か ならず読んでください

さあ暴力について語ろう

The Culture of Violence


池田光穂

暴力にかんする理論的な考察は「暴力:その定義」「構造的暴力」「暴力の文化」でおこなっています。ここでは、日本ラテンアメリカ学会でのコ メンテーターとして、コメントしたことを通して、これまでの私の考察とは、少し異なった角度から暴力について考察してみましょう。

Mitzub'ixi Qu'q Ch’ij, Centro de diseño de CO*-?!, Universidad de Osaka
Vamos a hablar sobre La violencia general qué no se puede hablar

¡さあ暴力について語ろう!

後ろ挿絵は、"The Far Side" シリーズでおなじみの、Gary Larson (1950- )によるもの。地獄に落ちた犬どもが、チリトリをもってフンを回収したり、郵便配達をしている(米国では郵便配達夫に噛む犬が伝統的に多く彼らにとって犬 は鬼門だったらしい)

クレジット:
パネルD「政治暴力の後の日常性:終わりのない問いを生きる」
第42回日本ラテンアメリカ学会定期大会(オンライン)2021年6月6日

1)石田智恵:アルゼンチン失踪者の問いかけとその変化

2)内藤順子:軍政後のチリにおける社会運動:声を上げ始めた女性たち

3)柴田修子:和平合意後のコロンビア:暴力のなかの日常を生きる

4)狐崎知己:低強度ジェノサイドに抗するグアテマラ先住民女性たち

5)細谷広美:紛争後の先住民コミュニティにおける真実とリアリティ:バルガス=リョサ委員会後のウチュラハイ村
「そしてその夫の前に結婚していた前夫 リ アムのことを懐かしそうに口にするのだった。リアムは優しく彼女に手を上げたことなど一度もなく、とても美男子だったという。いつたいリアムはどうなさっ たんですか、病気で亡くなったんですかとわたしは尋ねた。マリーは即座に答えた。『どうなったですって?爆弾で粉々に吹き飛ばされたのよ』。わたしが返す 言葉を見つけられないでいるうちに、彼女はなかば叫ぶように『リアムさえ生きていれば、私もあんな思いをしなくて済んだのに』と言い、あふれる涙をぬぐっ た。マリーの死んだ前夫リアムがIRAのメンバーであり、市街地に仕掛けるはずだった爆弾を移動中に誤って爆発させたことを知ったのは翌々日のことであ る」酒井朋子『紛争という日常:北アイルランドにおける記憶と語りの民族誌』人文書院、P.14、2015年
·池田光穂『暴力の政治民族誌:現代マ ヤ先住民の経験と記憶』大阪大学出版会、2020年の上梓しました。
·1998年に最初の論文、その後、熊本大学·大阪大学で定期的に「政治的暴力の文化人類学」の授業をおこなっています。
·医療人類学者としては、トラウマ経験とその回復理論において、ユダヤ人社会学者アーロン·アントノフスキー(1923-1994)のサリュートジェネシ スと「一貫性の感覚(SOC)」について大きな影響を受けました。
現在は、文化人類学の戦争協力の歴史研究で、ナチスドイツの組織的な最終解決にむけての「異様な目的行為論」とユダヤ人人体実験の「異様な功利主義」の共 存について研究中です。
Two children on the streets of the Warsaw Ghetto. Credit: Photo Archive


The Warsaw ghetto uprising began on April 19, 1943, after German troops and police entered the ghetto to deport its surviving inhabitants. By May 16, 1943, the Germans had crushed the uprising, deported surviving ghetto residents, and left the ghetto area in ruins.

