はじめに よんでください

ルカーチとシンプソン家

Lukacs [Gyorgy]and the Simpsons

池田光穂


パラ


161 1
緒言 商品構造の謎の解明が重要
162
2
1.物象化の現象 1.
商品構造の本質は、「人間関係」の隠蔽にある。

3

商品の物神性
・商品流通の特徴(164-165)
166
4

・物象化「第二の自然」(166)

5

・物象化により、人間関係の客体化や、客体が人間から独立しているという感覚、固有の法則が人間を支配しているという感覚がうまれる(166-167)。
167
6

・商品の普遍化は、人間労働の抽象化に直結する(167)。
・テイラーシステムの合理機械化は、労働者の魂まで食い込む。
170
7

・計算可能性の合理化
・合理的分解化は、労働の「有機的部分」を破壊する=疎外労働
171
8

・生産主体の分裂
・時間の秩序化
・「もの」と「活動」が、ひとつの空間のなかに凝縮される。
173
9

・上のような状況は、資本主義社会の構造の「集中化」することが不可欠
・つまり、労働を市場で自由に売却できる「自由」労働者があらわれることが不可欠(174)
・労働生産物の社会関係の凝縮が不可欠
175
10
2.
・資本主義生産の貫徹が必要

11

・合理的な客体化は、もの直接的ものの性格を覆い隠す
・人間関係のみならず、ものの性格も変える

12


180
13

・物象化すると、そのものの背景にある人間的関係が見えなくなる。
182
14

・近代システムと非近代システムのあいだの「断絶」
・このような過程が、企業者と技術者、あるいは、その他もろもろの資本主義下における人間の態度が共通性を帯びるようになる
185
15

・近代官僚制をみるがよい。
・物象化=資本主義におけるジャガーノートのような比喩をもちはじめる
187
16

・欲求充足の対象がすべて商品化する
・カントもいっている、性の共同体は性器的結合であり、結婚は両性の人間を結びつけることだ、と『道徳の形而上学』第1部第24節。
188
17

・合理化の臨界点はどこだ?——恐慌
189
18

・恐慌が「自然なプロセス」である理由は、これまで述べてきたような「合理的プロセス」が必然ではなく、偶然なものであるからの証拠になっている。
・これをルカーチは「全体の非合理性」と呼ぶ。
191
19

・「全体の非合理性」そのものは法則性をもつ。これが資本主義の法則性である。
・それぞれの部分が合理的に(勝手に)すすんでいくと、全体の非合理的性格はますます強くなる。
・そのような全体の非合理性を推し進めるのが「専門家」である。
・エンゲルスは、このような専門家に「法律の専門家」がおり、彼らは、生産と商業に依存している。
192-193
20
3.
・業務の専門化で、全体像がうしなわれていく。
・限界効用理論批判(193)
195
21

・階級の社会的存在から出発し、存在を概念的に把握し、必然と欲求から成立する科学論
・恐慌という課題
・ヒルファーディングによる批判:量的な分析に質的なことを加味する必要がある(196)
・全体性の消失(ローザルクセンブルグの指摘)(197)
198
22

・「君たちは法を犯し、そして新しい法をつくるのだ」ヴォルテール
・カント主義者のフーゴーの奴隷制擁護の主張は、ブルジョア社会の法の構造と同じと批判(199)

23

・国民経済学は、恐慌を理解できず、法学者は法の物質的根拠を理解できず(201)
202
24

・取って返した刀をブルジョア哲学にも向けて「全体性」把握の不可能性を論じる
・総じて、近代ブルジョア思想の総切り、という感。
205
25
2.ブルジョア的思考の二律背反
(合理主義と非合理原理を共存させる企ての失敗を言いたいのか?)

26
1.


27



28



29



30



31



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33



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225
38
2.
・古典哲学は過去の形而上学的な幻想を打ち砕いたが、自分たちの前提に関しては無批判で、そのまま形而上学的に受け入れた(225)
226
39

・フィヒテ

40

・主客の統一性=活動性(227)

41


229
42

・カント批判

43



44



45



46


235
47

・数学や自然法則の必然性が認識の理念(主題?)になると認識は、主体の関与なしに現実のなかで働くようになる。このようなモーメントは、主体概念そのものを無化し、主観は単なる形式だけに陥ってしまう(235)

48


236
49

・人間の認識論の不可能性(236)

