はじめに よんでください

ジムの犬に触れること

On Communication with Jim's dog in the forest

池田光穂

ジムの犬

ジムの犬に会ってみてほしい。この写真を撮影したのは、私の同僚にして友人のジム・クリフォードである。ジムの家の近くには、サンタクルーズの緑地帯が あって、12月のある日、じじめした谷間を散歩していたジムは、この犬と出会った。でも、背筋をしゃんと伸ばして座った「ジムの犬」は、一シーズンしかも たなかった。次の冬、セコイアの針葉、コケ、シダ、地衣類に被われた焼け焦げたセコイアの切り株――カリフォルニア月桂樹の種子から生えた短い尻尾のつい た犬の形は崩れ、谷間に降り注ぐ光をもってしでも、魂が宿ることはなかった。ジムの犬では、本当にたくさんの種が出会っていて、私の疑問――私たちは、こ の犬に触れるとき、いったい誰に触れているのだろうか、また、こうして触れることによって、一シーズンで終わることのないオルタ・グローバリゼーションの ひとつのかたちをめざして一緒に働き・遊ぶありとあらゆるものたちと力を合わせつつ、いったいどのようにして現実世界的存在となるのだろうかという疑問 ――に一つの答えを示唆してくれている。

私たちは、精巧なデジカメ、コンピュータ、サーバー、電子メールプログラムといったものによって実現された指のような目で、ジムの犬に触れる。ジムの犬の 高画質jpgファイルが、電子メールで送られてきたのはいうまでもない。デジタル装置の金属やプラスチック製の電子の生身には、ジムや私が受けついだ霊長 類の視覚系が、鮮やかな色覚やシャープな焦点調節能力とともに埋め込まれている。

私たちが持っているようなタイプの知覚や肉体的快楽の能力が、私たちと霊長類の仲間たちとの生活とを結びつけている。私たちはこうした能力を受けついでい る以上、現実世界を生きつつ、通常の生息環境や、実験施設、テレビや映画のスタジオ、動物園などに棲んでいるヒト以外の霊長類の生きものたちにも応答する 必要がある。また、光を発しても自に見えないウイルスや細菌からジムの犬の頭のてっぺんに生えているシダに至るまで、生きものが機に乗じて生育区域を広げ る様子も、触れることで触知できる。ジムが見つけた犬には、生物種の多様性をはじめとして、我々の時代に必要なあらゆる事がらが凝縮されている。

このカメラによってもたらされたイヌ科の生きものを触覚や視覚で触れる過程にあって、私たちは、IT工学、電子製品の組立てラインの労働、鉱滓やIT廃棄 物の処理、プラスチックの研究や製造、国境を越えた市場、通信システム、テクノ文化的消費癖といったものの歴史の内部に位置している。人々とモノは、触れ 合いながら互いに互いを構築し合い、内的に活性な関係にある。視覚的にも戦術的にも、私は、ジムの犬を生きた存在とした人種、性、年齢、階級、宗教によっ て分化された労働システムが互いに交差しあう状況に位置している。この種の現実世界では、きちんと応答してゆくことが最小限必要であるように見える。

出典:ダナ・ハラウェイ『犬と人が出会うとき:異種協働のポリティクス』高橋さきの訳、東京:青土社(引用箇所は、ジムの犬[像]は13ページ;文章は 14〜16ページ)Haraway, Donna J. 2008. When species meet. Minneapolis: University of Minnesota Press.

■クレジット:ヒューマンコミュニケーションの極北:ジムの犬に触れること

課題:

以上の文章を通して、われわれはさまざまなものと出会っている。

それらの出会いについて、各人は、自分の感じたこ と、考えたことを、パラフレイズしたり解釈したりしてみよう。そして次に、

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