キュウリ猫を嚙む
Cucumber bits Cat
To carry out a dangerous or impractical plan - Netherlandish Proverbs
01 SNSで、時々面白いペット画像がシェアされてくる。その中でもわしが好きなのは、猫のずっこけドジ動画である。例えば、一生懸命、何 度も何度も、跳び移る見立てをした後で、一気にジャンプと思いきや『トムとジェリー』の猫のトムのように壁にぶつかり落ちてしまう。テレビのお天気情報番 組を「まったく違う角度」から熱心に鑑賞し、お天気キャスターの提示棒の先にあるボールと格闘する猫。画面の裏に回る彼奴(キャッツ)もいる。何気に振り 返ってみたときに、そこに存在する長細いもの(長細い瓜、糸瓜、胡瓜、蛇のように曲がりくねったベルトや太い紐)に驚愕して、逃げ惑う可哀想な猫。これら は、テレビ番組「世界猫歩き」のような、大自然や都会の中で、まったり、ゆったり、のびやかに、人間や他の動物たちと交流する猫とは、ちと違う。むしろ 「ドッキリカメラ」のように、無垢な人の驚くさまをゲラゲラ笑う経験と似ている。しかし同時に、なにか面白映像として茶化されている犠牲者に大変申し訳の 無いような気持ちにもさせる。わしらの心の中の、善良な天使と悪魔との葛藤をしめすような映像である。
02 さて、生命や大自然への愛好趣味は、バイオフィリア(biophilia)と言われる。バイオ=生命・生き物・自然、という用語にフィリ ア(愛好、趣味)という用語がついて造語されたものである。わしらの遺伝子のなかにそのような選好性をもつ性質や行動特性があると想定する仮説である。エ ドワード・ウィルソンという生物学者が、同名の書籍を発表して有名になった言葉だ。好きなことが遺伝子に組み込まれているならば、嫌な性向も遺伝子に組み 込まれているはずだというのが、バイオフォビア(biophobia)という仮説である。バイオ=生命・生き物・自然、という用語にフォビア(嫌悪、恐怖 症)という用語がついて造語された。特定の生き物(例:ヘビやクモなど)への嫌悪が、後天的に学ばれる以前に、人間や(他の)動物はそれらの生き物を「嫌 う」性質を先天的にもつのではないかと考えるのである。ヘビやサソリを恐れるさまを「蛇蝎(だかつ)のように嫌う」と表現するが、これは生き物が外敵から 身を守る生理的な防衛メカニズムから説明づけることができるかもしれない。
03 猫が振り返った時に、長細いキュウリに驚愕逃走する時、それはやはり外敵から身を守る正常な反応だと言えよう。わしらが子供の時には、街 道沿いの自動車の往来の激しいところには、猫や犬の屍体がよく転がっていた。しかし、最近はほとんど見かけない。野良犬が少なくなり、小型化しかつ座敷犬 化したので、犬の遭難が少なくなったのはよくわかる。しかし、リードに繋がれていない猫は、いくら座敷猫化が進んだと言えども、これではとても理屈づけら れぬ。自動車を嫌悪しそれを回避するような遺伝子が選択された結果なのだろうか。少なくとも、自動車に轢かれまいと機能する遺伝子の存在は、仮に仮説で あっても、猫類の福利と未来のためにも慶賀すべきことだ。
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