はじめによんでください
事実上の文化〈対〉規範としての文化
de
facto culture vs. de jure culture
池田光穂
・多文化主義は、多民族の共存をは
かるので、民主的でよく、それに反対するのは保守主義や右翼である、と単純に言えないのが、このページの趣旨である。
・なぜなら、多文化主義には「文化
というコンセプトの持つ抑圧性の自覚と反省のうえにたっていれば、多文化主義は現状改善のための有効な理念であるが、文
化の境界性を権力の側が勝手に設定してしまう承認を通した管理にすぎず、また「違いを尊重」する土俵を隠蔽してしまうことが問題視され」るからである
(ウィキ「多文化主義」)。
・藤川隆男(2011)は、端的
に、多文化主義は、ナショナリズムの変奏だという——ガッサン・ハージ「ホワイトネーション」のその主張の最右翼。
・1990年に、ハワイ大学の哲学
科の学生Joey
Carter(白人)が、ハワイでは非ハワイ人(ハオレ=日本語の「ガイジン」に相当する、haole)に対する逆差別があると学生新聞に投書した。これ
に対して、当時のハワイ研究センター長だった著名なハウナニ=ケイ・トラスク教授が、先住民がハオレに対する呼び方が気に入らないのなら、ハワイから出て
行けば——下記によるとルイジアナに戻れば——よろしいと物議をかもし、大学当局が「人種差別」とみなし、擁護する学生と教職員組合がキャンパスにおいて
抗議活動をおこなった(中村 2015:418-419)。
彼女(トラスク教授)の応答(一
部)は次のようなものであった。文章をみるかぎりカーター氏に出て行けというよりも、米国のハワイ統治への歴史的批判の
ニュアンスを伝えるほうに主眼が置かれている。
"This word is
one of the few surviving Hawaiian language descriptions
in common use in Hawai'i. And it has survived despite official
suppression of my Native Hawaiian language by an all-haole,
English-speaking American government in 1900. Indeed, Mr. Carter
follows in the footsteps of his American haole compatriots who came to
Hawai'i in the 19th century demanding that Hawaiians convert to the
haole ways of behaving. Now, Mr. Carter demands that we stop using our
own land. Too bad, Mr. Carter, you are a haole and you always will be
... [T]his is precisely Mr. Carter’s typically white American problem:
he wants to pretend that he is outside American history, a history
which has made white power and white supremacy the governing norm from
the birth of the American colonies to the present American imperium
that holds the world as a nuclear hostage.
"If Mr. Carter
does not like being called haole, he can return to
Louisiana. Hawaiians would certainly benefit from one less haole in our
land. In fact, United Airlines has dozens of flights to the U.S.
continent every day, Mr. Carter. Why don't you take one?"
それに対して、ジョセリン・リネ
キン教授(ハワイ大 学[当時]・人類学者・ハオレ, Linnekin, Jocelyn
S.)は、先住民運動のスローガンである「大地を慈しめ(アロハ・アーイナ)」は、政治運動のために近年に発明されたもので、結果的に植民地支配への正当
化に寄与すると批判した(Linnekin 1983; 中村 2015:419)。
"[T]radition is
inevitably invented because it enters into the
construction of social identity" -- Linnekin 1983
・この論文で、問題とされているひ
とつにカホオラウェ島(Kahoʻolawe)での1976年からの米軍爆撃訓練への差し止め運動の一環としての先住ハ
ワイ人による占拠運動や、同島がはたして「神聖」なのかという議論がある。
・多文化主義研究、とりわけ、文化
人類学においては、他者(=この場合は先住民)についての語りを、当事者たちのアイデンティティを超えて、どこまで開か
れたものにするのかというのは、研究上の死活問題である。と同時に、死活問題であることは、先住民についての語りを、採取し、それを論文の形でまとめ、外
部世界に伝えようとしてきた、「ハオレ側」——この場合は象徴的「白人」であり文明人でありかつ支配者を含意する——文化人類学の公的テーゼの中に、イン
フォーマントであり、当事者であった先住民から排除されてしまうという「意識/無意識的危惧」をはからずも表現している。
・トラスク教授(彼女)の事例を通
して、多文化主義や多文化主義研究が批判にさらされていると論じるのは筋ちがいかもしれない。彼女(トラスク教授)のポ
イントは(先にも書いたが)米国のハワイ統治への歴史的批判にあるからだ。
・オーストラリア国立大学のマーガ
レット・ジョリー教授は論文「非真正性の亡霊たち」において、人類学上の非真正性の議論が「伝統」(の創造)の歴史的検
証をめぐる議論の中から数多く生まれてきたことを指摘し、先住民および人類学者が「伝統」の本質的性質(authenticity)に対して批判的になっ
ている状況を太平洋地域を例に幅広く論じている。(トラスクとリネキンの論争にみられるように、後者の)人類学者が(前者の)先住民アクティビストを批判
——非難に近いが——する際に、後者が使う「伝統」が批判の対象となり、そこで動員される言説の行使を、ジョリー教授は「非真正性の言語(the
language of
inauthenticity)」と呼んでおり、論争がどのようなものに展開しようとも、このような言説の行使は差し控えるべきだと述べている
(Jolly 1992:64)。
・幽霊や亡霊(specter)に
は、通常我々は怯える存在である。ここで「非真正性の亡霊」に怯えることが想定されているのは「先住民アクティビスト」
