かならずよんで ね!

コミュニケーションを通した介入にまつわる倫理的問題について

 What is the Ethical Communication?

池田光穂

公衆衛生におけるコミュニケーションの倫理に適うの みならず、一般的に他者に働きかける実践行為全般には、正当化のための規範倫理の項目の整備が不可欠である。規範的倫理の項目については、以下のような 11項目の原則が指摘されている(Guttman 1996:370-377)

(1)善行あるいは善きことをなす (Beneficence, or Doing Good)

(2)ケア(Care)

(3)有害回避あるいは危害を加えない (Nonmaleficence, or Doing no harm)

(4)自律性とプライバシー(Autonomy and Privacy)

(5)個人の責任(Personal Responsibility)

(6)市場原理の容認(Market Autonomy)

(7)公共善(The Public Good)

(8)功利性、効率性、あるいは最高善 (Utility, Effectiveness or the Maximum Good)

(9)正義と妥当性(Justice and Fairness)

(10)科学的妥当性(Science)

(11)自己実現性(Self- actualization)

再掲

(1)善行あるいは善きことをなす (Beneficence, or Doing Good)

(2)ケア(Care)

(3)有害回避あるいは危害を加えない (Nonmaleficence, or Doing no harm)

(4)自律性とプライバシー(Autonomy and Privacy)

(5)個人の責任(Personal Responsibility)

(6)市場原理の容認(Market Autonomy)

(7)公共善(The Public Good)

(8)功利性、効率性、あるいは最高善 (Utility, Effectiveness or the Maximum Good)

(9)正義と妥当性(Justice and Fairness)

(10)科学的妥当性(Science)

(11)自己実現性(Self- actualization)

これらにおいて、読者には良く知られているもので、 ほとんど説明を要するものはない。ただし我が国の公的な保健医療制度に馴染んだものには、分かりにくいと思われる、(6)の市場原理の容認について簡潔に 解説しておこう。市場原理の容認とは、じつは個人の責任や自律性と関連している。つまり、近代市民社会では、人間は自律的で自由であり、さまざまな機会選 択の自由があり、その選択は個人の責任においてなされている。

日本では公的医療保険制度が充実されているために、 同じ診療内容に対しては保険点数に応じた経済的負担が課せられる点で平等で選択の余地がない。しかし、医薬分業にみられるように、医療機関の選択と同様 に、処方せんがあれば、保険医療に指定された薬局にて購入することができるし、ジェネリック医薬品の選択が可能であり、そのことについては医療者は説明責 任が負わせられている。医療機関の多くがプライベートセクターにより運営されており、どの医療機関に受診するかは、患者に選択の自由がある。これらは、公 的医療保険制度のもとでも、医療の運営主体は、市場原理にもとづいて運営されていることの証左である。日本の世論公論とは異なり、またさまざまな公的制度 により管理監督が必要であると指摘されているにも関わらず、世界の多くの経済学者や政策担当者たちは、近代医療制度は良好な市場制度のなかで、その質の維 持が可能になったと主張している。ヘルス(健康)は他の商品とは異なる性格をもつためにヘルス経済学——実際はヘルスケア産業経済学(Arrow 1963:941)——は独自の市場メカニズムをもちながら、同時に競争原理と社会的選択によって効率的な管理システム機能していると言われている (Arrow 1963; Meltzer 2001)。

さて先の11項目の原則の説明に戻ろう。これらはア プリオリにこれらの一連の規範を、個々の状況において当てはめて、それに適格であるかどうかについて判断を下すための指標(indexes)になるもので ある。もちろん指針であるので、個々の状況でその指標を用いて判断する場合、成員の意見が食い違うことがある。例えば、ジカ熱の流行において小頭症との発 生の疫学的理由により住民に警報するのがよいのか、それとも病理的証明を待つべきなのか?HIVの流行においてその地域や国で販売権が認められない治療薬 の緊急援助を公共善に照らして容認すべきなのか?——これらの状況はそれぞれの指針ごとにおいて評価が二分することを指す。

