生物における対称性破れとその原理
On pontaneous broken symmetry in vital organism
池田光穂
ピエール・キューリーの対称性/非対称性の原理というものがある。
1)「あることが原因となって、ある結果(=効果) が生起する のであれば、そのときその原因のもつ対称性は生起した結果(=効果)のなかに再び現れる」
2)「ある結果がある非対称性を示していたら、その ときこの非対称性はそれらの結果をもたらした諸原因の中に反映されて いるであろう」
つまり、《対称的な原因(=事由)は、それと同等な 対称性を もつ結果(=効果)を 生起させる》ということである。
この原理に、生物現象において理論的な意味でこの原 理に異義を掲げたのは、アラン・チューリングだと言われている。彼の業績に関する、スチュアートとゴルビツキーの解説を引用する。
■対称性の優位点と、その限界
「対称性を有することには、進化上の利点がいくつか あるかもしれない。実際、ダーウィンが正しいとすれば、そうであるに違いない。定義により、ある対称性を有する対象は同一の構造を何回も繰り返す。だか ら、対称的なダイナミクスは、手足とか脊椎骨などに見られるように、ある成功した構造の多くのコピーを造り出すための自然のメカニズムを提供してくれるの だ。自然がこのようなやり方で対称性を利用しているか否かが完全に明らかになっているわけではない。しかし、非常に長い進化の過程の中で、世界で最も成功 した生物は節足動物であったことは間違いない。節足動物は対称性の化身、すなわち、ムカデのようにその長さの方向に、沿って同一の構造を再三再四繰り返す 体節動物のひとつである。節足動物の構造は実に経済的に詳しく述べることができる。このことは、それらのDNAプログラムを作り上げる際に非常に多くの労 力が節約でさることを意味する。つまり、「一個の体節はこう作る……さて、同じものをあと40個作れ」というような具合に。もちろん、この対称性の規則に 従わないような頭とか尻尾に対しては、いくつかの特別な命令が必要だ。すなわち、/ここでは通常の力学の働きが無限の長さをもった動物を創ってしまうのを 防ぐために、DNAコードが介入しなければならないのだ。前に述べたように、進化は大変にご都合主義的なものなのである」(スチュアートとゴルビツキー 1995:201-202)。
■対称性の破れに気付く前:すなわち前史
「ダーシー・トンプソンは発生途次の生物の対称性に ついて研究し、1917年に出版した『成長と形態について』の中で、「対称性は有機体の形態を高度に特徴づけるものであり、生物体に対称性が欠けているこ とはめったにない」と指摘している。彼は対称性の動的解釈を導入し、生物体におけるその起源を追跡した結果、平衡形態がしばしば対称性を有しているという 事実にたどり着いた。彼はそれを支持するものとして、物理学者のエルンスト。マッハの次の文章を引用している。
「どんな対称的な系でも、その対称性を破壊してしま うようなすべての変形は、それを回復しようとする大きさが同じでかつ向きが逆であるような変形によって補完されている……したがって、絶対的に十分なもの ではないけれども、最大もしくは最小量の仕事が平衡状態の形に対応するひとつの条件は、このように対称性によって適用されるのである」(トンプソンからの マッハの引用文だが、スチュアートとゴルビツキーは出典を明示していない)。
このあいまいでわかりにくい言い方は、たぶん、「対 称的臨界牲の原理」の先駆である。この原理は、対称性を有するような平衡状態を探すときには、その対称性を破る摂動は考慮する必要がないことを述べてい る。オルガ・ラディツェンスカヤはこの原理を堅固な数学的基礎の上に据えた」(スチュアートとゴルビツキー 1995:203)。
■アラン先生の登場:すなわち《生物学をここでは忘 れよう!》テーゼの登場
「チューリングの1952年の論文は彼の多才ぶりを 遺憾なく発揮したものであった。というのも、それが計算と数学の論理からまったくかけ離れたものであったからである。それは「形態発生の化学的基礎」とい う表題であった。形態発生とは発生途中の胚が形態を獲得する過程のことである。チューリングはその中で、次のように主張した。
「形態発生に関する主要な現象をうまく解釈するには、モルフォゲンという化学物質が相互に反応し、細胞組織を通して拡散していくような系を考えれば十分で ある」。
彼はとくに、パターンの発達について議論している。 このような系は最初はまったく均質であるかもしれないが、時間の経過とともにランダムな撹乱が引き金となってこの均質な平衡状態が不安定となり、それに よってある種の構造、すなわちひとつのパターンを発達させることができるようになる。
