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新宗教と癒し

Japanese modern new religions, SHIN-SHUU-KYO, and healing concepts

Catacombs of Priscilla, Roma

池田光穂

新宗教とは「幕末末期以後に民衆自身の手 によって生み出された宗教運動」であり、「新興宗教、新宗教運動、新興教団」などと呼ばれてきた(『新 宗教研究調査ハンドブック』)。「新宗教」と呼ぶのは「新興宗教」よりも価値判断をより減じることができ、当事者たちもこの語を用いる場合があるからであ る。日本の幕末以降のみならず、社会の変動期には宗教運動が多発することはよく知られた事実である。そのような宗教運動の主体となるのは、その時代におけ る社会的弱者(下層民衆や女性など)であることが多い。そしてその運動は、特定の神格や時には唱道者を救世主と見なし崇拝するる小グループによる祭祀集 団、いわゆるカルトの形態をとる。運動の中で主張される理念は、原初的で理想的な社会を実現させようとするので、現実の既成権力の論理と対抗することもし ばしばである。そして、時の権力がこれらの運動に対して警戒し、弾圧を行なってきたのは周知の事実である。このような運動形態を、黙示録にみられるメシア 王国での至福千年のキリストの再臨を願う信仰にたとえて「千年王国主義」と呼ぶことがある。

このような特色を持つ新宗教運動には、必 ずと言ってもよいほど「病気治し」のことが登場する。信仰と治癒の関係は、ほとんどあらゆる宗教におい て取り扱われているが、一般的には教団組織が整備されればされるほど、治癒への即物的な言及は減ってゆき、治癒の精神的な面をより強調する傾向がある。新 宗教では、信仰と治癒の結びつきがより強固に主張されるために、様々な研究者の関心を呼んできた。

だが、新宗教と明治期以降の現代医学が出 会う点は決して学問的に生産的であったかというと、決してそうではない。そして、その研究のほとんどは 精神医学あるいは精神病理学の分野によるものである。精神医学が新宗教をどのように理解したかというと、それは迷信を信仰する非合理的行動としての新宗教 運動であり、それを支える信者と精神病質の因果関係にあった。当時、西欧で起こりつつあった精神病理学の影響のもとで日本独自の展開を始めていたこの学問 領域において、自ずとそれが前提としている西洋合理主義と日本的な俗信とが出会うことになったのである。その研究の先駆けとして門脇真枝、中村古峡、森田 正馬などの精神医学者たちが挙げられる。同時に、このころは天皇を中心とする国家主義的なイデオロギーのもとで、新宗教に見られるような千年王国主義運動 は厳しい弾圧を強いられた。そして、新宗教運動は先に述べたように体制や社会的権威のスケープゴート(いけにえの山羊)となり、卑猥で理解できない宗教と いう意味で「淫祠邪教(いんしじゃきょう)」というレッテルを貼られて差別された。医学的権威は、「精神鑑定」という名のもとで新宗教の教祖や教団関係者 の国家による監視に協力した。つまり、彼らに狂気の烙印を押し、その非合理性を医学的権威によって断定したのである。

精神医学によるこのステレオタイプな新宗 教観は、後の時代になってもなかなか払拭できなかった。しかし、一九七〇年頃から参与観察を行なってき た宗教学や社会学の研究者の中から、医学的なバイアスから自由な興味深い研究が数多くでてきた。つまり、(それらの研究で明らかにされたのは、)新宗教の 病気や治療の概念には、神の働きかけより現実の生活や人間関係を改善することによって救済されると考える。因縁や障霊の前提に全体論的な生命観や生命現象 への畏敬の念があること。つまり、万物を生かし続ける根源的な生命との調和を通して本来的な人間関係の回復と充実を目指す世界観が見て取れる。

新宗教のこのような救済観は「生命主義 的」な主張を持つと言われている。新宗教と現代医療における治癒の概念の比較を通して、新宗教が主張する より包括的な治療の概念、つまり「癒し」とも言えるものが明らかになろう。現代医療は、いわば医師−患者関係に代表されるような限定された要素還元主義的 な視点に立って治療と言うものを考えようとするのに対して、新宗教における癒しは患者のみならず、患者の家族、親族、共同体、ひいては社会全体が治療され なければならないと主張する。もちろん、それぞれの新宗教の各宗派によってさまざまな病因論体系があり、全ての新宗教に生命主義的な主張が見られるわけで もない。ただ傾向としてそのようなことが言えるのである。しかし、新宗教運動が生み出す治療の概念がこのような共通性を持っているのは事実であり、私たち はむしろそれぞれの「癒し」の概念がなぜ共通であるのかを問題にしたい。それは最初に述べたように、新宗教運動が持っている理想的な社会のを実現させる千 年王国主義運動的な傾向と無縁ではない。新宗教が主張する「癒し」はその点で現代医学の主張とは異なり、現実の医療への批判という側面を持っていた。新宗 教が主張する「癒し」の論理が問いかけるものを、現代医学は批判的に取り上げなければならない時期に来ているのである。

クレジット:池田光穂「新宗教と癒し」『文化現象としての医療 : 「医と時代」を読み解くキーワード集』医療人類学研究会編、吹田 : メディカ出版、1992年

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