はじめに よんでください

全体主義・入門

Introduction to Totalitarianism

Alfred Dreyfus/ Riefenstahl and a camera crew stand in front of Hitler's car during the 1934 rally in Nuremberg/ Cecil John Rhodes

池田光穂

このページは、Arendt,Hanna. The Origins of Totalitarianism, 1951 の解説ページです。各項目からリンクするようになっています。

ハンナ・アーレント『全体主義の起源』読解ノートはこちらに移転しました。

《全体主義の遡及力について》

ドレフュス事件
ドレフュス事件(ドレフュスじけん、仏: Affaire Dreyfus)とは、1894年にフランスで起きた、当時フランス陸軍参謀本部の大尉であったユダヤ人のアルフレド・ドレフュスがスパイ容疑で逮捕され た冤罪事件である。

背景
普仏戦争に敗れたフランスであったが、戦後は急速に国力を回復しつつ あった。50億フランに及んだ戦争賠償金は期限前に完済、1880年代には余剰資金を外国や植民地に投資し、資本輸出国の一員となっていった。戦争中に成 立した第三共和政は共和派左翼を中心に進められていたが、しばしば右派による揺り戻しを経験した。1886年から1889年にかけて起こったブーランジェ 将軍事件はその一つである[1]。

概要
1894年夏、フランス陸軍省は陸軍機密文書の名が列挙された手紙を入 手した。手紙はドイツ陸軍武官宛てで、フランス陸軍内部に情報漏洩者がいるのではないかと懸念された。筆跡が似ていたことから、ユダヤ人砲兵大尉のアルフ レド・ドレフュスが逮捕された[2]。しかし、具体的な証拠どころか、ドレフュスが金銭問題を抱えている、もしくは急に金回りが良くなったなどといった状 況証拠すら欠いていたため、スパイ事件及びドレフュス逮捕の事実はすぐには公表されなかった。

ところが、この件が反ユダヤ主義の新聞に暴露されたことから、対処を余儀なくされた軍は、12月22日に終身禁固刑を言い渡した。1895年3月、ドレ フュスはフランス領ギアナ沖の離島、ディアブル島に送られた[3]。

1896年、フランス陸軍情報部は、情報漏洩者がフランス陸軍の少佐、 フェルディナン・ヴァルザン・エステルアジであることを突き止めた。軍上層部はそれ以上の調査を禁じたが、このことがドレフュスの兄の耳に入り、兄はエス テルアジを告発する手紙を陸軍大臣宛てに書いた[4]。しかしフランス陸軍大臣のシャルル・シャノワーヌは再審に反対していた[5]。国家主義、反ユダヤ 主義の世論にも影響され、エステルアジは軍法会議にかけられたものの、無罪となった[6]。エステルアジはイギリスに逃亡し、そこで平穏な 生涯を終えた。

無罪決定の2日後、1898年1月13日付の新聞に、作家エミール・ゾラは『私は告発する』と題する公開状を発表した。フェリックス・フォール大統領に宛 てたこの公開状で、ゾラは軍の不正を糾弾した。発表後はユダヤ人迫害事件の一方で、ドレフュスの再審を求める動きも活発になった[7]。

再審派と反対派の議論はもつれたが、1899年、大統領が反対派の フォールからエミール・ルーベに交代したことから進展を見せた。ルーベは特赦を出してドレフュスを釈放した。ドレフュスはその後も無罪を主張し、1906 年に無罪判決を受けた[8]。

偽証と軍事機密
ドレフュスが無罪である可能性が高まり、有罪の根拠とされた証拠の信頼 性についての疑問が取り沙汰されはじめると、軍部は、「国家の安危に関わる軍事機密情報」が含まれているとして、ドレフュス有罪の根拠とされる証拠類の開 示を拒んだ。

