リミックスカルチャー
Remix culture
■リミックス・カルチャー
Remix culture, sometimes read-write culture, is a society that allows and encourages derivative works by combining or editing existing materials to produce a new creative work or product.[2][3] A remix culture would be, by default, permissive of efforts to improve upon, change, integrate, or otherwise remix the work of copyright holders. While a common practice of artists of all domains throughout human history,[4] the grow of exclusive copyright restrictions in the last several decades limits this practice more and more by the legal chilling effect.[5] As reaction Harvard law professor Lawrence Lessig, who considers remixing a desirable concept for human creativity, works since the early 2000s[6][7] on a transfer of the remixing concept into the digital age. Lessig founded the Creative Commons in 2001 which released Licenses as tools to enable remix culture again, as remixing is legally prevented by the default exclusive copyright regime applied currently on intellectual property. Remix culture
リミックス文化(時には読み書き(=リード&ライト)文化)とは、既存の素材を組み合わせたり編集したりして、新しい創造的な作品や製品を生み出す二次創作を許容
し、奨励する社会のことである[2][3]。リミックス文化は、デフォルトでは、著作権者の作品を改良、変更、統合、あるいはその他の方法でリミックスす
る努力を許容するものである。人類の歴史を通じて、あらゆる領域のアーティストが一般的に行ってきたことではあるが[4]、ここ数十年の排他的な著作権制限の拡大は、法的な冷やかし効果によって、この実践をますます制
限している[5]。
反動として、ハーバード大学の法学教授であるローレンス・レッシグは、リミックスを人間の創造性にとって望ましい概念であると考えており、2000年代初
頭から[6][7]、リミックスの概念をデジタル時代に移行させることに取り組んでいる。レッシグは2001年にクリエイティブ・コモンズを設立し、リ
ミックス文化を再び可能にするためのツールとしてライセンスをリリースした(→「ロー
レンス・レッシグ『CODE』と『コモンズ』について考える」「インターネット・ト
ラップ」)。
コピー・ライトからパブリック・ドメインのグラデーション(Creative Commons)
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なお、コモンズの原著, The future of ideas : the fate of the commons in a connected world, 2002 の原文はインターネットでpdfで提供されてい る。
Preface
1: “Free”
PART I: DOT.COMMONS
2: Building Blocks: “Commons” and “Layers”
The Commons
Layers
3: Commons on the Wires
4: Commons Among the Wired
5: Commons, Wire-less
6: Commons Lessons
PART II: DOT.CONTRAST
7: Creativity in Real Space
Creativity in the Dark Ages
The Arts
CONTENT
PHYSICAL
CODE
Commerce
CODING
MARKETS
8: Innovation from the Internet
New Products from the Net
HTML Books
MP3
Film
Lyric Servers and Culture Databases
New Markets
New Means of Distribution
My.MP3
Napster
New Demand
New Participation: P2P
PART III: DOT.CONTROL
9: Old vs. New
10: Controlling the Wires (and Hence the Code Layer)
The End-to-End in Telephones
Fat Pipe
AT&T Cable
11: Controlling the Wired (and Hence the Content Layer)
Increasing Control
Copyright Bots
CPHack
DeCSS
iCraveTV
MP3
Napster
Eldred
Consequences of Control
12: Controlling Wire-less (and Hence the Physical Layer)
13: What’s Happening Here?
