かならず 読んでください

死に逝く人とのコミュニケーションを実演する

—— ディネ先住民チャーニーの死に方を学ぶ——

池田光穂

■ヘヤー・インディアン(Dene, ディネ):Hare Indian

「「ディネ」(英語: Dene)とは、ナ・ディネ語族の南北アサバスカ語族を話す人達の自称である。「北部アサバスカ諸語(英語版)」(カナダのインディアン部族)の「ヘ アー・インディアン(hare indan)」及び「アラスカとカナダのディネ(先住するインディアン諸部族)」と、「南部アサバスカ諸語(英語版)」(アメリカのインディアン部族)の 「ナバホ族(Diné, Navajo)」及び「アパッチ族(Indé, Apache)」のことを指している。......「ヘアー・インディアン」(Dene)は、カナダの北西部の極北地帯から南西部にかけて先住するアサバ スカ諸語を話す狩猟民である。カナダでは、インディアン民族はファースト・ネイションと呼ばれる自治共同体を形成しており、ヘアー・インディアンもこのひ とつである。「ディネ」は、「流れと大地」を意味する」—「ディネ」(ウィキ日本語)

"The Dene people (/ˈdɛneɪ/ DEN-ay) (Dené) are an aboriginal group of First Nations who inhabit the northern boreal and Arctic regions of Canada. The Dené speak Northern Athabaskan languages. Dene is the common Athabaskan word for "people" (Sapir 1915, p. 558)."  - Wiki https://en.wikipedia.org/wiki/Dene

1. Yellowknives Dene First Nation (they identify as Weledeh Yellowknives Dene, aka Inconnu River People): many are descendants of the Wuledehot'in regional group of the neighboring Tłįchǫ. Communities: Dettah, N'dilo, and Yellowknife. Population: 1.408. The Dettah-Ndilo-Tłįchǫ Yatıì (dialect spoken in the communities of Dettah and N'Dilo developed from intermarriage between Yellowknives and Tłįchǫ peoples)

2. Deninu K'ue First Nation (Deninu Kue (pronounced "Deneh-noo-kweh"), means "moose island"). It is a "settlement corporation" in the South Slave Region of the Northwest Territories, Canada. The community is situated at the mouth of the Slave River, on the shore of Great Slave Lake), Deninu K'ue or Dene Nu Kwen are/were called all Chipewyan (Denesuline) and Yellowknives, which came to Fort Resolution for trading their furs, reserve: Fort Resolution Settlement, Population: 843)

3. Lutsel K'e Dene First Nation (Lutselk'e (pronounced "Loot-sel-kay") also spelled Lutsel K'e ("place of the Lutsel", a type of small fish), is a "designated authority" in the South Slave Region of the Northwest Territories, Canada. The community is located on the south shore near the eastern end of Great Slave Lake and until 1 July 1992, it was known as Snowdrift. The First Nation was formerly known as Snowdrift Band. The most northerly Chipewyan First Nation, once nomadic caribou hunters, this band included some Chipewyan and Yellowknives who settled permanently at the trading post established in 1925 by the Hudson's Bay Company near today's Lutsel K'e. In 1954 they moved to the community of Lutsel K'e. Main languages in the community are Chipewyan and English at reserve: Snowdrift Settlement, Population: 725) - https://en.wikipedia.org/wiki/Yellowknives

  1. (左)Yellowknife chief Akaitcho and his only son, by Robert Hood, 1821
  2. (右)原ひろ子先生撮影(原 1989:51)

・(原ひろ子(1989:365)の報告によると、 火傷したヘヤー・インディアンの生存率は、白人の10分の1〜20分の1だという。1961年に病院関係者に調べたときに、医療関係者は「生への執着を簡 単に棄てる」との見解を述べている。彼女の解説はこうだ:「ヘヤー・インディアンは、自分の守護霊が「生きよ」といっている間は、生への意志を棄てない。 しかし、守護霊が「お前はもう死ぬぞ」というと、あっさりと生への執着を棄ててしまう。そして良い死に顔で死ねるようにと守護霊に助けを求め、まわりの人 間にすがるのである」(原 1989:366)。