しかし、ブリッソン元首相によって、「当時首相として証拠を詳しく確認したが軍部の主張するような機密情報などはどこにも含まれていなかったはず」との声 明が出され、軍部の上記主張は根拠薄弱なものとなった。元首相に開示された証拠には、ドレフュス有罪の根拠となり得るものは一切含まれていなかった。そこ には、そもそも機密情報というべきものすら存在せず、含まれている内容も甚だ信頼度が低いものばかりであった。

このように、軍事機密との主張が、実際には真実を隠蔽する口実に過ぎないことが明らかとなった。そればかりか、証拠の改竄や偽造まで行って軍部が冤罪を作 り出していた疑いが発覚するといった思わぬ余波も生じた。自ら作り出した冤罪の不利な証拠を隠蔽するために、軍事機密との主張を濫用して権威の維持を画策 した軍部は、その権威を大いに失墜させた。

後世への影響
この事件を新聞記者として取材していたテオドール・ヘルツルは、社会のユダヤ人に対する差別・偏見を目の当たりにしたことから、ユダヤ人国家建設を目的とするシオニズムを提唱、この思想及びそれに基づく諸運動が後のイスラエル建国へと繋がっていくこととなった。


https://bit.ly/3aHt51y.


全体主義と闘うためには、ただひとつのことを理解せ よ、とアーレントはいう。それは〈全体主義は自由に対するもっとも根源的な否定〉と言うことだ。ただ し、自由の否定は、あらゆる暴政に通底する。つまり、地球上のどのようなところでも、暴政が片鱗としてでも見受けられるようなところには、全体主義の運動 が胚胎し、アーレントが言うように、非全体主義的社会に不可避的に存在する全体主義の〈遡及力〉を否定することができないのだ。――「全体主義の本性につ いて」

「全体主義国家にあっては、犠牲の配分という問題は 存在しない。それは全体主義国家が戦争の際に有する本来の利点である。政府の任務が社会正義の要求によって複雑になるのは、自由社会においてのみである」 ――ケインズ『戦費調達論』(ケインズ2005:352)

    1. 反ユダヤ主義
      1. 憤慨から常識にいたるものとしての反ユダヤ主 義
      2. ユダヤ人・国民国家・反ユダヤ主義の誕生
        1. ユダヤ解放のいかがわしさと、国家のユダヤ人金融家
        2. 初期の反ユダヤ主義
        3. 最初の反ユダヤ政党
        4. 左翼反ユダヤ主義
        5. 安全の黄金時代
      3. ユダヤ人と社会
        1. 賎民と成り上がり者のあいだ
        2. 信用のある魔法使い
        3. 悪徳と犯罪のあいだ
      4. ドレフュス事件
        1. 判決の事実
        2. 第三共和政とフランスのユダヤ人
        3. 共和国に抗する軍部と聖職者
        4. 人びとと群集(モブ)
        5. ユダヤ人とドレイフェス派
        6. 恩赦とその意義
    1. 帝国主義
      1. ブルジョアジー(階級)の政治的 解放
        1. 拡張(膨張)と国民国家
        2. 権力とブルジョアジー
        3. モブと資本のあいだの同盟
      2. 人種主義以前の人種的発想
        1. 市民による「国民」に抗する貴族という「人種」
        2. 国民解放の代わりとしての人種的統合(Race unity)
        3. 歴史への新しい鍵
        4. 「英国民の権利」〈対〉人権
      3. 人種と官僚制
        1. 暗黒大陸の幻影世界
        2. 黄金と人種
        3. 帝国主義者の性格
      4. 大陸の帝国主義:汎運動について
        1. 部族ナショナリズム
        2. 無法状態の遺産
        3. 党派と運動
      5. 国民国家の没落と人間の権利の終焉
        1. 「少数民の国民(ネイション)」と無国籍の人びと
        2. 人権の当惑(難局)
    2. 全体主義
      1. 階級なき社会
        1. 大衆
        2. モブとエリートの一時的な同盟
      2. 全体主義運動
        1. 全体主義のプロパガンダ
        2. 全体主義の組織
      3. 権力を掌握した全体主義
        1. いわゆる全体主義国家
        2. 秘密警察
        3. 全体的支配
      4. イデオロギーと恐怖政治:新規の統治形態(a novel form of government)


