医療人類学の下位領域
Academic Genre of Medical Anthropology
医療人類学を4つの領域に下位分類することは、もっとも一般的で古典的なものとなった。これは医療人類学領域を形成した学問領域を次の4つ の起源にもとめる立場である。フォスターとアンダーソンの教科書(1977:4-8)では、自然人類学、民族医学、文化とパーソナリティ研究、国際公衆衛 生に分けられているが、それは最も有名なものである。以下の分類には、さらに幾つかの下位に属する学問分野が位置づけられるが、これは私が書き加えたもの である。
1.自然人類学(Physical anthropology)
古病理学[paleopathology/医学史的病理解剖学]
疾病地理学・歴史学
栄養生態学
人類生態学[human ecology]
2.民族医学(Ethnomedicine)
呪術研究
シャーマニズム研究
民族植物・動物学研究
民俗医学
民俗病因論
民族病理学
身体論研究
3.文化とパーソナリティ研究(Culture and personality studies)
精神分析(諸流派)
心理人類学
トランスカルチュラル精神医学
比較精神医学
民族精神医学
4.国際的な公衆衛生学(International public health)
寄生虫病学(公衆衛生・疫学や行動生態学を含む)
近代医療導入後の文化変容
開発人類学
この下位領域の位置づけがすべての医療人類学者に満足のいくものではないかもしれない。しかし、この分類を、その領域がおもにどのような 方法論をとるかということに着目して、おもに自然科学なのかあるいは人文社会科学なのかという方向に広がる横軸と、研究対象をおもに「個体」や「個別」に 焦点を当てるか、あるいは「社会」や「全体」に焦点をあてるかで広がる縦軸とで区切られる四象限に振り分けてみると、その傾向が類別できて先の分類があな がち的外れではないことに気づくだろう。この四象限分類は図1.で描いたとおりである。ただし、当時の学問領域をそれぞれ不可侵のカテゴリーとしてお互い に尊重する点で、全く問題がないとは言えない。つまり医療人類学をとらえる際に、それぞれの下位領域が独自のテリトリーとして他からの批判を寄せつけず、 批判的というというよりは「敬して遠ざける」ような態度を相互の研究者のなかに意識づけるような働きをもってきたのではないのか、という危惧である。
事実、このような分類そのものに疑問を投げかけるような研究もある。たとえば、近代医学の認識論そのものが、それを担ってきた男性中心の イデオロギーの反映であり、医学研究の最先端でありきわめて客観的であるとみなされている免疫学においてさえも科学的に表現される際には、その社会の価値 観が投影されるといったダナ・ハラウエイ (Donna Haraway, 1944-)のような指摘などがある。そのような立場にたてば、人文社会科学と自然科学は対局の位置にあるのではなく、自然科 学そのものも人文社会科学的な研究の対象になるべきであることが理解されるだろう。あるいは、いかなる「医療」もその社会のなかで「文化的に構築された」 (culturally constructed)ものであるので、医療人類学は自然科学にもとづく近代医学そのものも人類学的な分析の対象として批判的に論じられる必要がある。 四分類が下位領域のテリトリーを守る傾向があると言ったのはこのような意味からである。
いづれにせよ、医療人類学をこのような広がりの中で発展したと考える見方があることを確認できればよい。問題は、むしろその内部の絶える ことのない細分化である。1979年にアメリカ人類学会に所属する医療人類学会の最初の特別刊行物である『医療人類学教本』Teaching Medical Anthropology と呼ばれるマニュアルには、最初の二章での医療人類学の解説に続いて、次の7つの研究分野が列挙されている。
1 民族医学ないしは比較医療システム
2 栄養人類学
3 看護実践の文化的多様性
4 文化と出生
5 民族精神医学、あるいは通文化的精神医学
6 生物医学的人類学
7 家族構造と保健
このマニュアルには当時の各分野の専門家が、学部や大学院などで実際に行っている様式に従って、その領域の概況や、学生や院生に対する必 読文献が提示され、その文献が選択された理由などが述べられている。また分担で読んだり、さらに深く学ぶための文献や記録映画など挙げられている。これは 先の理念的な分類よりも、実践にもとづく当時アメリカの医療人類学の発展の方向を示唆している点で興味深い。つまり、ひとつは栄養や看護研究などの、すで に先行してあった医療に深く関わる専門領域が新たに医療人類学の下位領域として名乗りを上げてきたことである。そして他のひとつは、出生や家族保健など、 開発途上国の医療援助の際に必要とされる領域の研究が、独立した研究ジャンルとして登場していることである。医療人類学は社会的な要請のもとで発展し、ま た医療人類学を担う人たちもそのことを明確に意識していたのである。
では、最近の状況(ca. 1997)はどうであろう。我々は医療人類学の下位領域を論じるさいに30年前の分類を古典的と形容してきたので、1980年代末に公刊された医療人類学 の読本を、現在の状況とするにはためらいがあるが、紹介してみよう。例えば、88年の「理論と方法のハンドブック」と副題のついた『医療人類学』は、とも に1947年生まれのジョンソンとサージェントによる大部の編集本である。この本は5部構成で19の論文が収載され、引用された総文献数は二千弱にもな る。もはや医療人類学の全体の文献を読み尽くそうという野心が揺らぐほどの量である。このハンドブックは、(1)理論的パースペクティブ、(2)医療諸体 系、(3)人間集団の保健問題、(4)医療人類学における諸方法、(5)政策と唱道、から構成されている。その下位領域を紹介するそれぞれの論文のタイト ルは、次のとおりである。
(1)治療過程、医療人類学における政治経済学、医療人類学における批判的−解釈的アプローチ、精神分析的パースペクティブ、応用医療人類 学、の5論文
(2)民族医療、民族精神医学、民族薬学、文化システムとしてのバイオメディスンの研究、看護と人類学、の5論文
(3)疾病と生態学と人間行動、人類学と人間の生殖、ドラッグ研究、文化とストレスと疾病、の4論文。
(4)医療人類学におけるフィールド調査、疫学と医療人類学、人口学、の調査法に関する3論文。
(5)土着治療者の専門職化、国際保健と開発、の2論文。
ここから読みとられることは明らかである。つまり、医療人類学者にとって共有される「独特の」理論領域があるということ、医療人類学者に とって研究対象となるような「医療」のカテゴリーに一定の合意が認められること、人間の保健問題や開発に積極的に関与する「応用」領域が確立したこと、そ して、医療人類学という領域に不可欠の方法論があるという合意があるということだ。
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099