はじめによんでください

パルジファル

Parsifal

池田光穂

☆ パルジファル(WWV 111)は、リヒャルト・ワーグナーの最後の楽劇である。ワーグナー自身が3幕構成のこの作品を舞台祝祭劇(Bühnenweihfestspiel)と 称し、バイロイト祝祭劇場でしか上演しないよう命じた。主要登場人物の名前(その一部は意図的に異なるつづりで表記されている)とプロットの一部は、中世 ドイツ語の詩人ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの詩編『パルジファル』から借用されているが、後者は『舞台祝典劇』の主なプロットとは何の関係も ない。

☆「おまえを傷つけた槍だけ がその傷を癒すことができる」ワーグナー「パルジファル」

Parsifal (WWV 111) ist das letzte musikdramatische Werk von Richard Wagner. Wagner selbst bezeichnete das dreiaktige Stück als ein Bühnenweihfestspiel und verfügte, dass es ausschließlich im Bayreuther Festspielhaus aufgeführt werden sollte. Die Namen einiger der Hauptfiguren (z. T. bewusst in anderer Schreibweise) sowie einige Handlungselemente sind dem Versroman Parzival des mittelhochdeutschen Dichters Wolfram von Eschenbach entlehnt, mit dessen Haupthandlung das Bühnenweihfestspiel aber nichts zu tun hat.
パルジファル(WWV 111)は、リヒャルト・ワーグナーの最後の楽劇である。ワーグナー自身が3幕構成のこの作品を舞台祝祭劇(Bühnenweihfestspiel)と 称し、バイロイト祝祭劇場でしか上演しないよう命じた。主要登場人物の名前(その一部は意図的に異なるつづりで表記されている)とプロットの一部は、中世 ドイツ語の詩人ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの詩編『パルジファル』から借用されているが、後者は『舞台祝典劇』の主なプロットとは何の関係も ない。
Intention Wagners
Wagners Parsifal enthält religiöse Elemente wie weihevolle Musik, Monstranzenthüllung (Gral), Taufe und christliches Abendmahlsritual. Bereits in seinen Züricher Kunstschriften (Das Kunstwerk der Zukunft, Oper und Drama) entwickelte er die Idee, den Kern des Religiösen durch Kunst zu verdeutlichen. In Religion und Kunst schreibt er zusammenfassend:

„Man könnte sagen, dass da, wo die Religion künstlich wird, der Kunst es vorbehalten sei, den Kern der Religion zu retten, indem sie die mythischen Symbole, welche sie im eigentlichen Sinne als wahr geglaubt wissen will, ihrem sinnbildlichen Werte nach erfasst, um durch ideale Darstellung derselben die in ihnen verborgene tiefe Wahrheit erkennen zu lassen.“

Wagner erklärte, dass er zur Transformierung seiner gleichnishaften Botschaft, Erlösung und Regeneration der Menschheit durch Mitleid – dargestellt durch den suchenden Parsifal und den leidenden Amfortas –, eine Kunstform gewählt habe, die mit religiöser Symbolik eine „entrückende Wirkung auf das Gemüt“ ausüben solle.
ワーグナーの意図
ワーグナーの楽劇『パルジファル』には、厳粛な音楽、聖櫃(聖杯)の披露、洗礼、キリスト教の聖餐式といった宗教的な要素が含まれている。 チューリッヒ時代の芸術に関する論文(『未来の芸術』、『オペラとドラマ』)において、彼はすでに芸術を用いて宗教の核心を明らかにするという考えを展開 していた。 著書『宗教と芸術』の中で、彼は次のようにまとめている。

「宗教が人工的になる場合、神話的シンボルを寓話的な価値で捉えることで、宗教の核心を救うのは芸術であると言える。芸術は、真の意味で真実として知られ たいと願う神話的シンボルを、理想的な表現を通じて、その中に隠された深い真実を明らかにする。」と述べている。

ワーグナーは、慈悲の心によって人類の救済と再生を象徴する寓話的なメッセージを伝えるために、宗教的な象徴主義を用いた「心を魅了する効果」のある芸術 形式を選んだと説明している。そのメッセージは、救いを求めるパーシヴァルと苦悩するアムフォルタスによって象徴されている。
Entstehungsgeschichte

