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キャサヌール森林病:開発原病の民族誌

The Kyasanur Forest Disease : Récit

池田光穂

書 物になった民族誌のようなまとまったテキスト以上によく読まれるのが学術雑誌に掲載された論文や事例報告等の短い文献である。これらの文献は概説書や 民族誌の様に比較的長大な構想で書かれることは少なく、字数も制限されており、具体的な報告とそれに関する考察が(時には例外もあるが)簡潔にまとめられ ている。

ここではひとつの試みに米国の医療人類学会の発刊する「季刊医療人類学」(新版)に掲載されたM・ニッチャー論文「キャサヌール森林病:開発原病の民族 誌」(3)を例にあげて医療人類学のひとつの論文の構成を見てみよう。なおこの論文は事例であり、すべての医療人類学がこのように書かれたり、書かれるべ きであるというわけではない。ただ著者から見て生物医学、宇宙観(コスモロジー)、医療セクターの諸点から的確にまとまった民族誌として紹介するにふさわ しいと判断したためである。[なお番号は論の展開に沿って筆者が便宜的に振ったもので原文にはない。]  

(1) 論文の全体の主張はこうである。キャサヌール森林病(Kyasanur Forest Disease)は南インドの森林破壊に伴う<開発原病>(disease of development)(4)であり、この疾患が流行していたカルナータカ(Karnataka)州の住人がどのように病気を捉え、どのように対処して いったかについての民族誌的検討である。論文の焦点は疾病の流行に伴って現れた<説明モデル>の社会的・歴史的次元である。つまり身体疾患が社会の状況を 説明する<自然の象徴>(natural symbols)として用いられ、封建的な王がその王国の安寧に責任を持つという説明をする<身体と土地の喚喩関係>に言及し、さらにそれが住民のヘルス ケアの意志決定の問題まで関連しているという事実である。

(2)序論は、この病気がインドの南西部にのみ見られ、突然の悪寒、発熱、頭痛、身体の痛みといったインフルエンザ様の症状に始まり、下痢や嘔吐がしば しば見られたあと、長期にわたる高熱が続き、最悪の場合には肺炎や出血あるいは脳炎をおこす、という生物医学的な症状の記述に始まる。病気は一九五七年に 報告されているが、長い間死亡の報告はなされなかった。しかし八二年になって突然カルナタカ州の南部に流行し、八四年までの病院での死亡率は一二から一八 パーセントにまでなったという。この現象の民族誌とは、住民が病気の流行を広範な社会的不幸という文脈で説明しようとしたことにあり、人々はまるでジグ ソーパズルを繋げるように原因を説明していったことである。そしてこの現象は色々な説明が可能であったのに、どうしてある特定の説明だけが人々に採用され ていったのか、と説明することがこの論文の課題である。

(3)「疾病の特色」では病気の疫学について語られる。キャサヌール森林病はある種のダニが媒介する脳炎で、その病原は(節足動物が媒介するのでその名が ある)アルボウイルスの一種であり、それは南インドの生態系に古くから存在していた。それが七〇年代にこの地域でカシュー(粘着性のゴムが採れその実はカ シューナッツとして知られている)を栽培するために広範な森林伐採が行なわれ、森林と村落の間に多くの薮ができることになった。この薮がダニを生育させる 温床となり、家畜を通じて人に感染するようになったのである。病気はダニの繁殖サイクルに完全に一致し、若いダニが出現する十二月に流行し始め、一月から 二月にかけてピークを迎える。流行は村ごとに突発的に発生し、村に大打撃を与えた後は、住民に免疫が形成され鎮静化する。また病気は森と集落を家畜を使っ て行き来して働く貧しい農業労働者に多発している。キャサヌール森林病の流行は、文字通り開発が生態系を変えることによって病気を発生したという点で<開 発原病>なのである。