14: Alt. Commons
The Physical Layer
Free Spectrum
Free Highways
The Code Layer
Neutral Platforms
The Content Layer
Copyright
FIVE -YEAR RENEWABLE TERMS
SOFTWARE COPYRIGHT
PROTECTING INNOVATION
PROTECTING MUSIC
REBUILDING THE CREATIVE COMMONS
LIMITS ON CODE
LIMITS ON CONTRACT
LIMIT COMMERCIAL EXPLOITATION
Patents
MORATORIUM
DAMAGES
REFORM
15: What Orrin Understands
Notes
Index
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法政大学 社会学部の白田 秀彰 (Shirata Hideaki)先生のリンク先のページには、いろいろ示唆的なことが書いてある(現在リンク切れ)。
このページは、そこから引用することで、その白田先生の批判的精神を受け継ぐものである。(垂水源之介敬白)
■ネットワークは「公共」の問題である
p. 62 「ネットワーク設計の原理が、公共政策の問題にそんなに影響があるとは、 なかなか思えないかもしれない」
■
p. 62 「システムがどう設計されるかは、 そのシステムが可能にする自由やコントロールに影響する。 そしてインターネットがどう設計されたかは、 それが可能にした自由やコントロールに密接に影響した」
■
p. 62 「インターネット上で花開くイノベーションの源泉を理解するには、 インターネットのもともとの設計についてある程度理解が必要だということだ。 そしてさらに重要なこととして、このもとのアーキテクチャに対する変更が、 ここでのイノベーションの範囲にも影響を与えかねないということを理解しなければ ならない」(→イノベーション・デザイン)
■
p. 66 「技術的には、もし何か中央集権化したコントロール地点を持っていたら、 それはすぐにボトルネックになってウェブの成長を制約し、 ウェブがスケールアップすることはないだろう」
■
p. 67 「賢い、インテリジェントなネットワークは、 ある種の利用者には最適化されるけれど、でもそれが高度化されているが故に、 最初は想定していなかった別のまたは新しい利用者を拒んでしまう」
■
p. 69 「特に未来がよくわからないとき...不確実性の世界においては可塑性... が最適なのだ」
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p. 86 「これらのコモンズのそれぞれが可能になったのは、... ある特定の文化のおかげもある。つまり、まずこの世界を定義づけた規範と、 コードの持つ性質との利用法がある。本性での私のねらいは... コンテンツ層で自由の層を作り出したかをみることだ」
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pp. 113, 114 「オープンソースプロジェクトは競合システムをつぶしたりできない。 競合システムは、自由にそのオープンソースシステムを持っていって反撃できる。 つまりオープンソースプロジェクトのソースコードは、 プロジェクトの権力にチェックを入れることになる。 そのプラットホーム用に書かれる何かを排除する形で戦略的に振舞うというプロジェ クトの力を制限するものだ」
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「これはコードにもたらされた民主主義だ。オープンコードのシステムは、 利用者の意思からあまり逸脱することができない。...そしてこれはつまり、 プラットホームは自分自身に対して戦略的に行動できないということだ」
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p. 115 「リチャード・ストールマンが述べたように、 「われわれは実際にフリーソフトをたくさん開発している。 もし理論がそんなことはありえないと述べているなら、 その理論のほうに間違いを探すべきだ」。 こうしたコード書きが行われているという事実は、 コード作者たちがまったく別の理由でオープンコードプロジェクトに参加しているに ちがいないということだ。この現実はつまり、 個人がコードを書くインセンティブとして、 コードをコントロールする力は必要ないということだ」
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p. 124 「現代民主主義の鉄則として、規制者をつくったら、 その規制者は影響を及ぼすべき標的となって、影響をおよぼすべき標的ができたら、 影響力を一番与えやすい立場にいるものは、その標的に圧力を集中する」
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p. 125 「その物理的な特性のため、無線はほかの情報伝達手段とはちがって、 政府によって規制し割り当てられなくてはならない。さもなければ混乱が生じて、 無線の有用性の相当部分が失われてしまうからだ」
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pp. 142--143 「わたしたちの法的ドクトリンは、 ある種の財産は排他的な形で個人の手に握られるべきではなく、 公共に解放されるべきだと強く示唆はしているけれど、 いまわれわれが生きている時代の支配的な見方は、 「全世界は民間所有者に分割されたときに最高の管理が行われる」というものだ。」
