鉄は熱いうちに打て、自分が置かれた状況を反省せよ、行動はすぐに適切にせよ!!!
Hit the iron while it's hot, You need to reflect on the situation you're in, and take immediate and appropriate action.
1958年ミルチャ・エリ
アーデ (Mircea Eliade,
1907-1986)が国際宗教史学会のために来日した時に、ハイデガー哲学者と思しき学者が龍樹の仏教哲学など勉強する時間が惜しいと心情を吐露した。
しかしエリアーデはG.W.
F.ヘーゲルまでの論理学の中に(龍樹=ナーガルジュンナの)中観哲学の思想が埋め込まれているのだと説諭し喝を入れたらしい。自戒を込めていうが、思想
や哲学の教育が日本では子供時代から貧困なため、立派に大人になった後でも(現代の知のあり方や人間存在の問題に関わる)AI研究でもファンダメンタルな
部分で西洋の素養の深い学者の後塵を拝するはめになるわけだ。アルトゥール・ショーペンハウアーしかりカール・ヤスパースしかり、ドイツ観念論は、フラン
スやプロシアの東洋学者から仏教哲学を勉強してきた伝統がある。くだんのハイデガー学者はそのことを忘れているわけである。私の友人の科学哲学者は、日本
でなんでフーコーが
こんなに人気あるのか、それほど上手じゃなフランス語でフーコーの訓詁学を紐解くよりも、フランス語と母語の日本語で、日本におけるフーコー受容を日本文
化との関連性の中で論じて、フランス語で論文書いたら第一人者になれるのにと言っていたことを思い起こす。ここから得られるわれわれの教訓は、(1)鉄は
熱いうちに打て、(2)自分が置かれた状況について反省的に把握せよ、そして(3)行動すべき時がくれば、すぐに適切に動け、ということである。 自身が受けてきた教育は、小学校や中学 校の先生方が言ってきたような、受け身型の授業である。その私が対話型授業をしている/できると主張しているわけである。私自身は、人間というのは、教育 の長い効果の中で、徐々に成熟していく部分と、非常に短い期間で変わる部分があると思う。それぞれの部分が具体的に何であるかを考えるべきであると思う。 いずれにせよ、実際に非常に短期間でコミュニケーションの仕方、モードをある程度変えることができるのであれば、そういうことは教育の長い効果でないと出 来ないと考えて対話型授業をしないよりは、出来るところからやっていこうというふうにする方が、教育現場のためには良いのである。大学の現場でも、学生の 全てが最初から対話型授業 を成り立たせる能力を持っているわけではない。テレビ番組、NHKの教育テレビのトーク番組などで、若い人たちが意見を戦わせているのを見て、これ なら自分もできるのではないかと思っていたところへ、教育の場で実際にそういう機会が与えられたので、実際にやってみた。一度やってみると、面白いのでど んどんエスカレートしていって、やがて好きになるというふうな学生も多い。まとめると、授業を受けている短期間に変わったとも言えり。ここで大事なのは、 学校教育であれ、社会教育であれ、どのような教育でもやらなければならないこと、すなわち、学ぶことの楽しさ、あるいは、身につけることの楽しさを対話型 授業は確実に提供していることである。 詳細情報はこちら!!! |