はじめによんでください

「南京虫」という語彙はもう忘れましょう!

Forget your own vocabulary bed bugs indicating your own ignorance

東アジアに君臨する甲虫を米国の武器で駆除しよう「私たちの保証付の殺虫剤」米国のポスター(出所不明)

池田光穂

「南京虫」という語彙はもう忘れましょう!、あるいは、「害虫」という用語の危険性につ いて

私は「医療人類学」という医学と人類 学を架橋(ブリッジ)する学問を研究している。ブ リッジするとは、医学を人類学的に解釈分析すると同時に、人類学もまた医学のまなざしのもとで反省的な精神を取り戻す営為である。従ってまず「害虫」をど のように医学が捉えるのかを考えてみよう。

害虫学は、さまざまな学問に支えられている。ざっとみても、農業昆虫学という中核研究 のほかに、医学領域においては医学生態学、医学動物学、医学昆虫学、毒物学、寄生虫学などが関連する。これらの諸領域の基礎学問は生物学である。生物学は 生命現象を客体化して研究する。客体化とは、これが良い/悪いという価値判断を差し控えて中立的な観点から実験、分析することである。もちろん「捏造」も 許されない。では、そのような学問からどうして、良い/悪いという判断が含まれる害虫という概念が出てくるのか?——それは人間に対して危害(ハザード) を起こす潜在危険性(リスク)という観点から理解し、価値判断による偏見を「中和化」しているからである。この中和化のメカニズムを「南京虫」の事例で説 明しよう。

南京虫(トコジラミ、学名:Cimex lectularius L. 1758)は、英語ではベッド虫(Bed bug)という吸血性の5ミリほどの昆虫(カメムシの一種)である。文字通り、ベッドの中で夜間に吸血する時に出す唾液のために噛まれるとアレルギー反応 が出てとても痒い。蚊に刺された時にも痒いのだが、これらは唾液を出して血液の凝固を防ぐためだと言われている。おなじカメムシの仲間でもシャーガス病を 媒介する吸血性サシガメ(50種類以上いる)にくらべて、南京虫の伝染病媒介リスクは少ない。問題はなぜこの名前に南京という地名が割り当てられているか である。もちろん中国起源の昆虫ではない。従って客観的を旨とする科学者は決して南京虫とは呼ばない。どうもこれは「やっかいなものは中国(=唐國)から くる」という和人の偏見に基づくものらしい。

だからそんな偏見に怒る神戸元町の華僑は「いっそのこと神戸虫と名付ければどうか?」と 皮肉る始末である。博 物学者の田中芳男(1838-1916)は南京虫の来歴を幕末の中古外国船の輸入と関連づけて神戸港を中心とした流行発生を報告しているからだ。もちろん 害虫学者は、無関係な外国人への偏見と関連づけられた南京虫という用語は研究の場では使わない。他方、ベッド虫は、ナチスによるユダヤ人虐殺に先立つ時期 に、ユダヤ人はトコジラミと同様に「社会的害虫」であると反ユダヤ主義の宣伝に使われた。幕末の神戸での流行が、日中戦争期の1937年12月の「南京虐 殺」に決して繋がるものではないが、この地名の偶然の符合というのは、あまり気味のよいものではない。

全体主義や戦争というストレスフルな状況は、人間のあいだにある人種的偏見を、人間以 外のものに喩えて、そのあいだの嫌悪感を増長させるだけでなく、統治者や軍隊はその体制や戦争を遂行するためにその喩えや偏見を積極的に利用する(ジョ ン・ダワー『容赦なき戦争』平凡社参照)。その時には、人間によって「害虫」の烙印を押された虫どもの不快なステレオタイプを動員することがとても便利に なるのだ。その意味で、私は「害虫」という命名がいささか独善的であり、その文化的な誤用があまつさえ危険なものであることを、このコラムで指摘した次第 なのである。

したがって、歴史的用語としての「南京虫」は記録されてしかるべきだが、日常用語の害虫 としては南京虫は、もうやめにして、トコジラミという言葉に言い換えてみたらどうだろうか? 南京の人たちが、現地で、トコジラミのことを、日本虫・東京 虫・名古屋虫・大阪虫……など呼んでいたとしたら、いくら〈歴史的謝罪〉が不十分であったとしても、そりゃ言いすぎで、いい気分はしないだろう。

★クレジット:池田光穂「『害虫』という呼称の危険性について」『月刊みんぱ く』2015年3月号, Pp.8-9, 2015.

【写真】【左】
「リベレーター」つまり自由解放者アメリカの虚像。奴隷制度、KKKによるリンチ、拝金主義、そしてユダヤ人が、ヨーロッパの町を爆撃により破壊している メッセージが読み取れる。アメリカのイメージは人間と昆虫(脚が三対6本)のハイブリッドとして表現されている。中央左下にある「アメリカ合衆国は、別の 回廊からヨーロッパ文化を救済に来るだろう」(オランダ語)*から、恐らくナチスドイツ親衛隊(SS)により1944年当時占領下にあった当地で配布され たと思われる。* De U.S.A. zullen de Europeesche Kultuur van den ondergang redden.

【写真】【右】

東アジアに君臨する甲虫を米国の武器で駆除しよう「私たちの保証付の殺虫剤」米国のポス ター(出所不明)

【リンク】

【文献】

【画像出典】
掲載ページ:コロンビア・カレッジ(ミズーリ州)の歴史授業の資料に関連するページ
http://www.ccis.edu/courses/HIST102mtmcinneshin1/WWIIprop.htm
画像
http://www.ccis.edu/courses/HIST102mtmcinneshin1/week15/Liberators-Kultur-Terror-Anti-Americanism-1944-Nazi-Propaganda-Poster.jpg

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j,, 2015-2019

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