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p. 146 「リソースにはっきりした用途があるなら、... そのリソースが確実にその最高最良の使われ方に供されるようにすることだ。 この目的を達成するには財産システムを使える。... でもリソースの使い方にはっきりしたオプションがなければ... それをコモンズに残しておく理由が大きくなる。そうすれば... それをコモンズに残しておく理由が大きくなる。... リソースの使われ方がわからないというのは、 それを多くの人に提供する理由として優れている。」
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p. 149 「プラットホームが中立的なままなら、 合理的な企業は自分の選んだ道から利益を絞りつづけるけど、 競合他社はそのプラットホームを使ってまったくちがったビジネスモデルに賭ける機 会が確実に得られる。」
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p. 150 「つまりなにか独占権限をもっている企業や個人 --- は、 新技術が社会的価値を増やすかもしれないことを十分に理解している。 でも巨人はまた、 自分がこの社会的価値の増加を自分が手にする方法がないことも認識している。 増加分を入手できないし、また自分のレントを失うことがわかっているので、 悪意ある巨人は自分の力を温存する手段として、 この技術的変化に抵抗するように動く。」
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p. 152 「抗議が行われる場所 --- 市の公会堂や市の市場、 あるいはアメリカ憲法修正第一条項のことばを借りれば、公開フォーラム --- へのアクセスは一人に公開されるのであれば万人に公開され、 あるいは平等な条件で公開される。ここでは、 市場によるコントロールは許されていない。」
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p. 154 「[1] もし自然がその他すべてのものに比べて排他的財産権の対象となりにくいものを作っ たとすれば、それはアイデアと呼ばれる思考力の行いである。これは、 その人が自分一人で黙っている限り、独占的に保持できる。 でもそれが明かされた瞬間に、それはどうしても万人の所有へと向かってしまう。 そして受け手はそれを所有しなくなることはできない。[2] またその特異な性格として、他のみんながその全体を持っているからといって、 誰一人その保有分が少なくなるわけではないということだ。 私からアイデアを受け取ったものは、その考え方を受け取るけれど、 それで私の考え方が少なくなったりしない。 それは私のろうそくから自分のろうそくに火をつけた者が、 私の明かりを減らすことなく明かりを受け取ることができるようなものだ。[3] 人類の道徳と相互の叡智のために、そして人間の条件の改善のために、 アイデアが人から人へと世界中に自由に伝わるということは、 自然によって特に善意を持って設計されたようで、それは火と同じく、 あらゆる空間に広がることができて、しかもどの点でもその密度は衰えることがない。 またわれわれが呼吸し、その中を動き回り、 物理的存在をその中に置いている空気と同じく、 閉ざすことも排他的な占有も不可能になっている。[4] つまり発明は自然のなかにおいては、財産権の対象とはなりえない。」
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pp. 155, 156 「ジェファソンは特許による保護に反対していたわけではない。かれはむしろ、 特許保護がなにやら自然権だという発想に対して反対して議論を展開していたのだ。」
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pp. 155, 156 「だから法体系、あるいは社会一般は、 リソースの種類ごとにコントロールの種類も調整するように注意する必要がある。 なんでもかんでもいっしょくたではすまない。」
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pp. 169--170 「最初の著作権法は、「地図、海図、書籍」の作者に、 そうした作品の出版と販売をコントロールする独占権を与えたけど、 でもそれはその作品が「公刊」されて、著作権登録に登記され、 そしてその著者がアメリカ人の場合だけだった (いまアメリカは中国の著作権無視に えらい剣幕だけれど、 1891年以前には外国人の著作権はア メリカでは保護されていなかったことを忘れちゃ いけない。アメリカは生まれながらの海賊国だったのだ)。」
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p. 174 「こうした「妥協」は著作権保持者に、補償をうけられる保証を与える一方で、 著作権保持者に作品について完全なコントロールは与えない。 現代の法と経済学の用語で言えば、こうしたルールは作者を「財産ルール」ではなく 「損害賠償ルール」で保護しようとする。」
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p. 218 「ソ連東欧の失敗の教訓は、 国家コントロールによるイノベーションは失敗するということだ。 クリステンセンらの教えてくれる教訓は、 市場でもっとも成功した企業のコントロールするイノベーションは、 新しい形の創造性に対しては体系的に目を背けるということだ。これはまた、 インターネットの教えてくれる教訓でもある。」