Wagner beschäftigte sich schon 1845 in Marienbad, als er Lohengrin entwarf und die erste Idee für Die Meistersinger von Nürnberg niederschrieb, mit dem Stoff der Sage. Die erste Skizze mit dem Titel „Parzival“ entstand indessen erst 1857 in Zürich. 1865 bat König Ludwig II. von Bayern, der Wagner seit 1864 finanziell unterstützte, den Parzival-Plan auszuführen. Daraufhin entstand der erste Prosaentwurf des Werks. Nachdem die ersten Bayreuther Festspiele mit der Aufführung des Rings des Nibelungen beendet waren, begann Wagner auf Bitten seiner Frau Cosima – die in ihren Tagebüchern den gesamten Entstehungsprozess detailliert festgehalten hat – im Januar 1877 mit der Verwirklichung seiner alten Parzival-Pläne. Bald änderte Wagner die Schreibweise des Namens zu „Parsifal“, indem er sich auf die angeblich persischen Worte für „rein“ (= parsi) und „Tor“ (bzw. töricht = fal) bezog. Als im Herzen reiner Tor ist die Figur des Parsifal im Werk angelegt. Mit der Komposition begann Wagner im September 1877. Im April 1879 waren die Orchesterskizzen für alle drei Akte fertig. Im Februar 1880 beabsichtigte Wagner in die USA auszuwandern, nachdem er ein finanzielles Desaster seiner Ring-Aufführung bei den ersten Festspielen 1876 im Bayreuther Festspielhaus erlebt hatte. Er besprach mit seinem befreundeten Zahnarzt Newell Sill Jenkins seine Auswanderungspläne und formulierte in einem dreiseitigen Brief auch die Bedingungen, die seine Existenz jenseits des Ozeans absichern und den Amerikanern den Parsifal bringen sollten. Dank Jenkins’ Überredungskünsten setzte Wagner seine Pläne nicht um.[1][2][3] Es dauerte noch bis Januar 1882, bis das Werk (während eines längeren Aufenthaltes in Palermo) vollständig komponiert und die Partitur vollendet war. Im November 1880 erklang erstmals das Orchester-Vorspiel des ersten Aufzugs in einer Privataufführung für König Ludwig II. von Bayern in München. Die Verlagsrechte verkaufte Wagner zu einem damals hohen Preis von 100.000 Mark an die Nachfolger seines Verlegers und Freunds Franz Schott in Mainz, die somit die zweiten Festspiele mitfinanzierten. Für den Bau des Gralsglockenklaviers beauftragte Wagner die Klaviermanufaktur Steingraeber in Bayreuth.[4]


起源の歴史

ワーグナーは1845年、マリエンバードで既に『ローエングリン』の草案を練り、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の最初のアイデアを書き留めてい た。しかし、「パルジファル」と題された最初のスケッチは、1857年にチューリッヒで書かれるまで待たねばならなかった。1865年、1864年から ワーグナーを経済的に支援していたバイエルン王ルートヴィヒ2世は、ワーグナーにパルジファル計画の実行を依頼した。これにより、この作品の最初の散文草 稿が生まれた。最初のバイロイト音楽祭が『ニーベルングの指環』の上演で幕を閉じた後、ワーグナーは1877年1月、妻のコジマの要請により、昔からのパ ルジファルの構想を実現し始めた。コジマは、その創作過程をすべて詳細に日記に記録している。ワーグナーはすぐに「パーシヴァル」という綴りに変更した。 これはおそらくペルシャ語の「純粋」を意味する「パルシ」(parsi)と「愚か者」(または愚か=fal)に由来する。パーシヴァルの性格は純粋な心の 持ち主である愚か者として描かれている。ワーグナーは1877年9月に作曲を開始した。1879年4月までに全3幕のオーケストラ用スケッチが完成した。 1880年2月、ワーグナーは1876年にバイロイト祝祭劇場で指揮した『ニーベルングの指環』の第1回公演で財政的に失敗したため、米国への移住を計画 した。彼は歯科医の友人ニューウェル・シル・ジェンキンズに移民計画について相談し、海の向こうで自分の生活を保障し、アメリカ人にパルジファルを上演す る条件を3ページにわたる手紙にまとめた。ジェンキンスの説得により、ワーグナーは計画を断念した。作品が完全に作曲され、楽譜が完成したのは、1882 年1月、パレルモでの長期滞在中になってからだった。1880年11月、バイエルン王ルートヴィヒ2世のための非公開の試演会で、ミュンヘンで初めて第1 幕のオーケストラによる前奏曲が演奏された。ワーグナーは、出版権をマインツの友人であり出版社のフランツ・ショットの後継者に10万マルクという当時と しては高額で売却し、第2回祝祭の資金調達に貢献した。ワーグナーはバイロイトのピアノ製造業者シュタイングレーバーに聖杯の鉄琴ピアノの製作を依頼し た。[4]

