Human Lifesaving by Dolphins
なぜかイルカには人助けをしたという神話・民話・逸話が世界中にある。
ギリシャ・ローマ神話ではイルカは海の神さまポセイドンの使いで、海で溺れていたアリオンを助けた。プルターク『英雄伝』では、コリアノ スという男が捕獲されまさに殺されようとしているイルカを漁師から買い取り、これを逃がし、後に海で溺れそうになるのをイルカが恩返しするという話があ る。どの話もイルカと人間が強い絆で結ばれているという話である。
日本でその種の話を探してみたが、なかなかそのような話がない。ただし、クジラでならある。宮城県唐桑町の『御崎明神冥助の記』(一八〇 〇)という記録では、クジラが人を助けたという話が伝わっている。四方を海で囲まれておりイルカと遭遇する機会があり、その行動をきちんと観察していたに もかかわらず、日本では人助けをするものとはみなかったのか。この違いはギリシャ・ローマと伝統的な日本の動物観の違いにねざすものなのだろうか。
さ て神話や伝承ではイルカが人間と感情の交流をもったり、イルカじしんが恩義を感じる知性があるとの前提にたって擬人化されている。しか し、そのような行動をもっと科学的にみたものはいなかったのだろうか。つまり、イルカの人助けを動物行動学(エソロジー)の観点から解釈する試みがなかっ たのだろうか。古代ギリシャの偉大な哲学者であり博物学者であるアリストテレスはその著書『動物誌』(紀元前四世紀ごろ)のなかでイルカの知性について述 べている。
「海の動物の中で話題の最も多いのはイルカであって、それらはイルカのおとなしくて馴れやすい性質を示しているが、タラスやカリアやその 他の地方での少年に対する愛情や欲情の実例さえあげている。またカリア地方で一頭のイルカが捕らえられて負傷したとき、イルカの大群が一度にどっと港へお しよせてきて、漁師が捕らえられたイルカを放してやるまで去りやらず、放してやると、みんな一しょに出ていったという。また小さいイルカたちには必ず大き なイルカが一頭つきそって守っている。すでに大きなイルカが泳いでいて、死んだイルカが深みへ沈みそうになると、その下へ泳いで行って、背中にのせて持ち 上げているのが見られた。まるで死んだイルカに同情し、他の肉食動物に食われないようにしてやっているようである。‥‥」
この解釈を展開してイルカによる人助けを説明することができないだろうか。つまりイルカは同種どうしの結びつきがたいへんつよい。またお 互いに群のなかでかばい合う性質もまた強い。アリストテレスは、イルカが人間の少年に感情を抱くほどの習性があると指摘しているが、ただしこの主張は採用 せずに、むしろイルカは人間をあたかも死んだ同種のイルカと誤認しているのではないかと理解するのである。そうすると、溺れそうになった人間や遊泳してい る人間を持ち上げようとするイルカの行動にも合点がいきはしまいか。
生物学出身の民族学者であり精神分裂病の発症に関するユニークな研究でも著名なグレゴリー・ベイトソンは、晩年にはイルカのコミュニケー ション研究の大家ジョン・リリーと共同してイルカの知性について研究したが、彼もイルカの人助けはイルカの側のある種の誤解によるものだと考えていたらし い(メアリー・ベイトソン『娘の眼から』一九九三年)。
「イルカは人間とのつきあいに積極的で、溺れているひとを助け、攻撃されても自分からは攻撃しないことがよく知られているが、そのことをグ レゴリーはこんなふうに解釈していた。多くの哺乳動物は自分と同じ種に属する子供を攻撃しないのだが(人間もなかりの程度までそうだ)、こうした子供への 攻撃を禁じるシグナルが、イルカの場合、人間にも適応されるのだろうと。言いかえれば、人間はイルカにとって子供のような存在に映り、子供に接するような 態度で人間に接するということだ。」(三〇〇頁)
これはベイトソンもまたイルカの人助けが、イルカの側の行動学的な誤認、つまり人間をイルカの子供として見ることに起因するものであると
指摘しているのだ。こうしてみるとイルカが溺れそうになっている人を人助けしたという話は荒唐無稽の話ではなくまんざら嘘ではなさそうである。ただ、もっ
ともそれはイルカが人間と感情的な交流をもつ能力があるからなのではなく、イルカの側の大いなる誤解によるものだということになる。これから述べる九州天
草のイルカ・ウォッチングに従事する遊漁船の船長さんは、海上においてイルカを観察する際に、お客さんがはしゃぐといるかも「嬉しくなってジャンプする」
ことを教えてくださった。しかし、これもひょっとしたらイルカにとっては何かべつの意味あいのメッセージを我々に投げかけているのかも知れない。
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