The Communist manifesto
The Communist Manifesto, originally the Manifesto of the Communist Party (German: Manifest der Kommunistischen Partei), is an 1848 pamphlet by German philosophers Karl Marx and Friedrich Engels. Commissioned by the Communist League and originally published in London just as the Revolutions of 1848 began to erupt, the Manifesto was later recognised as one of the world's most influential political documents. It presents an analytical approach to the class struggle (historical and then-present) and the conflicts of capitalism and the capitalist mode of production, rather than a prediction of communism's potential future forms.
共産黨宣言(堺利彦・幸徳秋水共譯) |
Manifesto of the Communist Party |
Manifest der Kommunistischen Partei (1848) |
一個の怪物がヨーロッパを徘徊してゐる。すなはち共産主義の怪物である。古いヨーロッパのあらゆる權力は、この怪物を退治するために、神聖同盟を結んでゐる。ローマ法皇もツァールも、メッテルニヒもギゾウも、フランスの急進黨もドイツの探偵も。 〔譯者註〕メッテルニヒはオーストリーの宰相、ギゾウはフランスの首相。 見よ。在野の政黨で、在朝の政敵から、共産主義的だといつて誹毀されないものがあるか。また見よ、在野の政黨で、他の一そう急進的な反對諸黨派に對して、ならびにその保守的な政敵に對して、共産主義の燒印をつけた詰責を投げ返さないものがあるか。 この事實から二つのことがわかる。 共産主義はあらゆるヨーロッパの權力者から、既に一個の勢力として認識されてゐること。 共産主義者が全世界の面前にその見解、その目的、その傾向を公然と表示し、黨自身の宣言をもつて、共産主義の怪物のお伽噺と對抗すべき時機が熟してゐること。 この目的のために、諸國の共産主義者がロンドンに集まつて、次の宣言を起草した。そしてそれをイギリス語、フランス語、ドイツ語、イタリー語、フレミッシュ語、およびデンマーク語で公表することにした。 |
A spectre is
haunting Europe — the spectre of communism. All the powers of old
Europe have entered into a holy alliance to exorcise this spectre: Pope
and Tsar, Metternich and Guizot, French Radicals and German
police-spies. Where is the party in opposition that has not been decried as communistic by its opponents in power? Where is the opposition that has not hurled back the branding reproach of communism, against the more advanced opposition parties, as well as against its reactionary adversaries? Two things result from this fact: I. Communism is already acknowledged by all European powers to be itself a power. II. It is high time that Communists should openly, in the face of the whole world, publish their views, their aims, their tendencies, and meet this nursery tale of the Spectre of Communism with a manifesto of the party itself. To this end, Communists of various nationalities have assembled in London and sketched the following manifesto, to be published in the English, French, German, Italian, Flemish and Danish languages. |
Ein Gespenst geht
um in Europa – das Gespenst des Kommunismus. Alle Mächte des alten
Europa haben sich zu einer heiligen Hetzjagd gegen dies Gespenst
verbündet, der Papst und der Czar, Metternich und Guizot, französische
Radikale und deutsche Polizisten. Wo ist die Oppositionspartei, die nicht von ihren regierenden Gegnern als kommunistisch verschrieen worden wäre, wo die Oppositionspartei, die den fortgeschritteneren Oppositionsleuten sowohl, wie ihren reaktionären Gegnern den brandmarkenden Vorwurf des Kommunismus nicht zurückgeschleudert hätte? Zweierlei geht aus dieser Thatsache hervor. Der Kommunismus wird bereits von allen europäischen Mächten als eine Macht anerkannt. Es ist hohe Zeit daß die Kommunisten ihre Anschauungsweise, ihre Zwecke, ihre Tendenzen vor der ganzen Welt offen darlegen, und den Mährchen vom Gespenst des Kommunismus ein Manifest der Partei selbst entgegenstellen. Zu diesem Zweck haben sich Kommunisten der verschiedensten Nationalität in London versammelt und das folgende Manifest entworfen, das in englischer, französischer, deutscher, italienischer, flämmischer und dänischer Sprache veröffentlicht wird. |
第一章 ブルジョアとプロレタリヤ(1) |
Chapter I. Bourgeois and Proletarians(1) |
Bourgeois und Proletarier. |
在來一切の社會の歴史は、階級鬪爭の歴史である(2)。 自由民と奴隷、貴族と平民、領主と農奴、ギルド(同業組合)の親方(3)と徒弟職人、一言にすれば壓伏者と被壓伏者とが、古來常に相對立して、或ひは公 然の、或ひは隱然の鬪爭を繼續してゐた。そしてその鬪爭はいつでも、社會全體の革命的改造に終るか、或ひは交戰せる兩階級の共仆れに終るのであつた。 (1)ブルジョアとは、近世資本家の階級、社會的生産の諸機關(あるひは諸手段)の所有者、および賃銀勞働の雇用者を意味する。プロレタリヤとは、自分で 生産機關(あるひは生産手段)をもつてゐないので、生活のためには自分の勞働力を賣るほかはない近世賃銀勞働者を意味する。 〔譯者註〕ブルジョアは初め我々によつて『紳士』と譯され、ブルジョアジーは『紳士閥』と譯された。そして、プロレタリヤは初め『平民』あるひは『平民勞働者』と譯された。 (2)精密にいへば、記録された歴史である。一八四七年には、有史以前に存在した社會組織は殆んど全く知られてゐなかつた。その後、ハクスタウゼンはロシ ヤにおける土地共有制を發見し、マウレルはすべてのチュートン人種が歴史に入るまへ、土地共有を社會の基礎としてゐたことを論證し、それから次第に、村落 共産制がインドからアイルランドまで到る處において、社會の原始的形態であること、もしくはあつたことが分かつて來た。そしてこの原始的共産社會の内部組 織は、氏の眞性質、および氏と種族との關係についての、モルガンの完成的大發見によつて、初めて標本的の形態で明示された。この原始的共産制の解體ととも に、社會はべつべつの、そして遂には相反目する諸階級に分れはじめたのである。 〔譯者註〕モルガン著『古代社會』およびエンゲルス著『家族・私有財産および國家の起源』を見よ。 (3)ギルドの親方とは、正式の組合員たる職人のことで、組合の頭ではない。 上古の諸時代にあつては、殆んど到る處に、社會を種々な等級に分けた複雜な排列法、社會的地位の種々雜多な區分が行はれてゐるのを見る。すなはちローマ の古代には、貴族、騎士、平民、奴隷があり、中世には、領主、家來、親方、徒弟、農奴がある。そしてなほその諸階級の殆んどすべてに、またそれぞれの小區 分がある。 封建社會の滅亡から發生した近世のブルジョア社會も、階級對立を除去してはゐない。ただ新しい階級をつくり、新しい壓伏條件をつくり、新しい鬪爭形式をつくつて、昔のに代へただけである。 けれども、我々の時代、すなはちブルジョアの時代は、この階級對立を單純化したといふ特徴をもつてゐる。全社會は次第々々に、相敵視する二大陣營、直接相互に對立する二大階級に分裂しつつある。すなはちブルジョアとプロレタリヤである。 そもそも中世の農奴の中から、最初の都市における特許市民(あるひは廓外市民)が出て來てゐる。そしてその特許市民の中から、ブルジョアジーの最初の要素が發達してゐる。 アメリカの發見、喜望峰の廻航は、この新興のブルジョアのために新しい地盤をつくり出した。東インドおよび支那の市場、アメリカの植民、植民地との貿 易、交換手段および商品の増加は、商業に、航海に、工業に、空前の刺戟を與へ、それによつて、既に崩壞しかけてゐた封建社會内の革命要素に急激な發達を起 させた。 そこで從來の、封建的もしくはギルド的の工業經營法は、もはや新市場とともに増大するところの需要に應ずることが出來なくなつた。工場的手工業がそれに 代つて起つて來た。ギルドの親方は工場手工業的中産階級のために押しのけられた。種々なる組合と組合との間の分業は、單一なる工場内の分業の前に消滅し た。 しかるに市場はいよいよ擴大し、需要はいよいよ増加した。工場的手工業ももはやそれに應ずることが出來なくなつた。そこで蒸氣と大機械が工業生産を革命 した。工場的手工業の代りに近代的大産業が起り、工場手工業的中産階級の代りに産業的大富豪、全産業軍の首長、すなはち近代的ブルジョアが起つた。 この近代産業が世界市場を建設した。アメリカの發見は既にその準備をしてゐたのである。この世界市場は商業に、航海に、陸上の交通に、絶大の發達をなさ しめ、その發達がまた、産業の擴大に逆影響を及ぼし、つまり工業、商業、航海、鐵道の擴大するその同じ度合ひにおいて、ブルジョアジーが發達し、その資本 が増加し、中世から殘存してゐるすべての階級を後ろの方に押しやつてしまつた。 かくて我々は、近代的ブルジョアジーが、長い發達行程の産物であり、また、生産および交換方法におけるいくた連續せる諸變革の産物であることを知る。 このブルジョアジー發達の各段階は、またそれに相應する政治的進歩を伴つてゐた。すなはち初めは封建的領主の支配下に抑壓された一階級であり、また武裝 した自治團體のコンミュン(4)であり、あるところでは(イタリーおよびドイツにおけるごとく)獨立の都市共和制となり、あるところでは(フランスにおけ るごとく)王政治下の第三階級(租税負擔階級)となり、次に工場的手工業の時代にあつては、半封建的もしくは專制的王國内における貴族との均衡物となり、 また一般大王國の主要なる地盤となり、最後には、大産業および世界市場の發現以後、近世的代議制國家において、全くその掌中に政權を把握した。近世國家の 政府なるものは、ブルジョア階級全體のためにその共同事務を處理する委員會に過ぎない。 (4)イタリーおよびフランスの都市の住民は、その都市的共同組織をコンミュンと呼んでゐた。そしてそれによつて、封建領主から最初の自治權を買ひ取り、もしくは捩ぢ取つた。 コンミュンとは、フランスの都市がその發生時代からもつてゐる名稱で、彼らが第三階級として封建領主から、地方自治制と參政權とを獲得したその以前、既 にこの名稱があつた。大體上ここでは、ブルジョアの經濟的發達にはイギリスを標本國とし、その政治的發達にはフランスを標本國としてゐる。 ブルジョアジーは歴史上において、最も革命的な任務を果たしたものである。 ブルジョアジーが政權を握つたところでは、すべての封建的、主從的、牧歌的なる諸關係が破壞された。(從來)人を、その生れながらの目上と結びつけてゐ た封建的の色絲は、無殘に引きちぎられて、人と人とを結びつけるものは、ただ赤裸々の利益、冷酷な現金勘定よりほかには何ものもないことになつた。宗教的 の熱情や、武士的の感激や、町家的の人情などいふ神聖な渇仰心は、氷のやうに冷たい主我的な打算の中に溺らされてしまつた。個々の人物の値打ちは交換價値 の中に消え去り、永く確保された無數の特許的自由の代りに、ただ一つの無茶な商業的自由が設定された。これを一言にすれば、ブルジョアジーは、宗教的およ び政治的の幻影をもつて覆はれた搾取の代りに、公然たる、恥知らずの、直接な露骨な搾取を設定したのである。 ブルジョアジーは、從來名譽と尊敬とを博してゐたすべての職業から、その後光を剥ぎ去つてしまつた。醫師も、法律家も、僧侶も、詩人も、學者も、みな彼らに雇はれる賃銀勞働者に變化されてしまつた。 ブルジョアジーは、家族關係からそのしほらしいセンチメンタルなヴェールを破り取つて、純然たる一個の金錢關係に引き戻してしまつた。 ブルジョアジーは、保守主義者がいたく感嘆してゐる、あの中世時代の蠻勇的行動が、懶惰を極めた安逸生活といかに似合ひの相棒であるかを明示した。それ は實に初めて、人間の活動がどこまでのことをなしとげうるかを示したものである。すなはち實にエジプトのピラミットや、ローマの水道や、ゴチックの堂塔に も優る大工事を起し、また昔の民族移住や十字軍を凌駕する大遠征を決行したものである。 ブルジョアジーは、生産機關を、從つて生産關係を、從つてまた一般の社會關係を、絶えず革命することなしには存在することが出來ない。これに反し、古い 生産方法を何らの變化なく保存することが、前代におけるすべての工業階級の第一の生存條件である。故に、生産の絶えざる革命、あらゆる社會状態の不斷の動 搖、永久の不安と擾亂、それがすなはちブルジョア時代がすべての前代と異なる特徴である。すべての確立し凝固した諸關係は、それに伴ふ大切な舊説古傳とと もに一掃せられ、すべての新式の事物も、それがまだ固定せぬ前に廢物となつてしまふ。堅牢なものは悉く氣化し、神聖なものは悉く褻涜され、そして人間は遂 に自分の生活状態と、自分と同類との關係を、冷靜な目で見つめるよりほかはないことになる。 ブルジョアジーは、その生産物のために絶えず市場を擴大する必要があるので、地球表面の全部に追ひやられる。それは到る處に巣をつくり、到る處に住みつき、到る處に因縁を結ばねばならぬ。 ブルジョアジーは、世界市場の搾取によつて、各國各地の生産および消費にコスモポリタン的性質を附與した。産業の足のしたから國家的地盤を引き拔いて、 保守主義者の大なる悲嘆を招いた。古來の國家的産業は既に破壞され、なほ日々破壞されつつある。そしてそれに代る新産業を輸入することは、すべての文明國 にとつて生死の問題であり、またその新産業は、もはや内國の原料でなく、最も遠隔した諸地方からの原料に加工し、またその生産物は内國ばかりでなく、世界 のあらゆる方面で消費される。昔の、内國産によつて充足された需要の代りに、今は最遠隔の國土の産物でなければ充足されない、新しい需要が生じてゐる。昔 の、地方的國家的の自足と閉居との代りに、今は諸國民相互の間における、各方面の交通、各方面の依頼が生じてゐる。そして精神的生産もやはりこの物資生産 と同じである。個々の國民の精神的作物は、世界共通の所有となる。國民的の偏執と僻見とは、次第々々に不可能となる。そして多數の國民的、地方的の文學の 間から、一個の世界的文學が起る。 ブルジョアジーは、すべての生産機關を急速に改善することによつて、また交通機關を絶えず進歩させることによつて、すべての國民を(野蠻國民をすらも) 文明に引き入れる。彼らはその商品の廉價を重砲として、あらゆる支那の城壁をも撃破した。彼らはまたそれによつて、頑固に外人を憎惡する野蠻人をも降伏さ せた。すべての國民は、もし滅亡を欲しないならば、ブルジョアジーの生産方法を採用することを餘儀なくされる。いはゆる文明を自國に輸入すること、すなは ち自らブルジョアとなることを餘儀なくされる。これを一言にすれば、ブルジョアジーは自分の影像に從つて世界をつくるものである。 ブルジョアジーは、地方を都會の支配下に屈せしめた。彼らは都會の人口を、農村に比べて著るしく増加させた。そして全人口の多大な部分を、農村生活の愚 昧から奪ひ去つた。彼らは農村を都會に屈せしめたと同じく、野蠻國および半野蠻國を文明國に、農業國民をブルジョア國民に、東洋を西洋に從屬させた。 ブルジョアジーは、いよいよますます、生産機關(生産手段)の、財産の、および人口の散在を抑止した。人口は集團され、生産機關は集中され、そして財産 は少數者の手に集積された。それの必然な結果は、政治上の中央集權であつた。べつべつの利害、法律、政府、税制をもつてゐた獨立の諸地方、殆んど單なる聯 合に過ぎなかつた諸地方が、一個の國民、一個の政府、一個の法律、一個の全國的階級利益、一個の關税區域に押し堅められてしまつた。 ブルジョアジーは、僅かに百年ばかりの階級的支配の中に、過去一切の諸時代を合したよりも、一そう多量な、一そう巨大な生産力をつくり出した。自然力の 征服、大機械、工業および農業における化學の應用、汽船、鐵道、電信、全世界各地の開墾、河川航路の開鑿、呪文をもつて地下から呼び起したやうな全人口の 増殖、――およそこれほどの生産力が社會的勞働の胎内に眠つてゐたとは、いかなる前時代にもかつてその徴候がなかつたではないか。 かくて我々は知る。ブルジョアジーの成長の基礎であつたところの、生産および交換機關は、既に封建社會のうちにつくられてゐたのである。この生産および 交換機關の發達のある段階において、封建社會が生産し交換したその諸關係、すなはち農業および工業の封建的組織、これを一言にすれば、封建的財産關係が、 既に發達した生産力と、もはや適合しないことになつたのである。彼らは生産を促進しないで、それを妨害することになつた。彼らはまさにいくたの邪魔物にな つた。彼らは爆破されねばならないのであつた。そして爆破された。 彼らの代りに現はれたものは自由競爭であつた。それと同時に、それに適合する社會的および政治的の組織も起つて來た。ブルジョア階級の經濟的および政治的支配も起つて來た。 これと同樣な運動がいま我々の眼前にも行はれてゐる。この偉大な生産および交換機關を呼び出したところの、ブルジョア的の生産および交換關係、すなはち ブルジョア的の財産關係、すなはち近代のブルジョア社會は、恰かもあの魔術師が、呪文を唱へて地の底からさまざまの魔物を呼び出しながら、今は既にそれを 制御する力を失つたのに似てゐる。この數十年來の工業および商業の歴史は、近代の生産力が、近代の生産關係に對し、ブルジョアジーとその支配との生存條件 たる財産關係に對し、叛逆した歴史に過ぎない。その證據としては、かの商業恐慌が、一定の期間を隔ててその襲來を繰返し、その一回ごとにますます甚だしく ブルジョア社會の全體の存在を脅威してゐる事實を擧げれば足りる。この商業恐慌の際には、現存の生産物の大部分が定期的に破壞されるばかりでなく、その以 前につくられた生産力の大部分もまた同じである。またこの恐慌に際しては、過去のあらゆる時代ならばいかにも不道理と思はれるはずの、一種の社會的流行 病、すなはち生産過剩といふ流行病が發生する。そのとき、社會は突如として、一時的の野蠻状態に返つたやうに見える。饑饉が起り、大破壞が起つて、社會一 切の生活資料を杜絶したかのやうに見える。工業も商業も悉く破壞されたやうに見える。それは何故か。ほかでもない、社會があまり多くの文明、あまり多くの 生活資料、あまり多くの工業、あまり多くの商業をもつたからである。社會の用を務むべき生産力は、もはやブルジョアの財産關係を促進させる役には立たな い。否、かへつてその財産關係に對してあまりに有力となり、その財産關係のために妨害を蒙ることになる。そこで生産力がその妨害を突破するたびごとに、ブ ルジョア社會の全部を無秩序に陷れ、ブルジョア財産の存在を危くするのである。ブルジョアの諸關係は、自分のつくり出した富を包容するのに、あまり狹隘に なつて來たのである。しからばブルジョアジーは何によつてこの恐慌を切り拔けるか。一面には生産力の大額を強壓的に破壞し、一面には新市場を征服し、およ び舊市場の搾取を一そう根本的にやる。さうしてどうなるか。それはすなはち、一そう廣大な、一そう猛烈な恐慌を準備し、恐慌を防遏する手段方法を極度に減 少することになる。 ブルジョアジーが封建制度を顛覆したその武器が、今はブルジョアジー自身に向けられてゐる。 ただしブルジョアジーは、自分を殺すべき武器を鑄造したばかりでなく、またその武器を使用すべき人物をつくりだした。すなはち近代の勞働者、プロレタリヤがそれである。 かくてブルジョアジー(すなはち資本)が發達すればするほど、その同じ比例をもつて、近代勞働者の階級(すなはちプロレタリヤ階級)が發達した。このプ ロレタリヤは、仕事を見つけた間だけ生活することが出來、またその勞働が資本を増大する間だけ仕事をもつことが出來る。彼らは自分の身を切賣りにするより ほかないもので、他のあらゆる商品と同じく一個の商品である。從つて競爭上の諸變化と、市場内の諸變動とに曝されるものである。 プロレタリヤの勞働は、機械使用の増大と分業とのために、全くその個人的性質を失ひ、從つてまた勞働者の興味を失つた。すなはちプロレタリヤは單なる機 械の附屬物となり、その機械に對して彼の要求されるところは、ただ最も單純な、最も單調な、最も容易に習得される手業である。從つてその勞働者を産出する 費用は、ただ僅かにその一身を維持し、およびその種を蕃殖させるに必要なだけの生活資料に制限される。しかるに商品の價格は、從つて勞働の價格も、その生 産費と等しいものである。そこで勞働の沒趣味が増加すればするほど、それと同じ程度において賃銀は減少する。それにまた、機械の使用と分業とが増大すれば するほど、或ひは勞働時間の延長により、或ひは一定の時間内に要求される勞働の増加により、或ひはまた、機械の運轉力の増加等により、その同じ程度におい て勞働の總量が増大する。 近世産業は、族長的な親方の下にあつた小さな職場を、工業資本家の大工場に變更したものである。その工場に詰めこまれる勞働者の群は、軍隊的に編成され てゐる。彼らは産業軍の兵卒として、多數の士官、下士官などを有する完全な統御組織の下におかれてゐる。彼らはブルジョア階級、ブルジョア國家の奴隷であ るばかりでなく、機械のために、監督者のために、殊にはその製造家たるブルジョア個人のために、日々刻々、奴隷として使役されてゐる。そしてその專制政治 の目的が單に營利であることが明示されればされるほど、その賤しむべく、厭ふべく、憎むべきことが甚だしさを加へて來る。 手の勞働が熟練と力とを要することが少くなるに從つて、すなはち近世産業がいよいよ發達するに從つて、男子の勞働が女子と小兒の勞働にとつて代られる。 性の差異と年齡の差異とは、勞働階級にとつては、もはや何らの社會的價値をもつてゐない。彼らはみな等しく勞働器具であつて、ただその年齡と性とにより、 使用上に費用の多少を生ずるだけである。 勞働者が、既に製造家から搾取されて、その勞働賃銀を受取ると、今度はブルジョアジーの他の部分、すなはち家主、小賣商人、質屋などが彼に襲ひかかる。 從來の中産階級の下層、すなはち小さい工業者、小商人、および小金持、職人と農夫、すべてこれらの諸階級は漸次プロレタリヤに陷る。その原因の一半は、 彼らの小資本が大産業の經營に引き足りないで、より大なる資本家との競爭に負けるからであり、また他の一半は、彼らの專門技術が新しい生産方法に對して無 效になるからである。かくてプロレタリヤは國民のあらゆる方面から徴募されてゐる。 プロレタリアートは種々な發達の段階を經過する。彼らのブルジョアジーに對する戰ひは、その存在とともに始まる。最初は個々の勞働者が、次には一工場内 の勞働者が、次には一地方における一勞働部門の勞働者が、直接に彼らを搾取する個々のブルジョアに對して戰ふ。彼らはまだブルジョアの生産關係に對して攻 撃を向けるのでなく、生産器具そのものに對して攻撃を向ける。すなはち彼らは外國の競爭品を破壞し、機械を叩きこはし、工場を燒き拂ふ。彼らは既に亡びた 中世勞働者の地位を取り戻さうとする。 この段階にあつては、勞働者はまだ全國に散在して、競爭のために分裂してゐるところの集團である。當時、勞働者が多數團結の實を示した場合があるのは、 それはまだ彼ら自身が結合したのではなく、ブルジョアジーの結合した結果である。ブルジョアジーとしては、自分の政治上の目的を達するために、全プロレタ リアートを動かす必要があり、そして、一時はそれをなしうるのである。故にこの段階にあつては、プロレタリヤは自分の敵と戰はないで、自分の敵の敵と戰 ふ。すなはち專制王國の遺物、大地主、非工業的のブルジョア、小ブルジョアなどと戰ふ。かくて歴史的運動の全部はブルジョアの手に集中され、それによつて 獲得されるすべての勝利は、ブルジョアの勝利である。 しかるに産業の發達とともに、プロレタリヤはその數を増加したばかりでなく、ますます大なる集團に押し堅められ、從つてその力が増大し、また彼らがその 力を感知する。機械が次第々々に勞働の差異を消し、殆んど到る處において、賃銀を同一の低い水準に引下げると同時に、プロレタリヤの利害、プロレタリヤの 内部における生活状態が次第々々に平均して來る。ブルジョア同志の間におけるますます激烈な競爭、およびそれから生ずる商業恐慌が、いよいよ勞働者の賃銀 を動搖させる。不可避の勢ひをもつてますます急激に發達する機械の改善が、いよいよ勞働者の全生活を不安にする。個々の勞働者と個々の資本家との衝突が、 次第々々に兩階級の衝突たる性質を餘計に帶びて來る。そこで勞働者は資本家に對して組合をつくりはじめる。彼らは勞働賃銀を維持するために結合する。彼ら は臨機の反抗運動のために、かねてその資力を養ふべく、永續的の團體を組織する。それがをりをりは破裂して一揆となる。 勞働者はをりをり勝利を得るが、それはただ一時的に過ぎない。彼らの鬪爭の眞の效力は、その直接の結果にあるのではなく、ただ勞働者の團結が絶えず擴大 するところにある。勞働者の團結は、大産業がつくり出した交通機關の發達によつて助長される。交通機關の發達は、諸地方の勞働者をして互ひに聯絡をとらし める。ただこの聯絡のおかげで、到る處に同性質を有する無數の地方的鬪爭が、一個の全國的鬪爭、一個の階級鬪爭に集中される。そして階級鬪爭は必ず政治的 鬪爭である。もしこれが、あの道路の不便な中世の町人であつたなら、かういふ團結のためには數百年を要したであらうに、鐵道のある近代のプロレタリヤは、 僅々數年の間にそれを成就したのである。 プロレタリアートのかういふ階級的組織、從つてまたその政黨組織は、また絶えず勞働者自身の間の競爭のために破壞される。けれども、それは必ずまた勃興 して、一そう強く、一そう堅く、一そう有力となる。彼らはブルジョアジーの間における黨爭を利用して、勞働者の特殊の利益に對する立法的認識を強要する。 イギリスにおける十時間勞働法のごときがすなはちそれである。 舊社會における一般の諸衝突は、また種々の點においてプロレタリヤの發達を促す。ブルジョアジーは不斷の鬪爭の中に立つてゐる。初めは貴族と戰ひ、後に は産業の進歩と利害を異にする、ブルジョアジー自身の他の部分と戰ひ、また常にあらゆる外國のブルジョアジーと戰ふ。かういふいろいろの鬪爭において、ブ ルジョアジーはプロレタリヤに訴へ、その助力を借る必要があるので、從つてプロレタリヤを政治運動に引きいれねばならぬことになる。故にブルジョアは自分 の教育的要素、すなはち自分と戰ふべき武器をプロレタリヤに供給することになる。 また、前にいつたとほり、支配階級の一部分が、産業發達のために、擧つてプロレタリヤに落ち込む。或ひは少くとも、その生活條件を脅威される。彼らがまた多量の教育的要素をプロレタリヤに附與する。 最後に、この階級鬪爭がいよいよ決戰の時期に近づく時には、支配階級の内部(すなはち舊社會全體の内部)における分解の過程が、すこぶる激烈大膽な性質 を帶び、支配階級の一小部分は自らその所屬を脱して、革命階級(すなはち將來をその手の中に握つてゐる階級)に投ずる。故に、むかし貴族の一部分がブル ジョアに投じたと同じやうに、今はブルジョアの一部、殊にこの歴史的運動の全體を學理的に理解しうるに至つたところの、思想家的ブルジョアの一部が、プロ レタリヤに投ずる。 今日、ブルジョアと對立してゐるすべての階級の中で、ただプロレタリヤのみが眞實の革命階級である。他の諸階級は大産業のために衰頽し、滅亡するものであるが、プロレタリヤはすなはち大産業に特有な産物である。 中産階級の下層たる、小製造家、小商人、職人、農夫等もまたみなブルジョアジーと戰ふ。けれどもそれは、中産階級としての滅亡を免れんがために戰ふので ある。故に彼らは革命的でなく、保守的である。いなむしろ彼らは反動的である。彼らは歴史の車輪を後ろにまはさうとするものである。もし彼らが革命的であ るとすれば、それは彼らがプロレタリヤに落ちこみかけてゐることを悟つたからである。彼らは現在の地位を防衞するのではなく、將來の利益を防衞するのであ る。すなはち彼らはプロレタリヤの地位に立つために、自分の特殊な地位を棄てるのである。 ルンペンプロレタリヤ、すなはち舊社會の最下層にある、腐敗墮落した貧民もまた、場合によつてプロレタリヤの革命運動に誘ひ込まれるだらう。けれども彼らの生活状態から見ると、彼らはむしろ喜んで反動的陰謀のために買收されるだらう。 舊社會の生活條件は、今は既にプロレタリヤの生活條件の中に滅却されてゐる。プロレタリヤは無財産である。彼らがその妻子に對する關係は、もはやブル ジョアの家族關係と少しの共通點をももつてゐない。近世的工業勞働、資本の下における近世的屈從は、イギリスはフランスに同じく、アメリカはドイツに同じ く、すべてプロレタリヤからその國民的特徴を剥ぎ去つてゐる。法律、道徳、宗教、彼らにとつてはみな悉くブルジョア的偏見であつて、その背後には必ず、そ れだけのブルジョア的利益が隱されてゐるのである。 從來、政權を握つたすべての階級は、全社會を自分らの收益條件に屈從させて、そして自分らの既得の地位を確保しようとした。しかるにプロレタリヤは、從 來の自分の所得方法(從つてまた、從來一般の所得方法)を廢止して、初めて社會的生産力を握ることが出來る。プロレタリヤは自分のものとして保護すべきも のが一つもない。彼らはただ、あらゆる從來の、私有的保證、私有的保護を破壞すれば足りるのである。 從來のすべての運動は、みな少數者の運動、もしくは少數者の利益のためにする運動であつた。プロレタリヤの運動は、大多數の利益のためにする、その大多 數の獨立の運動である。しかるに、現社會の最下層たるこのプロレタリヤは、外面の正式社會を構成してゐるところの、上層全部を空中に吹き飛ばさなくては、 自立し自營することが出來ないのである。 プロレタリアートのブルジョアジーに對するこの鬪爭は、形式上(實質上はさうでないが)、最初は一國的である。各國のプロレタリアートは、必ずまづ、自國のブルジョアジーを處分せねばならぬのである。 我々は今、プロレタリアートの發達について、その最も一般的なる諸段階を叙述し、現社會の内部における、大なり小なり覆面された内亂から、遂にそれが爆破して公然の革命となり、ブルジョアジーを顛覆してプロレタリアートの支配を樹立するところまで到達した。 從來のすべての社會は、前に述べたとほり、壓伏階級と被壓伏階級との敵對の上に立つてゐた。けれども一階級を壓伏するためには、その階級が少くとも奴隷 的存在を續けうるだけの、ある生活條件が保證されてあらねばならぬ。農奴は農奴制の下において、その村邑の公民に立身することが出來たし、小町人はまた、 封建的專制政治の抑壓のもとにあつて、ブルジョアになることが出來た。しかるに近世の勞働者は、産業の進歩とともに向上するのではなく、却つて自分の階級 の生活條件より以下にだんだん深く沈んで行くのである。すなはち勞働者は貧民となり、貧民は人口と富との増加に比し、一そう急速に發達する。そこでブル ジョアジーがなほ永く社會の支配階級となること、そしてその階級の生活條件を定法として社會に強ひることの不適當が明瞭となる。彼らが支配者たるに不適當 な所以は、すなはちその奴隷制の内部において、奴隷に生存そのものをすら確保することが出來ないといふ點にある。また彼らが奴隷から養はれるのでなく、却 つて奴隷を養はねばならぬほどの境遇に、奴隷を沈ませるのやむなきに至つた點にある。社會はもはやブルジョアジーの下に生活することが出來ない。換言すれ ば、ブルジョアジーの生活はもはや社會と兩立しえないのである。 ブルジョア階級の存在、およびその支配權の根本條件は、私人の手の中に富を集積することである、資本の形成および増大である。そして資本の條件は賃銀勞 働である。そして賃銀勞働は全く勞働者間の競爭の上に立つてゐる。しかるにブルジョアジーが無意識に、そして無抵抗に促進した産業の進歩は、競爭による勞 働者の孤立を改めて、協力による彼らの革命的結合をつくる。だから大産業の發達は、ブルジョアジーが生産をなし、産出物を領有するその基礎自體を、ブル ジョアジーの足の下から引き拔くものである。故にブルジョアジーが産出するものは、第一に自分の墓堀り人である。ブルジョアの沒落と、プロレタリヤの勝利 とは、共に不可避である。 |
The history of all hitherto existing society(2) is the history of class struggles. Freeman and slave, patrician and plebeian, lord and serf, guild-master(3) and journeyman, in a word, oppressor and oppressed, stood in constant opposition to one another, carried on an uninterrupted, now hidden, now open fight, a fight that each time ended, either in a revolutionary reconstitution of society at large, or in the common ruin of the contending classes. In the earlier epochs of history, we find almost everywhere a complicated arrangement of society into various orders, a manifold gradation of social rank. In ancient Rome we have patricians, knights, plebeians, slaves; in the Middle Ages, feudal lords, vassals, guild-masters, journeymen, apprentices, serfs; in almost all of these classes, again, subordinate gradations. The modern bourgeois society that has sprouted from the ruins of feudal society has not done away with class antagonisms. It has but established new classes, new conditions of oppression, new forms of struggle in place of the old ones. Our epoch, the epoch of the bourgeoisie, possesses, however, this distinct feature: it has simplified class antagonisms. Society as a whole is more and more splitting up into two great hostile camps, into two great classes directly facing each other — Bourgeoisie and Proletariat. From the serfs of the Middle Ages sprang the chartered burghers of the earliest towns. From these burgesses the first elements of the bourgeoisie were developed. The discovery of America, the rounding of the Cape, opened up fresh ground for the rising bourgeoisie. The East-Indian and Chinese markets, the colonisation of America, trade with the colonies, the increase in the means of exchange and in commodities generally, gave to commerce, to navigation, to industry, an impulse never before known, and thereby, to the revolutionary element in the tottering feudal society, a rapid development. The feudal system of industry, in which industrial production was monopolised by closed guilds, now no longer sufficed for the growing wants of the new markets. The manufacturing system took its place. The guild-masters were pushed on one side by the manufacturing middle class; division of labour between the different corporate guilds vanished in the face of division of labour in each single workshop. Meantime the markets kept ever growing, the demand ever rising. Even manufacturer no longer sufficed. Thereupon, steam and machinery revolutionised industrial production. The place of manufacture was taken by the giant, Modern Industry; the place of the industrial middle class by industrial millionaires, the leaders of the whole industrial armies, the modern bourgeois. Modern industry has established the world market, for which the discovery of America paved the way. This market has given an immense development to commerce, to navigation, to communication by land. This development has, in its turn, reacted on the extension of industry; and in proportion as industry, commerce, navigation, railways extended, in the same proportion the bourgeoisie developed, increased its capital, and pushed into the background every class handed down from the Middle Ages. We see, therefore, how the modern bourgeoisie is itself the product of a long course of development, of a series of revolutions in the modes of production and of exchange. Each step in the development of the bourgeoisie was accompanied by a corresponding political advance of that class. An oppressed class under the sway of the feudal nobility, an armed and self-governing association in the medieval commune(4): here independent urban republic (as in Italy and Germany); there taxable “third estate” of the monarchy (as in France); afterwards, in the period of manufacturing proper, serving either the semi-feudal or the absolute monarchy as a counterpoise against the nobility, and, in fact, cornerstone of the great monarchies in general, the bourgeoisie has at last, since the establishment of Modern Industry and of the world market, conquered for itself, in the modern representative State, exclusive political sway. The executive of the modern state is but a committee for managing the common affairs of the whole bourgeoisie. The bourgeoisie, historically, has played a most revolutionary part. The bourgeoisie, wherever it has got the upper hand, has put an end to all feudal, patriarchal, idyllic relations. It has pitilessly torn asunder the motley feudal ties that bound man to his “natural superiors”, and has left remaining no other nexus between man and man than naked self-interest, than callous “cash payment”. It has drowned the most heavenly ecstasies of religious fervour, of chivalrous enthusiasm, of philistine sentimentalism, in the icy water of egotistical calculation. It has resolved personal worth into exchange value, and in place of the numberless indefeasible chartered freedoms, has set up that single, unconscionable freedom — Free Trade. In one word, for exploitation, veiled by religious and political illusions, it has substituted naked, shameless, direct, brutal exploitation. The bourgeoisie has stripped of its halo every occupation hitherto honoured and looked up to with reverent awe. It has converted the physician, the lawyer, the priest, the poet, the man of science, into its paid wage labourers. The bourgeoisie has torn away from the family its sentimental veil, and has reduced the family relation to a mere money relation. The bourgeoisie has disclosed how it came to pass that the brutal display of vigour in the Middle Ages, which reactionaries so much admire, found its fitting complement in the most slothful indolence. It has been the first to show what man’s activity can bring about. It has accomplished wonders far surpassing Egyptian pyramids, Roman aqueducts, and Gothic cathedrals; it has conducted expeditions that put in the shade all former Exoduses of nations and crusades. The bourgeoisie cannot exist without constantly revolutionising the instruments of production, and thereby the relations of production, and with them the whole relations of society. Conservation of the old modes of production in unaltered form, was, on the contrary, the first condition of existence for all earlier industrial classes. Constant revolutionising of production, uninterrupted disturbance of all social conditions, everlasting uncertainty and agitation distinguish the bourgeois epoch from all earlier ones. All fixed, fast-frozen relations, with their train of ancient and venerable prejudices and opinions, are swept away, all new-formed ones become antiquated before they can ossify. All that is solid melts into air, all that is holy is profaned, and man is at last