かならず 読んでください

反ユダヤ主義について(アーレント)

Hanna Arendt's The Origin of Totalitarianism: Antisemitism, 1951.


池田光穂

This is a remarkable century which opened with the Revolution and ended with the Affaire! Perhaps it will be called the century of rubbish. - ROGER MARTIN DU GARD

反ユダヤ主義をなぜ Antisemitism と呼ぶかは、セム族の項目を参照してください」

1.反ユダヤ主義〈対〉ユダヤ人嫌悪:両者は全くこ となった思考様式である。

・反ユダヤ主義:構造的、体系的、持続可能な思考 形 態、思想的な装いをとる。

・(外国人差別を生み出すものとしての)ユダヤ人 嫌 悪:非体系的、情動(感情)に訴える直接的なもの、自民族中心主義、現場で生まれる。

・最初のユダヤ教徒の多数派はセム語族だったの で、反ユダヤ主義を、反セム主義あるいは、アンチセミティズムとも言う。

2.国民国家の成立とその洗練化が進むと、異質な存 在としてのユダヤ人がイメージの中で〈可視化〉される。

3.イメージの中で可視化された〈ユダヤ人らしさ〉 は実は幻想である。なぜならば、同化傾向(=平準化)にあった、実際のユダヤ人は、社会にさまざまな影響を与えつつも、実際は多様化をとげて、他の国民と 変わらない存在になっていた。

【重要なポイント:結論】

2.と3.の著しい違いが意識されず、〈ユダヤ人= 特殊〉、〈ユダヤ人=陰謀家〉というステレオタイプが確立し、構造化されていった。これが、〈反ユダヤ主義〉の典型的な特徴と思われる。

また、「ユダヤ人はお金持ちだったから嫌悪された」 という発想はアーレントそもそもしません。ブルジョアジーの政治的解放ととも[=同時]に、宮廷ユダヤ人は金融資本家になっていきますし、ドイツでは同化 =世俗化傾向がさらにつよくなります(フォイエルバッハやバウアー)。むしろ、金融家や「天才」そして、それに先立つ優生学的「人種」思想のおかげで、ユ ダヤ人の存在が特殊領域のなかで可視化されてくるようです。偽書シオンの議定書などの陰謀強迫的を信じるのは大衆ではなく、ブルジョアと手をむすんだモブ (=階級イデオロギーをもたない群集あるいはルンペンプロレタリアート)なのですから。


反ユダヤ主義としての「アンティセミティズム」

「「反ユダヤ主義」または「反ユダヤ主義」という用 語は、迂回路を経て、特にユダヤ人に対して敵対的または差別的な人物をより狭く指すようになった。 アーネスト・ルナンのような19世紀の人類学者は、言語的なグループ分けを民族性や文化と容易に一致させ、人種的な特徴を定義する努力において逸話、科 学、民俗学に訴えた。モリッツ・シュタインシュナイダーはユダヤ人の定期刊行物である『Hamaskir』(3 (Berlin 1860), )の中で、ルナンの論文「セム系民族の一般的性格に関する新たな考察、特に一神教への傾向」を批判するヘイマン・シュタインタルの論文を取り上げている。 ルナンはメソポタミアやイスラエルなどの古代文明の重要性を認めていたが、セム系民族の一神教はアーリア人よりも劣っており、それは欲望にまみれ、暴力的 で、不謹慎で、利己的な人種的本能から生じていると考えていた(→「エルネスト・ルナンのレイシズム」)。シュタインタルはこれらの素質を「セム主義」と してまとめ、シュタインシュナイダーはルナンの考えを「反ユダヤ的偏見」として特徴づけた。 1879年、ドイツのジャーナリスト、ヴィルヘルム・マールは、『ユダヤ人に対するドイツ主義の勝利への道』(Der Weg zum Siege des Germanenthums über das Judenthum)という小冊子の中で、ユダヤ人とドイツ人の闘争について語ることによって、この用語の政治的な使用を開始した。彼は、ユダヤ人は自由 主義者であり、ドイツ人を救いがたいほどユダヤ人化した根無し草であると非難した。1879年、マールの信奉者たちは「反ユダヤ主義同盟」を結成し、反ユ ダヤ主義的な政治活動に専心した。 人種用語としての「セム人」という用語の時代遅れ性など、この用語の使用に対する異議は少なくとも1930年代から提起されている。」(→「セム族」)