https://bit.ly/3pnUd8E


·暴力後の世界を生きる我々は、過去の 政治的暴力のことを解決済のものとして扱うことができない時代に生きている。
·和平合意、国民的和解、多文化多民族多言語レジームへの転換、国際機関の勧告、真相究明員会、人権侵害に関する仔細な報告書の刊行、無処罰法の見直しと 訴追というこれまでの流れに対する、《不正義のバックラッシュ》
·失踪者と加害に協力した人たちの間の《記憶をめぐる軋轢》
·弾圧者の子どもたちが、自分の親たちを糾弾し、記憶の運動に参加すること
·【私の感想】スターリン体制や文化大革命の政治状況の下では、子どもたちが親を密告したり、人民裁判で告発したエピソードを思い起こす。
·【私の質問】マスヒステリーや深層心理学(ないしは神話研究)における父親殺しを想起させるが、そのような「社会病理」に対して研究者としてどのような 態度表明をとるべきなのか?それとも歴史相対主義的な立場を貫いて観察と記述を貫徹すべきなのか?
·政治的暴力というものが女性に向けら れる時に性暴力として発露する。
·PTSDに苛まれながら地獄の日々を生きる人々に寄り添い、調査を続けることの困難さに、正直に敬服する(あるいは社会科学者として、そのように振舞わ ねばならない)
·PTSDの歴史について医療人類学的分析を加えたアラン·ヤングによると、PTSDの公式的治療は「忘却」と「組換え」しか当時はなかったそうだ。
·現代のケアワーカーの精神的ワクチンとというものはなく、ひたすら二次受傷を回避するしかないそうだ。ただ、アレハンドラの「覚醒」は人生の最後の最後 まで被害者のレジリエンス能力の可能性に一縷の望みという光を私に齎した。
·【私の質問】無力でただ聞くだけという文化人類学者にも、誰しもがレジリエントである可能性をもつことを、別の苦しみをもつ女性に伝えることは可能で しょうか?ちょうど私が絶望の極みの少女たちの写真によって研究の気力を鼓舞されるように?
·悲しい町トゥマコをめぐる人々の苦境 の物語
·コカの栽培地を「暴力的な」栄養にするFARCとパラミリタリー
·最後の手段(last resort)としての国内難民化
·2014年以降のトゥマコの殺人発生率のサージ(急激上昇)はコカインの生産とパラレル
·世界各地の麻薬取引をめぐる殺人はエンデミックでかつパンデミック。国際社会の連携抜きに解決なし
·【私の質問】麻薬の取引に関する暴力事象の問題は全地球レベルの問題。それぞれの研究者の発言は小さいが、これらに対しての地域の人たちが声を上げ、そ して研究者たちがその媒介になり、さまざまな人道的な抗議の声をあげることができるでしょうか?それをおこなうために私たちは、まず何から始める必要があ るでしょうか?
·グアテマラにおける統治の失敗を低強 度ジェノサイドとしてまとめる。リカルド·ファーリャによるこの用語はヨハン·ガルトゥングの構造的暴力とならんで我々に対して理論的な研究への意志を鼓 舞すると思います。
·CEHの分析に従い、その原因を、1)オリガルキー経済の再生産、2)持続的なレイシズムイデオロギー、3)政治的強権政治に回帰するような権力の腐敗 構造としてまとめています。
·権利ベースアプローチ(観念論)〈対〉EMV(プラグマティズム)とそのアウフヘーベンの可能性の示唆
·【私の質問】そのような「失敗国家」グアテマラに対しても、日本の戦後の農村開発で使われた「生活改善アプローチ(EMV)」の有効性に未来への希望を 託されています。その有効性の確認は現在検証結果の待ちですが、狐崎さんの手応えはあるとの見解です。現時点でのスペキュレーションでかまいません。どの ような要因が効いているとお考えでしょうか?見解をお聞きしたい。
·ウチュラハイ村での1983年1月 26日の事件はとても印象的です。私はこれまで幾度も細谷さんの発表を聞いてきましたが、報告者が発表の度にさまざまな切り口で解説してくださるので何度 聞いても飽きることがありません。
·今回の発表で私が再確認したの発表のタイトルにカッコ書きしてあった「真実」でも、カッコが付されていない「リアリティ」にもありません。細谷さんは、 この真理ゲームのプレイヤーの中で先住民側の代弁者として、その真相を解明されています。
·外部からウチュラハイに向かっていたミスティの一度に殺された新聞記者8名と紛争の短くない期間に殺された135名の村人たちのインバランスです。アメ リカの歴史家のアーサー·シュレジンガーが揶揄していうには、ボティカウント(屍体の数=犠牲者数)で暴力の大きさを比較するのは我々の視座を曇らすとの ことですが、ウチュラハイのこのケースでは私は首肯できず、細谷さんもリョサの報告書の中にみられるレイシズムとオリエンタリズムを批判されています。
·【私の質問】ペルーの社会のなかで、ミスティも先住民も、この命の価値の不均衡について異議を申し立てたり、怒ったりされる市井の人あるいは専門家(あ るいは人間)はおられるでしょうか?先住民の命が軽んじられているという(細谷さんを含めて)素朴な怒りの声のあげる現地の人たちです。
最後に報告者のみなさま全員にメッセー ジを

政治的暴力とその表象化には、その時代時代の支配者側の解釈がさまざまに投影されています。私たちも現地調査に赴き、そのような意図が一切ないにも関わら ず、どんな面をぶらさげてここにきたのか?と詰問されることも今後ともあるでしょう——その理由は我々の世界はまだポストコロニアルになっていないからで す。

ベンヤミンはこう言います。歴史はつねに滅ぼした側からしか書かれない。滅ぼされた側からの歴史(ショーレムは反歴史という)が甦えらせない限り歴史記述 は常に人間にとって不完全なままである、と。本日お聞きした話は本当に辛い話ですし、政治的暴力の再生産の危険性に、全世界の人々が脅威にされされている のはご存知のとおり。それでもなお、希望は失われたままなのでしょうか。暴力についての語りを通りすがりに聞いてしまい心が呪縛されたすべての人——我々 のことです——のみが反歴史を書く僥倖に恵まれていると思います。少なくとも私は、そう確信しています。

ジル・ドゥルーズの生成変化 (Devenir)に倣って…

民族誌(ethnography)を書くことは生成変化だ。だが共感したり反発したりする人々(ethnos, folk)になることでは決してない。まったく別のものになること。「少数者が自分ために書くのでも、人が彼ら(ママ)を対象にして書くのでもない。反対 に、人は書くことによって、否応なく彼らの内に捕らえられるのである。少数者は、決して少数者のままで存在するのではなく。まさに彼らの前進と攻撃の仕方 でもある闘争の線上で形成されるのだ」。

ジル・ドゥルーズとクレール・パネ『ドゥルーズの思想』田村毅訳, pp.68-69, 1980年
Two children on the streets of the Warsaw Ghetto. Credit: Photo Archive  https://bit.ly/2Sbhhva

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