自由ノード(→英語のテキスト

反ユダヤ主義
   1. 憤慨から常識にいたるものとしての反ユダヤ主義
   2. ユダヤ人・国民国家・反ユダヤ主義の誕生
         1. ユダヤ解放のいかがわしさと、国家のユダヤ人金融家
         2. 初期の反ユダヤ主義
         3. 最初の反ユダヤ政党
         4. 左翼反ユダヤ主義
         5. 安全の黄金時代
   3. ユダヤ人と社会
         1. 賎民と成り上がり者のあいだ
         2. 信用のある魔法使い
         3. 悪徳と犯罪のあいだ
   4. ドレフュス事件
         1. 判決の事実
         2. 第三共和政とフランスのユダヤ人
         3. 共和国に抗する軍部と聖職者
         4. 人びとと群集(モブ)
         5. ユダヤ人とドレイフェス派
         6. 恩赦とその意義
反ユダヤ主義とユダヤ人嫌悪は違う


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全体主義という概念バラックの解体に向けて!
何でもありの全体主義について
国民国家の没落と人権の終焉(アーレント全体主義の起源「帝国主義」)[建築放棄サイト]


   3. 全体的支配

      1. イデオロギー的に不可謬という課題
      2. スターリンが、トロツキーの専売特許である〈永久 革命〉をシステムとして剽窃したのか?(p.142)
      3. 永久革命(承前)
      4. 権力の横溢
      5. 権力の横溢としての全体的支配権
      6. 【1.国家機構】革命の長期化による革命精神の衰 退
      7. 失望と憤激
      8. 幻滅
      9. テロルの蔓延
      10. 憲法のというものの無効、あるいは無憲法状態
      11. 全体主義は一枚岩ではない
      12. 権力や役職の二重化
      13. 秘密警察が党に属することの意味
      14. 憲法の形骸化はナチが一枚上手
      15. 支配機構の構造は、無構造
      16. 管区の増殖
      17.  
      18. 運動の機動性
      19. 官僚制下におけるエージェントの増殖
      20. 無構造権力下における〈学問〉組織
      21. ソビエト
      22. 秘密警察の真の権力〈対〉党官僚の見せかけの権力
      23. ソビエトの無力性
      24. 無構造性
      25. ヒエラルキーのなさ
      26. ベリア
      27. ヒムラー
      28. Primus inter pares


   4. イデオロギーとテロル:→イデオロギーと恐怖政治:新規の統治形態(a novel form of government)

■ 関連情報


◎全体主義入門に関するメモ

全体主義という概念バラックの解体に向けて!

【反ユダヤ主義】

1.反ユダヤ主義〈対〉ユダヤ人嫌悪:両者は全く こ となった思考様式である。

2.国民国家の成立とその洗練化が進むと、異質な 存 在としてのユダヤ人がイメージの中で〈可視化〉される。

3.イメージの中で可視化された〈ユダヤ人らし さ〉 は実は幻想である。なぜならば、同化傾向(=平準化)にあった、実際のユダヤ人は、社会にさまざまな影響を与えつつも、実際は多様化をとげて、他の国民と 変わらない存在になっていた。

【重要なポイント:結論】

2.と3.の著しい違いが意識されず、〈ユダヤ人 = 特殊〉、〈ユダヤ人=陰謀家〉というステレオタイプが確立し、構造化されていった。これが、〈反ユダヤ主義〉の典型的な特徴と思われる。

