女性性器切除
Female Genital Mutilation, FGM
FGMは、女性割礼・女子割礼 Female Circumcision、陰核切除ともよばれることがある。ただし、下記に述べる理由により、どのような術語を選択するかで、FGM(あるいはその同義 語)についての政治的立場を表象することがある。
FGMの定義は、実施される地域や分析する研究者の分類によって様々であるが、大きく次の3つに分類されている。もちろん、それぞれにはさらに
細かい差異がある(ホスケン
1993: 84-5)。
1.スンナ割礼
クリトリスの包皮と先(柔らかい部分)の除去。陰部閉鎖は行わない場合がおおい。
2.切除・クリトリス切除
クリトリスと外陰部、ときには外生殖器の隣接部分の除去。地域によっては、膣が切られる。
3.陰部封鎖(ファラオニック割礼)
クリトリスと大陰唇・小陰唇を除去した後、外陰部の両側を膣の上で閉じる。その際に、尿や月経血を出すための小さな穴を残しておく。
FGMの施術を受け、現在、FGM廃絶の廃絶の国際運動をおこなっているワリス(1999)によると、アフリカ大陸を中心に約28カ国の地域で おこなわれ、国連の推定では毎年200万人の女性(少女)が、この手術の対象者となり、過去にFGMを受けた女性は累計で13億人になるという。
FGMは、西洋世界における女性の権利意識の高揚と、その結果として引き起こされた国際化の流れのなかで、大きな論争をよんでいる。その論点を 整理してみよう。
1)女性の性器への身体加工という衝撃:
女性のセクシュアリティに関わる公的な言説体系がそれまでに存在しなかった、あるいはタブー視されてきたために、議論そのものが人々に躊躇 させるようなものになり、また、人々がセクシュアリティに抱いている文化的パターンや、個人のセクシュアリティの信条が絡みあわさって、(価値観を一見脱 色するような)議論において、その内容が複雑怪奇になる傾向がある。
2)FGM廃絶運動の当事者性という問題:
「価値観を一見脱色するような」議論の問題がクリアーされると次の問題が生じる。第三世界で「実施」されているというFGM廃絶運動が、第 一世界の知識人女性から発せられたという「見解」を中心として、さまざまな議論がまきおこった。その問題について誰が――この場合は第一世界の人なのか、 第三世界のひとなのか、あるいは男性なのか女性なのかなど――発話しているかということが、きわめて重要視されるにいたった。
この図式を相対化する視点:トリン・T・ミンハの主張
「第三世界における女性の抑圧をヨーロッパや北アメリカの基準や概念で批判し、先進国の女性の平等概念によって裁断することは、民族学のイ デオロギーによりそうことになる。……このイデオロギーは一貫した文化主体のの表象を科学的知識の源泉とし、先住民の文化やジェンダー化された活動をすべ て、男女の性役割にもとづいたステレオタイプに還元して説明しようとする。こうした文脈で使われるフェミニズムとは、西洋化と同じことを意味することが多 い」『女性、ネイティブ、他者』1989年
3)発話主体をめぐる権利性の問題:
「廃絶運動の当事者」の発話主体が誰であるかということが問題にされたことの論理的帰結として、発話主体が誰であるかをめぐる議論の有効性 と限界が指摘されるにいたる。その限界とは、その発話と発話がおこなわれる政治的社会的位置とは何かを明らかにしない場合、つねに発話そのものが無条件に 特権化されてしまうことの問題性である。ところが、このことについてより深く考えれば、誰の眼にも明らかなことに「経験的に」発話の特権化がなされるとこ ろでは、発話の場所は誰にでも解放された空間ではない。
このような条件付けをひとつひとつ正確に確認していかねばFGMの問題をすべての人たちが参入できる公共のものとすることができない。
【文献】
岡真理 1996 「<女子割礼>という陥穽あるいはフライディの口」『現代思想』1996年5月号
岡真理 1996 「「文化」についての語り――発話の位置の政治学に向けて」『インパクション』第99号、pp.64-70.
岡真理 1998 「「同じ女」であるとは何を意味するのか――フェミニズムの脱構築に向けて――」『性・暴力・ネーション』(フェミニズ ムの主張4)江原由美子編、pp.207-256 勁草書房
岡真理 2000 『彼女の「正しい」名前とは何か』 青土社。
大塚和夫 1998 「女子割礼および/または女性性器切除(FGM)」『性・暴力・ネーション』(フェミニズムの主張4)江原由美子編 勁草書房
註:この論文は、大塚和夫『いまを生 きる人類学:グローバル化の逆説とイスラーム世界』中央公論新社、2002年、という単行本に収載されました。
大塚和夫 1999 「反FGM運動と権力関係」『季刊民族学』(国立民族学博物館監修)、第88号、pp.110-113
千田有紀(せんだゆき)2002 「フェミニズムと植民地主義――岡真理による女性性器切除批判を手がかりにして」『大航海』43:128 -145.
岡真理(1998,2000)に所収の、アリス・ウォーカー製作・プラティバ・パーマー 監督『戦士の刻印(Warrior Marks)』(1993)への(岡の)批判的分析に対する批判論文。岡の行使する修辞戦略の欠陥を指摘している点では十分に読んでおかねばならない文献 である。他方、岡の高度なレトリック戦術についていけない無理解を隠蔽し、岡の議論を価値下落させるために流用されては、もともこもない。
田中雅一 1994 「割礼考──性器への儀礼的暴力」 大渕憲一編『現代のエスプリ── 暴力の行動科学』320: 97-105.
註:田中雅一さんは、性に関する膨大な文献データベースを作成されておられます。そちら のほうもご参照ください。
■ データベース(田中雅一)
パーマー、プラティバ監督 1993 『戦士の刻印(Warrior Marks)』アリス・ウォーカー製作。日本語版(1996)
Obermeyer,C.M.1999. Female Genital Surgeries: The known, the Unknown, and the Unknowable. Medical Anthropology Quaterly 13(1):79-106.
※FGMではなくFGSなのかという用語法については、岡(1998:246)を参照せ よ。
【リンク】
医療人類学用語辞典(池田光穂 . Mitsuho Ikeda, copyright, 1999-2009)