compelled to face with sober senses his real conditions of life, and his relations with his kind. The need of a constantly expanding market for its products chases the bourgeoisie over the entire surface of the globe. It must nestle everywhere, settle everywhere, establish connexions everywhere. The bourgeoisie has through its exploitation of the world market given a cosmopolitan character to production and consumption in every country. To the great chagrin of Reactionists, it has drawn from under the feet of industry the national ground on which it stood. All old-established national industries have been destroyed or are daily being destroyed. They are dislodged by new industries, whose introduction becomes a life and death question for all civilised nations, by industries that no longer work up indigenous raw material, but raw material drawn from the remotest zones; industries whose products are consumed, not only at home, but in every quarter of the globe. In place of the old wants, satisfied by the production of the country, we find new wants, requiring for their satisfaction the products of distant lands and climes. In place of the old local and national seclusion and self-sufficiency, we have intercourse in every direction, universal inter-dependence of nations. And as in material, so also in intellectual production. The intellectual creations of individual nations become common property. National one-sidedness and narrow-mindedness become more and more impossible, and from the numerous national and local literatures, there arises a world literature. The bourgeoisie, by the rapid improvement of all instruments of production, by the immensely facilitated means of communication, draws all, even the most barbarian, nations into civilisation. The cheap prices of commodities are the heavy artillery with which it batters down all Chinese walls, with which it forces the barbarians’ intensely obstinate hatred of foreigners to capitulate. It compels all nations, on pain of extinction, to adopt the bourgeois mode of production; it compels them to introduce what it calls civilisation into their midst, i.e., to become bourgeois themselves. In one word, it creates a world after its own image. The bourgeoisie has subjected the country to the rule of the towns. It has created enormous cities, has greatly increased the urban population as compared with the rural, and has thus rescued a considerable part of the population from the idiocy of rural life. Just as it has made the country dependent on the towns, so it has made barbarian and semi-barbarian countries dependent on the civilised ones, nations of peasants on nations of bourgeois, the East on the West. The bourgeoisie keeps more and more doing away with the scattered state of the population, of the means of production, and of property. It has agglomerated population, centralised the means of production, and has concentrated property in a few hands. The necessary consequence of this was political centralisation. Independent, or but loosely connected provinces, with separate interests, laws, governments, and systems of taxation, became lumped together into one nation, with one government, one code of laws, one national class-interest, one frontier, and one customs-tariff. The bourgeoisie, during its rule of scarce one hundred years, has created more massive and more colossal productive forces than have all preceding generations together. Subjection of Nature’s forces to man, machinery, application of chemistry to industry and agriculture, steam-navigation, railways, electric telegraphs, clearing of whole continents for cultivation, canalisation of rivers, whole populations conjured out of the ground — what earlier century had even a presentiment that such productive forces slumbered in the lap of social labour? We see then: the means of production and of exchange, on whose foundation the bourgeoisie built itself up, were generated in feudal society. At a certain stage in the development of these means of production and of exchange, the conditions under which feudal society produced and exchanged, the feudal organisation of agriculture and manufacturing industry, in one word, the feudal relations of property became no longer compatible with the already developed productive forces; they became so many fetters. They had to be burst asunder; they were burst asunder. Into their place stepped free competition, accompanied by a social and political constitution adapted in it, and the economic and political sway of the bourgeois class. A similar movement is going on before our own eyes. Modern bourgeois society, with its relations of production, of exchange and of property, a society that has conjured up such gigantic means of production and of exchange, is like the sorcerer who is no longer able to control the powers of the nether world whom he has called up by his spells. For many a decade past the history of industry and commerce is but the history of the revolt of modern productive forces against modern conditions of production, against the property relations that are the conditions for the existence of the bourgeois and of its rule. It is enough to mention the commercial crises that by their periodical return put the existence of the entire bourgeois society on its trial, each time more threateningly. In these crises, a great part not only of the existing products, but also of the previously created productive forces, are periodically destroyed. In these crises, there breaks out an epidemic that, in all earlier epochs, would have seemed an absurdity — the epidemic of over-production. Society suddenly finds itself put back into a state of momentary barbarism; it appears as if a famine, a universal war of devastation, had cut off the supply of every means of subsistence; industry and commerce seem to be destroyed; and why? Because there is too much civilisation, too much means of subsistence, too much industry, too much commerce. The productive forces at the disposal of society no longer tend to further the development of the conditions of bourgeois property; on the contrary, they have become too powerful for these conditions, by which they are fettered, and so soon as they overcome these fetters, they bring disorder into the whole of bourgeois society, endanger the existence of bourgeois property. The conditions of bourgeois society are too narrow to comprise the wealth created by them. And how does the bourgeoisie get over these crises? On the one hand by enforced destruction of a mass of productive forces; on the other, by the conquest of new markets, and by the more thorough exploitation of the old ones. That is to say, by paving the way for more extensive and more destructive crises, and by diminishing the means whereby crises are prevented. The weapons with which the bourgeoisie felled feudalism to the ground are now turned against the bourgeoisie itself. But not only has the bourgeoisie forged the weapons that bring death to itself; it has also called into existence the men who are to wield those weapons — the modern working class — the proletarians. In proportion as the bourgeoisie, i.e., capital, is developed, in the same proportion is the proletariat, the modern working class, developed — a class of labourers, who live only so long as they find work, and who find work only so long as their labour increases capital. These labourers, who must sell themselves piecemeal, are a commodity, like every other article of commerce, and are consequently exposed to all the vicissitudes of competition, to all the fluctuations of the market. Owing to the extensive use of machinery, and to the division of labour, the work of the proletarians has lost all individual character, and, consequently, all charm for the workman. He becomes an appendage of the machine, and it is only the most simple, most monotonous, and most easily acquired knack, that is required of him. Hence, the cost of production of a workman is restricted, almost entirely, to the means of subsistence that he requires for maintenance, and for the propagation of his race. But the price of a commodity, and therefore also of labour, is equal to its cost of production. In proportion, therefore, as the repulsiveness of the work increases, the wage decreases. Nay more, in proportion as the use of machinery and division of labour increases, in the same proportion the burden of toil also increases, whether by prolongation of the working hours, by the increase of the work exacted in a given time or by increased speed of machinery, etc. Modern Industry has converted the little workshop of the patriarchal master into the great factory of the industrial capitalist. Masses of labourers, crowded into the factory, are organised like soldiers. As privates of the industrial army they are placed under the command of a perfect hierarchy of officers and sergeants. Not only are they slaves of the bourgeois class, and of the bourgeois State; they are daily and hourly enslaved by the machine, by the overlooker, and, above all, by the individual bourgeois manufacturer himself. The more openly this despotism proclaims gain to be its end and aim, the more petty, the more hateful and the more embittering it is. The less the skill and exertion of strength implied in manual labour, in other words, the more modern industry becomes developed, the more is the labour of men superseded by that of women. Differences of age and sex have no longer any distinctive social validity for the working class. All are instruments of labour, more or less expensive to use, according to their age and sex. No sooner is the exploitation of the labourer by the manufacturer, so far, at an end, that he receives his wages in cash, than he is set upon by the other portions of the bourgeoisie, the landlord, the shopkeeper, the pawnbroker, etc. The lower strata of the middle class — the small tradespeople, shopkeepers, and retired tradesmen generally, the handicraftsmen and peasants — all these sink gradually into the proletariat, partly because their diminutive capital does not suffice for the scale on which Modern Industry is carried on, and is swamped in the competition with the large capitalists, partly because their specialised skill is rendered worthless by new methods of production. Thus the proletariat is recruited from all classes of the population. The proletariat goes through various stages of development. With its birth begins its struggle with the bourgeoisie. At first the contest is carried on by individual labourers, then by the workpeople of a factory, then by the operative of one trade, in one locality, against the individual bourgeois who directly exploits them. They direct their attacks not against the bourgeois conditions of production, but against the instruments of production themselves; they destroy imported wares that compete with their labour, they smash to pieces machinery, they set factories ablaze, they seek to restore by force the vanished status of the workman of the Middle Ages. At this stage, the labourers still form an incoherent mass scattered over the whole country, and broken up by their mutual competition. If anywhere they unite to form more compact bodies, this is not yet the consequence of their own active union, but of the union of the bourgeoisie, which class, in order to attain its own political ends, is compelled to set the whole proletariat in motion, and is moreover yet, for a time, able to do so. At this stage, therefore, the proletarians do not fight their enemies, but the enemies of their enemies, the remnants of absolute monarchy, the landowners, the non-industrial bourgeois, the petty bourgeois. Thus, the whole historical movement is concentrated in the hands of the bourgeoisie; every victory so obtained is a victory for the bourgeoisie. But with the development of industry, the proletariat not only increases in number; it becomes concentrated in greater masses, its strength grows, and it feels that strength more. The various interests and conditions of life within the ranks of the proletariat are more and more equalised, in proportion as machinery obliterates all distinctions of labour, and nearly everywhere reduces wages to the same low level. The growing competition among the bourgeois, and the resulting commercial crises, make the wages of the workers ever more fluctuating. The increasing improvement of machinery, ever more rapidly developing, makes their livelihood more and more precarious; the collisions between individual workmen and individual bourgeois take more and more the character of collisions between two classes. Thereupon, the workers begin to form combinations (Trades’ Unions) against the bourgeois; they club together in order to keep up the rate of wages; they found permanent associations in order to make provision beforehand for these occasional revolts. Here and there, the contest breaks out into riots. Now and then the workers are victorious, but only for a time. The real fruit of their battles lies, not in the immediate result, but in the ever expanding union of the workers. This union is helped on by the improved means of communication that are created by modern industry, and that place the workers of different localities in contact with one another. It was just this contact that was needed to centralise the numerous local struggles, all of the same character, into one national struggle between classes. But every class struggle is a political struggle. And that union, to attain which the burghers of the Middle Ages, with their miserable highways, required centuries, the modern proletarian, thanks to railways, achieve in a few years. This organisation of the proletarians into a class, and, consequently into a political party, is continually being upset again by the competition between the workers themselves. But it ever rises up again, stronger, firmer, mightier. It compels legislative recognition of particular interests of the workers, by taking advantage of the divisions among the bourgeoisie itself. Thus, the ten-hours’ bill in England was carried. Altogether collisions between the classes of the old society further, in many ways, the course of development of the proletariat. The bourgeoisie finds itself involved in a constant battle. At first with the aristocracy; later on, with those portions of the bourgeoisie itself, whose interests have become antagonistic to the progress of industry; at all time with the bourgeoisie of foreign countries. In all these battles, it sees itself compelled to appeal to the proletariat, to ask for help, and thus, to drag it into the political arena. The bourgeoisie itself, therefore, supplies the proletariat with its own elements of political and general education, in other words, it furnishes the proletariat with weapons for fighting the bourgeoisie. Further, as we have already seen, entire sections of the ruling class are, by the advance of industry, precipitated into the proletariat, or are at least threatened in their conditions of existence. These also supply the proletariat with fresh elements of enlightenment and progress. Finally, in times when the class struggle nears the decisive hour, the progress of dissolution going on within the ruling class, in fact within the whole range of old society, assumes such a violent, glaring character, that a small section of the ruling class cuts itself adrift, and joins the revolutionary class, the class that holds the future in its hands. Just as, therefore, at an earlier period, a section of the nobility went over to the bourgeoisie, so now a portion of the bourgeoisie goes over to the proletariat, and in particular, a portion of the bourgeois ideologists, who have raised themselves to the level of comprehending theoretically the historical movement as a whole. Of all the classes that stand face to face with the bourgeoisie today, the proletariat alone is a really revolutionary class. The other classes decay and finally disappear in the face of Modern Industry; the proletariat is its special and essential product. The lower middle class, the small manufacturer, the shopkeeper, the artisan, the peasant, all these fight against the bourgeoisie, to save from extinction their existence as fractions of the middle class. They are therefore not revolutionary, but conservative. Nay more, they are reactionary, for they try to roll back the wheel of history. If by chance, they are revolutionary, they are only so in view of their impending transfer into the proletariat; they thus defend not their present, but their future interests, they desert their own standpoint to place themselves at that of the proletariat. The “dangerous class”, [lumpenproletariat] the social scum, that passively rotting mass thrown off by the lowest layers of the old society, may, here and there, be swept into the movement by a proletarian revolution; its conditions of life, however, prepare it far more for the part of a bribed tool of reactionary intrigue. In the condition of the proletariat, those of old society at large are already virtually swamped. The proletarian is without property; his relation to his wife and children has no longer anything in common with the bourgeois family relations; modern industry labour, modern subjection to capital, the same in England as in France, in America as in Germany, has stripped him of every trace of national character. Law, morality, religion, are to him so many bourgeois prejudices, behind which lurk in ambush just as many bourgeois interests. All the preceding classes that got the upper hand sought to fortify their already acquired status by subjecting society at large to their conditions of appropriation. The proletarians cannot become masters of the productive forces of society, except by abolishing their own previous mode of appropriation, and thereby also every other previous mode of appropriation. They have nothing of their own to secure and to fortify; their mission is to destroy all previous securities for, and insurances of, individual property. All previous historical movements were movements of minorities, or in the interest of minorities. The proletarian movement is the self-conscious, independent movement of the immense majority, in the interest of the immense majority. The proletariat, the lowest stratum of our present society, cannot stir, cannot raise itself up, without the whole superincumbent strata of official society being sprung into the air. Though not in substance, yet in form, the struggle of the proletariat with the bourgeoisie is at first a national struggle. The proletariat of each country must, of course, first of all settle matters with its own bourgeoisie. In depicting the most general phases of the development of the proletariat, we traced the more or less veiled civil war, raging within existing society, up to the point where that war breaks out into open revolution, and where the violent overthrow of the bourgeoisie lays the foundation for the sway of the proletariat. Hitherto, every form of society has been based, as we have already seen, on the antagonism of oppressing and oppressed classes. But in order to oppress a class, certain conditions must be assured to it under which it can, at least, continue its slavish existence. The serf, in the period of serfdom, raised himself to membership in the commune, just as the petty bourgeois, under the yoke of the feudal absolutism, managed to develop into a bourgeois. The modern labourer, on the contrary, instead of rising with the process of industry, sinks deeper and deeper below the conditions of existence of his own class. He becomes a pauper, and pauperism develops more rapidly than population and wealth. And here it becomes evident, that the bourgeoisie is unfit any longer to be the ruling class in society, and to impose its conditions of existence upon society as an over-riding law. It is unfit to rule because it is incompetent to assure an existence to its slave within his slavery, because it cannot help letting him sink into such a state, that it has to feed him, instead of being fed by him. Society can no longer live under this bourgeoisie, in other words, its existence is no longer compatible with society. The essential conditions for the existence and for the sway of the bourgeois class is the formation and augmentation of capital; the condition for capital is wage-labour. Wage-labour rests exclusively on competition between the labourers. The advance of industry, whose involuntary promoter is the bourgeoisie, replaces the isolation of the labourers, due to competition, by the revolutionary combination, due to association. The development of Modern Industry, therefore, cuts from under its feet the very foundation on which the bourgeoisie produces and appropriates products. What the bourgeoisie therefore produces, above all, are its own grave-diggers. Its fall and the victory of the proletariat are equally inevitable. |