それではこのような規範と、レトロスペクティブな問 題探究やプロスペクティブな課題模索は、それぞれどのような点で交差するのだろうか。私は、ヘルスコミュニケーション的介入における倫理的関与 (ethical concerns)として、どのような具体的関与をおこなっているのかをナリット・グートマンの2つの著作を参考に、現象論的にその5項目をまとめてみた (cf. Guttman 1996:377; 2000:94)。

(a)内容への関与(Content concern)

内容への関与において倫理的に問題化されるのは、内 容の表現が正しく適切におこなわれているか、正確であるか、虚偽はないか、不利益が被ることについてきちんと説明されているか、自律性を損なったりプライ バシーに抵触する危険性があれば表現されているかということである。(とりわけヘルスコミュニケーションにおいては)メッセージ内容に、犠牲者非難をもた らすようなものが含まれていないかが重要になる(Becker 1993, Marantz 1990, McLeroy et al. 1987).

(b)標的への関与(Target concern)

公衆衛生施策は、保健的介入をおこなう集団を標的あ るいはターゲット集団(target group)に焦点化しておこなわれる。それはコミュニティの全員であることもあるし、特定の疾患や障がいを持っている人たちからなる「仮想的集団」であ る。後者の場合は、コミュニケーション維持不足等により追跡を怠ると見失しなわれることもある。この場合には、害を与えないことや、標的目標から外れてし まい便益を受けられないという不利益が生じる。他方で、標的化という行為が全体の集団から切り離されることによる不利益にも配慮しないとならない (Gruning 1989)。また標的という管理対象におくことで、プライバシーの保持において不正行為が発生する危険性がある。

(c)経路への関与(Channel concern)

コミュニケーションの経路(チャンネル)とは、その 介入において届く道筋のことを示している。したがって経路の末端に位置する標的集団内のステイクホルダーつまり本人の便益や有用性のみならず、本人の自律 性にも関わる。また、コミュニケーション経路には、人や情報のほかに、商品流通も含まれるわけだから、市場原理の容認という点にも関わる (Allegrante and Sloan 1984)。

(d)制御への関与(Control concern)

どのようにコミュニケーションが制御されているのか という観点と、コミュニケーションによる介入により、どのような集団(ステイクホルダー内の分節)が制御されているのかという2つの観点が描出できる。あ る種の専門家や権威が、コミュニケーションを介して制御されているとすると、それらの自律性が毀損されたり、逆に他者に害を起こさない原則に抵触する可能 性がある(Tesh 1988; Zola 1972, 1975)。また近代医療が優勢な社会ではコミュニケーションの一方的な「交通」を介して医療化などの弊害がおこるが、それはステイクホルダーからみれば 近代医療に日常生活が制御されていることに他ならない(Fox 1977)。

(e)意図しない効果への関与 (Unintended Effects concern)

施策側はコミュニケーション的介入において正確さを 期することが重要になるが、期せずして当事者対してそのコミュニケーション行為が過剰な心配をもたらすことになる(Barsky 1988)。他方で、わかりやすさを優先して正確さを犠牲にするジレンマも回避しなければならない。また正確さを伝える努力は、近代医療の全能感というイ メージをもたらすことになる(Callahan 1990)。これらは自律性や無害原則を逸脱して意図しない悪いメッセージやイメージをステイクホルダーに伝えることになる(Glick Schiller et al. 1994; McLeroy et al. 1987)。

これまで述べてきた、倫理的関与における上の (a)〜(e)までのコミュニケーションがもたらす形態や機能は、先に述べた「正当化のための倫理規範の項目」がそれらのなかでどのように展開するのかマ トリックス上にどのように分布するのか描くことができる(表.1)。もちろん、これは一般的傾向をもつものであり、このマトリクスを空欄の表にすること で、個別の公衆衛生プロジェクトにおける倫理的課題や問題点の整理をおこなうことができる。

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