Muchas Gracias! 感謝のコーナー Thanks a lot!
北陸先端科学大学大学院・伊藤泰信先生からのご恵与
『ナレッジサイエンス(改訂増補版)』近代科学社、2008年
林田康子先生からのご恵与
林田康子「精神科作業療法における能力と援助の関係について」『保健医療社会学論集』18巻2号、2008年
北海道大学大学院文学研究科・桑山敬己教授からのご恵与
韓敬九・桑山敬己編『グローバル化時代をいかに生きるか』平凡社、2008年
このメッセージは職場の同僚への手紙の形式で書かれております。
過日、同業者で友人の桑山敬己さん(北大教授)から、韓国にあるユネスコ・アジア太平洋国際理解教育院の企画による『グローバル化時代をいかに生きるか』韓・桑山編、平凡社、2008年が送られてきました。カラー写真が多く、また平易に書いてあるにもかかわらず資料も豊富、練習問題もあるといういたれりつくせりの設計で、羨ましいというよりも、自分たちがこういうのを作りたかったんだ!と軽い感じですがちょっと切歯扼腕の嫉妬を覚えるようなすばらしい出来です。
一度手にとってご覧アレ。あるいは、GLOCOL教員としては、ライバル会社の製品を逆アセンブリするような感じで本書を解剖し、達成されたことをより推進するにはどうしたらよいか、達成されないことを達成するためにはどうしたらよいかを考えるのもよいかもしれません。
日本学術振興会特別研究員の福井栄二郎さんからのご恵与
福井栄二郎「「伝統を知らない」老人たち:ヴァヌアツ・アネイチュム島における老人の現在と社会構築主義批判」『国立民族学博物館研究報告』32巻4号、2008年
はい、ありがとうございます。福井さんには私の授業「医療人類学入門2008」における講義内講師をお願いしております。学生と一緒に話そう!
『図書新聞』社の小山晃さんからのご恵与
『図書新聞』第2866号、2008年(星野晋さんの拙編著『医療人類学のレッスン』の書評が収載されている)
このメッセージは、星野さんへの感謝への手紙の形で書かれております。
冠省 『図書新聞』編集部のKさんから、桜美林の奥野さんとの拙編著『医療人類学のレッスン』(学陽書房)への貴兄の書評が掲載された同紙送られてきました。 まず我々の書籍への好意的な書評ありがとうございました。初刷印税なしですから再刷を至上命令とする本書には有力な宣伝になったということでまず感謝!。しかし(遙か昔ですが)元定期購読者としては「ゴリゴリのレビュー」の同紙の書評としては、もうちょっと厳しい指摘が欲しかったですね。例えば最後に指摘された、近代医療の分析と批判が足りないというのはもっともです。ご賢察のとおり、文化人類学の読者を医療人類学の領域に誘い出すというのが本来の趣旨でしたので、近代医療の分析をもっと!というのはまさに古傷のある脛の部分だったのです。しかし、もしそうであれば、星野兄が医学部で教育されておられるポジションを利用されて、文化人類学の文化主義に止まり溜飲を下げている、そんな生ぬるい体たらくなら現代医療批判に元気のある政治経済的分析に負けてしまうぞ!という「喝入」でもよかったのではないかと思います。前の拙著の書評でもそうですが星野さんの急所外しのパターナリズムは、生き馬の目を抜く恐ろしい日本の医療界の恐ろしさには無垢すぎるきらいがあり、おいおい大丈夫かい?と逆に救援物資を送りたくなります。我々の本は人畜無害の面もありますが、医療者には毒の部分も含まれております。『医療人類学のレッスン』は現代医療を撃つための山岳ベースであるシェラマドレ山脈からのメッセージだったかも知れませんぞっ!?。 にもかかわらず(日本を代表する2つの書評紙の)もう一方はケンモホロロだったので、地獄に仏、渡りに船、『図書新聞』と星野さんには大変感謝しております。次にお会いする時には酒代をもたせてください。本当にありがとうございました。 不一
福島知己さんからのご恵与
福島知己「シャルル・フーリエによる経済学:豊饒の経済学と例外の理論」『思想』2008年4月号
このたびはご著書「シャルル・フーリエによる経済学」『思想』2008年4月号を御恵与いただき誠にありがとうございました。(私が福島さんによる訳業にファンレターを差し上げて以来ですね。ちょうどその時、私は熊大で「愛の新世界」という授業をやっていました!)
冒頭、この論文は最後にどのようにして締めくくるのだろかとハラハラして読み始めましたが、豊饒の経済学そして、決まり手はシュミットの「例外状況」で、まあなんとなく安心したというか、スマートにまとめすぎて物足りないという感じを得ました。
もとより、社会哲学にも経済学にも門外漢なので自由に言わせていただきますが、フーリエの現代的意義をこの2つの概念で救済されたことは大きな意味があると思います。ただし、経済学思想の批判には、欠乏ではなく豊饒の観点という正反対の視座から、その思考の前提を問い直そうと議論はこれまでにありましたし、経済学批判的思考から多くを得てきたカルスタは誕生の時から「消費の理論」が大切と言ってきましたからね。例外状況論も、ファシズムと近代合理性との関係で第二次大戦以降今日までつづき、ポストモダニストのおしゃべりの中ではシュミットはむしろ人気のある著者になってしまいましたので、あの偉大なフーリエ尊師を顕彰するには、少々力不足な概念ではないかと、生意気にも考える次第(私がフーリエには格別の愛着をもつのは、今は幽明境を分かつ今村尊師が宴席でお酒が格段に回った時には「フーリエ万歳!身体刑復活!」とお叫びになっていたからかもしれません)。
たぶんクロソフスキーの豊饒の経済が出てくるあたりは、やはりバタイユなどの議論も視野に入っていたかと思いますが、それらはフーリエとは鏡像/相反/矛盾/無関係の位相のどのあたりにあったのかについての福島さんのご意見も機会がありましたらお聞きしたいところです。
とまれネオリベラル経済のドグマの中で日々「改革」(改革権?)の中を生きることを強いられている小職の世界観の常識に、後頭部からエポケー・ハンマーを頂戴したような奇矯だが意義深い福島さんの問題提起に敬意を表します。
このたびはどうもありがとうございました。
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