規範概念としての健康
Health as
Normativity
作成者 池田光穂
規範 性・規範概念(mormativity)とは、人間が社会生活をおくるにあたって、規範を内面化して、それにしたがっている状態のことである。規範とは 「よい/わるい」という概念で大まかに弁別され、よいことには(自分の気持ちが乗らなくても)従い、わるいことには(実際に関わっているにも関わらず)罪 悪感を感じるような「価値の具体的な基準」である。しかし、規範概念の遵守をする個人のまわりには、経験的に逸脱したり、処罰されたりすることを通して、 規範概念を遵守することに対する相対的な意識や、規範に遵守しながら「心の内面」ではそれに離反・乖離しており、規範を守ることに対するメタ概念が、どのような社会でもみられることである(→規範概念の相対性とその比較研究が可能になる)。
Normative generally
means relating to an evaluative standard. Normativity is the phenomenon
in human societies of designating some actions or outcomes as good,
desirable, or permissible, and others as bad, undesirable, or
impermissible. A norm in this normative sense means a standard for
evaluating or making judgments about behavior or outcomes. Normative is
sometimes also used, somewhat confusingly, to mean relating to a
descriptive standard: doing what is normally done or what most others
are expected to do in practice. In this sense a norm is not evaluative,
a basis for judging behavior or outcomes; it is simply a fact or
observation about behavior or outcomes, without judgment. Many
researchers in science, law, and philosophy try to restrict the use of
the term normative to the evaluative sense and refer to the description
of behavior and outcomes as positive, descriptive, predictive, or
empirical. Normative has specialised meanings in different academic
disciplines such as philosophy, social sciences, and law. In most
contexts, normative means 'relating to an evaluation or value
judgment.' Normative propositions tend to evaluate some object or some
course of action. Normative content differs from descriptive content.
One of the major developments in analytic philosophy has seen the reach
of normativity spread to virtually all corners of the field, from
ethics and the philosophy of action, to epistemology, metaphysics, and
the philosophy of science. Saul Kripke famously showed that rules
(including mathematical rules, such as the repetition of a decimal
pattern) are normative in an important respect. Though philosophers
disagree about how normativity should be understood, it has become
increasingly common to understand normative claims as claims about
reasons. |
規範的とは、一般的に評価基準に関連することを意味する。規範性とは、人間社会において、ある行為や結果を良いもの、望ましいもの、あるいは許されるものとし、他のものを悪いもの、望ましくないもの、あるいは許されないものとして指定する現象のことである。この規範的な意味での規範とは、行動や結果について評価・判断するための基準を意味する。また、規範は、やや紛らわしいが、記述的な基準に関連するという意味でも使われることがあり、通常行われること、あるいは他のほとんどの人が実際に行うことが期待されることを行う。この意味で規範は評価的なものではなく、行動や結果を判断するための根拠となるもので、判断のない行動や結果に関する単なる事実または観察である。科学、法律、哲学の研究者の多くは、規範という言葉の使用を評価的な意味に限定しようとし、行動や結果の記述を、肯定的、記述的、予測的、経験的と呼んでいる。規範的とは、哲学、社会科学、法学など、異なる学問分野において専門的な意味を持つ。