 (4)「トゥルバの宇宙観と社会変化」、トゥルバとは現地の人々のことで、彼らの話すトゥル語に由来する意味。ここでは病気が解釈される社会的な文脈を 紹介するために彼らの宇宙観(コスモロジー)から説明に入る。彼らによると世界は三つの領域から成るという。つまり、人間と野生と超自然のそれぞれの領域 であり、そのうち超自然は、耕作地である人間の領域と森林で象徴される野生の領域を媒介しているといわれている。そして野生と超自然がうまく治められる と、それらは人間に生命力や安寧を与えることになる。逆に制御ができないと、収穫の不良や病気の流行などの原因となる。その信仰の土壌に加えて現地では守 護神(bh<ta)を祀り憑依を伴う儀礼が、家庭から、村落、王国に至るまでのさまざまなレベルで取り行なわれていた。しかし一九七〇年代中頃に農 地改革が実施されたため王族が没落し、彼らが催す大規模な守護神の儀礼が行なわれなくなった。人々は病気や不幸の原因は守護神への義務の不履行であり、そ れは神が怒っている証拠であると考えていくようになった。

 (5)病気の民俗的な解釈に入る前にまず現地の医療体系についての知識がなければならない(「KFDの原因についての解釈」)。現地の保健文化は、先に 述べた守護神崇拝、インドの伝統医学であるアユルベーダ、占星術と、医師や売薬業者による現代医学(インドやバングラデシュではしばしば「アロパシー医 学」と呼ばれる)によって多元的に構成されている(↓医療的多元化)。人々は病気になったときにそれが生起する状況を観察し、その病気を診断していく。し かし予測どうりの経過をたどらなかったり、薬が効かなかったりすると、病名の変更が行われ新しい治療が始まる。従って病気の知識を生産するような社会的、 文化的、心理的、歴史的な要因を知ることは重要になり、キャサヌール森林病もそのような文脈のなかで探求されなければならない。

 彼らがこの病気を守護神の怒りであると意味づけした理由は、(ア)病気の症状と守護神がおこす災難−突然の高熱、体の痛み、など−が一致したこと、 (イ)その流行が孤立した村落で始まり、それがその住民の(宗教が規定するところの)道徳的な違反に由来するものであると考えられたこと、(ウ)現代医療 の医師が病気のコントロールに失敗したので住民は超自然的なものに理由をもとめる結果になった、と考えられる。しかしそれはこの土地に農地改革が行われた という社会的な変動にも大いに関係している。先に述べたようにそのために守護神への儀礼が減少したが、病気の流行に伴って儀礼が今度は急増し大量の供物が 捧げられることになった。これは土地所有者である王族と小作人である臣民の間には保護と貢献という相互義務を負っており、同時に王族と臣民は守護神に対し て義務を負うものとされているからである。

 占星術師たちは、バランスを失った生態、崩壊した王政、王国の境界を守れない弱体化した王という文脈の中で、病気が森からやってきたものであると告げた が、病気の流行は次第にエスカレートしていった。彼らは住民の要請にたいしてそれにはより深い理由があると考えるようになった。ある占星術師は患者が病院 で死亡することを、その霊魂が満足しないために不吉なことであると考えた。現に病院収容患者は重症期の者が多かったので病院自体が死を意味するものになっ ていたのである。

 流行と同時に汎インド的な女性神マーリアンマン(M<riamman)がこの病気と関連づけられるようになった。つまりこの女性神はもともと天然 痘や熱のある病気の神として考えられていたが、天然痘の撲滅と共にその神の破壊的な作用に対する畏敬の念が消失していた。現地の帰依者によって守護神と マーリアンマンが関係づけられるようになっていたうえに、さらにこの女性神を奉じるカーストの影響力もあって、この病気は守護神を超えてより一般的に森林 病の原因として統合されるように至った。