https://de.wikipedia.org/wiki/Parsifal

舞台神聖祝典劇[1]『パルジファル』 (Bühnenweihfestspiel "Parsifal" )は、リヒャルト・ワーグナーが1882年に完成させた楽劇。全3幕。原語ドイツ語。台本も作曲家自身による。中世(10世紀ごろ)スペインのモンサル ヴァート城およびクリングゾルの魔の城を舞台とする。

初演は1882年7月26日、バイロイト祝祭劇場。日本初演は1967年[2]。

主な登場人物
パルジファル(テノール) 無垢で愚かな若者として登場し、パルジファルの名前は劇中で明らかにされる。
グルネマンツ(バス) モンサルヴァート城の老騎士。のちに隠者。
アン(アム)フォルタス(バリトン) モンサルヴァート城の王。聖杯を守る。
クンドリ(ソプラノ) 呪われた女。クリングゾルの手先となる。
クリングゾル(バリトン) 魔法使い。
ティトゥレル(バス) アンフォルタスの父。先王。
聖杯守護の騎士2人(テノール、バス)
小姓4人(ソプラノ2、テノール2)
花の乙女たち6人(ソプラノ、アルト)

楽器編成
フルート3、オーボエ3、イングリッシュホルン、クラリネット3、バスクラリネット、ファゴット3、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ2人(2対)、ハープ2、弦5部(16型)

舞台裏に鐘6個、トランペット6、トロンボーン6、中太鼓、サンダーシート

『ニーベルングの指環』以来の4管編成の跡が残っている。

演奏時間
全曲約4時間半(各幕120分、70分、80分)。しかし指揮者による変動が非常に大きく、3時間40分未満から4時間40分を遥かに超える指揮者までい ろいろある。カットの場合はこれに当たらないので記さない。また録音・録画や上演への鑑賞などのために便宜的に長いほうの演奏時間を記しておく。

構成とあらすじ

第1幕

前奏曲。グルネマンツと小姓たちが傷の治療のために湖へ向かう王を待っているところへ、クンドリが現れ、アンフォルタス王の薬を託す。かつてアンフォルタ スはクンドリに誘惑され、聖槍を奪われて傷つけられていた。癒えない傷口からは、絶えず血が流れ出し、罪の意識を伴ってアンフォルタスを苦しめた。グルネ マンツは魔法使いクリングゾルの邪悪と、王を救うための神託について語る。神託とは、「共苦して知に至る、汚れなき愚者を待て」というものであった。そこ へ、湖の白鳥を射落とした若者が引っ立てられてくる。グルネマンツはこの若者こそ神託の顕現ではないかと期待し、若者を連れて城へ向かう。城内の礼拝堂 で、聖杯の儀式が執り行われる。しかし、傷ついているアンフォルタスにとって、儀式は苦悩を増すものでしかない。官能への憧れと罪への苦痛、死への願望が アンフォルタスを襲う。先王ティトゥレルの促しによって、聖杯が開帳される。しかし、若者は茫然として立ちつくすばかり。グルネマンツは失望して若者を追 い立てる。

