Dolphins Watching in Amakusa,
West-central Kyushu, Japan
九州にある天草諸島は行政上は熊本県に属している。だが天草五橋が架かるまでは人や文化の交流ではむしろ地理的に近い長崎と深い関係が あった。たしかに地元の人のお国なまりは、長崎弁らしく聞こえるし、結婚を通しての親戚づきあいは長崎や島原のほうが盛んであったという。その意味で一九 六六年の五橋の完成以降は、熊本を中心とする物流や人的交流がきわめて盛んになった。熊本市からドライブするとそれは島に出かけるというよりも、半島部を 旅行しているようなものである。
熊本市から約二時間 で天草での最大の島である下島の表玄関ともいえる本渡市に着く。さらにそこから半時間ほど車で走ると下島の北端の人口 およそ一万二千の五和町につく。そこからは雲仙普賢岳をいただく島原半島が目と鼻の先に見渡せる。ここは有明海と東シナ海に通じる天草灘をつなぐ狭い海峡 部分である早崎瀬戸とよばれる。この早崎瀬戸を挟んで野生のハンドウイルカ(Tursiops truncatus)が二、三百頭が生息している(天草海洋研究所[=現在は存在しません]の調べによる)。ハンドウイルカまたはバンドウイルカには沿岸 を中心に生息するものと、沖合いを広い範囲にわたって移動するものがあり、早崎瀬戸のイルカは沿岸系のものである。
もともとイルカは天草の沿岸には多数生息していたものらしい。老練の漁師さんたちの話だとかつてはそこかしこにいたという。しかしなが ら、天草の各地で定置網がおこなわれるようになってから、イルカは厄介あつかいされるようになってきたらしい。また昔ならイルカは大漁のあかしだと、のん きなことを言ってられたが、漁業が効率を中心に動くようになるとイルカは漁師のライバルとして嫌われるようになってきた。外洋を回遊するイルカでは、迷い こんでくるだけで定着することはない。沿岸系のイルカであれば、捕獲されればそれまでで、周囲のから新しい生息地をもとめて別の群がやってこないかぎり、 そこはイルカのいない海になってしまう。
ところがこの早崎瀬戸は文字どおり潮の流れがはやく定置網には適さない地形であり、かつ通詞 島と二江という天草でも有数の水揚げを誇る漁 師には、素潜りを中心として生計をたてるものが多かったこともイルカにとって幸いした。この素潜りの伝統は古く、縄文時代から古墳期にかけてのものが出土 する沖ノ原には、古墳時代の製塩土器とともにアワビなどを剥がすときに使われたと思われる打製尖頭状石器が大量に出土している。また江戸時代の十八世紀の 中頃には御照覧と称した素潜りのデモンストレーションを代官所の役人の前で披露したという記録も残っている。この潜水の伝統は明治期にはサルベージ会社が 設立され、全国の沈没船の引き揚げに従事したことにも活かされた。ともかくも早崎瀬戸では漁師とイルカが長年にわたって共存してきたのである。
このイルカの生息地にやってきたのが現在、天草海洋研究所を主宰されている長岡秀則さんである。彼の逸話について触れると紙面が足りなく なるので、要点を絞って述べなければならない。彼が一九九二年?に、町おこしのためにイルカ・ウォッチングを提唱したのがそもそものはじまりである。長岡 さんが最初に遊漁船をはじめとする地元の人たちにウォッチングの話をもちかけた時にはだれもがその提案に耳を傾けなかった。というのは、実に我々にとって は羨ましい話なのだが、船に乗って五分も経たないうちにイルカが群泳する海域に着くことができ、地元の人たちにとってはイルカは珍しいものでも何でもな かったからである。そのようなものが町おこしの原動力になり、観光客を呼ぶとは当時誰も信じなかったのである。
ところが九三年頃から本格化したイルカ・ウォッチングは福岡をはじめとする北部九州の都市の人たちを中心に人気をよび、観光客はうなぎの ぼりに増えて九四年には年間二万人を突破し、九五年には三万人以上になると推定されている(五和町役場商工水産課調べ)。
では天草のイルカ・ウォッチングとはどのようなものだろうか。その内容というのはきわめてシンプルである。五和町周辺にはウオッチング業 者が十数団体ある。それぞれの業者には契約してある遊漁船つまり船長さんが所有する船があり、業者の斡旋によって所定の料金を払いライフジャケットを装着 してイルカが群れて泳ぐ場所でイルカを見学するというものである。イルカが早崎瀬戸を東から西へとゆっくり回遊している場所に着くのには一〇分もかからな い。いくつかの群が海面を泳いだり、時にはジャンプする姿がみられる。乗船客は口々にイルカが海面に出てきた場所を指さして歓声をあげる。子連れのイルカ も見える。遊漁船はイルカの群から距離をおいて観察するという業界の自主ルールがあるが、イルカそのものが船に近づいてくることもある。見学時間はおよそ 一時間で、業界の自主ルールがもうけられており基本的にはイルカを遠巻きにして眺めるという形式をとることが定められている。
イルカ・ウォッチングの乗船客はおおむね満足して下船をするようである。私の勤めていた熊本大学では文化人類学の実習授業として自由研究とし てこのテーマにとりくんでいた学生がおり、彼らがウオッチング客にアンケートやインタビューをとっている。それによるとほとんどのお客が満足をしている が、それは乗船前に人びとが想像していたよりも近くでたくさんのイルカがみれたことによるらしい。また船長さんに聞いたところ、お客のなかにはイルカを餌 付けしていると思っている人がおり、船長さんが早崎瀬戸に昔からいる野生のハンドウイルカであることを説明すると、多くの人が驚くということだ。
日本には一九九〇年代になってからクジラやイルカのウオッチングする団体や業者が相ついで現れた比較的新しい社会現象であることは確かで
ある。日本でどれくらいの人たちがクジラやイルカを対象にしたウォッチングに参加しているのか正確な統計はない。ホエールウオッチングを専門に研究してい
るエリック・ホイトさんによると、世界では九四年には四〇〇万人から五四〇万人が参加し、関連事業もふくむ総合収益では約三億ドルと報告している。日本で
は同じくホイトさんの推計では九三年に二万五千人、一千三〇〇万ドルとのことである(佐藤晴子訳編『ホエールウォッチング読本』一九九五年)。しかし九五
年で三万人を越えると予想されている天草が突出して成長していると割り引いて仮定しても、ウオッチングがブームであることは間違いがない(※データが古く
なっていたので最新のデータを学生は調べてくださいね!!!)。
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