 インドの文化的な脈絡のなかでは病気の原因とカルマ(業)の関係がしばしば論じられるが、この事例では他人の家族や自分の共同体ではない場合にのみカル マの論理がもちいられた。保健職員とメディアによって住民はこの病気が森林からもたらされるダニによって起こると知らされたが、森へ行くことを禁じられて いる子供たちまでこの病気に罹ったために(実は衣服を伝ってダニが移動していた)、この理不尽な謎を人々は神に関係する「土地のカルマ」と説明した。しか しそれはヒンズー文化が他の人々に比べて不幸の原因を容易にカルマに帰するという一般化はできない(この文脈で著者であるニッチャーは十分な検討なしにカ ルマの論理を用いる研究態度を戒めている)。

 (6)「医療資源の利用」では、このような病気の理由づけのもとにどのような伝統医療も含めた医療資源(medical resouces)を利用しているかに触れる。この病気の症状は多様であり、また流行年によって病像が変遷しているので専門家であっても診断が難しい。先 に述べたように病院には急性期の患者が多く収容されたので、病院は死に行く場所だと烙印を押された。また病院で死んだ満足の足らない人の霊魂は、将来その 親族を悩ますものだとされた。そしてそれに追い打ちをかけるように患者の収容増による病院の条件の悪化が重なって病院の人気は下がる一方であった。ところ が現代医療以外の治療師のところには患者が集まり、またその名声を落とすことはなかった。それは治療師たちが急性期の患者を病院へ送り死の評判を着せられ ることを避けたという消極的な理由の他に、彼らが住民の支持する民俗的な<熱/冷二元論>を用いて病気を取り扱うということを行ったからでもあった。住民 や治療師は病気に際してそれを悪化する原因を「熱いもの」と考え、体を「冷やす」こと−−ココナッツのはいった冷たい水を飲む−−を行う。しかし現代医療 (アロパシー医学)がおこなう錠剤やカプセルの投与や注射は体を「熱くする」ものであると考えられ、錠剤を定期的に飲むことなどは伝統的な立場から見ると 体を弱くすることに他ならないのである。現代医療の薬を途中で飲まなくなることは、二次感染による病気のぶり返しを起こし、その結果現代医療への不信感は つのっていく。治療者たちは住民が恐れる死のシンボル−−それは病院で用いられるブドウ糖と塩類の「点滴」である−−を用いずに、レモンとある種の果汁あ るいは経口補水塩溶液を用いてこの病気の脱水症状を管理した。

 (7)行政は流行に伴って医者を要請したり、移動医療班を編成したが、当初はこの病気と森林伐採の関係を関連づけることをせず、伐採労働者が感染したダ ニを流行地に持ち込んだと説明した。やがて住民によって救済委員会が結成されたが、委員会は医療的な支援よりも栄養補給や(ダニの駆除の)薬剤散布の重要 性を主張した。行政は医療的な技術(ワクチンの開発)に傾斜し、ダニの温床である家畜や薮への薬剤散布には、皮肉なことにも生態系を破壊するという論法を もちだして消極的であったが、救済委員会の圧力により開始せざるを得なくなった。政府の活動はこの疾病を管理するために住民の自助努力を引き出すには至ら なかった。政府がキャサヌール森林病をウイルスとダニの疾病としたのに対して、救済委員会は開発当事者がプランテーション建設に際して社会的および生態的 な調査を行わなかったことに注目して、この病気を開発原病とした。

 (9)以上の記述をまとめて著者は次のように結論づける。守護神の儀礼の中で表出される封建的領主と小作人の父権的な関係は農地改革によって衰退してし まった。しかし彼らの宇宙観、神話、儀礼のなかにそのことは残されており、森林病の流行に対する彼らの解釈や病気の悲劇性を我々は歴史的脈絡の中で理解し なければならない。彼らはその伝説や儀礼のなかで森林をコントロールする必要を主張しており、現に一年に一度森の中で儀礼的な狩猟をおこない、守護神の慰 撫し、狩猟の成功と彼ら自身の繁栄を祈る。昔はちょうど猪や象によって畑が荒されるように森が人間の領域を侵犯して秩序が壊されたが、現在では人間が森を 破壊することによって流行病を引き起こすに至った。森にいるウイルス感染したダニとの接触は、秩序が壊された世界の中で守護神と接触することに等しい(な ぜならば守護神は世界を無秩序にした人間に対して怒っているからである)。その意味でキャサヌール森林病は、いにしえから現在に至る人々と国家と環境の三 者の関係が錯綜する土地に根ざす問題なのである。    

