないのか、男性はなぜ女性のノーに気付かないのか |
レッスン:男性が気付けない理由 その4 女性はイヤでもにっこりするもの。 |
5.恋愛とセクハラの近くて遠い距離 |
レッスン:男性が気付けない理由 その5 中高年男性が「モテる」のは、地位と権力が9割がた。 |
6.オフィスにセクハラの種はつきまじ |
レッスン:男性が気付けない理由 その6 露出の多いファッションは誰のため? 職場の男性のためではありません |
7.周囲の方々へ、担当者へ |
レッスン:男性が気付けない理由 その7 会社には会社の判断基準がある |
終章 後で訴えられないために ——訴えられたらどうするか |
●「臨床コミュニケーション」の授業
あ るいは、この授業が「臨床コミュニケーション」の授業だから、そのシラバスに書かれてあ る、あるいは授業で解説された「定義」にしたがって、1)対人コ ミュニケーションをベースにし、2)具体的な結果を引き出す目標をもち、3)コミュニケーションに使える時間に限りあることがお互いに了解されたもの、 の 3つの性質を確認して、どうして、それが私たちの教科書に載ると思われるような、臨床コミュニケーションという「代物ではない」と感じられるのか、その違 和感について、語ってみなさいと課題をだそうかなとも考えた。でも、受講者の違和感は他にもあるだろう:「なんでこれが『自己との対話』の課題なんだ?! バカヤロウ!」とか、「本当に現場に役立つコミュニケーション技法を教えろ!」とかいう御不満である——ただしシラバスをよく御覧なさい、そのような約束 はどうも書かれていないようだ。
ち なみ、このコントを考えた翌日に、僕は FBで次のように豪語した:「このコントで90分対話型の授業をやれる[= 議論を引っ張れる]人は(人文社会系の教 養教育担当の)大学教員としての資格あり——ただしセクハラやそれを偽装した手口を使えば即Red cardだ」と。
畢 竟、X大で臨床コミュニケーションの授業を10年背負ってきた不肖の僕としては、対話の相手がまともな思考力があり(=タフ)であれば、1コマどころか何 コマ分も「臨床コミュニケーションの理解に役立つ」教訓や理論、あるいは発展的応用の議論を展開できる自負はある。現に、この授業を設計した時には、社会 学者アーヴィング・ゴッフマン(Erving Goffman, 1922-1982)の「役割距離(role distance)」論文(1961)の中にみられる「役割概念」「役割枠組み」「役割距離」「情況」「表現」「真面目と不真面目」そして(自己というも のは唯一無二なものではなく)「自己は多元性」を持ったものであることを、解説するだけの準備はしていたのだった。これらは社会構成主義という理論の出発 点(あるいは前提)になっている——なぜ自己のことを語るのに社会が出てくるのか? つまり皆様には御不満の向きはあるだろうが、不真面目だけで教材を取 りあげたのではない——不真面目な表現で「この企画は決して不真面目ではない」と言い切ることは、我が心の師たるゴッフマンの諧謔精神を裏切るからであ る。
そ
こで一件愚にも付かない変な具材(=対話的コントという教材)が、料理人(=学生)次第でいかようにも上手に調理できることを、ここで実践してみよう。具
材を調理する方法も表現方法も各グループの自由である。なにをどのように話してもよい、あるいは話さなくてもよい——ただし君たちはその沈黙に耐えられる
か? この素材で3,40分皆さんで、ごった煮しながら鍋をつついた半完成品(=中間情況報告)を私たちシェフ(=教員)に見せてほしい。これが本日の課
題である——ただしセクハラやそれを偽装した手口を使えば即Red
cardだ(=毒物や工業製品の混入があれば食品衛生法に抵触し「自然食品」と名乗れないように)。
Visit!!
My honoring, NOT homering,
his site, Erving "Virtural" Goffman, http://bit.ly/1hoTxIV
こ の授業のpdfハンドアウト
あ る回の演習の結果と、それに関するコメントのリプライ
セクハラ事案の最悪の例
文 献
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