Die Geschichte aller bisherigen Gesellschaft ist die Geschichte von Klassenkämpfen. Freier und Sklave, Patrizier und Plebejer, Baron und Leibeigner, Zunftbürger und Gesell, kurz, Unterdrücker und Unterdrückte standen in stetem Gegensatz zu einander, führten einen ununterbrochenen, bald versteckten bald offenen Kampf, einen Kampf, der jedesmal mit einer revolutionären Umgestaltung der ganzen Gesellschaft endete, oder mit dem gemeinsamen Untergang der kämpfenden Klassen. In den früheren Epochen der Geschichte finden wir fast überall eine vollständige Gliederung der Gesellschaft in verschiedene Stände, eine mannichfaltige Abstufung der gesellschaftlichen Stellungen. Im alten Rom haben wir Patrizier, [4] Ritter, Plebejer, Sklaven; im Mittelalter Feudalherren, Vasallen, Zunftbürger, Gesellen, Leibeigene, und noch dazu in fast jeder dieser Klassen wieder besondere Abstufungen. Die aus dem Untergange der feudalen Gesellschaft hervorgegangene moderne bürgerliche Gesellschaft hat die Klassengegensätze nicht aufgehoben. Sie hat nur neue Klassen, neue Bedingungen der Unterdrückung, neue Gestaltungen des Kampfes an die Stelle der alten gesetzt. Unsere Epoche, die Epoche der Bourgeoisie, zeichnet sich jedoch dadurch aus, daß sie die Klassengegensätze vereinfacht hat. Die ganze Gesellschaft spaltet sich mehr und mehr in zwei große feindliche Lager, in zwei große einander direkt gegenüberstehende Klassen – Bourgeoisie und Proletariat. Aus den Leibeigenen des Mittelalters gingen die Pfahlbürger der ersten Städte hervor; aus dieser Pfahlbürgerschaft entwickelten sich die ersten Elemente der Bourgeoisie. Die Entdeckung Amerika’s, die Umschiffung Afrika’s, schufen der aufkommenden Bourgeoisie ein neues Terrain. Der ostindische und chinesische Markt, die Kolonisirung von Amerika, der Austausch mit den Kolonien, die Vermehrung der Tauschmittel und der Waaren überhaupt gaben dem Handel, der Schifffahrt, der Industrie einen niegekannten Aufschwung, und damit dem revolutionären Element in der zerfallenden feudalen Gesellschaft eine rasche Entwicklung. Die bisherige feudale oder zünftige Betriebsweise der Industrie reichte nicht mehr aus für den mit den neuen Märkten anwachsenden Bedarf. Die Manufaktur trat an ihre Stelle. Die Zunftmeister wurden verdrängt durch den industriellen Mittelstand; die Theilung der Arbeit zwischen den verschiedenen Corporationen verschwand vor der Theilung der Arbeit in der einzelnen Werkstatt selbst. Aber immer wuchsen die Märkte, immer stieg der Bedarf. Auch die Manufaktur reichte nicht mehr aus. Da revolutionirten der Dampf und die Maschinerie die industrielle Produktion. An die Stelle der Manufaktur trat die moderne große Industrie, an die Stelle des industriellen Mittelstandes traten die industriellen Millionäre, die Chefs ganzer industriellen Armeen, die modernen Bourgeois. Die große Industrie hat den Weltmarkt hergestellt, den die Entdeckung Amerika’s vorbereitete. Der Weltmarkt hat dem Handel, der Schifffahrt, den Landkommunikationen eine unermeßliche Entwicklung gegeben. Diese hat wieder auf die Ausdehnung der Industrie zurückgewirkt, und in demselben Maße, worin Industrie, Handel, Schifffahrt, Eisenbahnen sich ausdehnten, in demselben Maße entwickelte sich die Bourgeoisie, vermehrte sie ihre Kapitalien, drängte sie alle vom Mittelalter her überlieferten Klassen in den Hintergrund. Wir sehen also, wie die moderne Bourgeoisie selbst das Produkt eines langen Entwicklungsganges, einer Reihe von Umwälzungen in der Produktions- und Verkehrsweise ist. Jede dieser Entwicklungsstufen der Bourgeoisie war begleitet von einem entsprechenden politischen Fortschritt. Unterdrückter Stand unter der Herrschaft der Feudalherren, bewaffnete und sich selbst verwaltende Associationen in der Commune, hier unabhängige städtische Republik, dort dritter steuerpflichtiger Stand der Monarchie, dann zur Zeit der Manufaktur Gegengewicht gegen den Adel in der ständischen oder in der absoluten Monarchie und Hauptgrundlage der großen Monarchieen überhaupt, erkämpfte sie sich endlich seit der Herstellung der großen Industrie und des Weltmarktes im modernen Repräsentativstaat die ausschließliche politische Herrschaft. Die moderne Staatsgewalt ist nur ein Ausschuß, der die gemeinschaftlichen Geschäfte der ganzen Bourgeoisklasse verwaltet. [5] Die Bourgeoisie hat in der Geschichte eine höchst revolutionäre Rolle gespielt. Die Bourgeoisie, wo sie zur Herrschaft gekommen, hat alle feudalen, patriarchalischen, idyllischen Verhältnisse zerstört. Sie hat die buntscheckigen Feudalbande, die den Menschen an seinen natürlichen Vorgesetzten knüpften, unbarmherzig zerrissen, und kein anderes Band zwischen Mensch und Mensch übrig gelassen, als das nackte Interesse, als die gefühllose „baare Zahlung.“ Sie hat die heiligen Schauer der frommen Schwärmerei, der ritterlichen Begeisterung, der spießbürgerlichen Wehmuth in dem eiskalten Wasser egoistischer Berechnung ertränkt. Sie hat die persönliche Würde in den Tauschwerth aufgelöst, und an die Stelle der zahllosen verbrieften und wohlerworbenen Freiheiten die Eine gewissenlose Handelsfreiheit gesetzt. Sie hat, mit einem Wort, an die Stelle der mit religiösen und politischen Illusionen verhüllten Ausbeutung die offene, unverschämte, direkte, dürre Ausbeutung gesetzt. Die Bourgeoisie hat alle bisher ehrwürdigen und mit frommer Scheu betrachteten Thätigkeiten ihres Heiligenscheins entkleidet. Sie hat den Arzt, den Juristen, den Pfaffen, den Poeten, den Mann der Wissenschaft in ihre bezahlten Lohnarbeiter verwandelt. Die Bourgeoisie hat dem Familienverhältniß seinen rührend-sentimentalen Schleier abgerissen und es auf ein reines Geldverhältniß zurückgeführt. Die Bourgeoisie hat enthüllt, wie die brutale Kraftäußerung, die die Reaktion so sehr am Mittelalter bewundert, in der trägsten Bärenhäuterei ihre passende Ergänzung fand. Erst sie hat bewiesen, was die Thätigkeit der Menschen zustande bringen kann. Sie hat ganz andere Wunderwerke vollbracht, als egyptische Pyramiden, römische Wasserleitungen und gothische Kathedralen, sie hat ganz andere Züge ausgeführt, als Völkerwanderungen und Kreuzzüge. Die Bourgeoisie kann nicht existiren, ohne die Produktionsinstrumente, also die Produktionsverhältnisse, also sämmtliche gesellschaftlichen Verhältnisse fortwährend zu revolutioniren. Unveränderte Beibehaltung der alten Produktionsweise war dagegen die erste Existenzbedingung aller früheren industriellen Klassen. Die fortwährende Umwälzung der Produktion, die ununterbrochene Erschütterung aller gesellschaftlichen Zustände, die ewige Unsicherheit und Bewegung zeichnet die Bourgeois-Epoche vor allen früheren aus. Alle festen, eingerosteten Verhältnisse mit ihrem Gefolge von altehrwürdigen Vorstellungen und Anschauungen werden aufgelöst, alle neugebildeten veralten, ehe sie verknöchern können. Alles Ständische und Stehende verdampft, alles Heilige wird entweiht, und die Menschen sind endlich gezwungen, ihre Lebensstellung, ihre gegenseitigen Beziehungen mit nüchternen Augen anzusehen. Das Bedürfniß nach einem stets ausgedehnteren Absatz für ihre Produkte jagt die Bourgeoisie über die ganze Erdkugel. Ueberall muß sie sich einnisten, überall anbauen, überall Verbindungen herstellen. Die Bourgeoisie hat durch die Exploitation des Weltmarkts die Produktion und Konsumtion aller Länder kosmopolitisch gestaltet. Sie hat zum großen Bedauern der Reaktionäre den nationalen Boden der Industrie unter den Füßen weggezogen. Die uralten nationalen Industrieen sind vernichtet worden und werden noch täglich vernichtet. Sie werden verdrängt durch neue Industrieen, deren Einführung eine Lebensfrage für alle civilisirte Nationen wird, durch Industrieen, die nicht mehr einheimische Rohstoffe, sondern den entlegensten Zonen angehörige Rohstoffe verarbeiten, und deren Fabrikate nicht nur im Lande selbst, sondern in allen Welttheilen zugleich verbraucht werden. An die Stelle der alten, durch Landeserzeugnisse befriedigten Bedürfnisse treten neue, welche die Produkte der entferntesten Länder und Klimate zu ihrer Befriedigung erheischen. An die Stelle der alten lokalen und nationalen Selbstgenügsamkeit und Abgeschlossenheit tritt ein allseitiger Verkehr, eine allseitige Abhängigkeit [6] der Nationen von einander. Und wie in der materiellen, so auch in der geistigen Produktion. Die geistigen Erzeugnisse der einzelnen Nationen werden Gemeingut. Die nationale Einseitigkeit und Beschränktheit wird mehr und mehr unmöglich, und aus den vielen nationalen und lokalen Literaturen bildet sich eine Weltliteratur. Die Bourgeoisie reißt durch die rasche Verbesserung aller Produktions-Instrumente, durch die unendlich erleichterten Kommunikationen alle, auch die barbarischsten Nationen in die Civilisation. Die wohlfeilen Preise ihrer Waaren sind die schwere Artillerie, mit der sie alle chinesischen Mauern in den Grund schießt, mit der sie den hartnäckigsten Fremdenhaß der Barbaren zur Kapitulation zwingt. Sie zwingt alle Nationen die Produktionsweise der Bourgeoisie sich anzueignen, wenn sie nicht zugrunde gehen wollen; sie zwingt sie die sogenannte Civilisation bei sich selbst einzuführen, d. h. Bourgeois zu werden. Mit einem Wort, sie schafft sich eine Welt nach ihrem eigenen Bilde. Die Bourgeoisie hat das Land der Herrschaft der Stadt unterworfen. Sie hat enorme Städte geschaffen, sie hat die Zahl der städtischen Bevölkerung gegenüber der ländlichen in hohem Grade vermehrt, und so einen bedeutenden Theil der Bevölkerung dem Idiotismus des Landlebens entrissen. Wie sie das Land von der Stadt, hat sie die barbarischen und halbbarbarischen Länder von den civilisirten, die Bauernvölker von den Bourgeoisvölkern, den Orient vom Occident abhängig gemacht. Die Bourgeoisie hebt mehr und mehr die Zersplitterung der Produktionsmittel, des Besitzes und der Bevölkerung auf. Sie hat die Bevölkerung agglomerirt, die Produktionsmittel centralisirt und das Eigenthum in wenigen Händen koncentrirt. Die nothwendige Folge hiervon war die politische Centralisation. Unabhängige, fast nur verbündete Provinzen mit verschiedenen Interessen, Gesetzen, Regierungen und Zöllen wurden zusammengedrängt in Eine Nation, Eine Regierung, Ein Gesetz, Ein nationales Klasseninteresse, Eine Douanenlinie. Die Bourgeoisie hat in ihrer kaum hundertjährigen Klassenherrschaft massenhaftere und kolossalere Produktionskräfte geschaffen, als alle vergangenen Generationen zusammen. Unterjochung der Naturkräfte, Maschinerie, Anwendung der Chemie auf Industrie und Ackerbau, Dampfschiffahrt, Eisenbahnen, elektrische Telegraphen, Urbarmachung ganzer Welttheile, Schiffbarmachung der Flüsse, ganze aus dem Boden hervorgestampfte Bevölkerungen – welch früheres Jahrhundert ahnte, daß solche Produktionskräfte im Schooß der gesellschaftlichen Arbeit schlummerten. Wir haben aber gesehn: Die Produktions- und Verkehrsmittel, auf deren Grundlage sich die Bourgeoisie heranbildete, wurden in der feudalen Gesellschaft erzeugt. Auf einer gewissen Stufe der Entwicklung dieser Produktions- und Verkehrsmittel entsprachen die Verhältnisse, worin die feudale Gesellschaft producirte und austauschte, die feudale Organisation der Agrikultur und Manufaktur, mit einem Wort die feudalen Eigenthums-Verhältnisse den schon entwickelten Produktivkräften nicht mehr. Sie hemmten die Produktion statt sie zu fördern. Sie verwandelten sich in eben so viele Fesseln. Sie mußten gesprengt werden, sie wurden gesprengt. An ihre Stelle trat die freie Konkurrenz mit der ihr angemessenen gesellschaftlichen und politischen Konstitution, mit der ökonomischen und politischen Herrschaft der Bourgeois-Klasse. Unter unsren Augen geht eine ähnliche Bewegung vor. Die bürgerlichen Produktions- und Verkehrs-Verhältnisse, die bürgerlichen Eigenthums-Verhältnisse, die moderne bürgerliche Gesellschaft, die so gewaltige Produktions- und Verkehrsmittel hervorgezaubert hat, gleicht dem Hexenmeister, der die unterirdischen Gewalten nicht mehr zu beherrschen vermag, die er herauf beschwor. [7] Seit Dezennien ist die Geschichte der Industrie und des Handels nur noch die Geschichte der Empörung der modernen Produktivkräfte gegen die modernen Produktions-Verhältnisse, gegen die Eigenthums-Verhältnisse, welche die Lebens-Bedingungen der Bourgeoisie und ihrer Herrschaft sind. Es genügt die Handelskrisen zu nennen, welche in ihrer periodischen Wiederkehr immer drohenden die Existenz der ganzen bürgerlichen Gesellschaft in Frage stellen. In den Handelskrisen wird ein großer Theil nicht nur der erzeugten Produkte, sondern sogar der bereits geschaffenen Produktivkräfte regelmäßig vernichtet. In der Krisen bricht eine gesellschaftliche Epidemie aus, welche allen früheren Epochen als ein Widersinn erschienen wäre – die Epidemie der Ueberproduktion. Die Gesellschaft findet sich plötzlich in einen Zustand momentaner Barbarei zurückversetzt; eine Hungersnoth, ein allgemeiner Verwüstungskrieg scheinen ihr alle Lebensmittel abgeschnitten zu haben; die Industrie, der Handel scheinen vernichtet, und warum? Weil sie zu viel Civilisation, zu viel Lebensmittel, zu viel Industrie, zu viel Handel besitzt. Die Produktivkräfte, die ihr zur Verfügung stehen, dienen nicht mehr zur Beförderung der bürgerlichen Civilisation und der bürgerlichen Eigenthums-Verhältnisse; im Gegentheil, sie sind zu gewaltig für diese Verhältnisse geworden, sie werden von ihnen gehemmt, und so bald sie dies Hemmniß überwinden, bringen sie die ganze bürgerliche Gesellschaft in Unordnung, gefährden sie die Existenz des bürgerlichen Eigenthums. Die bürgerlichen Verhältnisse sind zu eng geworden um den von ihnen erzeugten Reichthum zu fassen. – Wodurch überwindet die Bourgeoisie die Krisen? Einerseits durch die erzwungene Vernichtung einer Masse von Produktivkräften; andererseits durch die Eroberung neuer Märkte, und die gründlichere Ausbeutung der alten Märkte. Wodurch also? Dadurch, daß sie allseitigere und gewaltigere Krisen vorbereitet und die Mittel, den Krisen vorzubeugen, vermindert. Die Waffen, womit die Bourgeoisie den Feudalismus zu Boden geschlagen hat, richten sich jetzt gegen die Bourgeoisie selbst. Aber die Bourgeoisie hat nicht nur die Waffen geschmiedet, die ihr den Tod bringen; sie hat auch die Männer gezeugt, die diese Waffen führen werden – die modernen Arbeiter, die Proletarier. In demselben Maße, worin sich die Bourgeoisie, d.h. das Kapital entwickelt, in demselben Maße entwickelt sich das Proletariat, die Klasse der modernen Arbeiter, die nur so lange leben, als sie Arbeit finden, und die nur so lange Arbeit finden, als ihre Arbeit das Kapital vermehrt. Diese Arbeiter, die sich stückweis verkaufen müssen, sind eine Waare wie jeder andere Handelsartikel, und daher gleichmäßig allen Wechselfällen der Konkurrenz, allen Schwankungen des Marktes ausgesetzt. Die Arbeit der Proletarier hat durch die Ausdehnung der Maschinerie und die Theilung der Arbeit allen selbstständigen Charakter und damit allen Reiz für den Arbeiter verloren. Er wird ein bloßes Zubehör der Maschine, von dem nur der einfachste, eintönigste, am leichtesten erlernbare Handgriff verlangt wird. Die Kosten, die der Arbeiter verursacht, beschränken sich daher fast nur auf die Lebensmittel, die er zu seinem Unterhalt und zur Fortpflanzung seiner Race bedarf. Der Preis einer Waare, also auch der Arbeit ist aber gleich ihren Produktionskosten. In demselben Maße, in dem die Widerwärtigkeit der Arbeit wächst, nimmt daher der Lohn ab. Noch mehr, in demselben Maße wie Maschinerie und Theilung der Arbeit zunehmen, in demselben Maße nimmt auch die Masse der Arbeit zu, sei es durch Vermehrung der Arbeitsstunden, sei es durch Vermehrung der in einer gegebenen Zeit geforderten Arbeit, beschleunigten Lauf der Maschinen u. s. w. Die moderne Industrie hat die kleine Werkstube des patriarchalischen Meisters in die große Fabrik des industriellen Kapitalisten verwandelt. Arbeiter- [8] Massen in der Fabrik zusammengedrängt, werden soldatisch organisirt. Sie werden als gemeine Industriesoldaten unter die Aufsicht einer vollständigen Hierarchie von Unteroffizieren und Offizieren gestellt. Sie sind nicht nur Knechte der Bourgeoisklasse, des Bourgeoisstaates, sie sind täglich und stündlich geknechtet von der Maschine, von dem Aufseher, und vor Allem von dem einzelnen fabrizirenden Bourgeois selbst. Diese Despotie ist um so kleinlicher, gehässiger, erbitternder, je offener sie den Erwerb als ihren letzten Zweck proklamirt. Je weniger die Handarbeit Geschicklichkeit und Kraftäußerung erheischt, d.h. je mehr die moderne Industrie sich entwickelt, desto mehr wird die Arbeit der Männer durch die der Weiber und Kinder verdrängt. Geschlechts- und Alters-Unterschiede haben keine gesellschaftliche Geltung mehr für die Arbeiterklasse. Es gibt nur noch Arbeitsinstrumente, die je nach Alter und Geschlecht verschiedene Kosten machen. Ist die Ausbeutung des Arbeiters durch den Fabrikanten so weit beendigt, daß er seinen Arbeitslohn baar ausgezahlt erhält, so fallen die andern Theile der Bourgeoisie über ihn her, der Hausbesitzer, der Krämer, der Pfandverleiher u. s. w. Die bisherigen kleinen Mittelstände, die kleinen Industriellen, Kaufleute und Rentiers, die Handwerker und Bauern, alle diese Klassen fallen ins Proletariat hinab, theils dadurch, daß ihr kleines Kapital für den Betrieb der großen Industrie nicht ausreicht, und der Konkurrenz mit den größeren Kapitalisten erliegt, theils dadurch, daß ihre Geschicklichkeit von neuen Produktionsweisen entwerthet wird. So rekrutirt sich das Proletariat aus allen Klassen der Bevölkerung. Das Proletariat macht verschiedene Entwicklungsstufen durch. Sein Kampf gegen die Bourgeoisie beginnt mit seiner Existenz. Im Anfang kämpfen die einzelnen Arbeiter, dann die Arbeiter einer Fabrik, dann die Arbeiter eines Arbeitszweiges an einen Ort gegen den einzelnen Bourgeois, der sie direkt ausbeutet. Sie richten ihre Angriffe nicht nur gegen die bürgerlichen Produktions-Verhältnisse, sie richten sie gegen die Produktions-Instrumente selbst; sie vernichten die fremden konkurrirenden Waaren, sie zerschlagen die Maschinen, sie stecken die Fabriken in Brand, sie suchen sich die untergegangene Stellung des mittelalterlichen Arbeiters wieder zu erringen. Auf dieser Stufe bilden die Arbeiter eine über das ganze Land zerstreute und durch die Konkurrenz zersplitterte Masse. Massenhaftes Zusammenhalten der Arbeiter ist noch nicht die Folge ihrer eigenen Vereinigung, sondern die Folge der Vereinigung der Bourgeoisie, die zur Erreichung ihrer eigenen politischen Zwecke das ganze Proletariat in Bewegung setzen muß und es einstweilen noch kann. Auf dieser Stufe bekämpfen die Proletarier also nicht ihre Feinde, sondern die Feinde ihrer Feinde, die Reste der absoluten Monarchie, die Grundeigenthümer, die nicht industriellen Bourgeois, die Kleinbürger. Die ganze geschichtliche Bewegung ist so in den Händen der Bourgeoisie konzentrirt; jeder Sieg, der so errungen wird, ist ein Sieg der Bourgeoisie. Aber mit der Entwicklung der Industrie vermehrt sich nicht nur das Proletariat; es wird in größeren Massen zusammengedrängt, seine Kraft wächst und es fühlt sie mehr. Die Interessen, die Lebenslagen innerhalb des Proletariats gleichen sich immer mehr aus, indem die Maschinerie mehr und mehr die Unterschiede der Arbeit verwischt und den Lohn fast überall auf ein gleich niedriges Niveau herabdrückt. Die wachsende Konkurrenz der Bourgeois unter sich und die daraus hervorgehenden Handelskrisen machen den Lohn der Arbeiter immer schwankender; die immer rascher sich entwickelnde, unaufhörliche Verbesserung der Maschinerie macht ihre ganze Lebensstellung immer unsicherer; immer mehr nehmen die Kollisionen zwischen dem einzelnen Arbeiter und dem einzelnen Bourgeois den Charakter von Kollisionen zweier Klassen an. Die Arbeiter beginnen [9] damit, Coalitionen gegen die Bourgeois zu bilden; sie treten zusammen zur Behauptung ihres Arbeitslohns. Sie stiften selbst dauernde Associationen, um sich für diese gelegentlichen Empörungen zu verproviantiren. Stellenweis bricht der Kampf in Emeuten aus. Von Zeit zu Zeit siegen die Arbeiter, aber nur vorübergehend. Das eigentliche Resultat ihrer Kämpfe ist nicht der unmittelbare Erfolg, sondern die immer weiter um sich greifende Vereinigung der Arbeiter. Sie wird befördert durch die wachsenden Kommunikationsmittel, die von der großen Industrie erzeugt werden und die Arbeiter der verschiedenen Lokalitäten mit einander in Verbindung setzen. Es bedarf aber blos der Verbindung, um die vielen Lokalkämpfe von überall gleichem Charakter, zu einem nationalen, zu einem Klassenkampf zu centralisiren. Jeder Klassenkampf aber ist ein politischer Kampf. Und die Vereinigung, zu der die Bürger des Mittelalters mit ihren Vicinalwegen Jahrhunderte bedurften, bringen die modernen Proletarier mit den Eisenbahnen in wenigen Jahren zu Stande. Diese Organisation der Proletarier zur Klasse, und damit zur politischen Partei, wird jeden Augenblick wieder gesprengt durch die Conkurrenz unter den Arbeitern selbst. Aber sie ersteht immer wieder, stärker, fester, mächtiger. Sie erzwingt die Anerkennung einzelner Interessen der Arbeiter in Gesetzesform, indem sie die Spaltungen der Bourgeoisie unter sich benutzt. So die Zehnstundenbill in England. Die Kollisionen der alten Gesellschaft überhaupt fördern mannichfach den Entwicklungsgang des Proletariats. Die Bourgeoisie befindet sich in fortwährendem Kampfe; anfangs gegen die Aristokratie; später gegen die Theile der Bourgeoisie selbst, deren Interessen mit dem Fortschritt der Industrie in Wiederspruch gerathen; stets gegen die Bourgeoisie aller auswärtigen Länder. In allen diesen Kämpfen sieht sie sich genöthigt an das Proletariat zu appelliren, seine Hülfe in Anspruch zu nehmen und es so in die politische Bewegung hineinzureißen. Sie selbst führt also dem Proletariat ihre eigenen Bildungselemente, d. h. Waffen gegen sich selbst zu. Es werden ferner, wie wir sahen, durch den Fortschritt der Industrie ganze Bestandtheile der herrschenden Klasse in’s Proletariat hinabgeworfen oder wenigstens in ihren Lebensbedingungen bedroht. Auch sie führen dem Proletariat eine Masse Bildungselemente zu. In Zeiten endlich wo der Klassenkampf sich der Entscheidung nähert, nimmt der Auflösungsprozeß innerhalb der herrschenden Klasse, innerhalb der ganzen alten Gesellschaft, einen so heftigen, so grellen Charakter an, daß ein kleiner Theil der herrschende Klasse sich von ihr lossagt und sich der revolutionären Klasse anschließt, der Klasse, welche die Zukunft in ihren Händen trägt. Wie daher früher ein Theil des Adels zur Bourgeoisie überging, so geht jetzt ein Theil der Bourgeoisie zum Proletariat über, und namentlich ein Theil der Bourgeois-Ideologen, welche zum theoretischen Verständniß der ganzen geschichtlichen Bewegung sich hinaufgearbeitet haben. Von allen Klassen, welche heutzutage der Bourgeoisie gegenüber stehen, ist nur das Proletariat eine wirklich revolutionäre Klasse. Die übrigen Klassen verkommen und gehen unter mit der großen Industrie, das Proletariat ist ihr eigenstes Produkt. Die Mittelstände, der kleine Industrielle, der kleine Kaufmann, der Handwerker, der Bauer, sie Alle