かならずよんで ね!

日本の航空医学の歴史

History of Japanese Aeromedicine

池田光穂

日本の敗戦末期には、ナチスドイツからの航空医学に関する知見が導入されようとしていた。1941年、軍陣医学「国家国防医学」のカリキュラム(下図)が、大阪帝国大学で構想される。

軍陣医学「国家国防医学」のカリキュラムが、大阪帝国大学で構想

戦後の日本の航空医学は、1957年航空自衛隊に臨時航空医学実験隊が立川に新編されるのを嚆矢とする。

現在は、航空医学実験隊(Aeromedical Laboratory)の 項目でウィキペディアに「航空医学実験隊(こうくういがくじっけんたい、英称:Aeromedical Laboratory)とは航空医学及び心理学上の各種調査研究並びに救命装備品等の実用試験、航空身体検査、航空生理訓練、防衛装備庁の研究所などへの 航空医学に関する技術協力などを行う部隊[。航空開発実験集団(府中)隷下で、入間基地と立川分屯基地にあり、国内最大規模の低圧訓練装置などを保有して いる」とあるが、引用先のページは切れている。

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