第2幕

短い前奏曲。クリングゾルの魔の城。クリングゾルの呼びかけに応じてクンドリが目覚める。クリングゾルはクンドリに、魔の城に侵入した若者を誘惑し堕落さ せるように命じる。クンドリは抵抗するが、結局言いなりになるしかない。若者は襲いかかってくる兵士たちをなぎ倒して進むうち、クリングゾルの魔法によっ て、あたりは花園になる。花の乙女たちが無邪気に舞いながら若者を誘う。やがてクンドリが「パルジファル!」と呼びかけ、初めて若者の名が明かされる。ク ンドリはパルジファルの母親の愛を語り、接吻する。ところが、この接吻によって、パルジファルは知を得て、アンフォルタスの苦悩を自分のものとする。なお もクンドリはパルジファルに迫り、クンドリの呪われた過去も明らかになる。しかし、パルジファルはこれを退ける。誘惑に失敗したと悟ったクリングゾルが現 れ、聖槍をパルジファルめがけて投げつける。聖槍はパルジファルの頭上で静止し、パルジファルがそれをつかんで十字を切ると、魔法が解け、城は崩壊して花 園は荒野と化す。

第3幕

前奏曲は、パルジファルの彷徨・遍歴を示す。第1幕と同じ場所で、隠者となったグルネマンツは倒れているクンドリを見つける。そこに武装した騎士が現れ る。騎士はパルジファルだった。いまやアンフォルタスは聖杯の儀式を拒否し、先王ティトゥレルも失意のうちに没し、聖杯の騎士団は崩壊の危機に瀕してい た。クンドリが水を汲んできて、パルジファルの足を洗い、グルネマンツがパルジファルの頭に水をかける洗礼の儀式。パルジファルもまたクンドリを浄める。 泣くクンドリ。ここから聖金曜日の音楽となる。3人は城に向かう。城では、騎士たちの要請によって、ティトゥレルの葬儀のための儀式が、これを最後に始ま ろうとしていた。アンフォルタスは苦悩の頂点に達し、「我に死を」と叫ぶ。そのとき、パルジファルが進み出て、聖槍を王の傷口にあてると、たちまち傷が癒 えた。パルジファルは新しい王となることを宣言、聖杯を高く掲げる。合唱が「救済者に救済を!」と歌う。聖杯は灼熱の輝きを放ち、丸天井から一羽の白鳩が 舞い降りて、パルジファルの頭上で羽ばたく。クンドリは呪いから解放されてその場で息絶える。

作曲の経緯
1845年6月、マリーエンバートに温泉治療のために滞在中、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの叙事詩『パルチヴァール』やアルブレヒトの『新 ティトゥレル』[3]の翻訳・再話、作者不明の叙事詩『ローエングリン』[4]の序文を読む[5]。『ローエングリン』、『ニュルンベルクのマイスタージ ンガー』の着想を得る。
1857年4月、ワーグナーの自伝『わが生涯』によれば、チューリヒの「隠れ家」において静かな春の日に喜び、今日は(大切な)聖金曜日(復活祭に先立つ 金曜日で、十字架に架けられたイエスを記念する日)であったとの思いを深くし、『パルチヴァール』での同様の警告[6]を想い出した。聖金曜日の思想から (von dem Karfreitags-Gedanken)『パルジファル』全3幕の構想を得たとされている。しかし、これはワーグナーの詩的創作だったと後に自身が認 めている[7]。実際には、『ローエングリン』が作曲された1846年から1848年ごろには構想が芽生えていたと考えられる。しかし、実際の着手までに は時間がかかり、この後も長い空白が置かれた。
1865年8月27日-30日、ルートヴィヒ2世に求められて台本の第1草稿を書く。草稿は国王に贈呈された。しかし、この後、ワーグナーはバイロイト祝祭劇場の建設や『ニーベルングの指環』の上演などに忙殺される。
1877年1月25日-2月28日、第2草稿。
1877年3月14日、「パルチヴァール」(Parzival)の表記を「パルジファル」(Parsifal)に直す。
1877年4月19日、台本完成。作曲にかかる。
1882年1月13日、スコア完成。結局、着想から40年近くかかったことになる。また、草稿の台本と総譜にはかなりの差異が認められる。

