かならずよんで ね!

鉄は熱いうちに打て、自分が置かれた状況を反省せよ、行動はすぐに適切にせよ!!!

Hit the iron while it's hot, You need to reflect on the situation you're in, and take immediate and appropriate action.

池田光穂・松浦博一・宮本友介

◎このページは、ダイキン工業株式会社による「基礎 検 討フェーズ報告書・研究テーマ提案」から「2020年度共同研究委受託研究」のフィージビリティ調査研究「「空気と空間づくり」から考えるイノベーション・キャンパ スの実現」


調査研究班は、池田光穂・松浦博一(大阪大学COデ ザインセンター教員)と宮本友介(大阪大学大学院人間科学研究科)である。

命題09:鉄は熱いうちに打て、自分が置かれた状況 を反省せよ、行動はすぐに適切にせよ!!!

 1958年ミルチャ・エリアーデ (Mircea Eliade, 1907-1986)が国際宗教史学会のために来日した時に、ハイデガー哲学者と思しき学者が龍樹の仏教哲学など勉強する時間が惜しいと心情を吐露した。 しかしエリアーデはG.W. F.ヘーゲルまでの論理学の中に(龍樹=ナーガルジュンナの)中観哲学の思想が埋め込まれているのだと説諭し喝を入れたらしい。自戒を込めていうが、思想 や哲学の教育が日本では子供時代から貧困なため、立派に大人になった後でも(現代の知のあり方や人間存在の問題に関わる)AI研究でもファンダメンタルな 部分で西洋の素養の深い学者の後塵を拝するはめになるわけだ。アルトゥール・ショーペンハウアーしかりカール・ヤスパースしかり、ドイツ観念論は、フラン スやプロシアの東洋学者から仏教哲学を勉強してきた伝統がある。くだんのハイデガー学者はそのことを忘れているわけである。

 私の友人の科学哲学者は、日本でなんでフーコーが こんなに人気あるのか、それほど上手じゃなフランス語でフーコーの訓詁学を紐解くよりも、フランス語と母語の日本語で、日本におけるフーコー受容を日本文 化との関連性の中で論じて、フランス語で論文書いたら第一人者になれるのにと言っていたことを思い起こす。ここから得られるわれわれの教訓は、(1)鉄は 熱いうちに打て、(2)自分が置かれた状況について反省的に把握せよ、そして(3)行動すべき時がくれば、すぐに適切に動け、ということである。

 2020年9月の中間発表会では、そのいきさつを 踏まえて、僕たちは(1)空気が詰まる大阪大学の研究・教育・産学共創をデザイン思考により積極的に改造する、(2)空気ソリューション技術から快適性の みなら破壊的イノベーションをうみだすダイキンイメージを刷新する、(3)コロナ禍がもたらしたブレンディド教育化が大阪大学をして「人間環境空気を変え る」スマートキャンパスをデザインせしめる、という3つの目標を提言した。

 そして【現実課題】として、(a)デジタル・ ヒューマニティーズの構築、(b)ハイパーアクセシビリティキャンパス構想、そして(c)ハンダイ・デザイン・スクールの創出が急務とした。また、それら を実現するための【デザイン課題/デザイン理念】として、(d)イノベーション・デザイン、(e)大学のアンチエージング、(f)ハンダイDWAA(双翼 型学術アーキテクチャー)の促進の3つの柱を提案した。

 大学のアンチエージング化(=企業のアンチエージ ング化につながる)とは、本来のアンチエイジングの意味は細胞の耐久性を伸ばすことではない。むしろ組織の生死ターンオーバーを促進させることである。 ICTによる情報アーカイブ化と更新が、教育カリキュラムと教授内容におけるターンオーバーを促進させるさせいつもキャンパスの情報と空気は新鮮(フレッ シュ)である。

 私どものCOデザインセンターは大学院が中心であ りは、学部高学年の学生も数多くいる。この5年間、対話型の教育をやってきたのであるが、授業を受ける学生は、いわゆるゆとり教育の世代の人たちである。 グループディスカッションなどをやらせると、結構熱心に話してくれる。さらに、ある程度段取りをつけてやると、立派な発表が出来る。こういう能力は、明ら かに最近の若い人たちの方が高いと思う。対話型教育で能力の高い学生に聞くと、今まで中学校や高校でこういう授業を受けてきたと言う。

 私たちは、対話型の授業をやっているのであるが、 それを受ける学生は、先ず、率先して意見を言わねばならない。それも、言うだけではなくて、周りの人の言っていることをよく理解しないといけない、当意即 妙の発言もしなければならない。それから、自分の考えと相手の考えが、何が共通で何が違うのかをよく解析・理解する能力も要求される。このような能力は、 対話型授業をおこなう教師も持っていなければならない資質である。

 しかし、私自身が受けてきた教育は、小学校や中学 校の先生方が言ってきたような、受け身型の授業である。その私が対話型授業をしている/できると主張しているわけである。私自身は、人間というのは、教育 の長い効果の中で、徐々に成熟していく部分と、非常に短い期間で変わる部分があると思う。それぞれの部分が具体的に何であるかを考えるべきであると思う。 いずれにせよ、実際に非常に短期間でコミュニケーションの仕方、モードをある程度変えることができるのであれば、そういうことは教育の長い効果でないと出 来ないと考えて対話型授業をしないよりは、出来るところからやっていこうというふうにする方が、教育現場のためには良いのである。

 大学の現場でも、学生の全てが最初から対話型授業 を成り立たせる能力を持っているわけではありません。テレビ番組、NHKの教育テレビのトーク番組などで、若い人たちが意見を戦わせているのを見て、これ なら自分もできるのではないかと思っていたところへ、教育の場で実際にそういう機会が与えられたので、実際にやってみた。一度やってみると、面白いのでど んどんエスカレートしていって、やがて好きになるというふうな学生も多い。まとめると、授業を受けている短期間に変わったとも言えり。ここで大事なのは、 学校教育であれ、社会教育であれ、どのような教育でもやらなければならないこと、すなわち、学ぶことの楽しさ、あるいは、身につけることの楽しさを対話型 授業は確実に提供していることである。

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