■ヘヤー・インディアン「チャーニー」の死に方(死 期を悟って死ぬまで/人類学者の直接観察)

(1)「私がキャンプ生活に入ってかなりの日数がた ち、ヘヤー・インディアンの方から「ヒロコは薪も割るし、ウサギもとる。歩くのも速い。インディアンの夢や幽霊の話もわかるぞ。インディアンになってきた なあ」と言ってくれるようになってきた。そんな一九六二年八月末のある日、五歳の女の子マーサが、私のテントに真面目な顔をして入ってきた。いつもなら、 するりと私のテントに入り込み、しばらく黙って坐って後、朝から何も食べていないとか、まだ飴はあるかなどと言って、茶目気たっぷりな目つきをするのだ が、その日は様子がちがった。世にも大事な任務を帯びている風情で、堂々とテントのフラップを開け、日記をつけていた私のまん前に仁王立ちになって、「オ ジさんが死ぬことにしたから、すぐ行ってあげて。たくさん集まってるよ」と言う。/一週間前、大きなムースを鉄砲で射とめたチャーニーは、50歳の名ハン ターだ。五日前に風邪をひいたのか、熱があるといって救護所の看護婦のところにアスピリンとビタミン剤を自分でもらいに行った。「安静にして熱いお茶をた くさん飲みなさいって言っておいたのよ。抗生物質も出しておいたから、すぐ治るでしょ」と看護婦は言っていたが、肺炎になったのかも知れない。迎えにきた マーサに、私は「チャーニーは、いつからそう言いだしたの」と聞いてみた。「昨日の夕方、夢から醒めてから。だから遠くのキャンプに、お兄さんたちは報せ に行ったよ。明日の夕方には皆集まれるって。そしたら、オジさんの話を聞くんだ」と言う」(原 1989:366-367)。

(2)「私は朝食に使った食器を洗い、テントを整頓 してから、マーサと一緒にチャーニーのテントへと出かけた。マーサはチャーニーの弟の娘で、チャーニーに可愛がられていた。チャーニーは一昨日から食物を 少ししかとらなくなり、死ぬと言いだしてからは、紅茶を時折口に含むだけになったという。たたみ六畳くらいのテントには、すでに一七〜八人集まっていた。 たばこの煙の立ちこめるなか、全員チャーニーの話を聞いている。横臥してボソボソと思い出話をつづけるチャーニーに、みんなはフム、フムと相槌を打ってい る。ふだんの冬の夜長の体験談を聞くときには、聞き手は「フム、フム、それから?」とつづきを催促したり、ときには冗談を言って話をまぜ返すのだが、死に ゆく人には、本人が言いたいことだけを話してもらうために、「それから」と聞いてはいけないことになっている。/チャーニー氏は時折、話を止めて、大きく 息をし、紅茶を一口すすっては、目を閉じる。まわりの者は互いに身をすり寄せ合っては、チャーニーを見つめる」(原 1989:367)。

(3)「以前にも述べたように、ヘヤー・インディア ンの考え方によると、霊魂は肉体を出たり入ったりする。目は開いていても、ボーッとあらぬ方向を見つめたりするときや眠っているとき、霊魂は肉体をはなれ て旅をする。霊魂が旅をして体験することが夢である。夢のなかで、そのときそのときの行動の指針を得るのである。人が目を閉じ、静止するとき、その人は自 分の守護霊と交信するのだから、誰もそれを乱してはいけない。その人が目を開け、再びまわりの者と話しはじめるまで待つのである。チャーニーが昨夕、夢か ら醒めてから自分は死ぬと言いだしたのは、守護霊のお告げがあったからだ。また今日思い出話をしていて、途中で目を閉じ、沈黙するときも、守護霊と交信し ているのだと人々は信じている。/肉体が生きているとき、霊魂は再び肉体に戻ってくるが、死ぬと霊魂が出て行ったきり戻ってこなくなる。だから、チャー ニーが話を休めると、まわりの者は互いに身をすり寄せ合っては、チャーニーが良い死に顔で死ぬようにと祈るのである。人が死ぬと、その霊魂は、自分のミウ チ(=身内)や生前のキャンプ仲間のもとや、自分が一生の間に旅をしキャンプをして泊ったところを巡り歩くという。遺体が埋葬されると、あの世への旅をは じめる。そして、良い死に顔をして死んだ者の霊魂は、再びこの世に生まれるべく旅につく。そして埋葬前にも、悪い死に顔の人ほどには、この世の近しい人の 霊を道連れにしようとつきまとわない。だから、良い死に顔で死ぬことは、死にゆく本人の願いでもあり、見送る人々の願いでもある」(原 1989:368)。