ほとんどの文脈で、規範的とは「評価や価値判断に関連する」という意味である。規範的な命題は、ある対象やある行動の方針を評価する傾向がある。規範的な
内容は、記述的な内容とは異なる。分析哲学の大きな発展の一つは、倫理学や行動哲学から認識論、形而上学、科学哲学に至るまで、規範性の範囲が事実上あら
ゆる分野に及んでいることであった。ソール・クリプキは、規則(十進法の繰り返しなどの数学的規則も含む)が重要な点で規範的であることを示したことで有名である。哲学者は規範性をどのように理解すべきかについて意見が分かれるが、規範的主張を理由についての主張として理解することがますます一般的になってきている。 |
https://en.wikipedia.org/wiki/Normativity |
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The Roots of Normativity, by Raz, Joseph/Heuer, Ulrike (eds.)OUP Oxford
"The Roots of Normativity concerns one of the most basic philosophical questions: how to explain normativity in its many guises. Over many decades, Joseph Raz has sought to develop an answer to this question, according to which understanding normativity is understanding the roles and structures of normative reasons which, when they are reasons for action, are based on values. This volume collects twelve chapters which succinctly lay out his view, anddetermine its contours through some of its applications. The chapters also aim to clarify the ways in which normative reasons are made for rational beings like us. Raz's value-based account of normativity is brought to bear on many aspects of the lives of rational beings and their agency, and in particular, theirability to form and maintain relationships, and to live their lives as social beings with a sense of their identity.- "https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-12-EY00417978
◎実在論=リアリズムから見た健康
G.H.ムーアは、「唯一の善が時間のうちに存在する諸々の事物のある一性質に存すると主張する倫理学理論は「自然主義的」である」と批判して、「唯一の善が(どこかに)存在」
するという考え方は根拠のない妄想だと主張した。ムーアの立場を、健康論に当てはめてみると「健康は良くて、病気は悪いものだ」という考え方も、根拠のな
い論点先取の主張(=「健康がよいのは、よいことはよいものだから。そして病気が悪いのは、悪いものは悪から」という主張)で、なぜ、健康が良いもので、
なぜ病気がわるいものかのを、判断の前にきちんと理解できていないということになる。そのためには、よいという判断は何によってなされるのか?その判断
は、健康を定義するときに、どのような働きももつのか?を考えることある。健康は正常、病気は異常だとみなされることが多いが、天才は多くの凡才にとって
異常な自体だが、天才が悪いものとは思われていない。そして、身体の状態が正常であること自体は、良いとも悪いとも感じられず、病気になったりして、回復
したりすると、健康はよい状態なのだとようやく理解できる。したがって、悪い状態というものを経験しない限り、健康がよいものだと人はなかなか理解できな
い。つまり、健康と病気は、現実の生活のなかで、そのつど価値判断がなされて、はじめてよい/わるいという実態が明らかになる。ムーアのような立場は、実
在論=リアリズムと呼ばれることがある(→「自然主義的論法」)。
◎ジョルジュ・カンギレム『正 常と病理』ノオト:Health as norm and sanction
この実在論に類似する立場として、ジョルジュ・カンギレムの立場がある(→「正常と病理」)。
●疾病論上の二項対立
「医学者たちの考えは、病気についてのこうした二つの表象(病原体のような〈存在論〉と調和 の攪乱のような〈全体論〉のこと——引用者註)の一方から他方へ、二つのかたちの楽観論の一方から他方へ揺れ動き続けた。そして揺れ動くたびごとに、必ず どちらかの側にとっての何かしらもっともな理由を、新しく明らかにされた病因の中に、見つけたのだった。欠乏症の病気およびいっさいの伝染病や寄生病は、 存在論的理由に軍配を挙げ、内分泌障害および不十分、困難、異常、障害などを示す接頭辞dysのついたあらゆる病気は、ダイナミズムの理論つまり機能的理 論に軍配を挙げる。にもかかわらず、これら二つの考え方には一つの共通点がある。すなわち、いずれも病気の中に——病/気であるという経験の中にといった 方がいい——戦いの場をみている。一方は有機体と外部のものとの戦いであり、もう一方は内部のせめぎ合う力同士の戦いである。一方は一定の本源的要素の存 在や欠如によって、もう一方は有機体全体の配置替えによって、病気は健康状態から区別される。一つの性質が他の性質とは異なるように、病理的なものは正常 なものと異なるのである」(カンギレム 1987:15-16)。