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p. 224 「完全な市場信奉者であれば、 こうしたアクターたちはソヴェトたちとはちがった振る舞いをすると想定する。 かれらは、巨大企業の指導者たちは企業全体で賭けに出て、 まったくちがった企業になろうとする、と想定する。」
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p. 227 「差別できないということを、わたしはもとのネット設計の特徴だと呼んだ。 でも多くの人にとって --- 特にインターネットと呼ばれるネットワークの未来を作っている人々にとっては --- この「機能」はバグだ。差別する力こそがますます常態となりはじめている。目標は、 差別のできるネットを構築することだ。」
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p. 229 「つまり、インターネットサービスに対する需要に応えて電話会社ができることは、 いくらでもあったのだ。でも電話会社はこの手のことをやらなかった。 それが許可されていなかったからだ。なぜかといえば、 規制当局がそれを止めていたからだ。... 重要なポイントは、 中立性を保存して守ることだった。」
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p. 239 「DSLには閉じたネットワークを作るオプションはない。 DSLは電話会社が導入するものだ。電話会社(ここでは地域の電話会社のこと)は、 オープンになるよう規制されている。つまり電話会社はISPたちに、 電話会社の回線上でDSLネットワークを動かす権利を与えなくてはならないというこ とだ。ということは、電話会社のネットワークは、 自分で回線上で提供されているインターネットサービスについて、 特に力を行使できないということになる。」
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p. 247 「破壊的な技術が登場したら、 既得権益者の力をその技術に対する権限に拡張しないほうがいいかもしれない、 ということだ。だからといって、新技術が旧技術をつぶしていい、 少なくとも無料でつぶしていいということにはならない。」
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pp. 249--250 「閉じたネットワークは、イノベーション全般に対して外部性を作り出す。 それはあらゆる新しいイノベーションにライセンスを供与しなくてはならない参加者 の数を増やすことで、イノベーションのコストを増やしてしまう。そのコストは、 消費者が直接負担するものではない。長期的にはもちろん、それがコストなら、 消費者が負担することにはなるだろう。でも短期的には、 消費者はクローズドなモデルがつぶしてしまっているイノベーションには気がつかな い。」
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p. 250 「電気通信史上、 クローズドになったネットワークが自発的にオープンに変わった例は一つもないとい う観察も、疑問を抱くべき理由の一つだ。」
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p. 255 「ここにある危険は、経済学者なら垂直統合の危険と呼ぶものだ --- つまり一つのプロバイダが、私の説明した層 --- コンテンツ、論理、物理 --- の全てのサービスをコントロールする、という危険性だ。」
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p. 258 「つまりエンドの選択の自由を残しておくと、かれらにとっては、 インターネットの規範が自由だったところでコントロールを選ぶ機会を作り出すこと になる。そしてコントロールは、 コントロールすることがエンドの利益になる場合に実行される。 エンドとしてアクセス制限が有効なら、エンドとして差別化が有用なら、 エンドは他の人々への影響はおかまいなしに、制限して差別化するだろう。」
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p. 265 「インターネットの名前空間(IPv4)は現在アップグレードの過程にある(IPv6へ)。 これだとほとんど無限のアドレス数が持てるし、NATの必要もなくなる。 無限のアドレス空間があれば、アドレスを「温存」する技術はよくても不要になる。 だから、 ネットの技術を開発している技術者たちにこの高い調整コストを負わせるよりも、 名前空間を増したほうが妥協のそもそもの理由を排除できることになる。」
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p. 266 「大事なのは利用者の自立性を維持することだ。 危険なのはその自立性をつぶすかもしれない技術だ。」
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p. 274 「創造性というものがそれ以前の創造性にいかに依存しているかを明らかにしてくれ る。つまりどちらも、 イノベーションというのが他人の仕事に何かを追加することだと示してくれる。」
