かならず 読んでください

小泉 文夫

Fumio KOIZUMI, 1927-1983

池田光穂

Fumio Koizumi studied at the Faculty of Humanities at the University of Tokyo and received his M.A. in 1956 with a study on the methodological foundations of research into traditional Japanese music. He worked in the editorial department of the publishing house Heibonsha until 1960 and then worked as a lecturer from 1960, as an assistant professor from 1966 and as a professor at the Tokyo University of the Arts from 1974 until his death. He also taught as a visiting professor at Wesleyan University in Connecticut (USA) in 1967/68 and 1971.

Since 1957, Koizumi's restless travel and field research activities have taken him to numerous countries in Asia (Afghanistan, Burma, India, Indonesia, Iraq, Iran, Korea, Laos, Malaysia, Mongolia, Nepal, Pakistan, the Philippines, Sri Lanka, Taiwan, Thailand, Turkey, Vietnam, China), Africa (Egypt, Kenya, Morocco, Nigeria, Senegal, Tanzania, Tunisia), America (Argentina, Bolivia, Canada, Peru, USA), Europe (Bulgaria, Greece, Italy, Portugal, Romania, Spain, Hungary, Cyprus) and the Pacific Islands (Fiji and Yap). He has also encouraged numerous research teams to devote themselves to the study of Japan's regional folk music traditions.

小泉 文夫(こいずみ ふみお、1927 年〈昭和2年〉4月4日[注釈 1] - 1983年〈昭和58年〉8月20日)は、日本の民族音楽学者。

東京都出身。東京府立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)を経て東京大学文学部美学科へ 入学。在学中に日本音楽学に関心を持った。卒業後は、東京大学大学院人文科学研究科美学専攻課程に籍を置きながら平凡社に勤務する。邦楽や東南アジアや中 近東、アフリカ音楽に興味をもち、日本の伝統音楽の研究やNHK交響楽団機関誌の編集委員などを務めた。

1957年(昭和32年)~1959年にインドに留学しインドの古典音楽や民族音楽の調査を 行い、1959年(昭和34年)から東京芸術大学の教員となり[注釈 2]、1960年東京芸術大学講師、1964年助教授、日本をはじめとして世界中の民族音楽の調査や研究に従事する。その傍ら、NHK-FMの「世界の民 俗音楽(後の「世界の民族音楽」)」の番組の担当や、NET(現テレビ朝日)の「世界の音楽」などにも出演するようになった。 1967年~68年アメリカウェスレヤン大学客員準教授、71年客員教授。 1975年(昭和50年)の東京芸術大学教授に就任後も、世界でのフィールドワークを多数行い、1977年(昭和52年)には民主音楽協会によるコンサー ト「シルクロード音楽の旅」シリーズの制作のためシルクロード音楽調査団として現地調査を行った。[2]しかし多忙により癌の発見治療が遅れ1983年8 月20日、肝不全のため56歳で没した。美智子皇太子妃(当時)や女優の吉永小百合をはじめ多くの著名人にもファンがおり、小泉のその早い死を惜しんだと いう。

小泉は欧米系の音楽中心であった日本の音楽界において民族音楽学の地位を向上させ、およそ30 年もの間、テレビやラジオを通じて多くの人に民族音楽の紹介や啓蒙を行なった。小泉の没後にキングレコードで、小泉の監修によるCD『世界民族音楽集』が 出されている。2002年(平成14年)に<CD71枚組・732曲>で同社で『小泉文夫の遺産~民族音楽の礎』が、また1995年(平成7年)にコロム ビアより『アジアの響き 小泉文夫記念音楽会ライブ』が出された。

妻は声楽家でありクラシック歌手の加古三枝子(1916 - 2002)で、小泉より11歳年上だったため周囲の反対を押し切って結婚した。加古は小泉の死後もその思い出を書いている。

小泉の没後、遺族より東京芸術大学に音楽資料が寄贈された。それらを活用すべく1985年 (昭和60年)音楽学部に小泉文夫記念資料室が 開設された[3]。

Fumio Koizumi studierte an der Fakultät für Geisteswissenschaften der Universität Tokio und erwarb 1956 den M.A. mit einer Studie über methodische Grundlagen der Erforschung traditioneller japanischer Musik. Er arbeitete bis 1960 in der Redaktion des Verlags Heibonsha und wirkte dann ab 1960 als Lehrbeauftragter, ab 1966 als Assistenzprofessor und ab 1974 bis zu seinem Tode als Professor an der „Universität der Künste Tokio“. Daneben lehrte er 1967/68 und 1971 als Gastprofessor an der Wesleyan University in Connecticut (USA).

Eine rastlose Reise- und Feldforschungstätigkeit führte Koizumi seit 1957 in zahlreiche Länder Asiens (Afghanistan, Burma, Indien, Indonesien, Irak, Iran, Korea, Laos, Malaysia, Mongolei, Nepal, Pakistan, Philippinen, Sri Lanka, Taiwan, Thailand, Türkei, Vietnam, VR China), Afrikas (Ägypten, Kenia, Marokko, Nigeria, Senegal, Tansania, Tunesien), Amerikas (Argentinien, Bolivien, Kanada, Peru, USA), Europas (Bulgarien, Griechenland, Italien, Portugal, Rumänien, Spanien, Ungarn, Zypern) sowie in die pazifische Inselwelt (Fiji und Yap). Daneben regte er zahlreiche Forschungsteams an, sich dem Studium der regionalen Volksmusiktraditionen Japans zu widmeten.
東京大学人文学部に学び、1956年に邦楽研究の方法論的基礎に関する 研究で修士号を取得。1960年まで平凡社編集部に勤務し、1960年から講師、1966年から助教授、1974年から亡くなるまで東京藝術大学教授を務 めた。また、1967/68年と1971年にはコネチカット州のウェズリアン大学(米国)で客員教授として教鞭をとった。

1957年以来、小泉はアジア諸国(アフガニスタン、ビルマ、インド、インドネシア、イラク、イラン、韓国、ラオス、マレーシア、モンゴル、ネパール、パ キスタン、フィリピン、スリランカ、台湾、タイ、トルコ、ベトナム、中国)、アフリカ諸国(エジプト、ケニア、インド、イラク、イラン、韓国、ラオス、マ レーシア、モンゴル、ネパール、パキスタン、フィリピン、スリランカ、台湾、タイ、ベトナム、中国)を精力的に旅し、現地調査を続けてきた、 中国)、アフリカ(エジプト、ケニア、モロッコ、ナイジェリア、セネガル、タンザニア、チュニジア)、アメリカ(アルゼンチン、ボリビア、カナダ、ペ ルー、アメリカ)、ヨーロッパ(ブルガリア、ギリシャ、イタリア、ポルトガル、ルーマニア、スペイン、ハンガリー、キプロス)、太平洋諸島(フィジー、 ヤップ)。小泉首相はまた、日本の地域的な民俗音楽の伝統の研究に専念する多くの研究チームを奨励した。
https://de.wikipedia.org/wiki/Fumio_Koizumi


リンク

文献

その他の情報


他山の石(=ターザンの新石器)

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099