Dolphins and Japanese: An
anthropological consideration
私は、日本におけるエコ・ツーリズム、とくにイルカ・ウォッチングに関して調査研究に着手してまだ日が浅い。しかし、研究に着手してか ら、なぜ日本でイルカ・ウォッチングをはじめ、イルカやクジラに関連した書籍やイルカやクジラのグッズなどが流行ったのか、ということについてコメント求 められたりするし、また自分じしんでもよく自問する。答えが簡単に出ればわざわざ調査する必要はないのであるが、教師というサービス精神も加勢して問いか けにいつももっともらしい答えを述べて、心のなかで舌を出しているというのが正直なところである。教師という職業の悲しい?性かも知れないが、ここで読者 とともに、私が今抱いている「ホエール(鯨)とイルカ・ウォッチングに関する七不思議」について考えてみよう。 次の七(プラス一)項目がそれである。
ホエールとイルカ・ウオッチングの七不思議
(1)どうして日本ではクジラよりもイルカ・ウォッチングが流行るの
か? |
(2)どうして西洋開発国でホエールウォッチングに人気があるのか? |
(3)どうしてかつて捕鯨に従事していた人が、ホエール・ウォッチング
をはじめたのか? |
(4)クジラおたくは、どうしていろいろなクジラをみたくなって世界を
駆けめぐるのか? |
(5)どうして、反捕鯨の人たちが、お節介なことにクジラをみて喜ぶと
いう習慣を世界中に広めようとするのか? |
(6)クジラウォッチャーは、意外と辛抱強くなく、クジラがいなくなる
と、そこにはどとまらずに家へ帰ってしまうのだろうか?(ニュージー ランドでの観察報告) |
(7)どうして、クジラウオッチャーは、自然保護と研究と趣味を上手に
リンクして、それを楽しみに変えてしまうのだろうか?、そして |
(番外)どうしてIWC加盟国にホエールウォッチングが普及している
いっぽうで、非加盟国には人気が少ない、あるいは知られること が少ないのはなぜか?、本当は反対のような気がするのになぜだろう? |
これまでの章で述べてきたエコ・ツーリズムに関して論じてきたことのおさらい、あるいは応用問題として、この八つについて考えることはたい へん意味がある。それはこれらの問いがエコ・ツーリズムを考える際の社会性というものを我々に考えさせてくれるからだ。
まず、日本におけるイルカ・ウオッチングの流行について考えてみよう。地球環境に対する危機意識がはたして我々をしてイルカに興味をいだ かせることに直接むすびつくだろうか。エコロジー問題とイルカをむすびつけて考えることはさほど難しくない。しかし、あまりにも具体性にかけるのである。 その欠けた環をつなげるものは、意外なことにお土産で売られているイルカ・グッズにある。クジラとイルカの絵はがき、Tシャツ、あるいは小さな置物など グッズを比較してみると一目同然だが、クジラに対してイルカは擬人化されたり漫画的にデフォルメされたり我々の友人として描かれやすい。これは日本に限ら れたことではないが、イルカは我々の等身大の友人、それもどうも年下の友人として考えられているようだ。天草の遊漁船に乗るウオッチャーにもこの「イルカ さん・イルカちゃん」という愛称はすぐに受け入れられた。さらに近年のイジメによる生徒の自殺など、子供にまつわる現実の話題に明るいものが少ない。イル カへの人気は、そのような現実の問題の外側の世界で自由に戯れることのできる空想上の友人としての期待の反映ではないだろうか。したがって日本ではイルカ はクジラよりも親しみやすく、また現実の社会でおきている問題や煩わしさから解放させてくれる存在なのである。