「新世代とは、インターネットというプラットホームを、 コンテンツの制作配信の新しい機会として考え、 ネット上のコンテンツをもっとも優れた新しいコンテンツづくりのリソースとしてみ る人々のことだ。」
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p. 275 「1996年に、議会は通信品位法(CDA)を可決することで実際に対応した。 そのねらいはサイバー空間での「不適切なコンテンツ」 から子供たちを守ることだった。」
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p. 277 「本当の危険は、 著作権つき材料があまりに完璧にコントロールされてしまうということだ。 技術的に可能で開発されつつある技術は、 コンテンツ所有者に著作権法がまったく意図していないほどのコントロール能力を与 えてしまうということだ。」
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p. 282 「著作権益の持ち主は、コンテンツが「盗まれる」 ことを目の色を変えて心配するけれど、でももう一つ、 利用可能性がもっと完全にコントロールされるという点も見失ってはいけない。... 現実空間では認められていた活動(法がそれを保護しているからか、 あるいはそれを追跡するコストが高すぎるために認められていた) がサイバー空間にますます移行するにつれて、 その活動に対するコントロールは増してきた。」
「これは著作権保護が不完全だという図式ではない。 これは著作権コントロールの暴走だ。 何百万人もが生活をサイバー空間に移すにつれて、著作権保持者が「自分の」 コンテンツをモニタして取り締まる能力は高まる一方だ。これは結果として、 著作権保持者の利益にはなるけれど、でも社会にはどんな利益がもたらされて、 一般ユーザーにはどんなコストが課せられるんだろうか? 全ての利用にライセンスが要るようになったら進歩なのか? コントロールを増大するのが進歩なのか?」
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p. 286 「マテルのいう「契約」というのは、今日のソフトのほとんどについてくる、 シュリンクラップ式のライセンスだ。サイバーパトロールをインストールすると、 あなたはそのライセンスに書いてあることすべてに同意したことになる。 こうしたライセンスが一般的に強制可能かはむずしかしい問題だ。」
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p. 287 「著作権の歴史のうち、最初の二世紀は検閲の二世紀だった。 著作権は検閲者のツールだった。印刷できるものは、 認可を受けた印刷所の印刷したものだけだった。そして認可を受けられる印刷所は、 王室に協力的なところだけだった。」
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p. 290 「コードが言論を検閲していることを実証するためにコードをクラックするのがフェ アユースでないなら、この世の何がフェアユースだというのだ。」
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p. 294 「ある国の誰かが、 どこまで別の国の法律によって負担を強いられなければならないのか?」
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p. 303 「エルドレッドの主張は単純だった。憲法は、議会が著者に独占権を「限られた期間」 与えることを許している。ということは起草者たちは、 明らかにその独占権がいつか終わることを意図していたわけだ。 議会が永続的に著作権を延長する力を認めることは、 その明示された制限のねらいを反故にするものだ。」
「かれはまた、修正第一条に基づく議論も提起している。憲法修正第一条は、 議会 は 「言論や出版の自由を損なうような(中略)法を作ってはならない」と述べている。 著作権は、エリック・エルドレッドのHTML出版を明らかに制限している。」
「最高裁判所は、両者がどう共存するかを説明した。... 著作権法の提供するインセンティブのために、 著作権法なしでは作られなかったような作品も作られる。つまり著作権法は、 言論を増やすとともに制限する。そしてうまくバランスのとれた著作権法は、 少なくとも原理的には、制限するよりも増やす。」
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p. 307 「インターネットが著作権法に対して提示するショックへの対応として、 もちろん盗難の危険増大について考慮するのは重要だ。でも法は、 この盗難リスク増大への適切な対応が、 著作権法のもとで伝統的に保護されてきた各種のアクセス権や利用権を消したりしな いよう、バランスを確立する必要がある。」
「アーティストには報酬があるべきだ。でもかれらが報酬を得る権利は、 新産業におけるイノベーションの発達をコントロールする業界の権利にすり替えられ てはならない。」
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pp. 308--309 「つまりこの業界は、新しいイノベーションの拒否権を要求していて、 そしてその拒否権の後ろ盾として法を持ち出そうとしている。」
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pp. 308--309 「議会は、 古い力が新しいもののイノベーションを踏みにじらないようにする役割を果たせる。」
