かならずよんで ね!

宗教と社会生活

Religion and Social Life

池田光穂

宗 教・儀礼が、いずれも地域社会に暮らす住民の生存 活動と結びついていることは言うまでもない。人びとは、より豊かな生活と無病息災を願って儀礼をおこなう。人と人の争いを避け、災いを防ぎ、幸福を増進さ せて平和に暮らすこと。それはいかなる社会でも共通の願いである。このような、共同体の福利を向上させ、危機的状況を回避するための儀礼は「強化儀礼」 (rites of intensification)とよばれる。それは地域社会の一年の季節サイクルの特定の時期におこなわれるので、年中行事ともよばれることもある。

宗 教・儀礼は、もちろん個人、家族、コミュニティの いずれのレベルにおいてもおこなわれるが、地域社会の宗教・儀礼の見逃すことのできない特徴の一つは、それが地域の社会関係、社会構成、交際関係のありか たと、密接な対応関係の存在することである。この問題は、それぞれの地域文化において、霊的存在をどのように考え、どのように位置づけるかという問題とも 大きなかかわりがある。

宗 教と社会生活のかかわりにおいて最も関心を集めら れてきた問題は、おそらく祖先崇拝(ancestor worship)であろう。祖先崇拝とは、共通の祖先に対して同じ系譜を辿ると信じている集団の現存メンバーが、その霊を祀る行動を意味する。いかなる系 統の祖先をどの範囲の子孫がどのように崇拝するかについては大きな変差があるが、一般に父方の祖先を祀るのは父系出自(patrilineal descent)、母方の系統の祖先を祀るの母系出自(matrilineal descent)、その両方の祖先を祀るのは二重出自(double descent)、父方の祖父母の系統にも母方の祖父母の系統の祖先に性差の別な出自を辿るのは双系出自(cognic descent)と呼ばれる。このような出自原理は固有の祖先観に結びついているだけでなく、土地所有、財産相続、地位継承、血縁概念、集団の成員権、地 域集団構成、婚姻関係、政治組織など、社会生活全体の構成と密接なつながりがある。

この問題は、アフリカのタレンシ族を調査したフォー テス(M.Fortes)(17)、ティブ族を調査したボハナン(P.Bohannan)、ヌエル族を調査したエバンズ=プリチャード(18)、オセアニ アのティコピア島民を調査したファースなど、イギリスの機能主義人類学者によって展開されてきたテーマであった。その後、メラネシアのクワイオ族の研究を おこなってきたロジャー・キージング(R.M.Keesing)など多数の人類学者の関心を惹いてきた。祖先崇拝はもちろんアフリカやオセアニアだけでな く、中国、韓国、日本を含む東アジアなどでも重要な社会組織原理となっている。

わが国の場合、「家」と家連合(同族)が祖先崇拝の 単位であり、家族・親族論の問題としても注目されてきた。たとえば、高度経済成長期の1960年代にわが国で調査したスミス(R.Smith)は、直系で 継承されてきた伝統的なイエの祖先崇拝が、夫婦単位でその双方の(bilateral)近い祖先のみを祀る形態に変化しつつあることを明らかにした (19)。わが国の祖先崇拝のあり方そのものも、生活構造の変化と無関係ではありえないのである。

理論的立場がどうであれ、こうした問題は今後の生活 文化論を展開してゆくうえでも重要である。家族、近隣関係、親族関係、友人関係、地域社会間の関係、コミュニティ構成など、広く社会生活や生活構造にかか わる諸問題は、すなわち、地域社会の世界観や宗教・儀礼の問題であるばかりか、そうした日常生活そのものが文化的に構成された世界の中での営みなのである ことに留意する必要がある。その際、人間の生命と日常経験のレベルを社会につなぐ、新たな知的枠組に照射しなおす作業が必要になろう。

●フェミニスト人類学者からの批判

1.宗教における女性の周縁化と不可視化(=記述の なかに重要視されなかったり描かれなかったりする)はどうしておこるのか?