ちょうどカミユ(Albert Camus)「ぺスト(La Peste ,The Plague)」という文学作品 のように、この文献はキャサヌール森林病を記述するのに様々な視点から捉えられている。アルボウイルス感染症の 一種という<疾病>は、社会文化的な意味づけを通して守護神による天罰という<病気>になる。そして政治経済的な視点から捉えると<開発原病>となること が包括的に述べられている。ひとつの病気を記述するのに著者は民族誌的なスタイルを取った。しかしそれは現地で得られた資料を逐次的に羅列しているのでは なく、疾病分類的にあるいは疾病統計的に(→二、三)、社会的文化的背景(→四)、現地の人々が解釈する様々な病気の諸相(→五)、医療行動からの視点 (→六)、疾病に対する政治的対応(→七)という様々な諸相が著者の枠組みに従った上で配列整理されており、初めての読者にも理解し易いように書かれてい るのである。

● 附録、カミユ『』Albert Camus, La Peste ,The Plague

※以下の情報はウィキペディア(日本語より)

語り手:その正体は最後になって明かされる。
ベルナール・リウー(Dr. Bernard Rieux):医師。
ジャン・タルー(Jean Tarrou):よそ者、彼の手帳がこの作品のもうひとつの語り手。
ジョセフ・グラン(Joseph Grand):作家志望の下級役人。
コタール(Cottard):絶望に駆られた男、犯罪者。
カステル:医師。
リシャール:市内で最も有力な医師の一人。
パヌルー(Father Paneloux):博学かつ戦闘的なイエズス会の神父。
オトン氏:予審判事、「ふくろう男」。
レイモン・ランベール(Raymond Rambert):新聞記者。
喘息病みの爺さん:リウーの患者
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シノプシス(改行は省いてある)
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は じまりは、リウーを階段でつまづかせた一匹の死んだ鼠だった。やがて、死者が出はじめ、医師のリウーは死因がペストであることに気付く。新聞やラジオがそ れを報じ、町はパニックになる。死者の数は増える一方で、最初は楽観的だった市当局も対応に追われるようになる。 やがて町は外部と完全に遮断される。脱出不可能の状況で、市民の精神状態も困憊してゆく。 ランベールが妻の待つパリに脱出したいと言うので、コタールが密出国業者を紹介する。コタールは逃亡者で町を出る気はなかった。パヌルー神父は、ペストの 発生は人々の罪のせいで悔い改めよと説教する。一方、リウー、タルー、グランは必死に患者の治療を続ける。タルーは志願の保険隊を組織する。 ランベールは脱出計画をリウー、タルーに打ち明けるが、彼らは町を離れる気はない。やらねばならない仕事が残っているからだ。リウーの妻も町の外にいて、 しかも病気療養中だということを聞かされたランベールは考えを改め、リウーたちに手伝いを申し出る。 少年が苦しみながら死んだ。それも罪のせいだと言うパヌルー神父に、リウーは抗議する。確かに罪なき者はこの世にはいないのかも知れない。神父のパヌルー もまたペストで死んでしまうのだから。 災厄は突然潮が退いたように終息する。人々は元の生活に戻ってゆく。ランベールは妻と再会でき、コタールは警察に逮捕される。流行は過ぎたはずなのに、タ ルーは病気で死んでしまう。そして、リウーは療養中の妻が死んだことを知らされる。

リ ンク

Kyasanur Forest Disease (KFD)

文 献

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