最近ではイルカと触れたり、一緒に泳いだりすることは心身症や自閉症の治療として効果があるのではないかという期待が高まっている。ま た、アメリカを中心としてそのような治療(ヒーリング)を大々的に宣伝している業者があり、また日本からもツアーが組まれたりしている。この場合注意して おかねばならないことは、病気が治ったり癒されたという経験的な事実と、業者が宣伝する「科学的な治療根拠」とは別々に考えることである。つまり「科学的 根拠」のなかにはかなり怪しいものも多々あるということである。そのような中には、イルカが人間以上の能力、場合によっては超能力すらも持つというものが ある。このようなイルカに対する非科学的な過剰な期待は、一九六〇年代に西洋に登場したある種の宗教的狂信に近いものであるということは、動物学や人類学 の研究者のあいだで認められている(フリーマン編『くじらの文化人類学』一九八九年)。
つぎに捕鯨とホエールおよびイルカ・ウォッチングの関係である。先進国に急速に広がった反捕鯨運動の広がりは、通常考えられているような クジラの資源管理という理由のほかに、右にのべたような西洋で生まれたクジラの熱狂的な保護思想の宣伝とその普及によるものであった。反捕鯨キャンペーン をおこなった人たちのなかには、日本の調査捕鯨船にオブザーバーとして乗り込みながら、そのビデオで撮影した捕鯨の様子のうち凄惨なシーンばかりを編集し て関係者やマスメディアに配布したという者もいて、捕鯨論争の後ろにはつねにメディア戦争というべき攻防がみたれたのも事実である(川端裕人『クジラを 捕って、考えた』一九九五年)。ホエール・ウオッチングを推進した人のなかには観光で儲けようとしたほかに、反捕鯨キャンペーンの人たちがクジラの素晴ら しさを知れば、クジラへの愛着がわき、自分たちの運動に共鳴してくれるだろうという思惑があった。そのために、ホエール・ウォッチングはIWC加盟国を含 めて先進国で人気を博するようになってきたのだ。ことばをかえれば、先進諸国における捕鯨と反捕鯨の論争が一般の人びとをしてクジラに対する関心を喚起し て、クジラに関するエコ・ツーリズムを生み出したのである。
いずれにせよ先住民による沿岸の捕鯨を除いてはクジラがとれなくなった。しかしながら沿岸捕鯨にせよ、遠洋捕鯨にせよ捕鯨とは、クジラを 外洋で探しだし、発見後は強固なチームワークによって編成される高度な社会活動であった。捕鯨の技術はきわめて洗練されており、また外洋でクジラを探す技 術にも長けている。そのような技術をもった人たちが、捕鯨銛の替わりに、ホエール・ウォッチャーにカメラの望遠レンズを持たせてある種の「産業転換」する ことは別に不思議なことではない。もちろん日本におけるホーエル・ウォッチングの急成長は、西洋のウォッチング推進者にとっての驚きであった。世界屈指の 捕鯨国であり、また調査捕鯨を通して頑なに捕鯨を続けている日本というステレオタイプを抱いた人たちにとって、それはあまりにも対照的な出来事だったから である。しかし、日本の沿岸捕鯨の民族誌学的な調査が明らかにしたように、かつては象徴的食物として鯨肉が共同体の全戸に配られたこと、毎年定期的に鯨供 養をおこなったことなど、鯨肉を消費することとクジラに対するある種の親近さが相反するものではないことを示している。
最後にホエール・ウォッチャーについて考えてみよう。捕鯨者としての日本人は長年のあいだクジラを捕獲し、それを解体し、たんぱく源とし て文字どおり消費してきた。しかしながら、ホエール・ウォッチャーも別の意味で「消費」者なのである。それはクジラのイメージを消費しているのだ。だか ら、ホエール・ウオッチャーといっても、知らない人が想像するようなガチガチの反捕鯨論者でも自然保護崇拝者でもない。ちょうど天草のイルカ・ウォッ チャーがそうではないように。したがって、基本的な性格が一般の観光客と異なるのではなく、観光において消費するイメージが異なるだけなのだ。ニュージー ランドのカイコウラにおけるホエール・ウォッチング観光では、ごく普通の観光客において予想されることが、そのままウォッチャーにもあてはまる。つまり、 海上の天候不良などによってホエール・ウォッチングが中止になると、そのまま別の観光地にでかけ、戻ってこない者が多いという。ウォッチングを推奨する人 たちは、そのような観光客の歩留まりをするための施設やイベントを定期的におこなう必要性を指摘している。現代のホエール・ウォッチャーは決して特殊な観 光客なのではない。我々もまたその観光客の潜在的な予備軍なのだ。