2.男性中心的な宗教の解釈や、価値観を疑う視点の 導入

3.宗教が、ジェンダーを基軸にして、分割されてい ることに自覚的になること。

4.ジェンダーの区分による倫理規範を文化相対的に 受け入れるのではなく、なぜそのような倫理的にコード化されるのかを疑う。

5.ジェンダー批判の内部の中での多様化に対して、 きちんと立ち位置をしめし、論争に立ち向かう。

●エスノグラフィーという複雑な物語

「『ママ・ロラ』は、アメリカのドゥルー大学で教鞭 をとり、2015年に亡くなった、白人の女性 人類学者であるカレン・マカーシー・ブラウンによる、ハイチからニューヨークに移民した、ママ・ ロラと呼ばれるヴードゥーの女性司祭の「民族誌的なスピリチユアル・バイオグラフィー」である。 1991年に出版されたこの書は、10年後の2001年に新しく書き下ろされた序文をつけて再版 された。その後マカーシー・ブラウンは、急激に進行する認知症を患い、研究の場を退くことになる。 そのため、2010年に同僚のクローディン・ミシェルの手による、この本の重要性を改めて評価す る序文を付け加えて、再び出版された。ミシェルは、『ママ・ロラ』は、宗教、人種、文化、ディア スポラ・トランスナショナリズム、階級、ジェンダー 、セクシユアリティなどの相互関係を論じた、 フェミニスト研究と宗教学と人類学のすべての分野を横断するエポック的なテキストである、と述べ ている(Michel 2010:ix)。/ マカーシー・ブラウン・ブラウン自身は2001年の序文で、長期にわたるママ・ロ ラとの交流の中で、彼女が理解していると思っていたママ・ロラとの関係性の聞い直しを迫られたこ とを告白している。そしてこの経験は、民族誌に描かれる当事者の女性の声とそれを記述する研究者 の側の語る権威の問題と密接に関わっているのである。/ マカーシー・ブラウンは、『ママ・ロラ』を書き始めた当初から、彼女のエスノグラフィーの中で 語るのは誰で、そしてそれはどの視座からなのか、の問いを抱えていたという。当時アメリカではジェイムズ・クリフォードとジョージ・マーカスの「文化を書 く』に代表されるポストモダン・エスノグ ラフィーが強い影響力を持っていた。よく知られているように、ジエイムズ・クリフォードとジョー ジ・マーカス編の「文化を書く」(Clliford and Marcus eds. 1986)は、人類学の実践を脱植民地化するた めの反省を促す大きな問題提起であり、「民族誌的権威の分散」という現象を引き起こした。エスノグラフィー を人類学者の占有物と見なすことは、もはや不可能になったのである(太田 2009)。当時 を振り返って、彼女にはママ・ロラを搾取することも捻じ曲げることも破壊することもないような語りを描くことは不可能に思えた、と述べている (MaCarthy Brown 2010:xxxiii-xxxiv)。/ 彼女のエスノグラフィーは出版後大きな賞賛を受け、ポストモダン民族誌とフェミニスト民族誌の 代表作の一つと見なされるようになっていた。だが、マカーシー・ブラウンは、ママ・ロラの多彩で 流動的な活動の語りをエスノグラファーとして書き込み形作っていく作業の困難を自覚していくこと になる。彼女は、自分の役割を、本を生み出すプロセスの単なる「産婆的」介在であるとは思ってい なかった。なぜなら、ママ・ロラの人生の中から個別の声を選び取り、その意義を明確化して一つの 語りとして編んだのはマカーシー・ブラウンであったからだ。本が有名になるにつれ、ママ・ロラが 彼女の本を「私の本(my book)と呼び、マカーシー・ブラウンをママ・ロラの物語の単なる収集家// のように他人に紹介し始めた時、マカーシー・ブラウンはある種の居心地の悪さを感じ始める。ため らいつつもマカーシー・ブラウンはママ・ロラに、「私たち二人が関与した本なのだから『私たちの 本(our book)』と呼ぶことにしない?」と告げることになる。その時、ママ・ロラは彼女の思いを 瞬時に汲み取り、その後は「私たちの本」と呼ぶようになった、とマカーシー・ブラウンは記してい る(MaCarthy Brown 2010:xxxvi-xxxvii)。/ 『ママ・ロラ』が示すように、エスノグラフィーは書く作業が終了すれば完結するのではなく、フィー ルドの女性たちとエスノグラファーとの関係性は未来に向けて聞かれている。……クリフォードとマーカスの 『文化を書く』を、フェミニスト的批判を通して改訂することを試みた『文化を書く女 性」の編者の一人のデボラ・ゴードンは、民族誌の書き方について、「誰が読み、誰が書き、何の目 的でどのような効果をもたらすのか」の問いを再考する必要性を説いている(Gordon 1995:386)。特 に女性を研究対象とするフェミニスト・エスノグラファーにとっては、自分がどのような立場から、 誰に向けて、何のために語っているのか、熟考することが求められる。自分が誰のためにどの位置か ら書き、そしてそれを誰とどこでどのように読んでいくのか、が問われるのである」(川橋 2016:32-34)

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