ここにはお馴染みの言葉が並んでいるような気がしな いだろうか。
チューリングは自分の発表した理論が「単純化と理想 化を推し進めた結果、事実を曲解したものになっている」ことは認めていた。彼はその理論が形態発生のすべての特徴を説明できるなどと期待したことは一度も なかった。とはいうものの彼は、その重要な性質のいくつかはとらえることができたと感じていた。後にわれわれは、もしもチューリングの考えをそれこそその ことばどおりに受けとるならば、その考えにはいくつかのはっきりとした難点が存在するのを見るだろう。つまり、生物学はあまりに難解でとらえどころがな く、そして驚くほどに複雑であるということなのだ。けれども、彼の理論が生物学上の形態の発達、とくに、対称性の破れを通したパターン形成の概念に対し て、明快で重要な洞察を確かに提供したことは間違いない。
チューリングの当面の問題では、発生途次の有機体の 細胞構造は無視され、かわりに組織はだいたいにおいて均質な塊であると考えられている。生物学者の中には、こんなふうに考えたら生物学の最も興味深いとこ ろがすべて否定されてしまうとして、正当にも異議を申し立てる者がいるに違いな//い!しかし、たとえそうであっても、それは後からつけ加えればよいこと だ。チューリングのほんとうの疑問は「生物学的な細かい過程とは独立に形態発生が行われる可能性は、いったいどの程度あるのだろうか」ということなのだ。 それに答えるためには、生物学をいったん排除してしまう必要がある」(スチュアートとゴルビツキー 1994:205-206)。
■対称性の破れの崩壊
「チューリングは対称性の破れが果たす役割ををきわ めて明確に認識している。われわれはここで彼の論文の関連部分を、少々長過ぎと感じられるかもしれないが、引用することにしよう。なぜなら、そうするのが 最も適切であると考えるからである。彼は自分の生きた時代より数十年は先んじていた。
「4.対称性の崩壊と均質性」——以下は、チューリ ングの論文からの引用である。
『この形態発生の理論、いやたぶんそれについての他 のほとんどの理論についてもいえることであるが、それらの間には見かけ上共通の難点があるように思える。胞胚期にある球形の胚は球対称性をしている。もし そうはなっていず、完全対称性からある程度、ずれていたとしても、それがとくに重要であるとは思えない。なぜなら、それらのずれはひとつの種の中で匪ごと に非常に大きく異なるけれども、それらの胚から発生した有機体はその違いがほとんど識別できないほどであるから。このことから、それらは完全球対称性を有 していると考えることができるのだ。しかし、球対称性を有し、かつその状態が化学反応や拡散のために変化しつつあるような系は、いつまでたってもその球対 称性を保持したままであろう(同じことは電磁気や、量子力学の法則に従って変化するような状態についても成り立つ)。そうであったとしたら、球対称的とは 明らかにいえない、たとえば馬のような生物がそれから結果するといったことは確かにあり得ないはずである。
この議論には誤りがある。それは胞胚の球対称性から のずれが無視できるものと仮定したことである。その理由はいかなる形の非対称性が存在しても、それは特別な差異をまったくもたらさないからであった。しか し、そこにずれが存在するというのは非常に重要なことである。というのは、その系はこれらの不規則性、あるいはそれらのうちのある成分が成長していく傾向 を保持しつつ変化し、ひとつの不安定状態に到達するかもしれないからである。仮にこのようなことが起これば、まったく新しい対称性を備えた、新しい安定な 平衡状態が現出することになるだろう。このような新たな平衡状態の多様性は通常、それらを生じさせる不規則性の多様性ほどには大きくないであろう。たとえ ば、本論文の最後のところで議論する原腸形成球の場合、原腸胚の軸の向きはまちまちであるが、ただそれだけである。
この状況は電気的な振動子(発信器)で発生する状況 に酷似している。発信器はひとたびスタートしてしまえば、それがどのようにして発信し続けるのかを理解するのは非較的たやすい。しかし、そもそも、それが どのようにして発信し始めるのかは、はっきりしないところがある。その説明は、回路内には常に無作為の撹乱が存在するものだということなのだ。もしもその 撹乱の中に発信器本来の周波数と等しい振動数をもったものが含まれていれば、それが発信器をスタートさせるきっかけを与えることになるだろ//う。そし て、最終的にはその系は、その回路によって決定されるある振動数とある振幅(とある波形)をもった振動状態に落ち着くだろう。その振動の位相だけが撹乱に よって決定される。