bekämpfen die Bourgeoisie, um ihre Existenz als Mittelstände, vor dem Untergang zu sichern. Sie sind also nicht revolutionär, sondern konservativ. Noch mehr, sie sind reaktionär, denn sie suchen das Rad der Geschichte zurückzudrehen. Sind sie revolutionär, so sind sie es im Hinblick auf den ihnen bevorstehenden Uebergang ins Proletariat, so vertheidigen [10] sie nicht ihre gegenwärtigen, sondern ihre zukünftigen Interessen, so verlassen sie ihren eigenen Standpunkt um sich auf den des Proletariats zu stellen. Das Lumpenproletariat, diese passive Verfaulung der untersten Schichten der alten Gesellschaft, wird durch eine proletarische Revolution stellenweise in die Bewegung hineingeschleudert, seiner ganzen Lebenslage nach wird es bereitwilliger sein sich zu reaktionären Umtrieben erkaufen zu lassen. Die Lebensbedingungen der alten Gesellschaft sind schon vernichtet in den Lebensbedingungen des Proletariats. Der Proletarier ist eigenthumslos; sein Verhältniß zu Weib und Kindern hat nichts mehr gemein mit dem bürgerlichen Familienverhältniß; die moderne industrielle Arbeit, die moderne Unterjochung unter das Kapital, dieselbe in England wie in Frankreich, in Amerika wie in Deutschland, hat ihm allen nationalen Charakter abgestreift. Die Gesetze, die Moral, die Religion sind für ihn eben so viele bürgerliche Vorurtheile, hinter denen sich eben so viele bürgerliche Interessen verstecken. Alle früheren Klassen, die sich die Herrschaft eroberten, suchten ihre schon erworbene Lebensstellung zu sichern, indem sie die ganze Gesellschaft den Bedingungen ihres Erwerbs unterwarfen. Die Proletarier können sich die gesellschaftlichen Produktivkräfte nur erobern, indem sie ihre eigene bisherige Aneignungsweise und damit die ganze bisherige Aneignungsweise abschaffen. Die Proletarier haben Nichts von dem Ihrigen zu sichern, sie haben alle bisherige Privatsicherheit und Privatversicherungen zu zerstören. Alle bisherigen Bewegungen waren Bewegungen von Minoritäten oder im Interesse von Minoritäten. Die proletarische Bewegung ist die selbstständige Bewegung der ungeheuren Mehrzahl im Interesse der ungeheuren Mehrzahl. Das Proletariat, die unterste Schichte der jetzigen Gesellschaft, kann sich nicht erheben, nicht aufrichten, ohne daß der ganze Ueberbau der Schichten, die die offizielle Gesellschaft bilden, in die Luft gesprengt wird. Obgleich nicht dem Inhalt, ist der Form nach der Kampf des Proletariats gegen die Bourgeoisie zunächst ein nationaler. Das Proletariat eines jeden Landes muß natürlich zuerst mit seiner eigenen Bourgeoisie fertig werden. Indem wir die allgemeinsten Phasen der Entwicklung des Proletariats zeichneten, verfolgten wir den mehr oder minder versteckten Bürgerkrieg innerhalb der bestehenden Gesellschaft bis zu dem Punkt, wo er in eine offene Revolution ausbricht und durch den gewaltsamen Sturz der Bourgeoisie das Proletariat seine Herrschaft begründet. Alle bisherige Gesellschaft beruhte, wie wir gesehn haben, auf dem Gegensatz unterdrückender und unterdrückter Klassen. Um aber eine Klasse unterdrücken zu können, müssen ihr Bedingungen gesichert sein innerhalb derer sie wenigstens ihre knechtische Existenz fristen kann. Der Leibeigene hat sich zum Mitglied der Kommune in der Leibeigenschaft herangearbeitet, wie der Kleinbürger zum Bourgeois unter dem Joch des feudalistischen Absolutismus. Der moderne Arbeiter dagegen, statt sich mit dem Fortschritt der Industrie zu heben, sinkt immer tiefer unter die Bedingungen seiner eignen Klasse herab. Der Arbeiter wird zum Pauper, und der Pauperismus entwickelt sich noch rascher als Bevölkerung und Reichthum. Es tritt hiermit offen hervor, daß die Bourgeoisie unfähig ist, noch länger die herrschende Klasse der Gesellschaft zu bleiben und die Lebensbedingungen ihrer Klasse der Gesellschaft als regelndes Gesetz aufzuzwingen. Sie ist unfähig zu herrschen, weil sie unfähig ist ihrem Sklaven die Existenz selbst innerhalb seiner Sklaverei zu sichern, weil sie gezwungen ist ihn in eine Lage herabsinken zu lassen, wo sie ihn ernähren muß, statt von ihm ernährt zu werden. Die Gesellschaft kann nicht mehr unter ihr leben, d. h. ihr Leben ist nicht mehr verträglich mit der Gesellschaft. Die wesentlichste Bedingung für die Existenz und für die Herrschaft der Bourgeoisklasse [11] ist die Anhäufung des Reichthums in den Händen von Privaten, die Bildung und Vermehrung des Kapitals. Die Bedingung des Kapitals ist die Lohnarbeit. Die Lohnarbeit beruht ausschließlich auf der Konkurrenz der Arbeiter unter sich. Der Fortschritt der Industrie, dessen willenloser und wiederstandsloser Träger die Bourgeoisie ist, setzt an die Stelle der Isolirung der Arbeiter durch die Konkurrenz ihre revolutionäre Vereinigung durch die Association. Mit der Entwicklung der großen Industrie wird also unter den Füßen der Bourgeoisie die Grundlage selbst weggezogen worauf sie produzirt und die Produkte sich aneignet. Sie produzirt vor Allem ihre eigenen Todtengräber. Ihr Untergang und der Sieg des Proletariats sind gleich unvermeidlich. |
第二章 プロレタリヤと共産主義者 |
Chapter 2: Proletarians and Communists |
Proletarier und Kommunisten. |
共産主義者は一般のプロレタリヤに對して、どんな關係にあるか。 共産主義者は勞働者の諸黨派に反對して、別個の一黨派をつくるものではない。 彼らは全プロレタリヤ階級の利害から分離した、何らの利害をもつものではない。 彼らは特殊の原則を定めて、プロレタリヤの運動をその型に入れようとするものではない。 共産主義者が、プロレタリヤの他の諸黨派と異なるところは、ただこれである。すなはち、一面においては、プロレタリヤの種々なる一國的鬪爭に對して、そ の國籍から獨立した、全プロレタリヤ階級の共通利益を指示し、標榜する。そして他の一面においては、プロレタリヤとブルジョアジーとの鬪爭が經過する種々 なる發展段階に對して、常に運動全體の利益を代表する。 故に共産主義者は、一面、實際上には、全世界の勞働諸黨派の中において、最も大膽な、いつでも全黨を推進させる一部分である。そして一面、理論上には、 プロレタリヤ運動の條件、進路、およびその總結末に關し、プロレタリヤの他の大部分よりも、一そう明晰な洞察をもつてゐるものである。 共産主義者の直接の目的は、他のすべてのプロレタリヤ諸黨派のそれと同一である。すなはちプロレタリヤを一階級に結成すること、ブルジョアの支配權を顛覆すること、プロレタリヤの手に政權を握ること。 共産主義者の理論的根據は、決して某々社會改良家たちの發明し、もしくは發見した、理想や原理の上に存するものではない。 彼らはただ、現存せる階級鬪爭の實際的諸關係、すなはち我々の眼前に起りつつある歴史的運動の、一般的表現に過ぎない。從來の財産關係を廢絶することは、必ずしも共産主義者の特徴ではない。 あらゆる過去の財産關係は、絶えず歴史的の轉換を受け、また絶えず歴史的の變化を蒙つてゐる。 例へばフランス革命は、ブルジョア的財産の便宜のために、封建的財産を廢絶した。 故に共産主義の特徴とするところは、一般財産の廢絶ではなく、ただブルジョア財産の廢絶である。しかし近世ブルジョアの私有財産は、階級反目の上に立ち、少數者による多數者の搾取の上に立つところの、生産および生産物領有方法の、最後にしてかつ最も完全なる表現である。 この意味において、共産主義者はその理論を一言に約することが出來る。いはく、私有財産の廢絶。 世人は我々共産主義者を非難していふ。共産主義者は、人が自己の勞働によつて獲得したところの個人的財産を廢絶しようとする。すなはちあらゆる個人的の自由、活動、および獨立の根底たる財産を廢絶しようとする、と。 自己の勞働によつて、自己の獲得した、自己の儲けだした財産といふのか。それはブルジョア財産の以前にあつた、職人の財産、農夫の財産のことをいふのか、それならば我々が廢絶するには及ばない。産業の發達が既にそれを廢絶し、なほ日々廢絶しつつある。 それとも彼らは、近世のブルジョア的私有財産のことをいふのか。 しかし、賃銀勞働(すなはちプロレタリヤの勞働)は勞働者のために財産をつくるのか。決してつくらない。それはただ資本をつくる。資本は賃銀勞働を搾取 する財産である。そしてそれが更に賃銀勞働をつくり、更にそれを搾取するといふ條件の下においてのみ、増大しうるところの財産である。現今の形態における 財産は、資本と賃銀勞働との對立の中に生存してゐる。我々をしてこの對立の兩面を檢せしめよ。 資本家たることは、生産界において、單純なる個人的地位をもつばかりでなく、また一の社會的地位をもつことである。資本は協力的産物である。多數部員の共同作業によつてのみ、いな、それを究極すれば、社會全員の共同作業によつてのみ働かされうるものである。 故に資本は決して個人的の力でなく、一つの社會力である。 故に資本が共有財産(すなはち社會全員の財産)に變更される場合、それは個人的財産が社會的財産に變更されるのではない。ただその財産の社會的特質が變更されるのである。すなはち財産の階級的性質が失はれるのである。 次に賃銀勞働を檢せしめよ。 賃銀勞働の平均價格は、勞働賃銀の最低である。すなはち、勞働者が勞働者としての生命を保つに必要なだけの生活資料の額である。故に賃銀勞働者が自分の 勞働によつて獲得するところは、ただその赤貧の生活を再製するに足るだけのものである。我々は決して、この直接な生命の再製のためにする、勞働産物の個人 的所得を廢絶しようとするのではない。すなはち他の勞働を支配すべき何らの餘剩を生じないところの、この所得を廢絶しようとするのではない。我々はただこ の所得の悲慘な性質、すなはち勞働者が資本を増大するためにのみ生活し、支配階級の利益がそれを要求する間だけ生活しうるといふ、その悲慘な性質をなくし ようとするのである。 ブルジョアの社會にあつては、生きた勞働者は、ただ、集積された勞働を増大する一つの手段になる。共産主義の社會にあつては、集積された勞働が、ただ勞働者の生活を擴大し、豐富にし、増進させる手段になる。 故にブルジョアの社會にあつては、過去が現在を支配し、共産主義の社會にあつては、現在が過去を支配する。ブルジョアの社會にあつては、資本は獨立的であり、個性的であるのに、生きた人間は從屬的であり、非個性的である。 しかるにブルジョアジーは、かういふ諸關係の廢絶を目して、個性の廢絶! 自由の廢絶! といふのである。しかし無理もない。これはいかにも、ブルジョアの個性、ブルジョアの獨立、ブルジョアの自由の廢絶なのである。 現在のブルジョア的生産關係の下にあつては、自由とはただ自由貿易を意味し、自由賣買を意味してゐる。 しかし賣買といふことがなくなれば、自由賣買もなくなつてしまふ。一體、ブルジョアの自由賣買といふこと、およびその他一切の自由よばはりは、中世時代 の制限された賣買、束縛された商人に對してこそ意義もあるが、共産主義が主張する賣買の廢絶、ブルジョア的生産關係の廢絶、およびブルジョアジーそのもの の廢絶に對しては、何らの意義もないものである。 諸君は、我々が私有財産を廢絶しようといふのに驚いてゐる。しかし諸君のこの現在の社會において、人口の十分の九は既に私有財産を失つてゐるではない か。そしてそれが(少數者のために)存在してゐるのは、實にそれがその十分の九のために存在してゐないからではないか。故に諸君が我々を非難する、その財 産の廢絶といふのは、社會全員の大々多數の無財産を必要條件とする、その財産の廢絶なのである。 要するに諸君は、我々が諸君の財産を廢絶しようとするのを非難するのである。いかにも我々はそれを欲するのである。 諸君は、勞働がもはや資本に變ぜず、貨幣に變ぜず、地代に變ぜず、つまり獨占的社會力に變じえないことになるその瞬間から、すなはち個人的財産がもはや、ブルジョア的財産に變形しえないことになるその瞬間から、諸君は個性が廢絶されるといふのである。 故に諸君は白状してゐるのである。諸君のいはゆる個性とは、ブルジョア以外の、ブルジョア的財産所有者以外の、何ものをも意味してゐないのである。そして、それらの個性はもとより廢絶すべきである。 共産主義は誰人に對しても、社會的産物を獲得する力を奪ふものではない。ただその獲得によつて、他の勞働を屈服させる、その力を奪ふのである。 ある者は反對していふ。私有財産が廢絶されるなら、それとともに一切の活動が廢絶され、從つて一般的怠惰に陷るであらう、と。 もしさうとするなら、ブルジョア社會は疾くの昔、怠惰のために滅亡してゐるはずである。ブルジョア社會では、働く者は儲からないし、儲ける者は働かない ではないか。だからこの反對論は結局、資本がなくなれば賃銀勞働がなくなるといふ、分かりきつた重複語を、別の意味で使つたに過ぎない。 物質的産物に對する、共産主義的の獲得方法および生産方法に向けられたすべての攻撃は、更に精神的産物の獲得および生産にまで延長されてゐる。階級的財 産の廢絶が、ブルジョアにとつて、生産そのものの廢絶であるのと同じく、階級的文化の廢絶は、彼らにとつて一般文化の廢絶と同意義である。 彼らがしかくその消滅を悲しんでゐる、その文化なるものは、大々多數の人にとつては、ただ機械として働くことの教育である。 しかし諸君が、自由、文化、權利等に關する諸君のブルジョア的見解を標準として、ブルジョア財産の廢絶を律しようとする間は、論爭は無益である。諸君の 思想そのものは、ブルジョア的の生産關係および財産關係の産物である。それと同じく、諸君の權利もまた、諸君の階級的意志を法律としたものに過ぎない。そ してその意志の内容は、諸君の階級の物質的生活條件から生じたものに過ぎない。 諸君の利己的謬想――すなはち諸君の生産關係および財産關係は、生産の進歩に從つて生滅する歴史的關係であるのに、それを永劫の自然法および道理法に變 更させる――その諸君の利己的謬想は、すべての滅亡した過去の支配階級が、みな諸君と同じくもつてゐたものである。諸君が古代の財産に對して理解したとこ ろ、また封建的財産に對して理解したところのものを、諸君はいま、ブルジョア的財産に對しては理解しようとしないのである。 家族制の廢絶! 共産主義者のこの不名譽な提案に對しては、最急進派の人々すらも憤激する。 しかし、現在の家族制度、ブルジョアの家族制度はいかなる基礎の上に立つてゐるか。資本の上、私收入の上に立つてゐる。完全に發達したこの家族制度は、 ただブルジョアジーの間にのみ存在してゐる。そしてプロレタリヤの強制的無家庭と、公娼制度とが、その補足物になつてゐる。 ブルジョアの家族制は、もとよりこの補足物の消失とともに消失する。そして兩者とも、資本の消失とともに消失する。 諸君はまた、子供に對する親の搾取を廢絶するものとして、我々を攻撃するか。我々は甘んじてその罪人たることを自認する。 しかし(と諸君はいふだらう)、家庭教育を廢して社會教育をそれに代へるのは、最も神聖なる家族關係を廢絶するものである、と。 ところが、諸君の教育もやはり社會によつて決定されるのではないか。諸君が教育を施すその社會的諸關係によつて決定されるのではないか。學校などを通じ て、直接間接に行はれる社會の干渉によつて決定されるのではないか。共産主義者は、教育に對する社會の影響を發明したのではない。彼らはただその影響の性 質を變じて、教育をして支配階級の勢力から脱出させようとするのである。 家族制度や教育のことについて、また親子の間の神聖な關係などといふことについて、ブルジョアがこんないひわけをしてゐるとき、大産業の結果として、プ ロレタリヤの家族關係がだんだんに破壞され、その小兒たちが單純な商品と勞働器械とに變形されて行くのを見ると、我々は實に嘔吐を催すの感がある。 だつて君ら共産主義者は、婦人の共有を行はうとしてゐるのぢやないかと、全ブルジョアジーが我々に向つて合唱的に絶叫する。 ブルジョアは自分の妻を單なる生産器具と考へてゐる。そして生産器具がみな共同に利用されると聞いたのだから、その共同利用の運命が、やはり婦人の上にも來るものとしか考へられないのは、無理もない話である。 共産主義者の目的とするところは、さういふ單なる生産器具としての婦人の地位を、廢絶しようとするにあるのだなどとは、彼らが思ひもそめないことである。 しかしなんにしろ、わがブルジョア諸君が、そのいはゆる共産主義者の婦人共有制に對して、道徳的義憤を發したことほど笑ふべきものはない。共産主義者は婦人共有制を創設する必要がない。それは疾くの昔から存在してゐるではないか。 わがブルジョア諸君は、公娼のことはしばらくいはぬとしても、プロレタリヤの妻や娘を勝手にして、それでもなほ滿足が出來ないで、更に自分らの妻を互ひに誘惑することを無上の快樂としてゐるではないか。 ブルジョアの結婚は、その實質上、まさに妻女共有制である。さすれば、彼らが共産主義者に對して加へうる攻撃は、僞善的に隱蔽されてゐる婦人共有制の代 りに、公然たる正式の婦人共有制を設けようとするからいけない、といふのがせいぜいである。なほいふまでもないことだが、現今の生産關係を廢絶すれば、そ れとともに、その關係から生じた婦人共有制、すなはち公私の賣淫制度が、みな消滅するのである。 共産主義者は更に、祖國を廢絶し、國民性を廢するものとして攻撃されてゐる。 勞働者は祖國をもつてゐない。その人のもつてゐないものをその人から取ることは出來ない。プロレタリヤはまづ政權を握らねばならぬ、國民的の階級たる地 位に登らねばならぬ、自己を國民として結成せねばならぬ。であるから、その意味において、ブルジョアジーの意味とは全く違ふが、やはり國民的である。 國家間の差別、および人種間の反目は、ブルジョアジーの發達のために、通商の自由のために、世界市場のために、生産方式およびそれに相應する生活關係の同一化のために、もはやだんだん消滅しつつある。 プロレタリヤの政治は一そう多くそれを消滅させるであらう。少くとも文明諸國間だけの團結した行動が、プロレタリヤ解放の最大條件の一つである。 一個人が他個人を搾取することが止めば、それと同じ比例において、一國民が他國民を搾取することも止むであらう。一國の内部における階級對立がなくなれば、國と國との間の敵視もまたなくなるであらう。 宗教的、哲學的、および一般理想的見地からの共産主義に對する攻撃は、大して本氣に論究するだけの價値がない。 人間の生活上の諸關係とともに、その社會的諸關係とともに、その社會的生活とともに、その思想、觀念、および見解、一言にすれば、その自覺もまた變化するといふことを理解するのに、そんなに深い洞察力がいるだらうか。 古來、思想の歴史が示してゐるところのものは、精神的生産が物質的生産とともに變質するといふことよりほかにないではないか。ある時代を支配する思想は、いつでもただその支配階級の思想であつた。 ある思想が全社會を革命したといふことがある。それはただ、舊社會の内部に、新社會の要素が發育したといふ事實、古い生活關係の解體とともに、古い思想の解體が同一の歩調をとつたといふ事實を指すに過ぎない。 上古の世界が滅亡に瀕したとき、古い諸宗教はみな、キリスト教に征服された。十八世紀に、キリスト教の思想が啓蒙思想(合理思想)に壓せられたとき、封 建社會は當時の革命的ブルジョアジーと致命戰をやつてゐた。良心の自由、および信仰の自由といふ思想は、ただ自由競爭の優勝を知識界について言明したに過 ぎない。 『けれども』と誰かがいふだらう。『宗教的、道徳的、哲學的、政治的、法律的の諸思想は、いかにも歴史發展の道程において變化したに相違ないが、宗教、道徳、哲學、政治、法律は、常にその變化の間に嚴存した。』 『それにまた、自由、正義などといふ、あらゆる社會状態に共通する、永劫の眞理がある。しかるに共産主義は、その永劫の眞理を廢絶する。宗教、道徳を改新するのではなく、全くそれを廢絶する。だから共産主義は、あらゆる過去の歴史發展と矛盾する。』 この難詰は一體どういふことに歸着するか。あらゆる過去の社會の歴史は、階級對立の中に發展してゐる。そしてその階級對立は、時代々々に從つてその形態を異にしてゐる。 しかしその形態はいかにもあれ、社會の一部分が他部分を搾取するといふ一點は、すべての過去の諸時代に共通な事實である。從つて、すべての時代の社會的 自覺(社會意識)が、その表現の多種多樣なるにかかはらず、ある共通の形式をもつて働くのは、當り前のことである。そしてその自覺形式は、階級對立の全き 消滅とともに、初めて完全に解體すべきものである。 共産主義の革命は、傳來の財産關係に對する根本的の分離である。從つてその發展の過程において、傳來の思想と根本的に分離するのは、當り前である。 しかし、共産主義に對するブルジョアの非難は、もうこれで棄ておくことにしよう。 我々は既に以上において、勞働者革命の第一歩が、プロレタリヤを支配階級の地位に上げることにあるを見た。すなはち、デモクラシーの戰勝にあるを見た。 プロレタリヤはその政治的支配權を利用して、漸々にブルジョアから一切の資本を捩ぢ取るであらう。一切の生産機關を國家の手に、すなはち支配階級として結成されたプロレタリヤの手に、集中するであらう。そして生産力の總量を出來うるかぎり急速に増大するであらう。 もちろん、最初は、財産權に對する、およびブルジョア的生産關係に對する、壓制的侵害によらなければ、右のことは行はれえないであらう。從つてその方策 は、經濟上、不徹底であり薄弱であるかに見える。しかしそれが運動の進行につれて、自然に元の埒外に跳り出でる。そしてそれが生産方法の全體を變革する手 段として、避くべからざる方策となる。 もつともこの方策は、それぞれの國情に從つて、それぞれの差異を呈するであらう。 しかし最も進歩した諸國にあつては、左の諸方策が大抵一般に行使されうるであらう。 一、土地所有權の剥奪、および地代を國家の經費に充てること。 二、強度の累進所得税。 三、相續權の廢止。 四、すべての移出民および反逆者の財産の沒收。 五、國家の資本をもつて全然獨占的なる國立銀行をつくり、信用機關を國家の手に集中すること。 六、交通および運輸機關を國家の手に集中すること。 七、國有工場の増大、國有生産機關の増大、共同的設計による土地の開墾および改善。 八、すべての人に對して平等の勞働義務を課すること。産業軍隊を編成すること。(殊に農業に對して)。 九、農業と工業との經營を結合すること。都會と地方との區別を漸々に廢すること。 十、すべての兒童の公共無料教育。現今の形式における兒童の工場勞働の廢止。工業生産と教育との結合等。 かくて、發達の進行につれ、階級的差別が消滅し、すべての生産が、總個人の協力(全國民の大組合)の手に集中されるならば、そのとき公的權力はその政治 的性質を失ふ。元來、政治的權力なるものは、一階級が他階級を壓伏するための組織的強力である。プロレタリヤはブルジョアジーに對する戰鬪の必要上、自ら 一階級を形成し、革命によつて自ら支配階級となり、そして支配階級として強制的に古い生産關係を廢絶するのであるが、その生産關係の廢絶とともに、階級對 立の存在條件を廢絶し、階級全體を廢絶し、從つてまた、自らの階級的支配權をも廢絶するのである。 かくていよいよ、古いブルジョア社會(およびその諸階級と階級對立と)の代りに、各人の自由な發達が衆人の自由な發達の條件となるやうな、協力社會が生ずるのである。 |
In what relation do the Communists stand to the proletarians as a whole? The Communists do not form a separate party opposed to the other working-class parties. They have no interests separate and apart from those of the proletariat as a whole. They do not set up any sectarian principles of their own, by which to shape and mould the proletarian movement. The Communists are distinguished from the other working-class parties by this only: 1. In the national struggles of the proletarians of the different countries, they point out and bring to the front the common interests of the entire proletariat, independently of all nationality. 2. In the various stages of development which the struggle of the working class against the bourgeoisie has to pass through, they always and everywhere represent the interests of the movement as a whole. The Communists, therefore, are on the one hand, practically, the most advanced and resolute section of the working-class parties of every country, that section which pushes forward all others; on the other hand, theoretically, they have over the great mass of the proletariat the advantage of clearly understanding the line of march, the conditions, and the ultimate general results of the proletarian movement. The immediate aim of the Communists is the same as that of all other proletarian parties: formation of the proletariat into a class, overthrow of the bourgeois supremacy, conquest of political power by the proletariat. The theoretical conclusions of the Communists are in no way based on ideas or principles that have been invented, or discovered, by this or that would-be universal reformer. They merely express, in general terms, actual relations springing from an existing class struggle, from a historical movement going on under our very eyes. The abolition of existing property relations is not at all a distinctive feature of communism. All property relations in the past have continually been subject to historical change consequent upon the change in historical conditions. The French Revolution, for example, abolished feudal property in favour of bourgeois property. The distinguishing feature of Communism is not the abolition of property generally, but the abolition of bourgeois property. But modern bourgeois private property is the final and most complete expression of the system of producing and appropriating products, that is based on class antagonisms, on the exploitation of the many by the few. In this sense, the theory of the Communists may be summed up in the single sentence: Abolition of private property. We Communists have been reproached with the desire of abolishing the right of personally acquiring property as the fruit of a man’s own labour, which property is alleged to be the groundwork of all personal freedom, activity and independence. Hard-won, self-acquired, self-earned property! Do you mean the property of petty artisan and of the small peasant, a form of property that preceded the bourgeois form? There is no need to abolish that; the development of industry has to a great extent already destroyed it, and is still destroying it daily. Or do you mean the modern bourgeois private property? But does wage-labour create any property for the labourer? Not a bit. It creates capital, i.e., that kind of property which exploits wage-labour, and which cannot increase except upon condition of begetting a new supply of wage-labour for fresh exploitation. Property, in its present form, is based on the antagonism of capital and wage labour. Let us examine both sides of this antagonism. To be a capitalist, is to have not only a purely personal, but a social status in production. Capital is a collective product, and only by the united action of many members, nay, in the last resort, only by the united action of all members of society, can it be set in motion. Capital is therefore not only personal; it is a social power. When, therefore, capital is converted into common property, into the property of all members of society, personal property is not thereby transformed into social property. It is only the social character of the property that is changed. It loses its class character. Let us now take wage-labour. The average price of wage-labour is the minimum wage, i.e., that quantum of the means of subsistence which is absolutely requisite to keep the labourer in bare existence as a labourer. What, therefore, the wage-labourer appropriates by means of his labour, merely suffices to prolong and reproduce a bare existence. We by no means intend to abolish this personal appropriation of the products of labour, an appropriation that is made for the maintenance and reproduction of human life, and that leaves no surplus wherewith to command the labour of others. All that we want to do away with is the miserable character of this appropriation, under which the labourer lives merely to increase capital, and is allowed to live only in so far as the interest of the ruling class requires it. In bourgeois society, living labour is but a means to increase accumulated labour. In Communist society, accumulated labour is but a means to widen, to enrich, to promote the existence of the labourer. In bourgeois society, therefore, the past dominates the present; in Communist society, the present dominates the past. In bourgeois society capital is independent and has individuality, while the living person is dependent and has no individuality. And the abolition of this state of things is called by the bourgeois, abolition of individuality and freedom! And rightly so. The abolition of bourgeois individuality, bourgeois independence, and bourgeois freedom is undoubtedly aimed at. By freedom is meant, under the present bourgeois conditions of production, free trade, free selling and buying. But if selling and buying disappears, free selling and buying disappears also. This talk about free selling and buying, and all the other “brave words” of our bourgeois about freedom in general, have a meaning, if any, only in contrast with restricted selling and buying, with the fettered traders of the Middle Ages, but have no meaning when opposed to the Communistic abolition of buying and selling, of the bourgeois conditions of production, and of the bourgeoisie itself. You are horrified at our intending to do away with private property. But in your existing society, private property is already done away with for nine-tenths of the population; its existence for the few is solely due to its non-existence in the hands of those nine-tenths. You reproach us, therefore, with intending to do away with a form of property, the necessary condition for whose existence is the non-existence of any property for the immense majority of society. In one word, you reproach us with intending to do away with your property. Precisely so; that is just what we intend. From the moment when labour can no longer be converted into capital, money, or rent, into a social power capable of being monopolised, i.e., from the moment when individual property can no longer be transformed into bourgeois property, into capital, from that moment, you say, individuality vanishes. You must, therefore, confess that by “individual” you mean no other person than the bourgeois, than the middle-class owner of property. This person must, indeed, be swept out of the way, and made impossible. Communism deprives no man of the power to appropriate the products of society; all that it does is to deprive him of the power to subjugate the labour of others by means of such appropriations. It has been objected that upon the abolition of private property, all work will cease, and universal laziness will overtake us. According to this, bourgeois society ought long ago to have gone to the dogs through sheer idleness; for those of its members who work, acquire nothing, and those who acquire anything do not work. The whole of this objection is but another expression of the tautology: that there can no longer be any wage-labour when there is no longer any capital. All objections urged against the Communistic mode of producing and appropriating material products, have, in the same way, been urged against the Communistic mode of producing and appropriating intellectual products. Just as, to the bourgeois, the disappearance of class property is the disappearance of production itself, so the disappearance of class culture is to him identical with the disappearance of all culture. That culture, the loss of which he laments, is, for the enormous majority, a mere training to act as a machine. But don’t wrangle with us so long as you apply, to our intended abolition of bourgeois property, the standard of your bourgeois notions of freedom, culture, law, &c. Your very ideas are but the outgrowth of the conditions of your bourgeois production and bourgeois property, just as your jurisprudence is but the will of your class made into a law for all, a will whose essential character and direction are determined by the economical conditions of existence of your class. The selfish misconception that induces you to transform into eternal laws of nature and of reason, the social forms springing from your present mode of