●規範の哲学/規範の不在
「完全なものはあらゆる完全さをもっているものだから、自己を存在させることの完全さももっ ているだろうと考えて、その完全さの性質から出発して、完全なるものの存在を証明できるかどうかを、人は長い間追求してきた。完全な健康が事実上存在する かという問題もこれと同様である。まるで完全な健康が、批判的な概念ないし理想型ではないかのようではないか? 厳密にいえば規範は存在しない。規範は、 存在するものを低く評価して修正可能とならしめる役割を果たしている、完全な健康が存在しないということは、単に、健康の概念が存在概念ではなくて、規範 概念だということだ。規範の役割と価値は、存在するものにかかわり合って、これを変更させることにある。このことは、健康が空虚な概念だということを意味 しない」(カンギレム 1987:55)。
●衛生の規範
「衛生の規範の定義は、政治的見地からすると、統計的に見た住民の健康や、生活条件の衛生 や、医学に焦点を合わせた予防と治療の処置の均等な拡張などに向けられた関心を前提とする。オーストラリアでは、マリア・テレジアとヨゼフ二世とか、帝国 健康委員会(Sanita‾ts-Hofdeputation. 1753)を創設して「主要衛生規則」(Haupt Medizinal Ordnung)を公布することによって、公衆衛生の制度に法律的規定を与えている。主要衛生規則は、一七七〇年、「衛生規範」(Sanita‾ts- normativ)に置き代えられた。それは、医学や獣医技術や薬局や外科医養成や人口統計や医学統計などに関連する四十の規定から成る。ここで/は規範 と規格化に関して、実体とともに言葉をもつわけである」(カンギレム 1987:228-229)。
●規範・規格化
「……正常という用語そのものは、教育制度と衛生制度という二つの制度特有の語彙から出発し て、通俗語の中を通って、そこへ移植されたのである。そして、これらの制度の改革も少なくともフランスに関する限り、フランス革命という同じ原因の影響の もとで、同時におこった。正常というものは十九世紀に、学校の模範や身体器官の健康状態をさし示す用語だった。理論としての医学の改革それ自体が、実地と しての医学の改革にもとづいている。すなわち、理論としての医学の改革は、フランスでも、オーストラリアでも、病院の改革と密接に結びついている。病院の 改革と教育改革とは、合理化の要請を表している。合理化の要請は、出現し始めた工業機械化の影響のもとに、経済にも政治にも現れている。そして結局は、そ れ以後、規格化(normalisation)と呼ばれたものに帰着することになる」(カンギレム 1987:219)。
●規範概念が、病理概念を相対化する
「もし病気がやはり一種の生物学的規範だということが認められるなら、病理的状態はけっして 異常といわれることはできず、一定の場面との関係の中で異常だといえることになる。逆に病理的なものは一種の正常なものなのだから、健康であることと正常 であることとはまったく同じではない。健康であることは、一定の場面で正常であるということだけでなく、その場面でも、また偶然出会う別の場面でも、規範 的であるということでもある。健康を特徴づけるものは、一時的に正常と定義されている規範をはみ出る可能性であり、通常の規範に対する侵害を許容する可能 性、または新しい場面で新しい規範/を設ける可能性である」(カンギレム 1987:175-176)。
●クロード・ベルナール(Claude Bernard, 1813-1878)の平均・嫌悪
「クロード・ベルナールは、平均で表された生物学的分析や生物学的実験のすべての結果に対し て、嫌悪感を示していた」(カンギレム 1987:130)。
●健康の2つの意味
「正常なものと異常なものとを、相対的な統計的頻度で定義して、病理的なものを正常とみなす やり方は、おそらく存在する。ある意味で、完全な健康が続くことは異常なことといわれている。しかし、それは健康という言葉には2つの意味があるというこ とである。絶対的な意味での健康は、有機体の構造と行動の理想型を示す規範概念である。この意味では、よい健康を語ることはひとつの冗語法 (redundancy?:引用者)である。なぜなら、健康とは器官がよいことだからだ、資格ありとされる健康は、可能な病気に対する個々の有機体のある 種の傾向と反応を示す記述概念である」(カンギレム 1987:116)。
●ベルナールとコント
「クロード・ベルナールは『実験医学研究序説』(仏語省略)を著すにあたって、効果的作用が 科学と同じだということを主張しようとしただけでなく、同時にこれと並行して、科学は現象の法則の発見と同じだということも主張しようとした。この点で、 コントと完全に一致している。コントが彼の生物哲学において生存条件の学説と呼んでいるものを、クロード・ベルナールは決定論とよんでいる。彼はこの用語 をフランスの科学的言説の中に、最初にもち込んだと自負している」(カンギレム 1987:86)。
●ジョン・ライル(John A. Ryle)論文「正常の意味」
The meaning of normal. 1947 「オックスフォード大学の社会医学の教授であるこの著者は、何よりもまず、生理的規範とくらべて個人にある種の偏りがみられたとしても、それだけでは病理 的指標ではありえないことを証明しようと努めている。生理的変異性が存在することは正常である。それは順応にとって、したがって生存にとって、必要なので ある」(カンギレム 1987:252)
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