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p. 314 「特許は政府規制の一種だ。それは国のみとめた独占で、「発明家」に対して便利で、 新規性があり、自明でない発明に対する排他的な権利を与える。」
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pp. 317--318 「最高裁は、特許法の解釈の当初から特許が自然権ではないことを確認してきた。 だから特許権の範囲は、議会が認めた期間しか続かない。そして議会は、 独占を延長することで何か便益が得られると考える理由があるときにのみその期間を 延長すべきである。」
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p. 324 「われわれのほとんどは、特許が規制の一種だとは考えない。ほとんどの人は、 特許というのがわたしの車と同じ意味での財産だと考える。」
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p. 321 「これらの事例すべてで、独占を認める機関が尋ねた質問はたった一つ : この種の 「発明」は、特許の対象となるほかのものと十分に似ているだろうか? もしそうなら、特許はこの分野のイノベーションにも与えられる。 でも経済学者なら、たぶんかなりちがった質問をするだろう。 特許がイノベーションを喚起することははっきりしているけれど、 イノベーションの一部の分野では、 特許は益よりも害をなすかもしれないというのも明らかだ。 イノベーションのインセンティブを高める一方で、 特許はイノベーションのコストも引き上げる。そしてコストが便益を上回るなら、 特許は意味がない。」
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p. 323 「で、このすさまじい規制方針の変化を正当化するような政策分析は、 いったいどこにあるんでしょうか?」
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p. 325 「[特許と著作権の分野では]、 物質的なモノに対して発展してきたような形での財産概念を盲目的に適用することが、 独占の成長を後押しするのに大きな役割を果たしたのは間違いなく、 そして競争がうまく働くようにするためには、 この分野で大幅な改革が必要なのはまちがいないと思われる。」
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p. 326 「そしてアメリカ特許制度の拡大の害は、 アメリカ人よりも外国人発明家にとって大きい(アメリカの法律事務所を雇うなら、 外国からやるより現地にいたほうが簡単だ)。 だから特許保護の拡大は競争の場を小規模非アメリカ発明家から、 大規模なアメリカ発明家に有利なように動かしてしまう。」
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p. 329 「数々の拒否権保持者たちによる戦略的振る舞いの可能性のため、 イノベータとしてはあるアイデアを発展させるのは不合理となる。 ちょうど多くの官僚による拒否の可能性が、 ある不動産の開発を止めてしまうように。」
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p. 331 「政府支援の独占が役に立つと考えるべきまともな理由がなければ、 政府支援の独占を作るべきまともな理由もない。」
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p. 338 「政府が言論リソースを周波数帯のように割り当てるとき、 その決定はきちんと定義された基準に照らされる ... もし法廷がいまその質問を検討したら、 周波数帯割り当てのFCC方式はまったく問題がないという結論になるのはまちがいな い、と思う。でもそう判断されるのは、 その代替案がまだ開発されていないか理解されていないからだ。」
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p. 362 「知的財産の文脈では、全般的な問題がもう一つの盲目性によって拡大している。 それは、知的財産を財産として考えることからくるまちがいだ。 知的財産法が保護する権利の性質を単純化することで、 それを車や住宅のようなふつうの財産と同じ財産として語ることで、 われわれの思考はあるきわめて特定の方向へと導かれる。財産として見ると、 知的財産を強化する議論は果てしなく増え、その増大に抵抗する議論はますます減る。 これは陰謀じゃない。これは文化的な盲目性だ。われわれは、 知的財産の性質についてアメリカ憲法起草者たちが知っていたことを忘れてしまい、 そしてそのために、 起草者たちが知的財産保護に対して持っていたバランス感覚を失ってしまった。」
■国(政府)の役割は健全な資本主義的な競争環境をつくることなのだ
p. 372 「国が果たす役割はボトルネックが市場支配力行使のための機会とならないようにす ることだ。国は競争者として振舞うインセンティブのある、競争的な環境を作る。」
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p. 374 「政府はオープンコードの開発を奨励すべきだ」
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p. 375 「政府はインターネット空間の大プレーヤーがだれも、 戦略的な振る舞いを強化する形でインターネット空間を造りあげないようにするべき だ。」