production and form of property – historical relations that rise and disappear in the progress of production – this misconception you share with every ruling class that has preceded you. What you see clearly in the case of ancient property, what you admit in the case of feudal property, you are of course forbidden to admit in the case of your own bourgeois form of property. Abolition [Aufhebung] of the family! Even the most radical flare up at this infamous proposal of the Communists. On what foundation is the present family, the bourgeois family, based? On capital, on private gain. In its completely developed form, this family exists only among the bourgeoisie. But this state of things finds its complement in the practical absence of the family among the proletarians, and in public prostitution. The bourgeois family will vanish as a matter of course when its complement vanishes, and both will vanish with the vanishing of capital. Do you charge us with wanting to stop the exploitation of children by their parents? To this crime we plead guilty. But, you say, we destroy the most hallowed of relations, when we replace home education by social. And your education! Is not that also social, and determined by the social conditions under which you educate, by the intervention direct or indirect, of society, by means of schools, &c.? The Communists have not invented the intervention of society in education; they do but seek to alter the character of that intervention, and to rescue education from the influence of the ruling class. The bourgeois clap-trap about the family and education, about the hallowed co-relation of parents and child, becomes all the more disgusting, the more, by the action of Modern Industry, all the family ties among the proletarians are torn asunder, and their children transformed into simple articles of commerce and instruments of labour. But you Communists would introduce community of women, screams the bourgeoisie in chorus. The bourgeois sees his wife as a mere instrument of production. He hears that the instruments of production are to be exploited in common, and, naturally, can come to no other conclusion than that the lot of being common to all will likewise fall to the women. He has not even a suspicion that the real point aimed at is to do away with the status of women as mere instruments of production. For the rest, nothing is more ridiculous than the virtuous indignation of our bourgeois at the community of women which, they pretend, is to be openly and officially established by the Communists. The Communists have no need to introduce community of women; it has existed almost from time immemorial. Our bourgeois, not content with having wives and daughters of their proletarians at their disposal, not to speak of common prostitutes, take the greatest pleasure in seducing each other’s wives. Bourgeois marriage is, in reality, a system of wives in common and thus, at the most, what the Communists might possibly be reproached with is that they desire to introduce, in substitution for a hypocritically concealed, an openly legalised community of women. For the rest, it is self-evident that the abolition of the present system of production must bring with it the abolition of the community of women springing from that system, i.e., of prostitution both public and private. The Communists are further reproached with desiring to abolish countries and nationality. The working men have no country. We cannot take from them what they have not got. Since the proletariat must first of all acquire political supremacy, must rise to be the leading class of the nation, must constitute itself the nation, it is so far, itself national, though not in the bourgeois sense of the word. National differences and antagonism between peoples are daily more and more vanishing, owing to the development of the bourgeoisie, to freedom of commerce, to the world market, to uniformity in the mode of production and in the conditions of life corresponding thereto. The supremacy of the proletariat will cause them to vanish still faster. United action, of the leading civilised countries at least, is one of the first conditions for the emancipation of the proletariat. In proportion as the exploitation of one individual by another will also be put an end to, the exploitation of one nation by another will also be put an end to. In proportion as the antagonism between classes within the nation vanishes, the hostility of one nation to another will come to an end. The charges against Communism made from a religious, a philosophical and, generally, from an ideological standpoint, are not deserving of serious examination. Does it require deep intuition to comprehend that man’s ideas, views, and conception, in one word, man’s consciousness, changes with every change in the conditions of his material existence, in his social relations and in his social life? What else does the history of ideas prove, than that intellectual production changes its character in proportion as material production is changed? The ruling ideas of each age have ever been the ideas of its ruling class. When people speak of the ideas that revolutionise society, they do but express that fact that within the old society the elements of a new one have been created, and that the dissolution of the old ideas keeps even pace with the dissolution of the old conditions of existence. When the ancient world was in its last throes, the ancient religions were overcome by Christianity. When Christian ideas succumbed in the 18th century to rationalist ideas, feudal society fought its death battle with the then revolutionary bourgeoisie. The ideas of religious liberty and freedom of conscience merely gave expression to the sway of free competition within the domain of knowledge. “Undoubtedly,” it will be said, “religious, moral, philosophical, and juridical ideas have been modified in the course of historical development. But religion, morality, philosophy, political science, and law, constantly survived this change.” “There are, besides, eternal truths, such as Freedom, Justice, etc., that are common to all states of society. But Communism abolishes eternal truths, it abolishes all religion, and all morality, instead of constituting them on a new basis; it therefore acts in contradiction to all past historical experience.” What does this accusation reduce itself to? The history of all past society has consisted in the development of class antagonisms, antagonisms that assumed different forms at different epochs. But whatever form they may have taken, one fact is common to all past ages, viz., the exploitation of one part of society by the other. No wonder, then, that the social consciousness of past ages, despite all the multiplicity and variety it displays, moves within certain common forms, or general ideas, which cannot completely vanish except with the total disappearance of class antagonisms. The Communist revolution is the most radical rupture with traditional property relations; no wonder that its development involved the most radical rupture with traditional ideas. But let us have done with the bourgeois objections to Communism. We have seen above, that the first step in the revolution by the working class is to raise the proletariat to the position of ruling class to win the battle of democracy. The proletariat will use its political supremacy to wrest, by degree, all capital from the bourgeoisie, to centralise all instruments of production in the hands of the State, i.e., of the proletariat organised as the ruling class; and to increase the total productive forces as rapidly as possible. Of course, in the beginning, this cannot be effected except by means of despotic inroads on the rights of property, and on the conditions of bourgeois production; by means of measures, therefore, which appear economically insufficient and untenable, but which, in the course of the movement, outstrip themselves, necessitate further inroads upon the old social order, and are unavoidable as a means of entirely revolutionising the mode of production. These measures will, of course, be different in different countries. Nevertheless, in most advanced countries, the following will be pretty generally applicable. 1. Abolition of property in land and application of all rents of land to public purposes. 2. A heavy progressive or graduated income tax. 3. Abolition of all rights of inheritance. 4. Confiscation of the property of all emigrants and rebels. 5. Centralisation of credit in the hands of the state, by means of a national bank with State capital and an exclusive monopoly. 6. Centralisation of the means of communication and transport in the hands of the State. 7. Extension of factories and instruments of production owned by the State; the bringing into cultivation of waste-lands, and the improvement of the soil generally in accordance with a common plan. 8. Equal liability of all to work. Establishment of industrial armies, especially for agriculture. 9. Combination of agriculture with manufacturing industries; gradual abolition of all the distinction between town and country by a more equable distribution of the populace over the country. 10. Free education for all children in public schools. Abolition of children’s factory labour in its present form. Combination of education with industrial production, &c, &c. When, in the course of development, class distinctions have disappeared, and all production has been concentrated in the hands of a vast association of the whole nation, the public power will lose its political character. Political power, properly so called, is merely the organised power of one class for oppressing another. If the proletariat during its contest with the bourgeoisie is compelled, by the force of circumstances, to organise itself as a class, if, by means of a revolution, it makes itself the ruling class, and, as such, sweeps away by force the old conditions of production, then it will, along with these conditions, have swept away the conditions for the existence of class antagonisms and of classes generally, and will thereby have abolished its own supremacy as a class. In place of the old bourgeois society, with its classes and class antagonisms, we shall have an association, in which the free development of each is the condition for the free development of all. |
In welchem Verhältniß stehen die Kommunisten zu den Proletariern überhaupt? Die Kommunisten sind keine besondere Partei gegenüber den andern Arbeiterparteien. Sie haben keine von den Interessen des ganzen Proletariats getrennten Interessen. Sie stellen keine besondern Prinzipien auf, wonach sie die proletarische Bewegung modeln wollen. Die Kommunisten unterscheiden sich von den übrigen proletarischen Parteien nur dadurch, daß einerseits sie in den verschiedenen nationalen Kämpfen der Proletarier die gemeinsamen, von der Nationalität unabhängigen Interessen des gesammten Proletariats hervorheben und zur Geltung bringen, andrerseits dadurch, daß sie in den verschiedenen Entwicklungs-Stufen, welche der Kampf zwischen Proletariat und Bourgeoisie durchläuft, stets das Interesse der Gesammt-Bewegung vertreten. Die Kommunisten sind also praktisch der entschiedenste immer weiter treibende Theil der Arbeiterparteien aller Länder, sie haben theoretisch vor der übrigen Masse des Proletariats die Einsicht in die Bedingungen, den Gang und die allgemeinen Resultate der proletarischen Bewegung voraus. Der nächste Zweck der Kommunisten ist derselbe wie der aller übrigen proletarischen Parteien: Bildung des Proletariats zur Klasse, Sturz der Bourgeoisieherrschaft, Eroberung der politischen Macht durch das Proletariat. Die theoretischen Sätze der Kommunisten beruhen keineswegs auf Ideen, auf Prinzipien, die von diesem oder jenem Weltverbesserer erfunden oder entdeckt sind. Sie sind nur allgemeine Ausdrücke thatsächlicher Verhältnisse eines existirenden Klassenkampfes, einer unter unsern Augen vor sich gehenden geschichtlichen Bewegung. Die Abschaffung bisheriger Eigenthumsverhältnisse ist nichts dem Kommunismus eigenthümlich Bezeichnendes. Alle Eigenthumsverhältnisse waren einem beständigen geschichtlichen Wechsel, einer beständigen geschichtlichen Veränderung unterworfen. Die Französische Revolution z. B. schaffte das Feudal-Eigenthum zugunsten des bürgerlichen ab. Was den Kommunismus auszeichnet, ist nicht die Abschaffung des Eigenthums überhaupt, sondern die Abschaffung des bürgerlichen Eigenthums. Aber das moderne bürgerliche Privateigenthum ist der letzte und vollendetste Ausdruck der Erzeugung und Aneignung der Producte, die auf Klassengegensätzen, die auf der Ausbeutung der Einen durch die Andern beruht. In diesem Sinn können die Kommunisten ihre Theorie in dem einen Ausdruck: Aufhebung des Privat-Eigenthums zusammenfassen. [12] Man hat uns Kommunisten vorgeworfen, wir wollten das persönlich erworbene, selbsterarbeitete Eigenthum abschaffen; das Eigenthum, welches die Grundlage aller persönlichen Freiheit, Thätigkeit und Selbständigkeit bilde. Erarbeitetes, erworbenes, selbstverdientes Eigenthum! Sprecht Ihr von dem kleinbürgerlichen, kleinbäuerlichen Eigenthum, welches dem bürgerlichen Eigenthum vorherging? Wir brauchen es nicht abzuschaffen, die Entwickelung der Industrie hat es abgeschafft und schafft es täglich ab. Oder sprecht Ihr vom modernen bürgerlichen Privateigenthum? Schafft aber die Lohnarbeit, die Arbeit des Proletariers ihm Eigenthum? Keineswegs. Sie schafft das Kapital, d. h. das Eigenthum, welches die Lohnarbeit ausbeutet, welches sich nur unter der Bedingung vermehren kann, daß es neue Lohnarbeit erzeugt, um sie von Neuem auszubeuten. Das Eigenthum in seiner heutigen Gestalt bewegt sich in dem Gegensatz von Kapital und Lohnarbeit. Betrachten wir die beiden Seiten dieses Gegensatzes. Kapitalist sein heißt nicht nur eine reinpersönliche, sondern eine gesellschaftliche Stellung in der Produktion einnehmen. Das Kapital ist ein gemeinschaftliches Produkt und kann nur durch eine gemeinsame Thätigkeit vieler Mitglieder, ja in letzter Instanz nur durch die gemeinsame Thätigkeit aller Mitglieder der Gesellschaft in Bewegung gesetzt werden. Das Kapital ist also keine persönliche, es ist eine gesellschaftliche Macht. Wenn also das Kapital in gemeinschaftliches, allen Mitgliedern der Gesellschaft angehöriges Eigenthum verwandelt wird, so verwandelt sich nicht persönliches Eigenthum in gesellschaftliches. Nur der gesellschaftliche Charakter des Eigenthums verwandelt sich. Er verliert seinen Klassen-Charakter. Kommen wir zur Lohnarbeit. Der Durchschnittspreis der Lohnarbeit ist das Minimum des Arbeitslohnes, d. h. die Summe der Lebensmittel, die nothwendig sind, um den Arbeiter als Arbeiter am Leben zu erhalten. Was also der Lohnarbeiter durch seine Thätigkeit sich aneignet, reicht blos dazu hin, um sein nacktes Leben wieder zu erzeugen. Wir wollen diese persönliche Aneignung der Arbeitsprodukte zur Wiedererzeugung des unmittelbaren Lebens keineswegs abschaffen, eine Aneignung, die keinen Reinertrag übrigläßt, der Macht über fremde Arbeit geben könnte. Wir wollen nur den elenden Charakter dieser Aneignung aufheben, worin der Arbeiter nur lebt, um das Kapital zu vermehren, nur so weit lebt, wie es das Interesse der herrschenden Klasse erheischt. In der bürgerlichen Gesellschaft ist die lebendige Arbeit nur ein Mittel, die aufgehäufte Arbeit zu vermehren. In der kommunistischen Gesellschaft ist die aufgehäufte Arbeit nur ein Mittel, um den Lebensprozeß der Arbeiter zu erweitern, zu bereichern, zu befördern. In der bürgerlichen Gesellschaft herrscht also die Vergangenheit über die Gegenwart, in der kommunistischen die Gegenwart über die Vergangenheit. In der bürgerlichen Gesellschaft ist das Kapital selbstständig und persönlich, während das thätige Individuum unselbstständig und unpersönlich ist. Und die Aufhebung dieses Verhältnisses nennt die Bourgeoisie Aufhebung der Persönlichkeit und Freiheit! Und mit Recht. Es handelt sich allerdings um die Aufhebung der Bourgeois-Persönlichkeit, Selbstständigkeit und Freiheit. Unter Freiheit versteht man innerhalb der jetzigen bürgerlichen Produktions-Verhältnisse den freien Handel, den freien Kauf und Verkauf. Fällt aber der Schacher, so fällt auch der freie Schacher. Die Redensarten vom freien Schacher, wie alle übrigen Freiheitsbravaden unserer Bourgeois haben überhaupt nur einen Sinn gegenüber dem gebundenen Schacher, gegenüber dem geknechteten Bürger des Mittelalters, nicht aber gegenüber der kommunistischen [13] Aufhebung des Schachers, der bürgerlichen Produktions-Verhältnisse und der Bourgeoisie selbst. Ihr entsetzt Euch darüber, daß wir das Privateigenthum aufheben wollen. Aber in Eurer bestehenden Gesellschaft ist das Privateigenthum für 9 Zehntel ihrer Mitglieder aufgehoben; es existirt gerade dadurch, daß es für 9 Zehntel nicht existirt. Ihr werft uns also vor, daß wir ein Eigenthum aufheben wollen, welches die Eigenthumslosigkeit der ungeheuren Mehrzahl der Gesellschaft als nothwendige Bedingung voraussetzt. Ihr werft uns mit einem Wort vor, daß wir Euer Eigenthum aufheben wollen. Allerdings das wollen wir. Von dem Augenblick an, wo die Arbeit nicht mehr in Kapital, Geld, Grundrente, kurz, in eine monopolisirbare gesellschaftliche Macht verwandelt werden kann, d. h. von dem Augenblick, wo das persönliche Eigenthum nicht mehr in bürgerliches umschlagen kann, von dem Augenblick an erklärt Ihr die Person sei aufgehoben. Ihr gesteht also, daß Ihr unter der Person Niemanden anders versteht, als den Bourgeois, den bürgerlichen Eigenthümer. Und diese Person soll allerdings aufgehoben werden. Der Kommunismus nimmt keinem die Macht sich gesellschaftliche Produkte anzueignen, er nimmt nur die Macht sich durch diese Aneignung fremde Arbeit zu unterjochen. Man hat eingewendet, mit der Aufhebung des Privateigenthums werde alle Thätigkeit aufhören und eine allgemeine Faulheit einreißen. Hiernach müßte die bürgerliche Gesellschaft längst an der Trägheit zu Grunde gegangen sein; denn die in ihr arbeiten, erwerben nicht, und die in ihr erwerben, arbeiten nicht. Das ganze Bedenken läuft auf die Tautologie hinaus, daß es keine Lohnarbeit mehr gibt, sobald es kein Kapital mehr gibt. Alle Einwürfe die gegen die kommunistische Aneignungs- und Produktionsweise der materiellen Produkte gerichtet werden, sind eben so auf die Aneignung und Produktion der geistigen Produkte ausgedehnt worden. Wie für den Bourgeois das Aufhören des Klasseneigenthums das Aufhören der Produktion selbst ist, so ist für ihn das Aufhören der Klassenbildung identisch mit dem Aufhören der Bildung überhaupt. Die Bildung, deren Verlust er bedauert, ist für die enorme Mehrzahl die Heranbildung zur Maschine. Aber streitet nicht mit uns, indem Ihr an Euren bürgerlichen Vorstellungen von Freiheit, Bildung, Recht u. s. w. die Abschaffung des bürgerlichen Eigenthums meßt. Eure Ideen selbst sind Erzeugnisse der bürgerlichen Produktions- und Eigenthums-Verhältnisse, wie Euer Recht nur der zum Gesetz erhobene Wille Eurer Klasse ist, ein Wille, dessen Inhalt gegeben ist in den materiellen Lebensbedingungen Eurer Klasse. Die interessirte Vorstellung, worin Ihr Eure Produktions- und Eigenthums-Verhältnisse aus geschichtlichen, in dem Lauf der Produktion vorübergehenden Verhältnissen in ewige Natur und Vernunftgesetze verwandelt, theilt Ihr mit allen untergegangenen herrschenden Klassen. Was ihr für das antike Eigenthum begreift, was Ihr für das feudale Eigenthum begreift, dürft Ihr nicht mehr begreifen für das bürgerliche Eigenthum. Aufhebung der Familie! Selbst die Radikalsten ereifern sich über diese schändliche Absicht der Kommunisten. Worauf beruht die gegenwärtige, die bürgerliche Familie? Auf dem Kapital, auf dem Privaterwerb. Vollständig entwickelt existirt sie nur für die Bourgeoisie; aber sie findet ihre Ergänzung in der erzwungenen Familienlosigkeit der Proletarier und der öffentlichen Prostitution. [14] Die Familie des Bourgeois fällt natürlich weg, mit dem Wegfallen dieser ihrer Ergänzung und beide verschwinden mit dem Verschwinden des Kapitals. Werft Ihr uns vor, daß wir die Ausbeutung der Kinder durch ihre Eltern aufheben wollen? Wir gestehen dies Verbrechen ein. Aber sagt Ihr, wir heben die trautesten Verhältnisse auf, indem wir an die Stelle der häuslichen Erziehung die gesellschaftliche setzen. Und ist nicht auch Eure Erziehung durch die Gesellschaft bestimmt? Durch die gesellschaftlichen Verhältnisse, innerhalb derer Ihr erzieht, durch die direktere oder indirektere Einmischung der Gesellschaft vermittelst der Schule u. s. w.? Die Kommunisten erfinden nicht die Einwirkung der Gesellschaft auf die Erziehung; sie verändern nur ihren Charakter, sie entreißen die Erziehung dem Einfluß einer herrschenden Klasse. Die bürgerlichen Redensarten über Familie und Erziehung über das traute Verhältniß von Eltern und Kindern werden um so ekelhafter, je mehr in Folge der großen Industrie alle Familienbande für die Proletarier zerrissen und die Kinder in einfache Handelsartikel und Arbeitsinstrumente verwandelt werden. Aber Ihr Kommunisten wollt die Weibergemeinschaft einführen, schreit uns die ganze Bourgeoisie im Chor entgegen. Der Bourgeois sieht in seiner Frau ein bloßes Produktions-Instrument. Er hört, daß die Produktions-Instrumente gemeinschaftlich ausgebeutet werden sollen und kann sich natürlich nichts anders denken, als daß das Loos der Gemeinschaftlichkeit die Weiber gleichfalls treffen wird. Er ahnt nicht, daß es sich eben darum handelt, die Stellung der Weiber als bloßer Produktions-Instrumente aufzuheben. Uebrigens ist nichts lächerlicher als das hochmoralische Entsetzen unsrer Bourgeois über die angebliche officielle Weibergemeinschaft der Kommunisten. Die Kommunisten brauchen die Weibergemeinschaft nicht einzuführen, sie hat fast immer existirt. Unsre Bourgeois, nicht zufrieden damit, daß ihnen die Weiber und Töchter ihrer Proletarier zur Verfügung stehen, von der officiellen Prostitution gar nicht zu sprechen, finden ein Hauptvergnügen