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Chapter one: Antisemitism as an Outrage to Common Sense 3
Chapter two: The Jews, the Nation-State, and the Birth of Antisemitism 11
    i: The Equivocalities of Emancipation and the Jewish State Banker 11
    ii: Early Antisemitism 28
    iii: The First Antisemitic Parties 35
    iv: Leftist Antisemitism 42
    v: The Golden Age of Security 50
Chapter three: The Jews and Society
 i: Between Pariah and Parvenu 56
    ii: The Potent Wizard 68
    iii: Between Vice and Crime 79
Chapter four: The Dreyfus Affair
    i: The Facts of the Case 89
    ii:  The Third Republic and French Jewry 95
    iii: Army and Clergy Against the Republic. 100
    iv: The People and the Mob 106
    v:  The Jews and the Dreyfusards 117
    vi: The Pardon and Its Significance 119

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反ユダヤ主義の紋切り型の説明(=ゾンバルトの奇 矯な資本主義理解)

ヴェルナー・ゾンバルト(Werner Sombart、1863年1月19日 - 1941年5月18日)は、ドイツの経済学者・社会学者。ドイツ歴史学派最後の経済学者。ドイツ的社会主義を提唱し、またユダヤ人が資本主義を生み出した と論じ、反ユダヤ主義的な論述を行い、ナチスを支持した[1]。ウェルナー・ゾンバルトとも表記……。ゾンバルトは社会主義に影響され初期には資本主義を 批判していたが、やがて「資本主義の精神」のうち冒険的企業家的要素はドイツ人に、 打算的ブルジョワ精神はユダヤ人に属するとした[6]。 1911年の『ユダヤ人と経済生活』で中世の封建制のキリスト教共同体は、近代資本 主義に移行し、ユダヤ的な利益社会(=ゲゼルシャフト的な[引用者])と なったとし、人格的で自然な(=ゲマインシャフト的な[引用者])ド イツ経済のなかにユダヤ人は嵐のように侵入し営利の優位を掲げたとした[6]。ゾンバルトによれば、国際的なネットワークを持つユダヤ人は地域的な伝統よりも経済合理性を重んじ、また市民権が剥奪されていたので政治でなく経済に注目 し、近代資本主義の重要な担い手となった[6]。ユダヤ人は地域的で なく普遍的であり、国民的ではなく国際的で、具体的でなく抽象的である[6]。資本主義制度の創始者である砂漠の民族ユダヤ人は放浪的で抜け目がないのに対して、森の民族ゲルマン人は心がひろい[7]。ユダヤ教は悟性の宗教であり、感性と情感に欠けるため、自然の世界や有機的な世界とは対立し、 合理主義と主知主義はユダヤ教と資本主義の特色である[6]。したがって、近代合理主義を推進したのはヴェーバーのいうようなプロテスタンティズムでなくユダヤ教で あるとした[6]。資本主義とユダヤ教の本質は、貨幣によって表現され、貨幣と流通 は社会関係を抽象化し、抽象化の精神はユダヤ人に具体化される[6]。彼はユダヤ世界と資本主義を同一視するという、ブルーノ・バウアーやマルクスらの考え方を再利用して、「太陽のようにイスラエ ル(ユダヤ人)はヨーロッパを飛翔した。そして彼らが来るところに新しい生命が生い立ち、彼らが退くところでは、今まで咲き誇っていたものはすべて荒廃に 帰する」と述べた[8][9]。ゾンバルトのこの著書は友人のマックス・ヴェーバー から批判され、またヒトラーが資料として用いた[7]。 翌1912年の小冊子『ユダヤ人の未来』では、ユダヤ人はドイツの芸術、文学、音 楽、演劇、新聞を牛耳っており、それはユダヤ人が聡明で器用であるからだが、このユダヤの優位性は放置すると取り返しのつかないことになる「人類最大の問 題」であると主張した[8][10]。また、スペイン、ポルトガル、フランスも、ユダヤ人追放後の後遺症に悩み、さりとて、ユダヤ人とヨー ロッパ人との同化や融合も自然の法則に反しており、ユダヤ人種と北方民族の血の融合 は不吉な星に司られているとし、しかしドイツはユダヤ人なしにはやっ ていけないとゾンバルトは論じた[8][11]……。 1915年の『商人と英雄』では英雄の国ドイツと商人国家イギリスを対置し、戦争の 近代化においてテクノロジーの意味は、義務、犠牲、共同体、名誉、勇気、権威といった崇高な美徳からその真価を引き出すようになったとした[1]。ゾンバルトは第一次世界大戦を、ドイツを商業主義に陥れようとする営利的エートスに対するドイ ツ的理想主義の戦いであると称賛した[1]。 1927年の『高度資本主義の時代における経済生活[12]』ではゲルマン民族が前 向きの推進力、ファウスト的意志、忍耐力、粘り強さに貢献したのに対し、ユダヤ人は勤勉、投機的敏感さ、計算力、進歩への願望を持つと対置 し、商人と金融業者によって非合理主義的で情緒的で自発的な企業家が消滅する危険に さらされたと論じた[1]。」ウィキペディア)

