かならずよんで ね!

シニョール・シニョレッリの思い出

Memory of Signor Signorelli

池田光穂

フロイトの「想い出すというひとつの心的な機能が不 首尾をきたすという、実際にはさほど重要でもないありふれた単発的な事例」を検討する。

ど忘れの特徴は、単にそれが思い浮かばないだけでは なくて、それとは関係のない「間違ったことが」思い出されることである。そして、その間違ったことについて、多くの場合、ど忘れした本人は自覚している。

したがって、間違ったことは、思い出せないことがず らされてでてくることである。

フロイトの経験(1898年の論文)

1)オルヴィエトの大聖堂に、最後の審判の壮大なフ レスコ画を描いた巨匠の名前を思い出せなかった。

2)出てきたのは、ボッティチェッリやボルトラッフィオのほうだった。だが、それは間違いであることをフロイトは自覚している。

3)正しい答え(シニョレッリ)を教えられた時に、これもまた、即座にそれが正しいとわかった。

4)間違った答え、すなわち、ボルトラッフィオは、シニョレッリよりも「ミラノ派に属すること以外」あまり知らない名前であった。

5)その脈絡は、面識のない一人の男性と、ダルマチアのラグーサからヘルツェゴヴィナにゆく馬車のなかだった。

6)男性との話が、たまたま、イタリア旅行に及び、男性は「オルヴィエトにいらしたことがあるか?」と質問した。

7)その時にXXXXXが描いた有名なフレスコ画をみたことがあるかと質問した。

8)それに先立つ文脈のなかで、ボスニアとヘルツェゴヴィナに住んでいるトルコ人の風習について話していた。

9)このトルコ人のあいだで開業している医師から聞いたことを、この男に話していた。

10)トルコ人たちは、医師のいうことをよく聞き、運命に逆らおうとしない。

11)患者を救う手立てがないときにも、トルコ人はこう答える:「ヘル(Herr)=先生、仕方ないですよね。救いようがあるなら、先生が救ってくださることを知っています」と。

12)イタリア語のシニョールは、紳士や先生のことである。イタリアは思いだそうとした絵画の巨匠たちがいるところである。トルコ人がいう、ヘル(Herr)=先生は、ヘルツェゴヴィナと関連づけられる。

13)先生仕方がないですよね、はシニョレッリとここでようやく結びつく、それはひとつには、死とむすびついている。

14)他方、トルコ人は性的な快楽を無常のものとしている。そのため、性に障害がでると絶望にとらわれる。だが、それは、13)の死に従順なことと好対照をなす。

15)フロイトは実際に「あれ(=セックス)がだめなら、生きている甲斐がないですよ」を言われて思い出したが、馬車のなかで、男性にいうことは憚られたので、黙っていた。

16)他方、フロイトがトラフィに滞在している時に受け取った知らせが忘れられなかった。それは、フロイトがながく診ていた患者が、不治の性的障害で自らの命を絶ったことだ。

17)トラフィと、ボルトラッフィオに音の一致のあることは意識しており、その時に明確にフロイトは覚えてる。

18)ここまでくると、シニョレッリの名前を忘却したことには、それらの抑圧と関係していることを「想定」せざるをえない。

19)フロイトは、何かを忘れたかったのだ、という考えにいたる。つまり、抑圧があったことを自覚する。

20)それはオルヴィエトの壁画を描いた巨匠の名前を忘れることではない。別の何か、すなわち気にはしてるが言うことを憚られたほうを忘れようとして、もう一方の関係ないほうを忘れようとした。

21)関係のないほうといっても、まったく無関係ではなく、その音が意味するという点で、これらのど忘れは関係している。

22)抑圧の一方で、間違っているにも関わらず思い出されたのは、ボッティチェッリやボルトラッフィオである。そして、それらは、トルコ人がいるボスニアとヘルツェゴヴィナのことであり、ボスニアのボで関連づけられている。

23)この作業をなしているのは、動機を探し出し、それを意味の関連の中で位置付けることである。

24)抑圧されたものは、ただ、抑圧に甘んじているのではなく、機をねらって、いるのである

このように説明した後に、フロイトは3つの条件を示すのである。

1.名前そのものが忘れられやすい性格をもつ

2.その直前に押さえ込みのような経験がある

3.該当する名称(=ど忘れされたもの)とその直前に押さえ込まれたものの間には、表面的な連想がある。

ということである。

フロイトは、このことにより、われわれの心のメカニズムには「抑圧」が存在することを示唆するのである。

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