darin, ihre Ehefrauen wechselseitig zu verführen. Die bürgerliche Ehe ist in Wirklichkeit die Gemeinschaft der Ehefrauen. Man könnte höchstens den Kommunisten vorwerfen, daß sie an der Stelle einer heuchlerisch versteckten, eine officielle, offenherzige Weibergemeinschaft einführen wollten. Es versteht sich übrigens von selbst, daß mit Aufhebung der jetzigen Produktions-Verhältnisse auch die aus ihnen hervorgehende Weibergemeinschaft, d. h. die officielle und nichtofficielle Prostitution verschwindet. Den Kommunisten ist ferner vorgeworfen worden, sie wollten das Vaterland, die Nationalität abschaffen. Die Arbeiter haben kein Vaterland. Man kann ihnen nicht nehmen, was sie nicht haben. Indem das Proletariat zunächst sich die politische Herrschaft erobern, sich zur nationalen Klasse erheben, sich selbst als Nation konstituiren muß, ist es selbst noch national, wenn auch keineswegs im Sinne der Bourgeoisie. Die nationalen Absonderungen und Gegensätze der Völker verschwinden mehr und mehr schon mit der Entwicklung der Bourgeoisie, mit der Handelsfreiheit, dem Weltmarkt, der Gleichförmigkeit der industriellen Produktion und der ihr entsprechenden Lebensverhältnisse. Die Herrschaft des Proletariats wird sie noch mehr verschwinden machen. Vereinigte Aktion wenigstens der civilisirten Länder ist eine der ersten Bedingungen seiner Befreiung. In dem Maße wie die Exploitation des einen Individuums durch das andere aufgehoben wird, wird die Exploitation einer Nation durch die andere aufgehoben. [15] Mit dem Gegensatz der Klassen im Innern der Nation fällt die feindliche Stellung der Nationen gegen einander. Die Anklagen gegen den Kommunismus, die von religiösen, philosophischen und ideologischen Gesichtspunkten überhaupt erhoben werden, verdienen keine ausführlichere Erörterung. Bedarf es tiefer Einsicht, um zu begreifen, daß mit den Lebensverhältnissen der Menschen, mit ihren gesellschaftlichen Beziehungen, mit ihrem gesellschaftlichen Dasein auch ihre Vorstellungen, Anschauungen und Begriffe, mit einem Worte auch ihr Bewußtsein sich ändert? Was beweist die Geschichte der Ideen anders, als daß die geistige Produktion sich mit der materiellen umgestaltet. Die herrschenden Ideen einer Zeit waren stets nur die Ideen der herrschenden Klasse. Man spricht von Ideen, welche eine ganze Gesellschaft revolutioniren; man spricht damit nur die Thatsache aus, daß sich innerhalb der alten Gesellschaft die Elemente einer neuen gebildet haben, daß mit der Auflösung der alten Lebensverhältnisse die Auflösung der alten Ideen gleichen Schritt hält. Als die alte Welt im Untergehen begriffen war, wurden die alten Religionen von der christlichen Religion besiegt. Als die christlichen Ideen im 18. Jahrhundert den Aufklärungs-Ideen unterlagen, rang die feudale Gesellschaft ihren Todeskampf mit der damals revolutionären Bourgeoisie. Die Ideen der Gewissens- und Religionsfreiheit sprachen nur die Herrschaft der freien Konkurrenz auf dem Gebiete des Gewissens aus. Aber wird man sagen, religiöse, moralische, philosophische, politische, rechtliche Ideen u. s. w. modificirten sich allerdings im Lauf der geschichtlichen Entwicklung. Die Religion, die Moral, die Philosophie, die Politik, das Recht erhielten sich stets in diesem Wechsel. Es gibt zudem ewige Wahrheiten, wie Freiheit, Gerechtigkeit u. s. w., die allen gesellschaftlichen Zuständen gemeinsam sind. Der Kommunismus aber schafft die ewigen Wahrheiten ab, er schafft die Religion ab, die Moral, statt sie neu zu gestalten, er widerspricht also allen bisherigen geschichtlichen Entwicklungen. Worauf reducirt sich diese Anklage? Die Geschichte der ganzen bisherigen Gesellschaft bewegte sich in Klassengegensätzen, die in den verschiedenen Epochen verschieden gestaltet waren. Welche Form sie aber auch immer angenommen, die Ausbeutung des einen Theils der Gesellschaft durch den andern ist eine allen vergangenen Jahrhunderten gemeinsame Thatsache. Kein Wunder daher, daß das gesellschaftliche Bewußtsein aller Jahrhunderte, aller Mannigfaltigkeit und Verschiedenheit zum Trotz, in gewissen gemeinsamen Formen sich bewegt, Formen, Bewußtseinsformen, die nur mit dem gänzlichen Verschwinden des Klassengegensatzes sich vollständig auflösen. Die kommunistische Revolution ist das radikalste Brechen mit den überlieferten Eigenthums-Verhältnissen, kein Wunder, daß in ihrem Entwicklungsgange am radikalsten mit den überlieferten Ideen gebrochen wird. Doch lassen wir die Einwürfe der Bourgeoisie gegen den Kommunismus. Wir sahen schon oben, daß der erste Schritt in der Arbeiter-Revolution die Erhebung des Proletariats zur herrschenden Klasse, die Erkämpfung der Demokratie ist. Das Proletariat wird seine politische Herrschaft dazu benutzen der Bourgeoisie nach und nach alles Kapital zu entreißen, alle Produktions-Instrumente in den Händen des Staats, d. h. des als herrschende Klasse organisirten Proletariats zu centralisiren und die Masse der Produktionskräfte möglichst rasch zu vermehren. [16] Es kann dies natürlich zunächst nur geschehen vermittelst despotischer Eingriffe in das Eigenthumsrecht und in die bürgerlichen Produktions-Verhältnisse, durch Maaßregeln also, die ökonomisch unzureichend und unhaltbar erscheinen, die aber im Lauf der Bewegung über sich selbst hinaus treiben und als Mittel zur Umwälzung der ganzen Produktionsweise unvermeidlich sind. Diese Maaßregeln werden natürlich je nach den verschiedenen Ländern verschieden sein. Für die fortgeschrittensten Länder werden jedoch die folgenden ziemlich allgemein in Anwendung kommen können: 1) Expropriation des Grundeigenthums und Verwendung der Grundrente zu Staatsausgaben. 2) Starke Progressiv-Steuer. 3) Abschaffung des Erbrechts. 4) Konfiskation des Eigenthums aller Emigranten und Rebellen. 5) Centralisation des Kredits in den Händen des Staats durch eine Nationalbank mit Staatskapital und ausschließlichem Monopol. 6) Centralisation alles Transportwesens in den Händen des Staats. 7) Vermehrung der Nationalfabriken, Produktions-Instrumente, Urbarmachung und Verbesserung der Ländereien nach einem gemeinschaftlichen Plan. 8) Gleicher Arbeitszwang für Alle, Errichtung industrieller Armeen besonders für den Ackerbau. 9) Vereinigung des Betriebs von Ackerbau und Industrie, Hinwirken auf die allmählige Beseitigung des Gegensatzes von Stadt und Land. 10) Oeffentliche und unentgeltliche Erziehung aller Kinder. Beseitigung der Fabrikarbeit der Kinder in ihrer heutigen Form. Vereinigung der Erziehung mit der materiellen Produktion u. s. w., u. s. w. Sind im Laufe der Entwicklung die Klassenunterschiede verschwunden, und ist alle Produktion in den Händen der associrten Individuen koncentrirt, so verliert die öffentliche Gewalt den politischen Charakter. Die politische Gewalt im eigentlichen Sinn ist die organisirte Gewalt einer Klasse zur Unterdrückung einer andern. Wenn das Proletariat im Kampfe gegen die Bourgeoisie sich nothwendig zur Klasse vereint, durch eine Revolution sich zur herrschenden Klasse macht, und als herrschende Klasse gewaltsam die alten Produktions-Verhältnisse aufhebt, so hebt es mit diesen Produktions-Verhältnissen die Existenz-Bedingungen des Klassengegensatzes der Klassen überhaupt, und damit seine eigene Herrschaft als Klasse auf. An die Stelle der alten bürgerlichen Gesellschaft mit ihren Klassen und Klassen-Gegensätzen tritt eine Association, worin die freie Entwicklung eines Jeden, die Bedingung für die freie Entwicklung Aller ist. |
第三章 社會主義および共産主義文書 |
Chapter III. Socialist and Communist Literature |
Socialistische und kommunistische Literatur. |
一 反動社會主義 A 封建的社會主義 フランスおよびイギリスの貴族は、その歴史的地位からして、近世ブルジョア社會に反對する小冊子を書くべき任務を帶びてゐた。一八三〇年七月のフランス 革命において、またイギリスの改革運動において、彼らは更にこの厭ふべき成上り者のために組み敷かれた。本氣な政治的鬪爭はもはや問題にならなくなつた。 彼らに殘されたものは、ただ文筆上の爭ひであつた。しかし、その文筆の方面でも、ブルボン王朝復活時代(一八一四年から一八三〇年まで)の古い言葉ではと ほらなくなつた。彼ら貴族が世間の同情を喚び起すためには、自分の利害關係を隱蔽して、ただ搾取されてゐる勞働階級の利害關係においてのみ、ブルジョア ジーに對する訴状をつくらねばならなかつた。かくて彼らは、新しい支配者を讒謗する歌を歌ひ、また多少とも不祥らしい豫言をその耳に囁いて、纔かに自ら腹 いせをしてゐたのである。 封建的社會主義はかやうにして起つた。半ばは哀歌、半ばは皮肉、半ばは過去の餘音、半ばは將來の脅威、そして時には深酷痛烈な批判をもつて、ブルジョアジーの腸を刺すことがあつても、近世史の進路を理解する能力が全く缺けてゐたので、その效果は常にただ滑稽であつた。 彼らは民衆を自分らのうしろに集めるために、プロレタリヤの救恤袋を旗印として振りかざした。けれども民衆は、しばしばそのうしろに集まつたとき、彼らの背中に昔の封建的紋所を見つけだして、輕蔑の高笑ひを殘して逃げ去つた。 フランス勤王派の一部と、青年イングランド黨とは、この芝居の好適例である。 封建主義者は、自分たちの搾取がブルジョアの搾取とその選を異にしてゐるといふが、それは彼らが今日とはまるで違つた、そして今日では時代おくれになつ てゐる、事情と條件との下に、搾取をやつてゐたといふことを忘れてゐるのである。彼らの支配下には、近世のプロレタリヤは存在してゐなかつたといふが、そ れはやはり、近代のブルジョアジーが彼らの社會組織の必然の子孫だといふことを忘れてゐるのである。 それに彼らは、自分たちの批評の反動的性質を殆んど隱してゐない。彼らのブルジョアジーに對する主なる詰責は、ブルジョアジーの支配下には、社會の舊組織を全く引つくり返さうとする一階級が、發生しかけてゐるといふに歸着する。 彼らがブルジョアジーを責めるのは、それが一般のプロレタリヤをつくりだしたといふことよりも、むしろ革命的プロレタリヤをつくり出したといふことにある。 故に彼らは、政治上の實際においては、勞働階級に對する壓迫的立法に加擔し、また日常の生活においては、そのあらゆる立派な口上にも似ず、黄金の林檎を拾ひ集め、眞理や正義や名譽を、羊毛や砂糖やジャガ芋酒と交易することを辭しなかつた。 〔英譯註〕この林檎のことは、主としてドイツを指したのである。ドイツでは、地方の貴族や郷士が、その領地の大部分を番頭役の者に耕作させて、自らその利 益を收め、更にまた大規模の砂糖製造をやり、ジャガ芋酒の釀造をやつてゐた。イギリスの富裕な貴族は、まだそこまでのことはやらなかつたが、それでも、怪 しげな株式會社の空株劵に名義を貸して地代の減少の埋め合せをすることを知つてゐた。 僧侶がいつでも、封建貴族と手を携へてゐたと同じく、僧侶的社會主義がまた、いつでも封建的社會主義に伴つてゐた。 キリスト教の禁欲主義に社會主義的色彩をつけるのは、なによりも容易なことである。キリスト教は私有財産に對し、結婚に對し、國家に對して、熱心に反對 したではないか。キリスト教はそれらの代りに、慈善と乞食と、獨身主義と禁欲主義と、僧院生活と教會とを説教したではないか。キリスト教社會主義は貴族の 憤怒を淨めるために、僧侶が注ぐ聖水である。 B 小ブルジョア社會主義 ブルジョアジーのために亡ぼされた者、近世のブルジョア社會の中にその生活條件を萎微凋落させられた者は、封建貴族階級ばかりではなかつた。中世の特許 市民と小農階級とは近世ブルジョアジーの先驅であつたが、工商業の發達の遲れた國々では、これらの階級がやはりまだ、新興のブルジョアジーと並んで生きな がらへてゐる。 近世的文明の發達してゐる國々では、一つの新しい小ブルジョア階級が形成されてゐる。それは、プロレタリヤ階級とブルジョア階級との間に彷徨してゐるも ので、ブルジョア社會の補足的部分として、常に新しく發生してゐる。しかしその組成員たる個人は、絶えず競爭のためにプロレタリヤに突き落され、しかもそ れが大産業の發達につれ、近世社會の獨立分子としては全く消滅に歸し、その代りに商工農業における勞働監督者、および番頭支配人を生ずる時節が近づきつつ ある。 フランスのやうな、農民階級が人口の半ば以上を占めてゐる國々では、プロレタリヤに味方して、ブルジョアジーに反對する文人らが、小ブルジョア的および 小農的の標準でブルジョアジーを批評し、またその小ブルジョア的立場から勞働黨に加擔するのは、まことに自然のことであつた。かくて小ブルジョア社會主義 が起つた。シスモンヂーはフランスばかりでなく、イギリスにおいても、この學派の巨頭であつた。 この社會主義は最も鋭利に、近世の生産關係における矛盾を解剖した。經濟學者の僞善虚飾を暴露した。また最も有力に、機械と分業との破壞作用、資本と土 地との集中、生産過剩、恐慌、小資本家と小農との必然的滅亡、プロレタリヤの悲慘、生産界の無政府状態、富の分配の驚くべき不權衡、諸國民間における必死 の産業戰爭、舊習慣、舊家族關係、舊國民性の解體を論證した。 しかしこの社會主義は、その積極の目的においては、昔の生産交換方法とともに、昔の財産關係および昔の社會を復興しようとするか、さもなくば、近世の生 産交換方法を、舊財産關係(近世の生産交換方法によつて刎ねとばされたところの、また刎ねとばされねばならなかつたところの、その舊財産關係)の外殼の中 に、無理に再び押しこまうとするのであつた。いづれにしても、それは反動的であり、また空想的であつた。 製造工業においては座の制度(ギルドの自治制)、農村においては族長制度、それらが彼らの結論であつた。 この學派は、結局、あらゆる自騙陶醉が、曲げがたき歴史的事實の前に霧消して、あはれ意氣地なく終焉したのである。 C ドイツ社會主義または『眞正』社會主義 フランスの社會主義的および共産主義的文書は、支配階級たるブルジョアジーの壓迫の下に起り、その支配權に對する戰鬪の文學的表現をなしてゐたのである が、その文書がドイツに輸入されたのは、ちやうどドイツのブルジョアジーが、封建的專制政治に對して戰鬪を開始した時であつた。 ドイツの哲學者、自稱哲學者、および文藝家は熱心にこの文書を耽讀したが、ただ彼らは、その文書がフランスからドイツに移植された時、フランスの社會關 係がそれとともに移植されなかつたといふことを忘れてゐた。そこでこのフランスの文書は、ドイツの社會關係に對して、全くその直接實際的の意義を失ひ、た だ單純な文學的の姿を示してゐた。從つてそれは、人間性の實現に關するのんきな學究的思辨となるよりほかはなかつた。かくて十八世紀のドイツの學者にとつ ては、フランス第一革命の要求は、『實踐理性』の一般的要求といふだけの意義をもつたもので、革命的フランス・ブルジョアジーの意志表現も、彼らの眼中に はただ純粹の意志、正當の意志、眞の人間の意志の法則としてのみ映じたのである。 そこでドイツの學者たちの仕事はただ、新しいフランス思想を、自分らの古い哲學的良心と調和させるか、或ひはむしろ、自分らの哲學的立場からフランス思想を取りいれようといふのであつた。 この結合はちやうど、飜譯によつて外國語を取りいれるのと、同じやり方で行はれた。 昔の僧侶どもが、古代異教國の典籍によつて、カトリックの諸聖僧の愚傳をつくつたことは、人のよく知るところである。ドイツの學者は、俗界のフランス文 書に對して、まさにその反對をやつたのである。彼らはフランスの原書に基づいて、自分らの哲學的駄辯を書いた。例へば、貨幣の作用に關するフランス批評に 基づいて『人間性の離反』を書き、ブルジョア國家に關するフランス批評に基づいて、『絶對普遍政治の廢止』を書いたりした。 かういふ哲學的用語をフランスの史的發達の上に當てはめることを、彼らは行爲の哲學、眞正社會主義、社會主義のドイツ科學、社會主義の哲學的基礎などと命名した。 フランスの社會主義文書および共産主義文書は、かやうにして明らかに去勢された。そしてそれらの文書がドイツ人の手の中で、一階級の他階級に對する鬪爭 の意義を失つた時、ドイツ人はそれで『フランス的偏見』を去つたと思ひ、現實の要求でなく眞理の要求を代表したと思ひ、プロレタリヤの利益でなく人間性 (すなはち一般人間)の利益を代表したと思つてゐた。しかるにその人間とは、どの階級にも屬せず、現實のものでもなく、ただ哲學的空想の雲霧の中にのみ存 するものであつた。 かやうに莊嚴な兒戲を試み、賣藥的法螺を吹き立てたドイツ社會主義も、暫くにして漸くその衒學的な無邪氣さを失つた。 ドイツ、殊にプロシャのブルジョアジーが、封建貴族および專制王政に對する戰鬪、すなはち自由主義運動が、次第に本物になつて來た。 これによつて、いはゆる『眞正社會主義』は、多年要望してゐた好機會をつかみえて、その政治運動に社會主義的要求を對立させ、自由主義に對し、代議政體 に對し、ブルジョアの自由競爭に對し、ブルジョアの言論自由に對し、ブルジョアの立法に對し、ブルジョアの自由平等に對して、その傳統的咒詛を投げつけ、 そして民衆に向つては、彼らがこのブルジョア運動のために、得るところは一つもなく、失ふところは一切のものであるべきことを説法した。ドイツ社會主義 は、このとき、自分が受賣りをしてゐるところのそのフランス批評が、近世ブルジョア社會の存在を前提とし、およびそれに隨伴する物質的生活條件と、それに 適應する政治組織とを前提とするものであることを、折よくも忘れてゐたのである。すなはちその前提を獲得することが、ドイツでいま漸く問題となつてゐるこ とを忘れてゐたのである。 故に、ドイツの專制政治およびそれに伴ふ僧官、教授、地方貴族、官僚などにとつては、この社會主義は、ブルジョアジーの來襲に對する、まことに格好の案山子であつた。 恰かもこの時、ドイツの專制政府は勞働階級の動亂に對して、鞭撻と銃丸のにがい藥を與へた後であつたので、この社會主義は實に甘い口直しであつた。 この『眞正社會主義』は、かくドイツ政府のためにブルジョアジーと戰ふ武器となつたと同時に、また直接に、一つの反動的利益(すなはち特權市民階級の反 動的利益)を代表してゐた。ドイツにおいては、十六世紀以來の遺物であつて、そしてその後たえず、種々の形で復活してゐる小ブルジョア階級が、現存社會状 態の特殊の基礎をつくつてゐるのであつた。 この階級を維持することは、すなはちドイツの現存社會状態を維持する所以であつた。しかるにブルジョアジーが産業的および政治的支配權を握れば、一方に は資本の集中のために、一方には革命的プロレタリヤの發生のために、この階級が確かに沒落する恐れがあつた。そこで『眞正社會主義』は、彼らにとつて一石 二鳥を仆すもののごとく見えた。從つてそれが流行病のやうに蔓延した。 更にこのドイツ社會主義は、空想の蜘蛛の網で織られ、修辭の花で縁を取られ、濃やかな感情の露に浸された、浮世ばなれのした衣の中に、その哀れげな『永久の眞理』を包んだので、右の人々の間におけるこの商品の賣れ行きは、いよいよ盛んなものになつた。 かくてドイツ社會主義は、次第々々に、この特許市民階級の立派な代表者として、自己の使命を認識した。 彼らはドイツ國民をもつて模範的國民となし、ドイツの小市民をもつて模範的人間となすことを宣言した。そしてその模範的人間の醜行に對して、その眞相と 正反對なる、隱微な、崇高な、社會主義的意義を附與した。要するに彼らの結論は、直接に、共産主義の『殘虐な破壞性』に反對し、一切の階級鬪爭に超越して 不偏不黨の態度を宣明するにあつた。今ドイツに行はれてゐる、いはゆる社會主義文書および共産主義文書は、ごく少數の例外はあるが、みなこの醜穢な骨拔き の著作部類に屬してゐる。 〔原書註〕一八四八年の革命騷ぎは、すべてこの見苦しい傾向を掃ひ去り、その唱道者から、引續き社會主義者として立つほどの興味を奪ひ去つた。この傾向の主なる代表者であり、またその根源のタイプたる人は、カルル・グリュン氏である。 二 保守的社會主義またはブルジョア社會主義 ブルジョアジーの一部分は、ブルジョア社會の永續を計るために、社會の病所を匡正することを希望する。 經濟學者、博愛家、人道家、勞働階級の状態改善者、慈善事業者、動物虐待防止會員、禁酒會員、その他種々雜多の小改良主義者は、みなこれに屬してゐる。そしてこのブルジョア社會主義が、また一個の學説につくりあげられた。 それの一例として、プルードンの『貧困の哲學』を擧げることが出來る。 この社會主義的ブルジョアは、近世社會の生活條件を欲しながら、その必然の發生物たる鬪爭と危險とを免れたいのである。彼らの欲するところは、革命的お よび解體的要素を引去つた現存社會である。彼らはプロレタリヤのないブルジョアジーを希望してゐる。彼らはもとより、自分の支配してゐる世界を最善の世界 だとしてゐる。ブルジョア社會主義者はこのおめでたい考へを、一つの(或ひは半分の)學説につくりあげた。彼らはプロレタリヤに對し、その學説を實現し て、新しいエルサレムに到達せよと勸めてゐるのだが、それは實質上、現在の社會に立ち止まりながら、その現在の社會に關する忌はしい思想を取去れと要求す るものに過ぎない。 この社會主義の、一そう非學理的な、しかし一そう實際的な第二形式は、勞働階級の利益が政治的變化の中に存せず、ただ物質的生活關係、すなはち經濟關係 の變化の中にのみ存することを論證して、それによつて勞働階級にあらゆる革命運動を嫌はせようとするのである。しかし、この社會主義がいふところの物質的 生活關係の變化とは、決してブルジョア的生産關係の廢絶を意味するのではない。その關係の廢絶は、革命によつてのみなしとげられるものであるから、彼らは ただ、その生産關係の地盤の上に行はれる行政上の改善を意味するのである。從つてそれはまた、資本と賃銀勞働との關係に何らの變化を與へるものでなく、た かだかブルジョアジーをして、その支配費用を節減せしめ、その國家財政を單純化せしめるに過ぎない。 故にブルジョア社會主義者は、單純な修辭的形式においてのみ、初めて自分にふさはしい表現に到達する。 勞働階級の利益のための自由貿易! 勞働階級の利益のための保護貿易! 勞働階級の利益のための監獄改良! これがブルジョア社會主義の、最後の言葉であり、ただ一つの眞面目に考へられた言葉である。 要するに、ブルジョアの社會主義はただ、勞働階級の利益のためにブルジョアがブルジョアであるといふ主張に基づいてゐる。 三 批評的・空想的の社會主義および共産主義 我々がここで述べようとするのは、あらゆる近代の大革命に際して、プロレタリヤの要求を發言した(例へば、バブーフの著書などのやうな)文書についてではない。 〔譯者註〕バブーフはフランス大革命の際、一種の共産主義を唱へた人。 一般的動亂の時代、封建社會顛覆の時代において、プロレタリヤが直接に、自分の階級的利益を樹立しようとした第一の試みは、プロレタリヤ自身の發達が幼 稚なためと、彼らを解放さすべき物質的條件の缺乏のためとによつて、必然的に失敗した。もともと彼らを解放すべき物質的條件は、ブルジョア時代の産物なの である。そこでこの最初のプロレタリヤ運動に伴つた革命的文書は、その内容からいへば必然に反動的である。すなはちその教へるところは一般的の禁欲主義で あり、また素朴な平均主義である。 眞の社會主義および共産主義學説、すなはちサン・シモン、フーリエー、オーエンらの學説が、プロレタリヤとブルジョアとの鬪爭がまだ十分發達しない初期の時代に現はれたことは、前に説いたとほりである。(『ブルジョアとプロレタリヤ』の章參照。) もつとも、これらの學説の發明者たちも、階級の對立と、ブルジョア社會そのものの中における解體的要素の作用とを看取した。ただ彼らは、プロレタリヤの方面において、何らの歴史的獨立性を認めず、彼らに特殊なる何らの政治運動を認めなかつた。 階級對立の發達は、産業の發達とその歩調を同じくするものであるから、彼らはまだ、幾許もプロレタリヤ解放の物質的條件を見出すことが出來ないで、ただ何らかの社會的の學問により、社會的の法則によつて、その條件をつくらうと試みた。 そこで、社會的の活動の代りに、彼らの思ひつきによる個人的活動が起り、解放の歴史的條件の代りに、空想的條件が起り、プロレタリヤを一階級として、自 然に、追々と團結させることの代りに、銘々のつくりあげた社會組織の考案が起つた。彼らにとつては、將來の世界歴史は、彼らの社會組織案の宣傳と實行とに 歸着すべきものであつた。 ただし彼らは、その組織案が、社會の最も痛ましい階級たる、勞働階級の利益を代表することをさとつてゐた。プロレタリヤはただ、最も痛ましい階級といふ意味で彼らの目に映じてゐた。 けれども、階級鬪爭の未發達な形式と、彼ら自身の生活上の地位とのため、彼らは自然に、階級對立の上に超然たるものだと信じてゐた。彼らはすべての社會 構成員のために、その最もよき地位にをる者のためにすらも、その生活状態を改善しようとした。從つて彼らは不斷に、無差別に、社會全體に對し、いな、殊に 支配階級に對して訴へた。人がいやしくも彼らの學説を理解する以上、最上可能の社會に對する最上可能の考案として、それを認めないはずがないといふのであ つた。 故に彼らは、すべての政治的、殊にすべての革命的行動を排斥した。彼らは平和の方法によつてその目的を達しようとした。そして小さな(自然、失敗に歸すべき)實驗によつて模範を世に示し、その力によつて新しい社會的福音の道に進まうとした。 この將來社會の空想的描寫は、プロレタリヤ階級の發達がまだ極めて幼稚であり、從つて自分の地位をもただ空想的に考へる時代において、社會の一般的改造に對するその最初の豫感的渇仰から生じたものである。 しかし、この社會主義および共産主義文書は批評的要素をも含んでゐる。彼らは現社會の一切の根本を攻撃した。故に彼らは、勞働者の啓蒙のために最も價値 ある材料を供給した。將來の社會に對する彼らの積極的提案、例へば、都會と農村との對立の廢止、家族制の廢止、私的營利事業の廢止、賃銀勞働の廢止、社會 調和の宣傳、國家を變じて單純なる生産管理機關となすこと、すべてこれらの提案は、全く階級對立の消滅に歸着するものである。しかし當時にあつては、その 階級對立が漸く僅かに發達しかけてゐたので、彼らはまだその初期の漠然たる、不確定の姿においてのみ、それを知つてゐたのであり、從つて右の諸提案そのも のも純然たる空想的意義をもつてゐた。 この批評的空想的社會主義および共産主義は、歴史的發展と逆行する意義を有してゐる。階級鬪爭が發達し成形するに從つて、階級鬪爭に對するこの空想的な 超越と、この空想的な攻撃とは、一切の實際的價値、一切の學理的妥當を失ふ。そこでこの學派の創設者らは、多くの點において革命的であつたけれども、その 門弟らはみな反動的分派をつくつてゐる。彼らはプロレタリヤの歴史的發展に反對して、その師の舊説を固守してゐる。從つて彼らはひつきやう、階級鬪爭を鈍 らし、階級對立を調停しようとする。彼らは今でもやはり、自分らの社會的ユートピアの試驗的實現を夢み、個々のファランステール(1)を起すこと、『内國 植民地(2)』を設けること、『小イカリヤ村(3)』をつくること、などいふ、新エルサレムの小型發行を試み、そしてそれらの空中樓閣を築くためには、ブ ルジョアジーの慈善心と財嚢とに哀訴せざるを得ない。かくて彼らは次第々々に、上記の反動的、もしくは保守的社會主義の範疇に陷り、ただそれと異なるとこ ろは、やや組織的の學理を衒ふことと、その社會科學の奇蹟的效果に對する熱狂的迷信をもつこととである。 (1)ファランステールとは、フーリエーの考案になる社會的宮殿の名稱。 (2)内國植民地とは、オーエンの共産主義的模範社會の名稱。 (3)イカリヤ村とは、カベーが描き出した共産主義的理想郷の名稱。 故に彼らは、勞働階級が一切の政治的運動をなすことに極力反對する。彼らによれば、政治運動はただ、新福音に對する盲目的不信からのみ生ずるのである。 イギリスのオーエン派がチャーチストに反對し、フランスのフーリエー派が改良黨に反對するのは、すなはちこの故である。 |
1. Reactionary Socialism A. Feudal Socialism Owing to their historical position, it became the vocation of the aristocracies of France and England to write pamphlets against modern bourgeois society. In the French Revolution of July 1830, and in the English reform agitation[A], these aristocracies again succumbed to the hateful upstart. Thenceforth, a serious political struggle was altogether out of the question. A literary battle alone remained possible. But even in the domain of literature the old cries of the restoration period had become impossible.(1) In order to arouse sympathy, the aristocracy was obliged to lose sight, apparently, of its own interests, and to formulate their indictment against the bourgeoisie in the interest of the exploited working class alone. Thus, the aristocracy took their revenge by singing lampoons on their new masters and whispering in his ears sinister prophesies of coming catastrophe. In this way arose feudal Socialism: half lamentation, half lampoon; half an echo of the past, half menace of the future; at times, by its bitter, witty and incisive criticism, striking the bourgeoisie to the very heart’s core; but always ludicrous in its effect, through total incapacity to comprehend the march of modern history. The aristocracy, in order to rally the people to them, waved the proletarian alms-bag in front for a banner. But the people, so often as it joined them, saw on their hindquarters the old feudal coats of arms, and deserted with loud and irreverent laughter. One section of the French Legitimists and “Young England” exhibited this spectacle. In pointing out that their mode of exploitation was different to that of the bourgeoisie, the feudalists forget that they exploited under circumstances and conditions that were quite different and that are now antiquated. In showing that, under their rule, the modern proletariat never existed, they forget that the modern bourgeoisie is the necessary offspring of their own form of society. For the rest, so little do they conceal the reactionary character of their criticism that their chief accusation against the bourgeois amounts to this, that under the bourgeois régime a class is being developed which is destined to cut up root and branch the old order of society. What they upbraid the bourgeoisie with is not so much that it creates a proletariat as that it creates a revolutionary proletariat. In political practice, therefore, they join in all coercive measures against the working class; and in ordinary life, despite their high-falutin phrases, they stoop to pick up the golden apples dropped from the tree of industry, and to barter truth, love, and honour, for traffic in wool, beetroot-sugar, and potato spirits.