もしも化学反応と拡散過程だけが、考慮されている物 理的変化の唯一の形態であるとしたら、上で述べた議論は少々異なった形をとることが可能だ。なぜなら、もしもその系がもともといかなる種類の幾何学的対称 性ももたず、完全に均質で、しかも、恐らく不規則な形をした組織の塊であるなら、それはいつまでも均質であり続けるであろう。実際にはしかし、その系があ る種の不安定性を有しているような場合には、種々な反応にあずかる分子の数の統計的ゆらぎまでも含めた不規則性の存在が、この均質性の消滅をもたらすだろ う』。(王立協会の許可により再録。著者ら、および発行者らは本抜粋の著作権がA・M・チューリングの代理版権執行者にあることをここに明記する。)」※ ここまで引用(スチュアートとゴルビツキー 1995:207-208)。
■1952年の状況
「彼の悩みの種は、対称性の保存に関して狭い意味で のキュリーの原理——これが誤っていることをわれわれはもちろん知っているのであるが——に沿った反論であった。彼がこのことまで含めて議論していたのは 十分ありそうなことである。というのも、生物学者たちはその誤りを真に理解しもしないで、このような反対論をはっきりと唱えていたからである。チューリン グはそれに対して、なおも次のように主張して譲らなかった。すなわち、より現代的な言い回しをすれば、対称性を有する平衡状態がその安定性を失う際には、 ランダムなゆらぎが引き金となって対称性の破れの分岐が引き起こされ得るのである、と。彼は非常に啓発的な二つの例を挙げている。ひとつは先ほど議論した ばかりの原腸形成であるが、これについては後で再び取り上げることにしよう。これによってチューリングが言いたかったのは、球対称性を有する状態からの典 型的な分岐は軸対称性をもった状態への分岐であるということ、すなわちそれによって必ずしもすべての対称性が失われてしまうわけではなく、また任意に選択 できるのは軸の位置についてだけであるということであった。彼の示した第二の例はホップ分岐の物理的な現れ(第3章参照)で//ある時間的に周期性をもっ た振動の開始、あるいはウォッブルについてである。われわれは次章で電子回路と生物学的発生との間の類似性が驚くほど実り豊かなものであることを見るだろ う。しかし、ここで観察すべき重要な点は、チューリングがホップの分岐を時間的な対称性の破れのひとつの形式として、はっきりと認識していたということで ある」(スチュアートとゴルビツキー 1995:208-209)。
■対称性を担保しているから「破れ」も正当化される
「引用したチューリングの論文の最後の段落には、さ らに別の鍵となる概念が紹介されている。すなわち、対称性は関連する対象の全体の形に対して成り立つ必要は必ずしもなく、局所的な事象であってもよいとい うことである。均質性はたとえそれが対称的な形を有しないような対象の中で出現しているとしても、依然として対称性の一種であることに変わりはない。われ われがここで思い描いている「対称操作」の種類とは次のようなものである。細胞組織の塊から二個の小さな丸いボールを切り出して、それらを入れ替えるとす る。その組織が均質であれば、この操作によって何らの違いも出てこないであろう。また、それが均質でなかったとしたら、そのときには内容の異なるボールの 交換によって違いが現れるだろう。だから、均質性というのはこの「局所的な対称性」と等価なのである。チューリングは次のように述べている。不規則な形を した細胞組織の塊であっても、最初にもってい//た均質性というのも対称性のひとつのタイプであって、もまた破られ得るのであると。
ついでといっては何だが、われわれが切り出した二個 のボールはもしかしたら同じものかもしれない。つまり、われわれが切り出したのは一個のボールだけで、それを元に戻したとする。元に戻す前に、それが回転 してもいいのであれば、そのときその「対称性」とは組織の状態が任意の方向で同一であること、すなわち等方的であることを意味する。それゆえ、等方的であ るとは局所的な回転対称性をもつことなのである」(スチュアートとゴルビツキー 1995:209-210)。
●生物と無生物を区分する7つの法則
1)細胞による構造
2)代謝
3)成長と複雑性
4)ホメオスタシス
5)刺激への反応
6)繁殖
7)適応と進化
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