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ジュディス・バトラーの暴力批判論

Critique of Violence by Judith Butler

池田光穂

☆ 「アメリカ研究の専門家チャンダン・レディ(Chandan Reddy 2011)の議論によれば、 合州国の自由主義的近代性(リベラルモダニティ)の形式は、暴力からの自由を保証するものとして国家を措定しているが、 そうした保証は基本的に、人種的マイノリティや、非合理的で国家の規範から外れると見なされた すべての人々に対する暴力を解き放つことに依拠している。彼の見解では、国家は人種的暴力に立 脚しており、マイノリティに対して制度的な仕方で暴力を加えている。このように人種的暴力は 国家の自己防衛に役立つものと理解されている。合州国およびその他の地域では、路上や自宅にい る黒人や褐色の人々が、武器を持っていなくても、歩いていても、あるいは逃げていても、苦情を 言おうとしても、あるいは単にぐっすり眠っていても、彼らを逮捕し射殺する警官から「暴力的」 だと言われたり、あるいはそう見なされたりすることがどれほど多いことか。そのような状況下で、 暴力の擁護がどう機能しているかを理解することは、興味深いと同時に恐ろしいことだ。というの も、警察による致死的行動が自己防衛=正当防衛[selfdefense]として現れるためには、対象(ターゲット)が脅威 として、現実的あるいは現働的な暴力の器として形象化されいなければ、そのとき恐らく、その人は単に、暴力的な人、すなわ ち暴力的な類いの人として、あるいはその人によって具体化=身体化(エンボディ)された純粋な暴力として形象 化されるだろう。後者の主張は多くの場合、レイシズムを明示している。 」(バトラー 2022:13 )。

The Force of Nonviolence (2020)

In The Force of Nonviolence: An Ethico-Political Bind, Butler connects the ideologies of nonviolence and the political struggle for social equality. They review the traditional understanding of "nonviolence," stating that it "is often misunderstood as a passive practice that emanates from a calm region of the soul, or as an individualist ethical relation to existing forms of power."[64] Instead of this understanding, Butler argues that "nonviolence is an ethical position found in the midst of the political field."[64]
非暴力の力 (2020)

『非暴力の力』の中で、バトラーは非暴力のイデオロギーと社会的平等の政治的闘争を結びつけている: バトラーは、非暴力のイデオロギーと社会的平等を求める政治的闘争を結びつけている。彼らは「非暴力」の伝統的な理解を見直し、「しばしば魂の穏やかな領 域から発せられる受動的な実践として、あるいは既存の権力形態に対する個人主義的な倫理的関係として誤解されている」と述べている[64]。このような理 解ではなく、バトラーは「非暴力は政治的な場のただ中で見出される倫理的な立場である」と主張している[64]。
https://en.wikipedia.org/wiki/Judith_Butler

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