(2) As the parson has ever gone hand in hand with the landlord, so has Clerical Socialism with Feudal Socialism. Nothing is easier than to give Christian asceticism a Socialist tinge. Has not Christianity declaimed against private property, against marriage, against the State? Has it not preached in the place of these, charity and poverty, celibacy and mortification of the flesh, monastic life and Mother Church? Christian Socialism is but the holy water with which the priest consecrates the heart-burnings of the aristocrat. B. Petty-Bourgeois Socialism The feudal aristocracy was not the only class that was ruined by the bourgeoisie, not the only class whose conditions of existence pined and perished in the atmosphere of modern bourgeois society. The medieval burgesses and the small peasant proprietors were the precursors of the modern bourgeoisie. In those countries which are but little developed, industrially and commercially, these two classes still vegetate side by side with the rising bourgeoisie. In countries where modern civilisation has become fully developed, a new class of petty bourgeois has been formed, fluctuating between proletariat and bourgeoisie, and ever renewing itself as a supplementary part of bourgeois society. The individual members of this class, however, are being constantly hurled down into the proletariat by the action of competition, and, as modern industry develops, they even see the moment approaching when they will completely disappear as an independent section of modern society, to be replaced in manufactures, agriculture and commerce, by overlookers, bailiffs and shopmen. In countries like France, where the peasants constitute far more than half of the population, it was natural that writers who sided with the proletariat against the bourgeoisie should use, in their criticism of the bourgeois régime, the standard of the peasant and petty bourgeois, and from the standpoint of these intermediate classes, should take up the cudgels for the working class. Thus arose petty-bourgeois Socialism. Sismondi was the head of this school, not only in France but also in England. This school of Socialism dissected with great acuteness the contradictions in the conditions of modern production. It laid bare the hypocritical apologies of economists. It proved, incontrovertibly, the disastrous effects of machinery and division of labour; the concentration of capital and land in a few hands; overproduction and crises; it pointed out the inevitable ruin of the petty bourgeois and peasant, the misery of the proletariat, the anarchy in production, the crying inequalities in the distribution of wealth, the industrial war of extermination between nations, the dissolution of old moral bonds, of the old family relations, of the old nationalities. In its positive aims, however, this form of Socialism aspires either to restoring the old means of production and of exchange, and with them the old property relations, and the old society, or to cramping the modern means of production and of exchange within the framework of the old property relations that have been, and were bound to be, exploded by those means. In either case, it is both reactionary and Utopian. Its last words are: corporate guilds for manufacture; patriarchal relations in agriculture. Ultimately, when stubborn historical facts had dispersed all intoxicating effects of self-deception, this form of Socialism ended in a miserable fit of the blues. C. German or “True” Socialism The Socialist and Communist literature of France, a literature that originated under the pressure of a bourgeoisie in power, and that was the expressions of the struggle against this power, was introduced into Germany at a time when the bourgeoisie, in that country, had just begun its contest with feudal absolutism. German philosophers, would-be philosophers, and beaux esprits (men of letters), eagerly seized on this literature, only forgetting, that when these writings immigrated from France into Germany, French social conditions had not immigrated along with them. In contact with German social conditions, this French literature lost all its immediate practical significance and assumed a purely literary aspect. Thus, to the German philosophers of the Eighteenth Century, the demands of the first French Revolution were nothing more than the demands of “Practical Reason” in general, and the utterance of the will of the revolutionary French bourgeoisie signified, in their eyes, the laws of pure Will, of Will as it was bound to be, of true human Will generally. The work of the German literati consisted solely in bringing the new French ideas into harmony with their ancient philosophical conscience, or rather, in annexing the French ideas without deserting their own philosophic point of view. This annexation took place in the same way in which a foreign language is appropriated, namely, by translation. It is well known how the monks wrote silly lives of Catholic Saints over the manuscripts on which the classical works of ancient heathendom had been written. The German literati reversed this process with the profane French literature. They wrote their philosophical nonsense beneath the French original. For instance, beneath the French criticism of the economic functions of money, they wrote “Alienation of Humanity”, and beneath the French criticism of the bourgeois state they wrote “Dethronement of the Category of the General”, and so forth. The introduction of these philosophical phrases at the back of the French historical criticisms, they dubbed “Philosophy of Action”, “True Socialism”, “German Science of Socialism”, “Philosophical Foundation of Socialism”, and so on. The French Socialist and Communist literature was thus completely emasculated. And, since it ceased in the hands of the German to express the struggle of one class with the other, he felt conscious of having overcome “French one-sidedness” and of representing, not true requirements, but the requirements of Truth; not the interests of the proletariat, but the interests of Human Nature, of Man in general, who belongs to no class, has no reality, who exists only in the misty realm of philosophical fantasy. This German socialism, which took its schoolboy task so seriously and solemnly, and extolled its poor stock-in-trade in such a mountebank fashion, meanwhile gradually lost its pedantic innocence. The fight of the Germans, and especially of the Prussian bourgeoisie, against feudal aristocracy and absolute monarchy, in other words, the liberal movement, became more earnest. By this, the long-wished for opportunity was offered to “True” Socialism of confronting the political movement with the Socialist demands, of hurling the traditional anathemas against liberalism, against representative government, against bourgeois competition, bourgeois freedom of the press, bourgeois legislation, bourgeois liberty and equality, and of preaching to the masses that they had nothing to gain, and everything to lose, by this bourgeois movement. German Socialism forgot, in the nick of time, that the French criticism, whose silly echo it was, presupposed the existence of modern bourgeois society, with its corresponding economic conditions of existence, and the political constitution adapted thereto, the very things those attainment was the object of the pending struggle in Germany. To the absolute governments, with their following of parsons, professors, country squires, and officials, it served as a welcome scarecrow against the threatening bourgeoisie. It was a sweet finish, after the bitter pills of flogging and bullets, with which these same governments, just at that time, dosed the German working-class risings. While this “True” Socialism thus served the government as a weapon for fighting the German bourgeoisie, it, at the same time, directly represented a reactionary interest, the interest of German Philistines. In Germany, the petty-bourgeois class, a relic of the sixteenth century, and since then constantly cropping up again under the various forms, is the real social basis of the existing state of things. To preserve this class is to preserve the existing state of things in Germany. The industrial and political supremacy of the bourgeoisie threatens it with certain destruction — on the one hand, from the concentration of capital; on the other, from the rise of a revolutionary proletariat. “True” Socialism appeared to kill these two birds with one stone. It spread like an epidemic. The robe of speculative cobwebs, embroidered with flowers of rhetoric, steeped in the dew of sickly sentiment, this transcendental robe in which the German Socialists wrapped their sorry “eternal truths”, all skin and bone, served to wonderfully increase the sale of their goods amongst such a public. And on its part German Socialism recognised, more and more, its own calling as the bombastic representative of the petty-bourgeois Philistine. It proclaimed the German nation to be the model nation, and the German petty Philistine to be the typical man. To every villainous meanness of this model man, it gave a hidden, higher, Socialistic interpretation, the exact contrary of its real character. It went to the extreme length of directly opposing the “brutally destructive” tendency of Communism, and of proclaiming its supreme and impartial contempt of all class struggles. With very few exceptions, all the so-called Socialist and Communist publications that now (1847) circulate in Germany belong to the domain of this foul and enervating literature.(3) 2. Conservative or Bourgeois Socialism A part of the bourgeoisie is desirous of redressing social grievances in order to secure the continued existence of bourgeois society. To this section belong economists, philanthropists, humanitarians, improvers of the condition of the working class, organisers of charity, members of societies for the prevention of cruelty to animals, temperance fanatics, hole-and-corner reformers of every imaginable kind. This form of socialism has, moreover, been worked out into complete systems. We may cite Proudhon’s Philosophie de la Misère as an example of this form. The Socialistic bourgeois want all the advantages of modern social conditions without the struggles and dangers necessarily resulting therefrom. They desire the existing state of society, minus its revolutionary and disintegrating elements. They wish for a bourgeoisie without a proletariat. The bourgeoisie naturally conceives the world in which it is supreme to be the best; and bourgeois Socialism develops this comfortable conception into various more or less complete systems. In requiring the proletariat to carry out such a system, and thereby to march straightway into the social New Jerusalem, it but requires in reality, that the proletariat should remain within the bounds of existing society, but should cast away all its hateful ideas concerning the bourgeoisie. A second, and more practical, but less systematic, form of this Socialism sought to depreciate every revolutionary movement in the eyes of the working class by showing that no mere political reform, but only a change in the material conditions of existence, in economical relations, could be of any advantage to them. By changes in the material conditions of existence, this form of Socialism, however, by no means understands abolition of the bourgeois relations of production, an abolition that can be affected only by a revolution, but administrative reforms, based on the continued existence of these relations; reforms, therefore, that in no respect affect the relations between capital and labour, but, at the best, lessen the cost, and simplify the administrative work, of bourgeois government. Bourgeois Socialism attains adequate expression when, and only when, it becomes a mere figure of speech. Free trade: for the benefit of the working class. Protective duties: for the benefit of the working class. Prison Reform: for the benefit of the working class. This is the last word and the only seriously meant word of bourgeois socialism. It is summed up in the phrase: the bourgeois is a bourgeois — for the benefit of the working class. 3. Critical-Utopian Socialism and Communism We do not here refer to that literature which, in every great modern revolution, has always given voice to the demands of the proletariat, such as the writings of Babeuf and others. The first direct attempts of the proletariat to attain its own ends, made in times of universal excitement, when feudal society was being overthrown, necessarily failed, owing to the then undeveloped state of the proletariat, as well as to the absence of the economic conditions for its emancipation, conditions that had yet to be produced, and could be produced by the impending bourgeois epoch alone. The revolutionary literature that accompanied these first movements of the proletariat had necessarily a reactionary character. It inculcated universal asceticism and social levelling in its crudest form. The Socialist and Communist systems, properly so called, those of Saint-Simon, Fourier, Owen, and others, spring into existence in the early undeveloped period, described above, of the struggle between proletariat and bourgeoisie (see Section 1. Bourgeois and Proletarians). The founders of these systems see, indeed, the class antagonisms, as well as the action of the decomposing elements in the prevailing form of society. But the proletariat, as yet in its infancy, offers to them the spectacle of a class without any historical initiative or any independent political movement. Since the development of class antagonism keeps even pace with the development of industry, the economic situation, as they find it, does not as yet offer to them the material conditions for the emancipation of the proletariat. They therefore search after a new social science, after new social laws, that are to create these conditions. Historical action is to yield to their personal inventive action; historically created conditions of emancipation to fantastic ones; and the gradual, spontaneous class organisation of the proletariat to an organisation of society especially contrived by these inventors. Future history resolves itself, in their eyes, into the propaganda and the practical carrying out of their social plans. In the formation of their plans, they are conscious of caring chiefly for the interests of the working class, as being the most suffering class. Only from the point of view of being the most suffering class does the proletariat exist for them. The undeveloped state of the class struggle, as well as their own surroundings, causes Socialists of this kind to consider themselves far superior to all class antagonisms. They want to improve the condition of every member of society, even that of the most favoured. Hence, they habitually appeal to society at large, without the distinction of class; nay, by preference, to the ruling class. For how can people, when once they understand their system, fail to see in it the best possible plan of the best possible state of society? Hence, they reject all political, and especially all revolutionary action; they wish to attain their ends by peaceful means, necessarily doomed to failure, and by the force of example, to pave the way for the new social Gospel. Such fantastic pictures of future society, painted at a time when the proletariat is still in a very undeveloped state and has but a fantastic conception of its own position, correspond with the first instinctive yearnings of that class for a general reconstruction of society. But these Socialist and Communist publications contain also a critical element. They attack every principle of existing society. Hence, they are full of the most valuable materials for the enlightenment of the working class. The practical measures proposed in them — such as the abolition of the distinction between town and country, of the family, of the carrying on of industries for the account of private individuals, and of the wage system, the proclamation of social harmony, the conversion of the function of the state into a more superintendence of production — all these proposals point solely to the disappearance of class antagonisms which were, at that time, only just cropping up, and which, in these publications, are recognised in their earliest indistinct and undefined forms only. These proposals, therefore, are of a purely Utopian character. The significance of Critical-Utopian Socialism and Communism bears an inverse relation to historical development. In proportion as the modern class struggle develops and takes definite shape, this fantastic standing apart from the contest, these fantastic attacks on it, lose all practical value and all theoretical justification. Therefore, although the originators of these systems were, in many respects, revolutionary, their disciples have, in every case, formed mere reactionary sects. They hold fast by the original views of their masters, in opposition to the progressive historical development of the proletariat. They, therefore, endeavour, and that consistently, to deaden the class struggle and to reconcile the class antagonisms. They still dream of experimental realisation of their social Utopias, of founding isolated “phalansteres”, of establishing “Home Colonies”, or setting up a “Little Icaria”(4) — duodecimo editions of the New Jerusalem — and to realise all these castles in the air, they are compelled to appeal to the feelings and purses of the bourgeois. By degrees, they sink into the category of the reactionary [or] conservative Socialists depicted above, differing from these only by more systematic pedantry, and by their fanatical and superstitious belief in the miraculous effects of their social science. They, therefore, violently oppose all political action on the part of the working class; such action, according to them, can only result from blind unbelief in the new Gospel. The Owenites in England, and the Fourierists in France, respectively, oppose the Chartists and the Réformistes. |
1) Der reaktionaire Socialismus. a) Der feudale Socialismus. Die französische und englische Aristokratie war ihrer geschichtlichen Stellung nach dazu berufen, Pamphlete gegen die moderne bürgerliche Gesellschaft zu schreiben. In der französischen Julirevolution von 1830, in der englischen Reformbewegung war sie noch einmal dem verhaßten Emporkömmling erlegen. Von einem ernsten politischen Kampfe konnte nicht mehr die Rede sein. Nur der [17] literarische Kampf blieb ihr übrig. Aber auch auf dem Gebiete der Literatur waren die alten Redensarten der Restaurationszeit unmöglich geworden. Um Sympathie zu erregen, mußte die Aristokratie scheinbar ihre Interessen aus den Augen verlieren und nur noch im Interesse der exploitirten Arbeiterklasse ihren Anklageakt gegen die Bourgeoisie formuliren. Sie bereitete sich so die Genugthuung vor, Schmählieder auf ihren neuen Herrscher singen und mehr oder minder unheilschwangere Prophezeihungen ihm in’s Ohr raunen zu dürfen. Auf diese Art entstand der feudalistische Socialismus, halb Klagelied, halb Pasquill, halb Rückhall der Vergangenheit, halb Dräuen der Zukunft, mitunter die Bourgeoisie in’s Herz treffend durch bittres, geistreich zerreißendes Urtheil, stets komisch wirkend durch gänzliche Unfähigkeit den Gang der modernen Geschichte zu begreifen. Den proletarischen Bettlersack schwenkten sie als Fahne in der Hand, um das Volk hinter sich her zu versammeln. So oft es ihnen aber folgte, erblickte es auf ihrem Hintern die alten feudalen Wappen und verlief sich mit lautem und unehrerbietigem Gelächter. Ein Theil der französischen Legitimisten und das junge England gaben dies Schauspiel zum Besten. Wenn die Feudalen beweisen, daß ihre Weise der Ausbeutung anders gestaltet war als die bürgerliche Ausbeutung, so vergessen sie nur, daß sie unter gänzlich verschiedenen und jetzt überlebten Umständen und Bedingungen ausbeuteten. Wenn sie nachweisen, daß unter ihrer Herrschaft nicht das moderne Proletariat existirt hat, so vergessen sie nur, daß eben die moderne Bourgeoisie ein nothwendiger Sprößling ihrer Gesellschaftsordnung war. Uebrigens verheimlichen sie den reaktionären Charakter ihrer Kritik so wenig, daß ihre Hauptanklage gegen die Bourgeoisie eben darin besteht, unter ihrem Regime entwickele sich eine Klasse, welche die ganze alte Gesellschaftsordnung in die Luft sprengen werde. Sie werfen der Bourgeoisie mehr noch vor, daß sie ein revolutionäres Proletariat, als daß sie überhaupt ein Proletariat erzeugt. In der politischen Praxis nehmen sie daher an allen Gewaltmaßregeln gegen die Arbeiterklasse Theil, und im gewöhnlichen Leben bequemen sie sich, allen ihren aufgeblähten Redensarten zum Trotz, die goldenen Aepfel aufzulesen, und Treue, Liebe, Ehre mit dem Schacher in Schaafswolle, Runkelrüben und Schnapps zu vertauschen. Wie der Pfaffe immer Hand in Hand ging mit dem Feudalen, so der pfäffische Socialismus mit dem feudalistischen. Nichts leichter, als dem christlichen Ascetismus einen socialistischen Anstrich zu geben. Hat das Christenthum nicht auch gegen das Privateigenthum, gegen die Ehe, gegen den Staat geeifert? Hat es nicht die Wohlthätigkeit und den Bettel, das Cölibat und die Fleischesertödtung, das Zellenleben und die Kirche an ihre Stelle gepredigt? Der heitige Socialismus ist nur das Weihwasser, womit der Pfaffe den Aerger des Aristokraten einsegnet. b) Kleinbürgerlicher Socialismus. Die feudale Aristokratie ist nicht die einzige Klasse, welche durch die Bourgeoisie gestürzt wurde, deren Lebensbedingungen in der modernen bürgerlichen Gesellschaft verkümmerten und abstarben. Das mittelalterliche Pfahlbürgerthum und der kleine Bauernstand waren die Vorläufer der modernen Bourgeoisie. In den weniger industriell und kommerciell entwickelten Ländern vegetirt diese Klasse noch fort neben der aufkommenden Bourgeoisie. [18] In den Ländern, wo sich die moderne Civilisation entwickelt hat, hat sich eine neue Kleinbürgerschaft gebildet, die zwischen dem Proletariat und der Bourgeoisie schwebt und als ergänzender Theil der bürgerlichen Gesellschaft stets von Neuem sich bildet, deren Mitglieder aber beständig durch die Konkurrenz in’s Proletariat hinabgeschleudert werden, ja selbst mit der Entwicklung der großen Industrie einen Zeitpunkt herannahen sehen, wo sie als selbstständiger Theil der modernen Gesellschaft gänzlich verschwinden, und im Handel, in der Manufaktur, in der Agrikultur durch Arbeitsaufseher und Domestiken ersetzt werden. In Ländern wie in Frankreich, wo die Bauernklasse weit mehr als die Hälfte der Bevölkerung ausmacht, war es natürlich, daß Schriftsteller, die für das Proletariat gegen die Bourgeoisie auftraten, an ihre Kritik des Bourgeoisregime’s den kleinbürgerlichen und kleinbäuerlichen Maaßstab anlegten und die Partei der Arbeiter vom Standpunkt des Kleinbürgerthums ergriffen. Es bildete sich so der kleinbürgerliche Socialismus. Sismondi ist das Haupt dieser Literatur nicht nur für Frankreich sondern auch für England. Dieser Socialismus zergliederte höchst scharfsinnig die Widersprüche in den modernen Produktionsverhältnissen. Er enthüllte die gleißnerischen Beschönigungen der Oekonomen. Er wies unwiderleglich die zerstörenden Wirkungen der Maschinerie und der Theilung der Arbeit nach, die Koncentration der Kapitalien und des Grundbesitzes, die Ueberproduktion, die Krisen, den nothwendigen Untergang der kleinen Bürger und Bauern, das Elend des Proletariats, die Anarchie in der Produktion, die schreienden Mißverhältnisse in der Vertheilung des Reichthums, den industriellen Vernichtungskrieg der Nationen unter einander, die Auflösung der alten Sitten, der alten Familien-Verhältnisse, der alten Nationalitäten. Seinem positiven Gehalte nach will jedoch dieser Socialismus entweder die alten Produktions- und Verkehrsmittel wiederherstellen und mit ihnen die alten Eigenthumsverhältnisse und die alte Gesellschaft, oder er will die modernen Produktions- und Verkehrsmittel in den Rahmen der alten Eigenthumsverhältnisse, die von ihnen gesprengt werden, gesprengt werden mußten, gewaltsam wieder einsperren. In beiden Fällen ist er reaktionär und utopistisch zugleich. Zunftwesen in der Manufaktur und patriarchalische Wirthschaft auf dem Lande, das sind seine letzten Worte. In ihrer weitern Entwicklung hat sich diese Richtung in einen feigen Katzenjammer verlaufen. c) Der deutsche oder der wahre Socialismus. Die socialistische und kommunistische Literatur Frankreichs, die unter dem Druck einer herrschenden Bourgeoisie entstand und der literarische Ausdruck des Kampfes gegen diese Herrschaft ist, wurde nach Deutschland eingeführt zu einer Zeit, wo die Bourgeoisie soeben ihren Kampf gegen den feudalen Absolutismus begann. Deutsche Philosophen, Halbphilosophen und Schöngeister bemächtigten sich gierig dieser Literatur und vergassen nur, daß bei der Einwanderung jener Schriften aus Frankreich die französischen Lebensverhältnisse nicht gleichzeitig nach Deutschland eingewandert waren. Den deutschen Verhältnissen gegenüber verlor