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スマートメディアユーザーのナルシズム化は「新しい孤独」を生みつつあるのか?:先行研究の検討

Narcissism-ization and emaerging new solitude among the Digital Natives: An Ethnographic Studies

(ポスター)

池田光穂(COデザインセンター)、山崎スコウ竜二 (先導的学際研究機構共生知能システム研究センター)、井上大介(創価大学文学部)、徐淑子(新潟県立看護大学)

◀︎研究の概要︎︎▶︎この研究は、デジタル・ネイ ティブである若者がス マートフォンを利用するなかで、現実と仮想のソーシャル・ネットワークの動態の現状について調べ、そして旧世代から危惧されているような、ヴァーチャル・ コミュニケーションの増大ははたしてユーザーのナルシズム化と「新しい孤独」を生んでいるのかという疑問について答えるために、(リアルとヴァーチャルの 両方の)エスノグラフィーの手法を使って、世界のいくつかの地域の共通性と多様性の特性を明らかにすることにある。このことにより若者の間に流布している 「ナルシズム」や「孤独」の意味とICT時代のコミュニケーションに新たな知見をもたらす。

◀︎方法▶この発表では先行研究を検討する。里程標 としてのシェリー・タークル『つながっているのに孤独:人生を豊かにするはずのインターネットの正体』渡会圭子訳、ダイヤモンド社、2018年 (Sherry Turkle, Alone together: why we expect more from technology and less from each other. 3rd. ed.,. Basic Books, 2017)の第一二章「真実の告白」を使って、自分の隠されたプライバシーを告白サイトに書き込む人たちの自己アイデンティティの形成やコミュニティ概念 について検討した。

◀︎結果▶告白サイトの書記法の特徴には、(1)匿 名の投稿、(2)秘密と断り書きがある、(3)反応が期待されている、ということがある。その内容は、不適切な性関係や、薬物依存症の告白などからなる。 書き込む人たちは、寄り添い共感したコメントを期待するが、その数は少なく、多くの場合、むしろ道徳起業家のように、相手の立場に立たず説教をする傾向が 強い。このように投稿者には相反する傾向があるのに「ハマる」理由には、「悪くはない」「みんなさびしい、よりどころになる」「胸のつかえを下ろすことに 役立つ」とコメントする。タークルによると「低くなった期待値を共有して」おり、それゆえコミュニケーションロボットやネットの書き込みが、敷居の低い呼 び水になっている。年齢が高い(36歳以上)人は、未だ得られていない友人をネットとして捉え、若い人は告白サイトをめずらしいものとして捉える。書き込 みは韜晦を含めたネガティブな経験であるが、投稿者は告白しても、態度を改めたり、類似の人と積極底なコミュニケーションをとろうはしない。投稿はカタル シスの面があり「落ち込んだ時に告白する。海に流す瓶に入れる手紙と同じ」と表現する。タークルによるとこのような矛盾する書き込み行為は(精神医学でい う)一種の解離だという。自分のことを書き込んだにもかかわらず他人の経験のように客体化されているという。告白サイトには狼が多く潜んでおり、時にエス カーレートして、炎上に油を注ぐ人自身も挙句の果ては攻撃そのものが自己目的化して自失することも珍しくない。

◀︎結果(続き)▶タークルによると、ネットでの (攻撃対象になる可能性のある)プライバシーを書き込むと同時に他者には不満をぶつけるのは、ある種の感情の転移であると分析している。炎上が終わらない のは、物理的な制御要因がないからだというのが、タークルの説明である。告白サイトが、一時的な安心であるにもかからず、その不安の背景にあるものを(書 き込む)ユーザーが理解しているとは言えない。そのように分析して、タークルは告白サイトやSNSはコミュニティか?という疑問を提示する。サイトの多く の投稿者はコミュニティと見ているようだが、タークルはレイ・オルデンバーグのコミュニティの定義である、「とても居心地のよいところ」具体的には、コー ヒーショップ、公園、理髪店など、リアルな空間で、仮想空間にはコミュニティはないと喝破する。その理由は「コミュニティを構成するのは、物理的な近接 性、関心事の共有、現実の結果、責任の共有などだ。そのメンバーはきわめて実際的なやり方で互いに助け合う」(2018:414)機能がないからだ。告白 サイトはカタルシスを通して治療効果があるという主張にタークル教授は強く異論を持つ。投稿してコメントを消費することには、内省的プロセスが欠けている からである。さらに、ネガティブな経験がないコメントするだけのオーディエンスにも、告白サイトを読み続けるには、それに慣れる必要がある。他方で、慣れ ると今度は、それらがおなじみのジャンルのひとつにすぎないと思うようになる。つまり、人々が具体的な個人に向けられる暴力の諸相が平準化され、ジャンル 化され言わば、暴力経験の馴化がおこるからだと、結論している。

●クレジット:基盤研究(C)「スマートメディアユーザーのナルシズム化と新しい孤独の誕生:民族誌研究」 (令和2(2020)年度〜令和4(2022)年度)課題番号 20K01216

●研究倫理委員会承認 CSCD_IRB_2020-2_200625.pdf in pdf with password(2020年6月25日)

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