What did happen between policy
and patients?: Hansen's disease and the Japanese State.
この(2021年)四月でハンセン病の国家隔離政策を正当化し続けた、らい予防法(昭和二十八年法律第二百十四号)が廃止されて二五周年を 迎える。だが長い抑圧の歴史に比べれば、それも少し前の話である。というのは一九〇七年「癩(らい)予防ニ関スル法律」から癩予防法を経てこの法律が廃止 されるまで実質的な強制隔離政策はその廃止まで実に八九年間にわたり続いていたからだ。そして当事者や家族あるいは支援者が指摘するように根強い差別意識 はなかなか消え去らない。差別と偏見が続く限り闘いに終わりはない。
昨年(2020年)秋から公開された多磨全生園の元ハンセン病患者の生活を淡々と伝える坂口香津美監督のドキュメンタリー映画『凱歌』は、療 養所での苦悩の記憶の語りを通して、その外側で何も知らずに生活している私たちに真相を訴える作品である。すなわち、断種手術、堕胎(だたい)——文字通 り胎児を殺すことである——、性なるものへの赤裸々な情念、過酷な差別の記憶を想起するという痛みと悼み、そして障害や差別に目を背けずに耳を傾け真摯に 向き合うことの重要性が淡々と表現される。
時は今から八四年前に遡る。国家による強制隔離政策を帝国臣民に全体に普及せしめんとした無癩(らい)県運動、つまり自宅で療養を続けるハン セン病者を全国にある療養所に隔離しようとするプロジェクトがたけなわの一九三七年。岡山の長島愛生園の医師小島正子が「ある女医の手記」の副題をもつ 『小島の春』を刊行し大ベストセラーになった。その四年後に豊田四郎監督により同名の映画が公開され、その年のキネマ旬報第一位の作品になる。彼女らの活 動は国家の側からは救癩活動と呼ばれ、医師たちの善意はハンセン病者の強制隔離に利用され、国民はその実態を知らされることなく、恐怖に慄きながらも感染 していない今を安堵する。それは国の入院命令に服従しないものは過料されてもいい、あるいは(廃案になったものの)警察を使った強制的入院が与党議員たち により検討された現代日本の姿と重なる。
一九七四年に公開された松本清張原作・橋本忍脚本・野村芳太郎監督『砂の器』の企画段階では、大手配給会社が全国ハンセン氏病患者協議会(全
患協)との議論で膠着状態になり、脚本のプロダクション側の説得の末、映画字幕に、回復者の社会復帰は続き、偏見と差別は非科学的なものであり、映画で描
かれたような患者は「どこにもいない」と入れることでようやく決着した。映画は異例のヒットを続け、現在でも名作邦画の仲間入りを果たしている。だが『凱
歌』を見る限り『砂の器』から四七年後の現在でも、残された社会課題が十分に克服された状況にあるとは言い難い。四七年たっても、字幕をみて「そうだ!」
と自信をもって言えない。
『砂の器』における、この全患協と制作会社との間で、偏見と差別は非科学的なものという字幕の登場は、描く者がもはや一方的に描かれる者を想像する思い
通りに表現できる時代は終焉した。ドキュメンタリー映像作家の原一男監督が、脳性まひの障害者運動団体である神奈川青い芝の会の撮影した『さようなら
PC』はその二年前に公開されている。何かが変わりつつあった。
ドキュメンタリー映画『凱歌』では、登場人物である山内定さん・きみ江さんご夫妻の生活と人生に焦点が当てられながら中村賢一さんが(病気療 養のために初等教育すら受けらなかった)非識字者とは思えない教養ある力強い言葉で彼らに「何が起こったのか」という解説を重ねてゆく姿が印象的である。 閉ざされていた重い口が開かれる時、私たちは権力により隠されていた「真実」について無知であることじたいが罪だということに気づかされる。
初出:映画に描かれたハンセン病(京都民報, 2021年4月4日pdf with password)(いけだ・みつほ:大阪大学教授)
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