知識は力なりや?
Does it correct to be scientia est potentia?
ウィキペディア「知は力なり」あるいは「知識は力なり」の解説はこうだ。
「知は力なり」あるいは「知識は力なり」「は、16 世紀から17世紀にかけてのイングランドの哲学者フランシス・ベーコンによる格言である。ラテン語では「scientia est potentia」、英語では「knowledge is power」とあらわす。なお、「知は力なり」と訳されることもあるが、日本語の「知」が知識のほかに知恵など広い意味を含むのに対し、ラテン語の scientia および英語の knowledge は知識(あるいは知ること)という狭義に限定される。/実際には、本項目の格言が一字一句そのままにベーコンによって記されたわけではない。しかし、ベー コンは同様の主張を少なくとも2度にわたって叙述している。/第1は、1597年に書かれた随想 "Meditationes Sacræ. De Hæresibus" (『聖なる瞑想。異端の論について』)においてであり、そこでは「そしてそれゆえ、知識そのものが力である」 (Nam et ipsa scientia potestas est.) という文言がある。/第2は、1620年に書かれた彼の主著『ノヴム・オルガヌム』第1巻「警句」においてである。当該箇所を下に示す[1]。」
I. 自然の下僕かつ解釈者たる人間は、自然のふるまいに対する事実または思考の中に観測できた分だけを、実行・理解可能だ。これを超えては、何も知ることがないし、何も行うことができない。 II. 人間の素手にせよ、理解力にせよ、それだけでは、十分な結果をもたらすことは不可能だ。道具や補助器具を利用してこそ、[人間の手によって]仕事は成され るのだが、それら[助けとなる道具]は手だけではなく理解力にも必要とされている。手のうちにある道具が機能をもたらし手を導くように、精神の道具も理解 力と注意力を補強する。 III. 人間の知識と力は一致する、というのも、原因を知らなければ、結果を生み出すこともできないからだ (Scientia et potentia humana in idem coincidunt, quia ignoratio causae destituit effectum.)。自然を支配するためには、自然に仕えなければならない。思索における原因は、作業における規則に対応する。 IV. 仕事を成し遂げるために、人間ができる唯一のことは、自然の実体を、まとめたり、ばらばらにしたりすることだけだ。残りは、自然の性質によって、自然の内部でなされる。 |
「ベーコンは、自然のふるまい(因果性でいう「結
果」)を観察・思索し、そこから推測できた知識(因果性でいう「原因」)を、精神の道具として実利に用いる(人間が意図する「結果」を生み出す)ことを主
張している。ベーコンは、彼以前の西洋哲学(とくにスコラ哲学)で主に用いられた演繹法ではなく、自然のしもべとして、自然に対する真摯な観測を重視した
帰納法を提言しているのである。/類似の格言は、既に『旧約聖書』「箴言」24章5節においてみられる。「知恵ある男は勇敢にふるまい、…知識ある男は力
を発揮する」(新共同訳)が、それである。しかし、知識だけではなく知恵も同様に称揚している点でベーコンの主張とは異なる。/この格言に代表されるフラ
ンシス・ベーコンの思想は経験論を生み出し、現在の科学的方法の土台の1つとなった。なお、現代英語で「科学」を意味する science
は、ラテン語の「知識」 scientia
を語源としている。なお、近現代の戦争において、いっそう重要性を高めつつある情報戦を示す標語として用いられることがある。たとえば、アメリカの
DARPA管轄下でテロリストの発する信号の傍受やテロリズムの活動を監視を行うアメリカ情報認知局(Information Awareness Office)(IAO)のロゴにこの格言 (Scientia est potentia) が示されている[2]。ラ
クイラ大学 応用科学生物学科(Dipartimento di Scienze Cliniche Applicate e
Biotecnologiche)のモットーはこの格言に由来する。ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』では、作中の政府は「無知は力
である」 (Ignorance is strength) をスローガンとしている。」
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