ユダヤ人嫌悪と反ユダヤ主義は異なる

【帝国主義】


【全体主義】


【その他のアイディア】

・参考文献「ユダヤ人は狩猟民ではない、ユダヤ人は 寄生虫」(ヒトラー)――『わが闘争』第11章。および同書、第6章「戦時宣伝」――ちなみに、この章は、ハンナ・アーレントも、テロリズムとプロパガン ダの関係についての重要な示唆を与えてくれる文献として注目しています

・【政治家たちを調べるリトマス試験紙】実証主義者 や功利主義者(プラグマティストを含む)たちの思考が人間本性は普遍であり社会を含む環境を変えようと発想するのに、全体主義者は、人間の本性が変えられ る――とりわけ「科学」と教育を通して――と考えるのだ。それゆえ前者の実証主義者を含む非-全体主義者は、人間の福祉や福利を全面に推し出すのだが、全 体主義者は、そうは考えない。個々人の福利よりも社会(や経済)の公益性を優先するのだ。その意味で(ギリシャ――当時)チプラス首相や、イケメン度にお いてははるかに劣るが安倍晋三は、全体主義者の系譜ないしは方向性に位置する政治家である(2015年7月1日)。

・僕は、あらゆる民主政治は全体主義的な性格をもつ ことを免れえないのではないかと思います――トクヴィルが生きていたら僕を批判するでしょうが――その上で、政党の「世界観化」に歯止めをかけ、(特定の 党派だけでなく政党)政治そのものの全体主義化傾向をどのように飼いならすかが、ポイントになるでしょう。ISなどは近代政治の脅威ではなく、イランの祭 政一致や北朝鮮の「行き過ぎた」全体主義統治――北朝鮮には言葉の正しい意味での「政治」は存在しません――をどのように対処してゆくのかのかのほうが、 我が国の政治には重要な課題だと思います。

・地球全体の支配、という全体主義の論理――僕は理 念的支配における修辞という説をとるけど――を論証するために、彼女(アーレント)は、あの長々とした帝国主義の解説をしたのか? もちろん、後者におけ る異民族支配の議論は、国民国家の概念の崩壊と(ユダヤ人を嚆矢とする)人権の消滅という彼女の議論に完全に重なるけどね

■その他の情報:全体主義の起源、読解マップ

Pol Pot or Saloth Sâr, 1925-1998.

"Pol Pot reformed Cambodia as a new, one-party state called Democratic Kampuchea. Seeking to create an agrarian socialist society, his government forcibly relocated the urban population to the countryside to work on collective farms. Those regarded as enemies of the new government, including Buddhist monks and ethnic minorities, were killed. These mass killings, coupled with malnutrition, strenuous working conditions, and poor medical care, killed between 1.5 and 2 million people, approximately a quarter of Cambodia's population, a period later termed the Cambodian genocide. Marxist–Leninists unhappy with Pol Pot's government encouraged Vietnamese intervention. After Pol Pot attacked several Vietnamese villages, the newly unified Vietnam invaded Cambodia in December 1978, toppling Pol Pot's government in 1979. The Vietnamese installed a rival Marxist–Leninist faction opposed to Pol Pot and renamed the country the People's Republic of Kampuchea. Pol Pot and his Khmer Rouge retreated to a jungle base near the Thai border. Until 1993, they remained part of a coalition internationally recognized as Cambodia's legitimate government. The Ta Mok faction placed Pol Pot under house arrest, where he died in 1998, possibly from suicide." - Pol Pot or Saloth Sâr.

"Mao at Stalin's side on a ceremony arranged for Stalin's 71th birthday in Moscow in December 1949. Behind between them is Marshal of the Soviet Union Nikolai Bulganin. on the right hand of Stalin is Walter Ulbricht of East Germany and at the edge Mongolia's Yumjaagiin Tsedenbal."

資料・文献


ひとつの民族、ひとつの帝国、ひとりの総統と読める Photo by Hugo Jaeger is the former personal photographer of Adolf Hitler.

http://www.vintag.es/2016/05/rare-wwii-color-photographs-taken-by.html


Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

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