この論文では、日本において昔からイルカを観察してきた伝統的なイルカ・ウォッチャーとはイルカ漁をおこなう漁師であり、沿岸のイルカを めぐる信仰をささえてきた人たちであると述べた。イルカが連れてお参りにゆくというさまをイルカ参詣と呼んだり、イルカをエビスとみなし、それを外界から 幸福をもたらす異人とみなしてきたのである。この背景にはイルカをタンパク源として食用にしながらも、それを擬人化し、また時には畏怖の対象にすることを 通して、一種の人びとの一定の資源管理の発想つまり土着的な持続的開発の考え方をみることができた。
他方、イルカに食料としての魅力を感じるのではなく、船上でイルカの群泳を眺めたり、イルカの民俗伝承にこだわってきた柳田国男に近代的 なイルカ・ウォッチャー発生の姿を我々はみてきた。なぜ近代的といえるのだろうか。それは民間のイルカ伝承を研究対象として客観化するという、ある意味で 突き放した態度のなかで柳田は見ているからである。柳田においてはイルカはもはや畏怖の対象でも食物でもない。イルカは人間と久しく文明をともにしてきた 旧友であり、イルカに関する民間の伝承はその文明を思い出させてくれるロマン(物語)なのである
そして今日、はたしてイルカ参詣という言葉など誰が知っているのだろうか。現代人は本物のイルカを水族館で見て、イルカに関する情報をテ レビや雑誌や書籍などで知る。またイルカ・ウォッチング・ブームの背景には、全国の水族館でイルカが身近に接することができ、またイルカ・ショーなどをと おして人間の仲間として身近になってきたということも指摘できよう。イルカ・ウォッチャーのみならず、現代人も何らかのかたちでイルカのイメージを消費す るわけだから、イメージとしての商品の売り手は、つねにイルカの科学的な情報を売り物にするとは限らない。いや、むしろ人間がイルカに投影する「現代人の 信仰」につけこんで、さまざまな新種の商売をおこなうことになる。イルカを可愛い子供にみたてたり、文明を築く知性があると信じ込んだりすることである。 我々の身の回りにあるイルカ・グッズや写真集、イルカのよるヒーリング(信仰治療)などはその典型である。
イルカ・ウォッチングはそのような現代社会の文脈のなかで理解される必要がある。イルカ・ウォッチャーもまた、現代人の信仰のなかに生き ているからである。天草でのウォッチングの計画が出たときも地元の人たちが、商売として成り立たないのではないか、と疑ったのも無理からぬことである。い つも、イルカをみてきた人にイルカの治療効果などということを言っても笑われるだけである。企業活動としての天草のイルカ・ウォッチング観光がそのマー ケットとして最初に目をつけたのは福岡の都市生活者であった。それはたんに人口の多さだけでなく都会人がイルカをみて楽しむだろうという「現代人の信仰」 の実態を十分に承知しておこなわれた結果なのである。そして、予想どおりイルカ・ウォッチャーは福岡の都会から、やがて熊本市から、そして天草の中核都市 である本渡市からとより遠方の都会から近郊の町へと観光客を巻き込んでいったのである。
今やイルカを可愛いとは言えないまでも面白い見せ物の対象になったことを否定する人はいない。柳田国男が店頭でイルカの肉をみながら覚えた怒り
(『海豚文明』1924)は、百年後の現在においていまようやく鎮められようとしている
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