猫の灰かぶり「しんでれら」
Cinderella loves cats
To carry out a dangerous or impractical plan - Netherlandish Proverbs
01 灰かぶりとは、シ ンデレラ姫の別名であり、これはシンダー(cinder)つまり灰に由来する語源による。でも、なぜ灰なのか。それは、いつも薪の厨房で働かされて、煤と 灰まみれな薄幸の娘だからという。古代ギリシャにまで遡れる、さまざまな説話類(シンデレラ・バリエーション)での共通点は、だいたい次のようなものであ るという。つまり、継母を含む周りの人々から、いぢめられまくる色白の女奴隷あるいは美しい妙齢の娘は、ある時、幸運の神の助けにより、魔法の力で、将来 のパトロンや王子様と知り合いになる。しかし、いいところで時計が鳴り、約束の魔法が解けて彼女は遁走する。しかし彼女が置き忘れた硬いガラスの靴が手掛 かりになり、最終的に彼女は王子さまとの幸せを掴む。物語によっては、かつて意地悪をしていた周りの娘、腹違いの姉妹、あるいは継母が殺害されたり不幸な 顛末に陥る残虐な面もある。人類用のシンデレラでは大人の検閲にあい彼女が幸せになることの強調により残虐性が相殺されていることもある。
02 シンデレラの別名を、イタリアの戯曲のタイトルから『灰かぶりの雌猫(Gatta Cenerentola)』と呼ばれることがある。しかしこれは、実際の猫とは関係なく、これは、シンデレラのニックネームで、継母から「この灰かぶりの 泥棒雌猫めっ!」と叱るような機会から生まれた侮蔑語ではないかと思われる。
03 灰かぶりの「猫」の物語は、捨てられてニャアニャア鳴いている子猫も、やがて心優しい子供やその両親に引き取られて幸せになるという、猫 類の無意識にも訴える素晴らしい身分の上昇の寓話ではある。もっとも、わしぐらいの年齢の者だと、子供の時に、子猫を拾って家に帰って、それまでそんなこ とが想像もできなかったように、両親が冷酷にも「戻してきなさい」と言われた経験のある人もいるはずだ。あるいは翌朝、猫がいないので訊ねてみると、年長 のキョウダイが夜のうちに処分、つまり「あちらに返してあげる」と隠喩的に表現されることに気づく。わしらは、子供ながらに、自分と同じような幼い動物が あの世に行くこと、夭折の意味を知るのである。わしの物語をここで切り上げるとあまりにも湿っぽくなるので、最後に、シンデレラ並みの楽しい話をひとつ。
04 ベルギーのほぼ中央にある現在三万人ほどのニヴェルという町に、聖ゲルトルード教会がある。聖女ゲルトルードをお祀りした教会である。彼 女はベネディクト派の女子修道院長であった。聖像や聖画で表現されているゲルトルードにはいつも鼠が描かれている。そう、彼女は鼠よけの聖人として人々の 崇敬を浴びていた。どうも一五世紀初頭にそのような評価に落ち着いたらしい。この時期に先立つ一四世紀にはヨーロッパで黒死病(ペスト)が何度も流行し て、この病気を媒介するのが鼠公(ねずこう)であった。ゲルトルードは、その意味で黒死病へのお守りとしても崇敬を博したのである。まるで歌川国芳「鼠よ けの猫」のような効能をこの聖女はもっていらっしゃったわけである。鼠退治に猫を飼うというのは、洋の東西を問わず一般化しており、これが、それ以外の目 的では、ぱっとしない家畜としての猫の唯一の取り柄であった、というのは失礼にあたるか。そして時代は現代に飛ぶ。
05 一九八一年にジョン・フィリップ・オニールという人がニューヨークのメトロポリタン美術館の図録カタログ『メトロポリタンの猫』の解説を 書いた。猫が描かれた収蔵品の解説と、猫と美術史の関係を教えてくれる概説書である。そして一六世紀の当時ほとんど無名であったハンス・スゥス・フォン・ クネンバッハの「私を忘れないでね」という絵画のなかで、白猫と一緒に描かれた少女を若き日のゲルトルードであると勘違いして解説した。これは一九七〇年 代にゲルトルード研究の里程標となっていた伝記研究書『ニヴェルの聖ゲルトルード』のどこにもみられなかった〈珍説〉である。しかし、鼠退治に猫を飼うと いう効能が、聖ゲルトルードの鼠キラーとあいまって、この聖女は猫様の守り神であるという〈風評〉があっという間に広がった(『デスモンド・モリスの猫の 美術史』エクスナレッジ)。
06 中世は、魔女狩り信仰への恐怖と合わせて猫とりわけ黒猫への弾圧が盛んであった。中世は人類にとっても猫類にとっても暗黒時代だった。そ れにもまして、資本主義の勃興した時代になっても、一八世紀半ばですら、イギリスやフランスでは、過酷な労働を強いられたプロレタリアートの残虐な手慰み つまりいたぶりの対象として猫や犬が犠牲になっていた(ダーントン『猫の大虐殺』岩波書店)。しかし、第二次大戦が終わりペットもまた戦争の恐怖から解放 されて、人類にとっての不可欠無二の親友になりつつあったのが一九八〇年代である。オニール氏の愛猫家にとっての〈嬉しい誤解〉は、とりわけ英語圏にあっ というまに広まり、聖ゲルトルードを、それまでの鼠に変えて、猫と一緒の聖女が、それもゆるキャラのごとく可愛く描く素人聖画が、爆発的に欧米社会に普及 することになった。もちろん、聖地ニヴェルの町も世界猫巡礼の愛猫家が、それ以降たくさん訪れることになった。誠に慶賀すべきことである。
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形相の存在の不可思議に驚愕する哲学猫——あるいは猫の惑星ソラリス