かならずよんで ね!

大学経営における真のDX化とは?

Digital Transformation for University Administration

池田光穂

逆説的ですが、本物のDXの釈義では、大学経営に関しては学長や理事などはもう必要なく、AIのオペレータさんとアナリストの分析を、理事長を聞いて差配するのが、大学経営のDX化ですね。

"Digital Transformation (DT or DX) is the adoption of digital technology to transform services or businesses, through replacing non-digital or manual processes with digital processes or replacing older digital technology with newer digital technology. Digital solutions may enable – in addition to efficiency via automation – new types of innovation and creativity, rather than simply enhancing and supporting traditional methods." _ Wiki, Digital Transformation.

これはある意味、逆ラッダイト運動を制度が推し進めることです。

AIやロボット脅威論の古典は、それらの発達によ り、労働者の雇用が失われるという恐怖からであった。古くは、ラッダイト運動(Luddite)。た だし、これは「無知な労働者」たちが、仕事を奪われる恐怖からおこした「原始的な反応」と歴史的には、分がわるい原初的抵抗運動の地位に留まっている。で も、今日の政府は、Society 5.0の到来により、古典的な意味での労働は不要になり、余暇時間が大幅に増えより豊かな社会が到来すると喧伝している。もちろん、根拠がない妄想と言え ばそれまでだが、誰もが批判し、(抵抗の)声をあげない理由は、日本の労働者の多くは、自らのアイデンティティの多くを労働者というよりも消費者であると 位置付けているからであろう(→「若者と労働」P.ウィリス『ハマータウンの野郎ども』Learning to labour : how working class kids get working class jobs)。だとすれば、21世紀のプレカリアートがおこなうべき、最初のリアクションはデジタル・ラッダイト(digital Luddite)ではないか?またそのような、無益な抵抗の後に必ず生じるのは、デジタル・リボリューションではないのか?

- "Neo-Luddism is a leaderless movement of non-affiliated groups who resist modern technologies and dictate a return of some or all technologies to a more primitive level.[Sale, Kirkpatrick, America’s new Luddites. ] Neo-Luddites are characterized by one or more of the following practices: passively abandoning the use of technology, harming those who produce technology harmful to the environment, advocating simple living, or sabotaging technology. The modern neo-Luddite movement has connections with the anti-globalization movement, anti-science movement, anarcho-primitivism, radical environmentalism, and deep ecology" - Neo-Luddism

ラッダイト,Luddites(ブリタニカの記述) 「産業革命期のイギリスで起こった機械破壊運動。指導者が「キング・ラッド」と呼ばれたところから,こ の名称が生じた。機械の導入が織物工業の手工業職人に失業の脅威を与えたため,1811年末ノッティンガムとその周辺で靴下とレースの編み機を破壊して, 労賃の低下と安価な機械製品に反対する組織的暴動が勃発,翌1812年春にかけて中・北部諸州に広がった。リバプール政権の厳しい規制によって,1813 年ヨーク における大量裁判の結果,多数の参加者が絞首刑あるいは流刑に処せられ,運動は鎮圧された。1816年再びノッティンガムを中心に暴動が起こり,全国に波 及したが,これも鎮圧された」

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