die französische Literatur alle unmittelbar praktische Bedeutung und nahm ein rein literarisches Aussehen an. Als müßige Spekulation über die wahre Gesellschaft, über die Verwirklichung des menschlichen Wesens mußte sie erscheinen. So hatten für die deutschen Philosophen des 18. Jahrhunderts die Forderungen der ersten französischen Revolution nur den Sinn, Forderungen der „praktischen [19] Vernunft“ im Allgemeinen zu sein und die Willensäußerungen der revolutionären französischen Bourgeoisie bedeuteten in ihren Augen die Gesetze des reinen Willens, des Willens wie er sein muß, des wahrhaft menschlichen Willens. Die ausschließliche Arbeit der deutschen Literaten bestand darin, die neuen französischen Ideen mit ihrem alten philosophischen Gewissen in Einklang zu setzen, oder vielmehr von ihrem philosophischen Standpunkt aus die französischen Ideen sich anzueignen. Diese Aneignung geschah in derselben Weise, wodurch man sich überhaupt eine fremde Sprache aneignet, durch die Uebersetzung. Es ist bekannt, wie die Mönche Manuscripte, worauf die klassischen Werke der alten Heidenzeit verzeichnet waren, mit abgeschmackten katholischen Heiligengeschichten überschrieben. Die deutschen Literaten gingen umgekehrt mit der profanen französischen Literatur um. Sie schrieben ihren philosophischen Unsinn hinter das französische Orginal. Z. B. hinter die französische Kritik der Geldverhältnisse schrieben sie „Entäußerung des menschlichen Wesens“, hinter die französische Kritik des Bourgeoisstaats schrieben sie „Aufhebung der Herrschaft des abstrakt Allgemeinen“ u. s. w. Diese Unterschiebung ihrer philosophischen Redensarten unter die französischen Entwicklungen taufte sie „Philosophie der That“, „wahrer Socialismus“, „Deutsche Wissenschaft des Socialismus“, „Philosophische Begründung des Socialismus“ u. s. w. Die französisch-socialistisch kommunistische Literatur wurde so förmlich entmannt. Und da sie in der Hand des Deutschen aufhörte, den Kampf einer Klasse gegen die andre auszudrücken, so war der Deutsche sich bewußt, die französische Einseitigkeit überwunden, statt wahrer Bedürfnisse, das Bedürfniß der Wahrheit, und statt die Interessen des Proletariers die Interessen des menschlichen Wesens, des Menschen überhaupt vertreten zu haben, des Menschen, der keiner Klasse, der überhaupt nicht der Wirklichkeit, der nur dem Dunsthimmel der philosophischen Phantasie angehört. Dieser deutsche Socialismus, der seine unbeholfenen Schulübungen so ernst und feierlich nahm und so marktschreierisch ausposaunte, verlor indeß nach und nach seine pedantische Unschuld. Der Kampf der deutschen namentlich der preußischen Bourgeoisie gegen die Feudalen und das absolute Königthum, mit einem Wort, die liberale Bewegung wurde ernsthafter. Dem wahren Socialismus war so die erwünschte Gelegenheit geboten, der politischen Bewegung die socialistischen Forderungen gegenüber zu stellen. Die überlieferten Anatheme gegen den Liberalismus, gegen den Repräsentativ-Staat, gegen die bürgerliche Konkurrenz, bürgerliche Preßfreiheit, bürgerliches Recht, bürgerliche Freiheit und Gleichheit zu schleudern und der Volksmasse vorzupredigen, wie sie bei dieser bürgerlichen Bewegung nichts zu gewinnen, vielmehr Alles zu verlieren habe. Der deutsche Socialismus vergaß rechtzeitig, daß die französische Kritik, deren geistloses Echo er war, die moderne bürgerliche Gesellschaft mit den entsprechenden materiellen Lebensbedingungen und der angemessenen politischen Konstitution voraussetzt, lauter Voraussetzungen, um deren Erkämpfung es sich erst in Deutschland handelte. Er diente den deutschen absoluten Regierungen mit ihrem Gefolge von Pfaffen, Schulmeistern, Krautjunkern und Büreaukraten als erwünschte Vogelscheuche gegen die drohend aufstrebende Bourgeoisie. Er bildete die süßliche Ergänzung zu den bittern Peitschenhieben und Flintenkugeln, womit dieselben Regierungen die deutschen Arbeiter-Aufstände bearbeiteten. [20] Ward der wahre Socialismus dergestalt eine Waffe in der Hand der Regierungen gegen die deutsche Bourgeoisie, so vertrat er auch unmittelbar ein reaktionäres Interesse, das Interesse der deutschen Pfahlbürgerschaft. In Deutschland bildet das vom sechzehnten Jahrhundert her überlieferte und seit der Zeit in verschiedener Form hier immer neu wieder auftauchende Kleinbürgerthum die eigentliche gesellschaftliche Grundlage der bestehenden Zustände. Seine Erhaltung ist die Erhaltung der bestehenden deutschen Zustände. Von der industriellen und politischen Herrschaft der Bourgeoisie fürchtet es den sichern Untergang, einer Seits in Folge der Koncentration des Kapitals, anderer Seits durch das Aufkommen eines revolutionären Proletariats. Der wahre Socialismus schien ihm beide Fliegen mit einer Klappe zu schlagen. Er verbreitete sich wie eine Epidemie. Das Gewand, gewirkt aus spekulativem Spinnweb, überstickt mit schöngeistigen Redeblumen, durchtränkt von liebesschwülem Gemüthsthau, dies überschwängliche Gewand, worin die deutschen Socialisten ihre paar knöchernen ewigen Wahrheiten einhüllten, vermehrte nur den Absatz ihrer Waare bei diesem Publikum. Seiner Seits erkannte der deutsche Socialismus immer mehr seinen Beruf, der hochtrabende Vertreter dieser Pfahlbürgerschaft zu sein. Er proklamirte die deutsche Nation als die normale Nation und den deutschen Spießbürger als den Normal-Menschen. Er gab jeder Niedertracht desselben einen verborgenen höheren socialistischen Sinn, worin sie ihr Gegentheil bedeutete. Er zog die letzte Konsequenz, indem er direkt gegen die rohdestruktive Richtung des Kommunismus auftrat, und seine unparteiische Erhabenheit über alle Klassenkämpfe verkündete. Mit sehr wenigen Ausnahmen gehören alles, was in Deutschland von angeblich socialistischen und kommunistischen Schriften cirkulirt, in den Bereich dieser schmutzigen entnervenden Literatur. 2) Der konservative oder Bourgeois-Socialismus. Ein Theil der Bourgeoisie wünscht den socialen Mißständen abzuhelfen, um den Bestand der bürgerlichen Gesellschaft zu sichern. Es gehören hierher, Oekonomisten, Philantropen, Humanitäre, Verbesserer der Lage der arbeitenden Klassen, Wohlthätigkeits-Organisirer, Abschaffer der Thierquälerei, Mäßigkeits-Vereinsstifter, Winkelreformer der buntscheckigsten Art. Und auch zu ganzen Systemen ist dieser Bourgeois-Socialismus ausgearbeitet worden. Als Beispiel führen wir Proudhon’s Philosophie de la misère an. Die socialistischen Bourgeois wollen die Lebensbedingungen der modernen Gesellschaft ohne die nothwendig daraus hervorgehenden Kämpfe und Gefahren. Sie wollen die bestehende Gesellschaft mit Abzug der sie revolutionirenden und sie auflösenden Elemente. Sie wollen die Bourgeoisie ohne das Proletariat. Die Bourgeoisie stellt sich die Welt, worin sie herrscht, natürlich als die beste Welt vor. Der Bourgeois-Socialismus arbeitet diese tröstliche Vorstellung zu einem halben oder ganzen System aus. Wenn er das Proletariat auffordert seine Systeme zu verwirklichen, um in das neue Jerusalem einzugehen, so verlangt er im Grunde nur, daß es in der jetzigen Gesellschaft stehen bleibe, aber seine gehässigen Vorstellungen von derselben abstreife. Eine zweite, weniger systematische und mehr praktische Form des Socialismus suchte der Arbeiterklasse jede revolutionäre Bewegung zu verleiden, durch den Nachweis, wie nicht diese oder jene politische Veränderung, sondern nur eine Veränderung der materiellen Lebensverhältnisse, der ökonomischen Verhältnisse [21] ihr von Nutzen sein könne. Unter Veränderung der materiellen Lebensverhältnisse versteht dieser Socialismus aber keineswegs Abschaffung der bürgerlichen Produktions-Verhältnisse, die nur auf revolutionärem Wege möglich ist, sondern administrative Verbesserungen, die auf dem Boden dieser Produktionsverhältnisse vor sich gehen; also an dem Verhältniß von Kapital und Lohnarbeit nichts ändern, sondern im besten Fall der Bourgeoisie die Kosten ihrer Herrschaft vermindern und ihren Staatshaushalt vereinfachen. Seinen entsprechenden Ausdruck erreicht der Bourgeois-Socialismus erst da, wo er zur bloßen rednerischen Figur wird. Freier Handel! im Interesse der arbeitenden Klasse; Schutzzölle! im Interesse der arbeitenden Klasse; Zellengefängnisse! im Interesse der arbeitenden Klasse, das ist das letzte, das einzig ernst gemeinte Wort des Bourgeois-Socialismus. Ihr Socialismus besteht eben in der Behauptung, daß die Bourgeois Bourgeois sind - im Interesse der arbeitenden Klasse. 3) Der kritisch-utopistische Socialismus und Kommunismus. Wie reden hier nicht von der Literatur, die in allen großen modernen Revolutionen die Forderungen des Proletariats aussprach. (Schriften Babeufs u. s. w.) Die ersten Versuche des Proletariats in einer Zeit allgemeiner Aufregung, in der Periode des Umsturzes der feudalen Gesellschaft direkt sein eigenes Klasseninteresse durchzusetzen, scheiterten nothwendig an der unentwickelten Gestalt des Proletariats selbst, wie an dem Mangel der materiellen Bedingungen seiner Befreiung, die eben erst das Produkt der bürgerlichen Epoche sind. Die revolutionäre Literatur, welche diese ersten Bewegungen des Proletariats begleitete, ist dem Inhalt nach nothwendig reaktionär. Sie lehrt einen allgemeinen Ascetismus und eine rohe Gleichmacherei. Die eigentlich socialistischen und kommunistischen Systeme, die Systeme St. Simons, Fouriers, Owens u. s. w. tauchen auf in der ersten unentwickelten Periode des Kampfs zwischen Proletariat und Bourgeoisie, die wir oben dargestellt haben. (S. Bourgeoisie und Proletariat.) Die Erfinder dieser Systeme sehen zwar den Gegensatz der Klassen, wie die Wirksamkeit der auflösenden Elemente in der herrschenden Gesellschaft selbst. Aber sie erblicken auf der Seite der Proletariats keine geschichtliche Selbstthätigkeit, keine ihm eigenthümliche politische Bewegung. Da die Entwicklung des Klassengegensatzes gleichen Schritt hält mit der Entwicklung der Industrie, finden sie eben so wenig die materiellen Bedingungen zur Befreiung des Proletariats vor, und suchen nach einer socialen Wissenschaft, nach socialen Gesetzen, um diese Bedingungen zu schaffen. An die Stelle der gesellschaftlichen Thätigkeit muß ihre persönlich erfinderische Thätigkeit treten, an die Stelle der geschichtlichen Bedingungen der Befreiung phantastische, an die Stelle der allmählich vor sich gehenden Organisation des Proletariats zur Klasse eine eigens ausgeheckte Organisation der Gesellschaft. Die kommende Weltgeschichte löst sich für sie auf in die Propaganda und die praktische Ausführung ihrer Gesellschaftspläne. Sie sind sich zwar bewußt, in ihren Plänen hauptsächlich das Interesse der arbeitenden Klasse als der leidendsten Klasse zu vertreten. Nur unter diesem Gesichtspunkt der leidendsten Klasse existirt das Proletariat für sie. Die unentwickelte Form des Klassenkampfes, wie ihre eigene Lebenslage bringen es aber mit sich, daß sie weit über jenen Klassengegensatz erhaben zu sein glauben. Sie wollen die Lebenslage aller Gesellschaftsglieder, auch [22] der bestgestellten verbessern. Sie appelliren daher fortwährend an die ganze Gesellschaft ohne Unterschied, ja vorzugsweise an die herrschende Klasse. Man braucht ihr System ja nur zu verstehen, um es als den bestmöglichen Plan der bestmöglichen Gesellschaft anzuerkennen. Sie verwerfen daher alle politische, namentlich alle revolutionäre Aktion, sie wollen ihr Ziel auf friedlichem Wege erreichen und versuchen durch kleine natürlich fehlschlagende Experimente, durch die Macht des Beispiels dem neuen gesellschaftlichen Evangelium Bahn zu brechen. Diese phantastische Schilderung der zukünftigen Gesellschaft entspricht in einer Zeit, wo das Proletariat noch höchst unentwickelt ist, also selbst noch phantastisch seine eigene Stellung auffaßt, seinem ersten ahnungsvollen Drängen nach einer allgemeinen Umgestaltung der Gesellschaft. Die socialistischen und kommunistischen Schriften bestehen aber auch aus kritischen Elementen. Sie greifen alle Grundlagen der bestehenden Gesellschaft an. Sie haben daher höchst werthvolles Material zur Aufklärung der Arbeiter geliefert. Ihre positiven Sätze über die zukünftige Gesellschaft, z. B., Aufhebung des Gegensatzes von Stadt und Land, der Familie, des Privaterwerbs, der Lohnarbeit, die Verkündung der gesellschaftlichen Harmonie, die Verwandlung des Staats in eine bloße Verwaltung der Produktion – alle diese ihre Sätze drücken blos das Wegfallen des Klassengegensatzes aus, der eben erst sich zu entwickeln beginnt, den sie nur noch in seiner ersten gestaltlosen Unbestimmtheit kennen. Diese Sätze selbst haben daher noch einen rein utopistischen Sinn. Die Bedeutung des kritischen utopistischen Socialismus und Kommunismus steht im umgekehrten Verhältniß zur geschichtlichen Entwicklung. In demselben Maaße, worin der Klassenkampf sich entwickelt und gestaltet, verliert diese phantastische Erhebung über denselben, diese phantastische Bekämpfung desselben, allen praktischen Werth, alle theoretische Berechtigung. Waren daher die Urheber dieser Systeme auch in vieler Beziehung revolutionär, so bilden ihre Schüler jedesmal reaktionäre Sekten. Sie halten die alten Anschauungen der Meister fest gegenüber der geschichtlichen Fortentwicklung des Proletariats. Sie suchen daher konsequent den Klassenkampf wieder abzustumpfen und die Gegensätze zu vermitteln. Sie träumen noch immer die versuchsweise Verwirklichung ihrer gesellschaftlichen Utopien, Stiftung einzelner Phalanstere, Gründung von home-Colonien, Errichtung eines kleinen Icariens, – Duodez-Ausgabe des neuen Jerusalems – und zum Aufbau aller dieser spanischen Schlösser müssen sie an die Philantropie der bürgerlichen Herzen und Geldsäcke appelliren. Allmählig fallen sie in die Categorie der oben geschilderten reaktionären oder konservativen Socialisten, und unterscheiden sich nur mehr von ihnen durch mehr systematische Pedanterie, durch den fanatischen Aberglauben an die Wunderwirkungen ihrer socialen Wissenschaft. Sie treten daher mit Erbitterung aller politischen Bewegung der Arbeiter entgegen, die nur aus blindem Unglauben an das neue Evangelium hervorgehen konnte. Die Owenisten in England, die Fourieristen in Frankreich, reagiren dort gegen die Chartisten, hier gegen die Reformisten. |
第四章 在野諸政黨に對する共産黨の地位 |
Chapter IV. Position of the Communists in Relation to the Various Existing Opposition Parties |
Stellung der Kommunisten zu den verschiedenen oppositionellen Parteien. |
既成の勞働諸黨派に對する共産黨の關係、從つてイギリスのチャーチスト、および北アメリカの農民改革黨などに對する關係は、第二章の説述で自然に明瞭となつてゐる。 共産黨は、勞働階級の直接眼前の目的と利益とのために戰ふものであるが、しかしその現在の運動の中において、またその運動の將來を代表するものである。 フランスにおいては、共産黨は社會民主黨(1)と提携して、保守黨および急進ブルジョア黨と戰ふ。ただし、大革命から傳來した種々の謬見謬想に對しては、 批評の權利を保留してゐる。 (1)この黨派は、議會においてはルドリュ・ロランによつて、文學においてはルイ・ブランによつて、日刊新聞においてはレフォルムによつて代表され、多少社會主義の色彩を帶びた、民主黨もしくは共和黨の一部であつた。 スヰスにおいては、彼らは急進黨を助ける。ただし同黨が二個の反對せる要素、すなはち一はフランス流の民主的社會主義者、一は急進的ブルジョアジーからなることを見逃してはゐない。 ポーランドにおいては、彼らは、農業革命をもつて國民的解放の主要條件とする黨派を助けてゐる。この黨派は一八四六年、クラカウ一揆を起させたことがある。 ドイツにおいては、彼らは、ブルジョアジーが革命的に行動する時、それと提携して專制王政、封建的地主、および小ブルジョアと戰ふ。 しかし彼らは、未だかつて一刻たりとも、ブルジョアジーとプロレタリアートとが敵對してゐるといふ、出來うるかぎり明瞭な自覺を勞働者に起させることを 忘れてゐない。ブルジョアジーの支配とともに必ず採用されるはずの、その社會的および政治的條件を、ドイツの勞働者が、直ちに自分の武器としてブルジョア ジーに向けうるために。またドイツ反動諸階級の沒落の後、直ちにブルジョアジー自身に對して戰鬪を開始するために。 共産黨は主としてドイツに向つてその注意を集中する。ドイツは今、ブルジョア革命の前夜にあり、そしてまたその革命が、ヨーロッパ文明國一般の進歩した 條件の下に行はれ、なほまた、十七世紀のイギリス、十八世紀のフランスよりも、遙に高く發達したプロレタリヤを有し、從つて、ドイツのブルジョア革命は、 まさにプロレタリヤ革命の直接の前幕となりうるからである。 要するに、共産黨は、到る處において、社會的および政治的の現状に反抗する各種の革命運動を擁護する。 すべてこれらの運動において、共産黨は常に財産問題を標榜してゐる。その財産問題の發達程度がどうであらうとも、彼らは常にそれを運動の根本としてゐる。 最後に、共産黨は到る處において、萬國の民主的諸黨派の團結と一致とのために努力する。 共産黨は、その主義政見を隱蔽することを恥とする。彼らは公然として宣言する。彼らの目的は、一切從來の社會組織を強力的に顛覆することによつてのみ達 せられる。支配階級をして共産主義革命の前に戰慄せしめよ。プロレタリヤは、自分の鎖よりほかに失ふべき何ものももたない。そして彼らは、獲得すべき全世 界をもつてゐる。 萬國のプロレタリヤ團結せよ! |
Section II has
made clear the relations of the Communists to the existing
working-class parties, such as the Chartists in England and the
Agrarian Reformers in America. The Communists fight for the attainment of the immediate aims, for the enforcement of the momentary interests of the working class; but in the movement of the present, they also represent and take care of the future of that movement. In France, the Communists ally with the Social-Democrats(1) against the conservative and radical bourgeoisie, reserving, however, the right to take up a critical position in regard to phases and illusions traditionally handed down from the great Revolution. In Switzerland, they support the Radicals, without losing sight of the fact that this party consists of antagonistic elements, partly of Democratic Socialists, in the French sense, partly of radical bourgeois. In Poland, they support the party that insists on an agrarian revolution as the prime condition for national emancipation, that party which fomented the insurrection of Cracow in 1846. In Germany, they fight with the bourgeoisie whenever it acts in a revolutionary way, against the absolute monarchy, the feudal squirearchy, and the petty bourgeoisie. But they never cease, for a single instant, to instill into the working class the clearest possible recognition of the hostile antagonism between bourgeoisie and proletariat, in order that the German workers may straightway use, as so many weapons against the bourgeoisie, the social and political conditions that the bourgeoisie must necessarily introduce along with its supremacy, and in order that, after the fall of the reactionary classes in Germany, the fight against the bourgeoisie itself may immediately begin. The Communists turn their attention chiefly to Germany, because that country is on the eve of a bourgeois revolution that is bound to be carried out under more advanced conditions of European civilisation and with a much more developed proletariat than that of England was in the seventeenth, and France in the eighteenth century, and because the bourgeois revolution in Germany will be but the prelude to an immediately following proletarian revolution. In short, the Communists everywhere support every revolutionary movement against the existing social and political order of things. In all these movements, they bring to the front, as the leading question in each, the property question, no matter what its degree of development at the time. Finally, they labour everywhere for the union and agreement of the democratic parties of all countries. The Communists disdain to conceal their views and aims. They openly declare that their ends can be attained only by the forcible overthrow of all existing social conditions. Let the ruling classes tremble at a Communistic revolution. The proletarians have nothing to lose but their chains. They have a world to win. Working Men of All Countries, Unite! |
Nach Abschnitt 2
versteht sich das Verhältniß der Kommunisten zu den bereits
konstituirten Arbeiterparteien von selbst, also ihr Verhältniß zu den
Chartisten in England und den agrarischen Reformern in Nordamerika. [23] Sie kämpfen für die Erreichung der unmittelbar vorliegenden Zwecke und Interessen der Arbeiterklasse, aber sie vertreten in der gegenwärtigen Bewegung zugleich die Zukunft der Bewegung. In Frankreich schließen sich die Kommunisten an die socialistisch-demokratische Partei an gegen die konservative und radikale Bourgeoisie, ohne darum das Recht aufzugeben sich kritisch zu den aus der revolutionären Ueberlieferung herrührenden Phrasen und Illusionen zu verhalten. In der Schweiz unterstützen sie die Radikalen, ohne zu verkennen, daß diese Partei aus widersprechenden Elementen besteht, theils aus demokratischen Socialisten im französischen Sinn, theils aus radikalen Bourgeois. Unter den Polen unterstützen die Kommunisten die Partei, welche eine agrarische Revolution zur Bedingung der nationalen Befreiung macht. Dieselbe Partei, welche die Krakauer Insurrektion von 1846 in’s Leben rief. In Deutschland kämpft die kommunistische Partei, sobald die Bourgeoisie revolutionär auftritt, gemeinsam mit der Bourgeoisie gegen die absolute Monarchie, das feudale Grundeigenthum und die Kleinbürgerei. Sie unterläßt aber keinen Augenblick bei den Arbeitern ein möglichst klares Bewußtsein über den feindlichen Gegensatz zwischen Bourgeoisie und Proletariat herauszuarbeiten, damit die deutschen Arbeiter sogleich die gesellschaftlichen und politischen Bedingungen, welche die Bourgeoisie mit ihrer Herrschaft herbeiführen muß, als eben so viele Waffen gegen die Bourgeoisie kehren können, damit, nach dem Sturz der reaktionären Klassen in Deutschland, sofort der Kampf gegen die Bourgeoisie selbst beginnt. Auf Deutschland richten die Kommunisten ihre Hauptaufmerksamkeit, weil Deutschland am Vorabend einer bürgerlichen Revolution steht, und weil es diese Umwälzung unter fortgeschritteneren Bedingungen der europäischen Civilisation überhaupt, und mit einem viel weiter entwickelten Proletariat vollbringt als England im siebenzehnten und Frankreich im achtzehnten Jahrhundert, die deutsche bürgerliche Revolution also nur das unmittelbare Vorspiel einer proletarischen Revolution sein kann. Mit einem Wort, die Kommunisten unterstützen überall jede revolutionäre Bewegung gegen die bestehenden gesellschaftlichen und politischen Zustände. In allen diesen Bewegungen heben sie die Eigenthumsfrage, welche mehr oder minder entwickelte Form sie auch angenommen haben möge, als die Grundfrage der Bewegung hervor. Die Kommunisten arbeiten endlich überall an der Verbindung und Verständigung der demokratischen Parteien aller Länder. Die Kommunisten verschmähen es, ihre Ansichten und Absichten zu verheimlichen. Sie erklären es offen, daß ihre Zwecke nur erreicht werden können durch den gewaltsamen Umsturz aller bisherigen Gesellschaftsordnung. Mögen die herrschenden Klassen vor einer Kommunistischen Revolution zittern. Die Proletarier haben nichts in ihr zu verlieren als ihre Ketten. Sie haben eine Welt zu gewinnen. |
出典:「共産黨宣言」彰考書院、1945(昭和20)年12月20日初版発行、1949(昭和24)年4月20日改訂第5版発行 https://www.aozora.gr.jp/cards/001138/files/47057_57486.html |
https://www.marxists.org/archive/marx/works/1848/communist-manifesto/index.htm |
https://de.wikisource.org/wiki/Manifest_der_Kommunistischen_Partei_(1848) |
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