気づかいとその行為の哲学
Philosophy of Care
☆ 【日本語におけるケア用語の狭さ】
ケ アは気づかいや配慮という意味がありそこから医療や福祉のケアという[賃労働を含む]行為が出てくる.そこで[本来の意味での]「ケアの哲学」を論じると 人は狭いケアを探して思想的根拠を求めるが失敗する.「気づかいとその行為の哲学」と考えればよい。
★ケアの哲学 / ボリス・グロイス著 ; 河村彩訳, 人文書院 , 2023/ Philosophy of care, Boris Groys, Verso 2022,★ 書肆紹介:「私たちは物理的身体だけではなく、データの集合としての自己を形成する象徴的身体を持っている。現代におけるケアを考えるとき、両方の身体を 視野に入れる必要があるのではないか。人間が自らの生存に配慮するセルフケアを行うとき、国家による生政治としてのケアに抵抗する別の可能性が開かれる。 美術批評の世界的第一人者グロイスが、これまでの仕事の延長上で新しいケア概念を提起し、プラトン、ソクラテスからヘーゲル、ニーチェ、バタイユ、ハイデ ガー、アレントなど数々の哲学を独自の視点からケアの哲学として読み替える。」
はじめに―ケアとセルフケア
1 ケアからセルフケアへ―プラトン、ソクラテス
2 セルフケアからケアへ―ヘーゲル
3 大いなる健康―ニーチェ
4 ケアテイカーとしての賢人―コジェーヴ
5 至高の動物―バタイユ
6 汚染する聖なるもの―カイヨワ
7 ケアテイカーとしての人民―ドゥボール
8 誰が人民なのか?―ワーグナー
9 現存在であることとしてのケア―ハイデガー
10 掃除婦の眼差しのもとで―フョードロフ
11 仕事と労働―アレント
12 革命のケア―ボグダーノフ
はじめに―ケアとセルフケア | |
1 ケアからセルフケアへ―プラトン、ソクラテス | |
2 セルフケアからケアへ―ヘーゲル | |
3 大いなる健康―ニーチェ | |
4 ケアテイカーとしての賢人―コジェーヴ | |
5 至高の動物―バタイユ | |
6 汚染する聖なるもの―カイヨワ | |
7 ケアテイカーとしての人民―ドゥボール | |
8 誰が人民なのか?―ワーグナー | |
9 現存在であることとしてのケア―ハイデガー | |
10 掃除婦の眼差しのもとで―フョードロフ | |
11 仕事と労働―アレント | |
12 革命のケア―ボグダーノフ | |
リ ンク
文 献
そ の他の情報
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
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