原作及び「パルジファル」の表記について
『パルジファル』の台本は、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの叙事詩『パルチヴァール』に基づいている[8]。『パルチヴァール』は、歌劇『ロー エングリン』の制作にも影響を及ぼしているかもしれない。『パルチヴァール』のエピローグ[9]には、白鳥の騎士ローエングリンの物語が紹介されているか らである。『ローエングリン』第3幕で、ローエングリンは、モンサルヴァート城の王パルチヴァール(Parzival)の息子であると名乗っている。パル ジファルが白鳥を射落として引き立てられてくることと、ローエングリンが「白鳥の騎士」であることの関連は明らかであろう。ほかにも、各幕の構成や、『パ ルジファル』のクンドリが『ローエングリン』のエルザとオルトルートを合わせたような存在であることなど、二つの作品は関連が深い。

パルチヴァールの名前の語源として、アラビア語の "Parsi oder Parseh Fal, d.i. der reine oder arme Dumme"(パルシないしパルセー ファル すなわち「清らかな」ないし「哀れな」「愚者」?)であるとする、ヨーゼフ・ゲレス(英語版)の説[10] を取り入れて、ワーグナーは Parsifal に綴りを直したとされる[11]。晩年、ワーグナーが親密に交際したジュディット・ゴーティエ(英語版)は、この説は誤りだと指摘したが、ワーグナーは 「そうであっても構わない。」として訂正しなかったという。

ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルチヴァール』(Parzival)はクレティアン・ド・トロワの『ペルスヴァル』(Perceval)に 由来する。中世フランス文学・比較神話学の権威フィリップ・ヴァルテール(1952-)は、「ペルスヴァル(Perceval)の名は、《谷(ヴァル)》 (val)の秘密を《つき止める(ペルス)》(perce)者と読むことができる(ペルスヴァルが訪ねた漁夫王の館が《谷(ヴァル)の中に》位置していた からである)」と解釈している[12]。



上演について
『パルジファル』は、ワーグナーがバイロイト祝祭劇場での上演を前提にして書いた唯一の作品である。ワーグナーの死後、その遺志を継いだ未亡人コジマは 『パルジファル』をバイロイトの独占とするために運動し、1886年のベルヌ条約により、1913年までバイロイトでの独占上演が認められた。ワーグナー の死から30年後、作曲家の著作権が切れる1913年12月31日の深夜から翌日にかけて、ベルリン、ブダペスト、バルセロナの各歌劇場で『パルジファ ル』が上演された。ブダペスト初演の指揮者はフリッツ・ライナーである。しかし、条約批准の遅かったアメリカとオランダでは、これらに先立ち、1903年 にニューヨーク、1905年にアムステルダムで、それぞれ初演されていた。

「ワーグナーが全幕の後に拍手を禁じた」という事実はない。これは初演時に彼が「雰囲気を損なわないために途中で拍手しないように」と求めたところ(しか しワーグナー自身が「花の乙女」のシーンで拍手したともいう)[13]、観客が幕の後にも拍手をしなかったため、ワーグナーは戸惑い、後で「それは誤解 で、各幕の後に拍手をしてくれてよい」と語った[14]。これが原因となって現在でも第1幕の後に沈黙を守る慣習が残っているが、近年ではウィーンやバイ ロイトでも通常通りの拍手が起こることも普通になっている(ただしカーテンコールは行われないことも多い)。

第1幕への前奏曲
変イ長調。ワーグナー自身は、前奏曲は「劇的」でなく「根源的」に演奏されねばならないと語っていたとされる。また、ワーグナーがルートヴィヒ2世のため に書いた注釈には、「愛-信仰-:希望?」と記されている。前奏曲では、主として「愛餐の動機」(イングリッシュホルン、クラリネット、ファゴット、弱音 器付きのヴァイオリン、チェロ)、「聖杯の動機」(金管の順次上行。ドイツの賛美歌『ドレスデン・アーメン』を借用)、「信仰の動機」(ホルン、トラン ペット)が扱われる。とくに「愛餐の動機」は、多種の楽器を重ねることで楽器独自の響きがぼかされており、これはバイロイト祝祭歌劇場での上演を意識した 音色と見られる。『ローエングリン』前奏曲がイ長調であるのに対し、『パルジファル』前奏曲がそれより半音低い変イ長調で書かれていることも、より柔らか い、くぐもったような雰囲気を表出することに役立っていると考えられる。曲は次第に重苦しくなっていくが、やがて「聖杯の動機」が希望を示すかのように繰 り返され、第1幕へとつながっている。