・「ユダヤ人は地域的でなく普遍的であり、国民的ではなく国際的で、具体的でなく抽象的である」 は、上掲の、ハンナ・アーレントの反ユダヤ主義の「普遍化」と類似しています。

・「砂漠の民族ユダヤ人は放浪的で抜け目がないのに対して、森の民族ゲルマン人は心がひろい」→民族の「心」の環境決定論的な説明。

・「ユダヤ教は悟性の宗教であり、感性と情感に欠けるため、自然の世界や有機的な世界とは対立し、 合理主義と主知主義はユダヤ教と資本主義の特色である」→ ユダヤの宗教を合理的理性と、ドイツ気質のロマン主義的な「自然」の側を称揚する。

・「資本主義とユダヤ教の本質は、貨幣によって表現され、貨幣と流通は社会関係を抽象化し、抽象化 の精神はユダヤ人に具体化される」→貨幣フェティシズムや「普遍的商品としての貨幣」は、マルクス主義の分析の変奏

・彼の戦争概念も、極めてロマン主義的でアナクロニ ズム→「資本主義とユダヤ教の本質は、貨幣によって表現され、貨幣と流通は社会関係 を抽象化し、抽象化の精神はユダヤ人に具体化される

・第一次大戦は現在では殺戮テクノロジーによる総力 戦あるいは殲滅戦とされているので、この解釈も(国民動員の理由にこそなれ)論理的には奇矯ではある→「資本主義とユダヤ教の本質は、貨幣によって表現され、貨幣と流通は社会関係を抽象化し、抽象化 の精神はユダヤ人に具体化される

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『全体主義の起源:反ユダヤ主義』全体的な構図の中 で、整理してみましょう……(いわ ゆるKJ法によって簡単に導きだせるものです)


リンク

文献

その他の情報

■反ユダヤ主義のナチのポスター(オランダ)

「リベレーター」つまり自由解放者アメリカの虚像。 奴隷制度、KKKによるリンチ、拝金主義、そしてユダヤ人が、ヨーロッパの町を爆撃により破壊している メッセージが読み取れる。アメリカのイメージは人間と昆虫(脚が三対6本)のハイブリッドとして表現されている。中央左下にある「アメリカ合衆国は、別の 回廊からヨーロッパ文化を救済に来るだろう」(オランダ語)*から、恐らくナチスドイツ親衛隊(SS)により1944年当時占領下にあった当地で配布され たと思われる。
* De U.S.A. zullen de Europeesche Kultuur van den ondergang redden.【→出典:「南京虫」という語彙はもう忘れましょう!(反ユダヤ主義の画像を紹介していま す)

●反ユダヤ主義に抗する動き

Museo Memoria y Tolerancia, Mexico

"El Museo Memoria y Tolerancia es un recinto museográfico de la ciudad de México. Abrió sus puertas el 18 de octubre del 2010 y busca difundir el respeto a la diversidad y la tolerancia con base en el recuerdo histórico mediante el uso de exposiciones de genocidios y presentaciones multimedia de los valores a favor de la tolerancia." - #Wiki.

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