であり、脅かす主体はその当該の人類学者であり、歴史実証主義(=真正性(A))に基づいて、先住民アクティビストが主張する「真正性(B)」を論破する
だろう。ここで言う人類学者は、先住民アクティビストと競合する、本質主義者(=本質主義的人類学者)であり、社会構築主義の権化(=頑迷な社会構築主義
者)ではありえない。双方とも本質主義者である人類学者と先住民アクティビストであるが、ここで主張される文化の本質性(=真正性の源泉でもある)を規定
する性格は、人類学者では歴史実証主義が保証する連綿とつづく伝統的な文化(de jure Culture,
=真正性(A))であり、先住民アクティビストでは、先住民がありのままに生きて考え活動して いる文化そのもの(de facto Culture,
=真正性(B))である。それゆえ、もし仮に歴史実証主義により「非真正性の亡霊」に訴えても、先住民アクティビストは、それに怯えることはないだろう。
むしろ、実証主義的人類学者の文化概念の貧困さを嗤うだけである。他方、ここで、仮に、人類学者が社会構築主義の権化(=頑迷な社会構築主義者)であれば
どうだろう? 言うまでもなく、この人類学者の文化概念は、先住民アクティビストのものと類似の、先住民がありのままに生きて考え活動している文化そのも
の(de facto Culture,
=真正性(B))に他ならず、先住民アクティビストを「非真正性の亡霊」によって怯えさせるということ事態がナンセンスである。皮肉なことに、社会構築主
義者の人類学者は、先住民アクティビストのスポークス・パースン以外の何者でもなく、せいぜいアクティビズムには無用な認識論的遊戯にかまけるだけの存在
になるだろう。先住民アクティビストには、このような社会的構築主義者の人類学者などは無用である。本物の先住民が人類学者になればいいからだ。さらに過
激な社会構築主義の権化(=頑迷な社会構築主義者)ならば、先住民性の脱構築まで試みるかもしれない。亡霊使いどころか、お邪魔虫の道化(clown
of inauthenticity)に成り果ててしまう。
・亡霊に怯えているのは、先住民ア
クティビストよりも、他ならぬ人類学者であればどうであろうか? ただし、この場合の亡霊は、非真正性の亡霊ではなく
「真正性の亡霊」なのであるが。上記のような歴史実証主義者は、歴史的真実性をもって、先住民の構築的な本物の偽装を暴くことができると確信しているが、
歴史解釈の相対性については、歴史実証主義者はヴァルネラブルである。自分が犯すかもしれない「真正性の亡霊」に歴史実証主義者こそが本当に怖れているの
である。亡霊を前にすると、本質主義者は不安の語彙を使うようになり、他方構築主義者は逆に楽観主義な語彙を使うようになる。本質主義者の実例をアーネス
ト・ゲルナー、構築主義者をベネディクト・アンダーソンに見立てて、ジョリー教授は面白い比較をする。
"Compare
Anderson's critical remarks on Gellner's theory of
nationalism, "Gellner is so anxious to show that nationalism
masquerades under false pretences that he assimilates invention to
'fabrication' and 'falsity' rather than to 'imagining' and 'creation' "
(1983, 15). A similar point about the specters of authenticity has been
made by Beckett, Cowlishaw, and Rowse in their reflections on the
construction of Aborginality in Australia (see their contributions in
Beckett 1988 )." (Jolly 1993:65)
これは論文のなかの文章に対する脚
注であり、その本体の文章は以下のとおりである。
(ホブスボウムの「伝統の創造論」
では) "Unself-consciousness is associated with natural
communities---self-consciousness with unnatural or "pseudo-communities
(nations, countries)" (Hobsbawm 1983,10)."(Jolly
1993:51)[自己意識が不自然ないしは(国民や諸国のような)疑似的な共同体に結びつくように、非自己意識は自然の共同体と結びついている。]
◎論争のポイント
1.先住民の文化の《本質性》につ
いて語る権利は誰にあるのか?——先住民なのか?研究者なのか?それとも両方か?それとも誰にもないのか?
2.先住民の文化が《社会構築的》
であったとしても、先住民に自己の文化について語る権利があるとすれば、それはどのような根拠に由来するの か?
3.「研究者は、事実に対して客観
的で正確でなければならず、先住民運動家は政治的な目標をもちプラグマティストだから、研究者に求められる
ような正確さは不要だ」という議論は、なにが問題があるのか?——この種の二分法がいけないのなら、その代替案を考えよ!
4.先住民の知識人のすべてが《本
質主義》に囚われているという(一部)の人類学者のマニ教的な主張はあたらないだろう。他方、すべての人類
学者が古典的な意味での《柔軟な本質主義者》でもないし、またその反対に《頑迷な社会構築主義者》でもないだろう。そのような《戦線の膠着状況》のなかで
対話を続けてゆくことは重要である。理想的な対話理論とは裏腹に、現実の対話の中には、交渉・宥め・要求・妥協・発話的変節などさまざまなものがあり、対
話を続けてゆくことのなかに偶発的な創発効果もあるだろう。
文献
- Linnekin,
Jocelyn S., 1983. Defining tradition: variations on the
Hawaiian identity. American Ethnologist 10(2):241-252. DOI:
10.1525/ae.1983.10.2.02a00020 (-> Abstruct )
- Trask,
Haunani-Kay, 1991.Natives and Anthropologists: The Colonial
Struggle. The Contemporary Pacific, Volume 3, Number 1, Spring 1991,
145–177(この論文はpdfで入手できます)
- Jolly,
Margaret. 1992. Specters of Inauthenticity. The Contemporary
Pacific, Volume 4, Number I, Spring I992, 49-72
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099