解釈について
『パルジファル』の題材となった聖杯伝説は、キリスト教に基づく伝説である。だが、『パルジファル』は、誘惑に負けたアンフォルタスの救済が、単に純潔と いうだけでは達成されず、共に苦しんで知を得る愚者によってなされる、という「神託」の実現が物語の中核をなしており、キリスト教的というより、むしろ独 自の宗教色を示しているといえる。

本作に登場する聖杯騎士団やクンドリやクリングゾル、聖杯(グラール)と聖槍(ロンギヌスの槍)など各モチーフについても、多義的な象徴性を持っていて、 さまざまな解釈がある。とくに、最後を締めくくる「救済者に救済を!」という言葉は逆説的で、議論・研究の的ともなってきた。具体的には、本作で救済され るのは、アンフォルタスとクンドリ、それに聖騎士団ということになろうが、アンフォルタスらは聖杯の「守護者」ではあっても「救済者」とはいえない。では 「救済者」とは、彼らを救済したパルジファルのことであろうか、それとも、イエスその人であろうか、はたまた作曲者のワーグナー自身であろうか、といった 様々な解釈が考えられる。また、「救済」そのものについても、各種の説がある。例えば、救済ですべてが解決するのではなく、救済者もまたいずれ救済を必要 とするようになるという「運命論」的考え方もある。

ワーグナーは、キリスト教の起源はインドにあり、この純粋な「共苦」(Mitleid)の宗教をユダヤ教が「接ぎ木」をして歪めたという問題意識を持って いた。 後にハルムート・ツェリンスキーは制作当時の彼の書簡や日記を丹念に分析し、この「救済者」とはキリスト(教)のことであり、救済とはキリスト教に加味さ れた不純なユダヤ的要素を祓い清めることを意味していた、と結論づけた。 いずれにせよ、音楽、文学、神話、宗教、哲学、民族などについての幅広いワーグナーの思索活動が、広範で多層的な解釈を呼び起こしているのである。



影響
フランスの作家ジュリアン・グラック(Julien Gracq, 1910年 - 2007年)はこの作品に触発されて小説『アルゴールの城にて』(Au château d'Argol, 1938年)と戯曲『漁夫王』(Le roi Pêcheur, 1948年)を書いた[15]。



書誌
一次情報源
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Richard Wagner, Parsifal, facsimile of the composer's autograph, München (Dreimasken Verlag) 1925.
Richard Wagner, Parsifal, WWV 111, critical edition, edd. Martin Geck & Egon Voss, Mainz (Schott) 1978.
二次文学
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Theodor W. Adorno, Zur Partitur des Parsifal, in: Theodor W. Adorno, Gesammelte Schriften, vol. 17, Frankfurt (Suhrkamp) 1982, pp. 47-51.
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Hans-Joachim Bauer, Wagners »Parsifal«. Kriterien der Kompositionstechnik, München / Salzburg (Katzbichler) 1977.
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Dieter Borchmeyer/Jörg Salaquarda (ed.), Nietzsche und Wagner. Stationen einer epochalen Begegnung, Frankfurt/Leipzig (Insel) 1994.
Dieter Borchmeyer, Richard Wagner. Ahasvers Wandlungen, Frankfurt/Leipzig (Insel) 2002.
Jacques Chailley, »Parsifal« de Richard Wagner: opéra initiatique, Paris (Buchet/Chastel) 1986.
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Carl Dahlhaus, Wagners Konzeption des musikalischen Dramas, Regensburg (Bosse) 1971, 2München/Kassel (dtv/Bärenreiter) 1990.
Sven Friedrich, Das auratische Kunstwerk. Zur Ästhetik von Richard Wagners Musiktheater-Utopie, Tübingen (Niemeyer) 1996.
Sven Friedrich, Richard Wagner, Deutung und Wirkung. Königshausen & Neumann, Würzburg 2004, ISBN 3-8260-2851-1.
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Claus-Steffen Mahnkopf (ed.): Richard Wagner, Konstrukteur der Moderne. Klett-Cotta, Stuttgart 1999, ISBN 3-608-91979-1.
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