50


239
51

・このようにしてあらゆる人間関係が自然法則の水準におかれる。他方で、自然は「ひとつの社会的カテゴリー」でもある。カテゴリー概念の恣意性(=非自然法則性)と先の人間関係の自然法則的把握の理念とは明らかに衝突するだろう。
・ヘーゲルは、フィヒテとの論争で、フィヒテの国家は「ひとつの機械」と主張するが、これは古代の原子論と変わらぬと批判する。
・マルクス「デカルトが動物をたんなる機械だと定義するとき、中世とははっきり区別されるマニュファクチャーの時代の目でみている。中世は動物は人間のヘルパーとしてみていた」(239)
241
52

・エンゲルスの物自体に関するルカーチの批判
245
53

・『実践理性批判』における合法則性と個人の倫理実践における「内的な自由」の分裂(245)
246
54
3
・プレハーノフ
248
55

・1)合法則性に叶う自然
・2)価値概念としての自然
・3)物象化された定在の問題性を克服する自然(249)
250
56

・純粋理性と実践理性の止揚できない二元性(250)
・芸術の例外的存在(251)
251
57

・芸術の原理=形式の構想にしたがって具体的総体を創造することである。
・カント『判断力批判』では、彼は、原理なしに融和しえない対立を媒介する役割、つまり体系を完成する機能を、原理に与えたのだ。
・この原理は、芸術という現象を理解し解釈する枠組みを与えただけではなかった。この(発見された)原理は来歴からみてカントの自然概念と結びついている ために、さまざまな意味で解決できないすべての問題を解決する原理を、カントはその使命として与えたのであった(251)
・フィヒテによると、芸術とは「先験的観点を公共の観点とすることである」(『倫理学体系』第3部31節)
252
58


253
59

・「人間はかれ(ママ)が遊んでいる場合だけ完全な人間なのである」シラー「人間の美的教育論」序文
254
60

(シラーの議論をうけて蘊蓄のある主張がなされている)

61


257
62
4.


63


260
64

・スピノザの評価

65



66


265
67


266
68

・古典哲学の隘路

69



70


27
71
3.プロレタリアートの立場


72


273
73
1.
・マルクスのいう「価値判断」の重要性
278
74

・ブルジョア的方法論の限界

75



76



77


283
78

・直接性と媒介性
284
79

・ジンメルのいう、物象化のイデオロギー的意識構造(284)

80



81
2.


82



83



84



85


297
86

・プロレタリアートの二重性(297-298)

87



88


300
89

・マルクス「時間は人間の発展の場である」『労賃、価格、および利潤』

90

・このあたりから、プロレタリアートの自己意識の問題が徐々に議論されはじめる。

91



92


304
93

・「労働者が自分を商品として認識することは認識としてはすでに実践的である」(304)

94



95


306
96

・プロレタリアートとブルジョアの自己認識の類似性
・ブルジョアには、資本主義の合理化にいたる意味の道が拓けている
307
97

・プロレタリアートには、この(ブルジョアの)過程が、階級としての自己意識へと変化する(量から質への変化)
307-309
98

・ただし、プロレタリアートがそのような「階級としての自己意識」を獲得するためには、「定在の虚偽の現象形態の止揚」が必要になる(309)

99

・労働者は自分を労働力商品としての自覚が必要になる(310)
・マルクスが驚愕したプロレタリアートが目の前の資本家のみならずその場には存在しない金融家への憎悪という想像力=妄想力は、開発途上地域をフィールド ワークしたことのある人類学者なら「民衆反乱時における暴力の発露」の攻撃対象に他ならないことを知っているはず(311)
312
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317
104

・プロレタリアートの疎外感覚「実現すべきいかなる観念ももっていない」(317)は、革命への希望的推進力であるとも読み取れる。
318
105

・「ブルジョアジーにとって暴力とは、かれらの日常生活を直接的に継続することである」ルカーチ(319)
320
106

・物とは過程に解消あれた契機である(320)
323
107

・たんなる経験の「事実」よりも歴史の発展傾向のほうがより高次の現実性を付与される(323)

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110

・物象化の弁証法

111


331
112

・フォイエルバッハによる哲学の人間学化への批判(332)

113



114


334
115

・歴史弁証法

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337
117

・マルクスの「ヒューマニズム」問題(337-)

118



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120



121


344
122

・「非決定論」

123



124


349
125
6.
・物象化論まとめ

126



127


352
128

・客体の変革について(352)

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131



132


361
133

・「プロレタリアートの階級意識」

134



135


364
136

・ヘーゲル弁証法
366
137

・「プロレタリアート自身の——自由な——行動」(366)



Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

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