はじめによんでください 

吾が輩は猫である学

わがはいはねこであるがく


解説:池田光穂

漱石の小説「吾が輩は猫である」(明治38 (1905)年1月)が、彼のいうところの写生文であるのか? そして文化人類学理論が言うところのパースペクティビズム(パースペクティヴィズム)を踏 襲したものであるのかが、このページの検証課題である(→「文化猫類学プロジェクト」"I Am a Cat")。

漱石は、この小説を写生文として書いたと証言しま た、猫にものそれを支持する旨を書いている。この小説に写生文という文章が登場するのは、2度ある。最初は、比較的冒頭に登場する迷亭先生と主人の会話の 中である。

「そこまで行こうとは思わなかった」と迷亭が自分の 鼻の頭をちょいとつまむ。

「飛び込んだ後(あと)は気が遠くなって、しばらくは夢中でした。やがて眼がさめて見ると寒くはあるが、どこも濡(ぬ)れた所(とこ)も何もない、水を飲 んだような感じもしない。たしかに飛び込んだはずだが実に不思議だ。こりゃ変だと気が付いてそこいらを見渡すと驚きましたね。水の中へ飛び込んだつもりで いたところが、つい間違って橋の真中へ飛び下りたので、その時は実に残念でした。前と後(うし)ろの間違だけであの声の出る所へ行く事が出来なかったので す」寒月はにやにや笑いながら例のごとく羽織の紐(ひも)を荷厄介(にやっかい)にしている。

「ハハハハこれは面白い。僕の経験と善く似ているところが奇だ。やはりゼームス教授の材料になるね。人間の感応と云う題で写生文にしたらきっと文壇を驚か すよ。……そしてその○○子さんの病気はどうなったかね」と迷亭先生が追窮する。

「二三日前(にさんちまえ)年始に行きましたら、門の内で下女と羽根を突いていましたから病気は全快したものと見えます」

 主人は最前から沈思の体(てい)であったが、この時ようやく口を開いて、「僕にもある」と負けぬ気を出す。

「あるって、何があるんだい」迷亭の眼中に主人などは無論ない。

2度めで、その最後は5章の冒頭にある

「二十四時間の出来事を洩(も)れなく書いて、洩れ なく読むには少なくも二十四時間かかるだろう、いくら写生文を鼓吹(こすい)する吾輩でもこれは到底猫の企(くわだ)て及ぶべからざる芸当と自白せざるを 得ない。従っていかに吾輩の主人が、二六時中精細なる描写に価する奇言奇行を弄(ろう)するにも関(かかわ)らず逐一これを読者に報知するの能力と根気の ないのははなはだ遺憾(いかん)である。遺憾ではあるがやむを得ない。休養は猫といえども必要である。」

つまり、……

この作品の冒頭は、日本の近代小説が、人間の立場か らではなく無名の(のら)猫の観点から書かれたものという観点からみて極めて興味深い作品である。また、最初はこの処女作が戯れ文として書かれたものだ が、想像以上に絶賛されて、本人が当惑したことでも極めて有名なものになっている。以下は、冒頭の記憶を、記述(語る?)してしている「この頃」の観点か ら回想するシーンからはじまる。

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吾が輩は描写する「主人」は、英語の教師だが、これ は作者である漱石そのものがモデルになっていて、皮肉が利いており、作者みずからの戯画化している。また、主人の実相と、主人が自分の客に自己提示する姿 に齟齬があることも見抜いている。

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●おまけ:犬がバカである《決定的》証拠写真

おまえ、運動しているのかぇ?それとも猫の儂をおちょくっているやろ、頭ないんかい? #猫の呟き

文献(典拠)


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