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唯物論と生態学的アプローチ、そして象徴の意味

Materialism, Ecological Approach, and the Meaning of Symbols

池田光穂

唯物論(materialism): 唯物論あるいは唯物主義の基盤は、観念や精神、心などの根底には物質があると考え、そのような根拠性をもたない思考や観念は無効とする考え方である。唯物 論者であることのパラドックス(逆説)は、自分自身の思考の根拠性を、徹頭徹尾、観念論(idealism)あるいは唯心論(mentalism)の立場 で考え抜くことである。唯物論は、物理主義(Physicalism)としても言い換えることができる。

物理主義と は、「すべては物理的である」というスローガンに似たテーゼ(命題)のことである。古代ギリシャの哲学者タレスが唱えた「すべては水である」というテーゼ や、18世紀の哲学者バークレーの「すべては精神である」という観念論と同様に、形而上学的なテーゼとして意図されているのが普通である。つまり、現実の 世界(宇宙とそこにあるすべてのもの)の性質は、ある条件、つまり物理的であるという条件に適合しているというのが一般的な考え方である。もちろん、物理 主義者は、一見して物理的とは思えないような、生物学的、心理学的、道徳的、社会的、数学的な性質を持つものが世界に数多く存在することを否定はしない。 しかし、それでも彼らは、結局のところ、そうしたものは物理的なものである、あるいは少なくとも物理的なものと重要な関係を持つものである、と主張する。

唯物論のより頑迷な立場は、排除的唯物論Eliminative materialism) と呼ばれる。排除的唯物論(または唯物排除論)とは、私たちの通常の常識的な心の理解は深く間違っており、常識的に想定される心の状態の一部または全部は 実際には存在せず、心の科学の成熟に果たすべき役割はない、という過激な主張である。デカルトは、私たちが当たり前だと思っていることの多くに異議を唱え たことで有名だが、彼は、ほとんどの場合、自分の心の内容については確信を持つことができると主張したのである。排除的唯物論者はこの点で、デカルトより もさらに進んで、デカルトが当然視していた様々な心的状態の存在に異議を唱えているのである。


第12章 Contemporary Materialist and Ecological Approaches

「文化の科学」のための闘争とはなにか?

マーヴィン・ハリスの業績

文化唯物論者のバースデー・ケーキと、弁証法的唯物論者のバースデー・ケーキ(250)

マルサスの議論

功利主義か? ヘゲモニー(論)か?

文化の謎、の鍵を解く

政治学的生態学——エリック・ウルフ

第13章 Symbols, Structures, and the "Web of Significance"

ガリア人=フランス人の「構造」(267)

「女から男」へということは、「自然が文化」へと移行することと同じか?(272)

食い物は「考えるに適している」か?(274)

フランス構造主義の検証(278)

ギアーツとターナー(279)

行為の道しるべ(282)

ドラマとしての文化/テキストとしての文化(283)

バリ島の闘鶏(285)

文学的誘惑(literary seductions):われわれが解釈するのは誰のテキストなのか?(286)

規則の問題と文化的コンセンサス(合意)

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