(4)「チャーニーと一緒にキャンプしたこともな く、猟に出かけたりしたことのない人々は、テントの中に入ってこないが、時折やってきては、テントの外に薪を運んできたり、水をバケツに混んできてくれた りする。またテントの中でみとっている者も、ときには外に出てテントの支柱の杭を打ち直したり、薪を割ったりする。/白人の看護婦は、「あんなに軽い風邪 で、あんなに丈夫な人が死ぬ気になってしまったなんて」と、たいへん残念がっている。ヘヤー・インディアンたちは、もう駄目だと悟る時期をどう決めるの か。西欧医学の立場から治療が可能であるかどうかとか、あと何年しか生命をもちこたえられないのではないかといったこととは関係なく、それぞれの文化が何 らかの基準をもっていたり、それぞれの個人が悟ったりすることは、ヘヤー・インディアンだけに見られる例ではないだろう」(原 1989:368-369)。

※【池田コメント】レヴィ=ストロースのブードゥ・ デス

(5)「次の日に入ると、遠くのあちこちのキャンプ 地から、チャーニーの近親や親友たちが報せを受けて駆けつけてきた。夕方、チャーニーは自分の愛用の銃二挺、モーター・ボート、金属製罠、テント、ストー ブ、ラジオ、犬などを贈る相手を指名した。20世紀に入る前、そして一部では1920年代までは、銃を用いず手製の弓矢で狩猟し、毛皮を剥ぎ合わせたテン トに住んでいたが、その時代には、死者の衣類、テント、生産用具、その他の所有物はすべて焼かれた。このような品物には死者の霊魂がのり移りやすいと信じ られ、畏れられたからである。狩猟地は部族全体の共有なので、土地相続の問題はへヤーの文化には存在していない。しかし、銃やラジオなど、運賃がかかって 法外に高い品物が日常生活に入ってきてから、死を前にした新しい儀式がへヤー・インディアンの生活に導入された。これにのっとってチャーニーも自分の持ち 物を近しい人々に贈ったのである。そしてカソリックの神父さんを招いて聖油の秘蹟(extreme unction)を受けた。/そしてその次の日の未明、チャーニーは息をひきとった。良い死に顔をして。/すると、チャーニーのテントに詰めていた人々 は、それぞれ自分のテントに戻ったり、近くに新しくテントを張ったりして、眠らずに身を寄せ合う。チャーニーの肉体を離れた霊魂が道連れにしようとやって くるのを防ぐためだ。そして、縁遠かった人々が、あるいは遺体を守り、あるいは食事や薪を遺族たちに配ってまわる。夕方にはチャーニーにとってもっとも縁 遠い四人の男が遺体を教会堂に運び、ミサの後に埋葬に当たった。参列者が全員で土をかけてあげた」(原 1989:369)。

※【池田コメント】チャーニーが死期を悟り、ある意 味でみんなが期待するタイミングにあわせて逝くのは、ある意味で「死者になる人の能力」ということもできる。瀕死のものは死者になってもまた、そのような ポテンシャルをもっている。なぜなら、生きている者たちは、見寄せて霊魂が道連れにされないように「予防行動」をとるからである。

文献

■《課題》:5〜6人のグループワーク

原ひろ子先生撮影(原 1989:111)

リンク

その他の情報




(c)Mitzub'ixi Quq Chi'j. Copy&wright[not rights] 2016-2018

Do not copy and paste, but you might [re]think this message for all undergraduate students!!!


tecolote