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p. 376 「政府がこの役割を実現できる一番いい方法は? 歴史的には一番有効な戦略は参入禁止だった。たとえば政府が、 電話会社がコンピュータサービスを提供するゲームへの参入を禁止すると、 電話会社はコンピュータサービスの各種提供者の間でゲームを演じることにまるで関 心を持たなかった。」
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p. 377 「規制当局は中立性とエンド・ツー・ エンドの面からネットワークへの変化を評価し始めるべきだ。われわれは、 コントロールと中立性のトレードオフについてはっきりと考察を始めるべきだ。」
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p. 378 「われわれが文化として捉え直すべき中核的発想は、 コンテンツに対するコントロールは完全であってはならないということだ。 アイデアと表現は、ある程度はフリーでなければならない。 それがそもそもの著作権法のねらいだった ... 技術は法と結びついて、 いまやコンテンツとその配信に対してほぼ完璧なコントロールを約束している。 そしてこの完全なコントロールこそがインターネットの約束するイノベーションの可 能性をつぶそうと脅かすものだ。」
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p. 381 「この著作権ブラックホールへの解決策は、著作権から便益を得る人々が、 国の支援する便益を保護するために自分で何か手段を講じるようにさせることだ。 そしてインターネットの時代には、このステップはきわめて簡単になる。」
「非公開作品はちがう。... だから私的で非公開のやりとりの場合には、 現在の保護がまったく理にかなっていると思う。 作者の一生プラス70年が自動的に認められ、登録や更新要件はない。」
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p. 384 「もし社会が、技術で得られる以上の保護をソフトウェア製作者に与えるのであれば、 その見返りがあるべきだ。そしてその一つは、 著作権執行後にソースコードにアクセスできるということだろう。 つまりソフトウェアは5年著作権を保護して、一回だけ更新できることにする。 でもその保護を提供するには、作者がそのソースコードを提出するのが条件だ。 それは著作権が保護されている間はエスクロウで保持される (つもり第三者機関が保存して政府も作者も勝手にいじれない)。 著作権が執行したらそのエスクロウコピーがアメリカ著作権オフィスのサーバで公開 され、入手可能になる。」
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p. 384 「議会はこの著作権法の反動的な性質を制限すべきだ。通常の場合は、 著作権保持者は著作権の強制にあたり被害を証明する必要はないけれど、 大幅な技術変化という状況では原告側は、 著作権保持者が特に被害にあわないということを示す機会を与えられるべきだ。」
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p. 386 「議会は同じような強制ライセンス方式を認めることで、 ファイル共有を推進すべきだ。」
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p. 387 「ある作品に著作権がなくなっているのに、著作権があると書いてあることだ。 たとえば楽譜出版社はパブリックドメイン入りした作品にも著作権表示をする。 この慣行は既存著作権法に違反している。著作権のないものに、 著作権があるというのは犯罪だ。」
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p. 388 「議会は、著作権保護システムを保護する法律はすべて、 そうしたシステムを著作権法の範囲を越えて保護してはならないとはっきり規定すべ きだ。つまり適切なフェアユースの余地を残したコード保護システムだけが、 議会の法の保護対象となる。」
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p. 389 「著作権法が設定するはずだったバランス以上の力を著作権保持者に与える州法は、 定めてはならない。こうしたものの中で、いちばん困ったものは 「統一コンピュータ情報交換法」またはUCITAと呼ばれるもので、 これがいま各州にひろがりつつある。...UCITAが売り手と消費者の間に確立するバラ ンスは、 法が著作権とコモンズとの間で確立しようとするバランスを保証するには適切ではな い。」
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p. 391 「作品がいったん公開されたら、 著作権保持者がそれを商業的に提供しつづけない限り、 他の人たちはその作品を活用する権利を得られるべきだ。」
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p. 392 「特にそれは、目下の特許権の拡張としてもっとも問題の多いもの --- ビジネスモデル特許とソフトウェア特許 --- を正当化するための経済研究を行うように要求されるべきだ。」
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リンク
文献
その他の情報