社会主義者という用語と概念はどこからきたか?
From where have you come, a socialist nominatied by yourself ?
社会主義(Socialism)という言葉の語源はラ テン語の「社会」すなわちsociareにあり、それは結合や共有という意味である。ローマ法や 中世法におけるより専門的な用語としての社会や共同体はsocietasであった。この後者の言葉は、交友関係や仲間という意味と同時に、自由民の間の合 意による契約という、より法律的な考え方も含んでいた。
左から、ピエール・ルルー、サン=シモン、ロバー ト・オウエン、そしてマリー・ロック・レイボー
社会主義という言葉を最初に使ったのはピエール・ル ルー(Pierre Leroux, 1797-1871)で、1832年にパリの雑誌『ル・グローブ(Le Globe)』でこの言葉を初めて使っ たと主張している。ルルーは、後にユートピア社会主義と呼ばれることになるアンリ・ド・サン=シモン(Henri de Saint-Simon, 1760-1825)の信奉者であった。社会主 義は、自由主義の個人主義とは対照的で、個人の道徳的価値を強調する。そして自由主義がもつ[その改善すべき前の人間の存在様式を]人々は互いに孤立しているかのように行動する、あるいは行動すべきであると強調するものに 批判的であった。したがって、ユートピア社会主義者たちは、個人主義が産業革命期の 貧困、抑圧、貧富の格差などの社会問題に対処できていないとして、この教義を非難した。彼らは、社会を競争に基づかせることで、共同体の生 活に害を与えていると考えたのだ。そして、自由主義的個人主義に代わるものとして、資 源の共有に基づく社会主義を提示した。サン=シモンは、経済計画、科 学的管理、科学的理解の社会組織への適用を提案した。一方、ロバート・オウエン(Robert Owen, 1771-1858)は、協同組合を通じた生産と所有の組織化を提案 した。社会主義は、フランスではマリー・ロック・レイボー(Marie Roch Louis Reybaud, 1799-1879)が、イギリスでは協同組合運動の父の一人となったオウエンが唱えたとされる。
社会主義の定義と用法は1860年代までに定まり、 それまで同義語として使われていたassociationist、co-operative、mutualistに取って代わり、この時期に共産主義は使 われなくなった。共産主義と社会主義の初期の区別は、後者が生産の社会化のみを目指すのに対し、前者は生産と消費の両方(最終財への自由なアクセスという 形で)の社会化を目指すというものであった。1888年まで、マルクス主義者は共産主義の代わりに社会主義を使用していた。後者(=共産主義)は社会主義 の古臭い代名詞とみなされるようになったからである。社会主義がウラジーミル・レーニンによって資本主義と共産主義の間の段階という意味で使われたのは、 ボルシェビキ革命の後であった。彼は、ロシアの生産力が共産主義のために十分に発達していないというマルクス主義者の批判からボルシェビキのプログラムを 守るためにそれを使用した。共産主義と社会主義の区別は、1918年にロシア社会民主労働党が全ロシア共産党に改名した後に顕著になり、共産党はボルシェ ビズム、レーニン主義、後にマルクス・レーニン主義の政治と理論を支持する社会主義者を特に意味すると解釈したが、共産主義政党は社会主義を目指す社会主 義者として自らを表現しつづけた。マルクスは、ポスト資本主義社会を指す言葉とし て、ポジティブ・ヒューマニズム、社会主義、共産主義、自由な個性の領域、生産者の自由連合、など多くの言葉を使った。彼はこれらの言葉を全く同じように 使っていた。社会主義』と『共産主義』が異なる歴史的段階であるという考え方は、彼の著作の中には見つからず、彼の死後に初めてマルクス主義の語彙と用法 として使われるようになったと考えられる。
左より、シャルル・フーリエ、エティエンヌ・カベ、ヴィ ルヘルム・ヴァイトリング、そして、ジョン・スチュアート・ミル
キリスト教圏のヨーロッパでは、共産主義者は無神論
者であると信じられていた。プロテスタントのイギリスでは、共産主義はローマカト
リックの聖体拝領の儀式に近すぎるということで、社会主義者という言葉が好まれた。エンゲルスは、『共産党宣言』が出版された1848年当時、ヨーロッパ
では社会主義が尊敬され、共産主義は尊敬されなかったと書いている。イギリスのオウエン派やフランスのフーリエ派(Fourierism)は立派な社会主義
者と見なされ、「社会全体の変革の必要性を主張する」労働者階級の運動は共産主義者
と見なされたのである。この社会主義の一派は、フランスのエティエンヌ・カベ(Étienne Cabet,
1788-1856)やドイツのヴィルヘルム・ヴァイトリング(Wilhelm Weitling,
1808-1871)の共産主義的な仕事を生み出した。イギリスの道徳哲学者ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill,
1806-1873)は、後に自由主義社会主義と呼ばれるようになる自由主義的な文脈の中で、経済的社会主義の一形態を論じた。ミルは『政治経済学原理』
(1848年)の後年の版で、「経済理論に関する限り、社会主義政策に基づく経済秩序を排除するものは原理的に存在しない」とし、資本主義企業を労働者協
同組合に置き換えることを推進した。民主主義者は、1848年の革命を、長期的には
自由、平等、友愛を保証する民主主義革命とみなしたが、マルクス主義者は、プロレタリアートに無関心なブルジョアジーによる労働者階級の理想に対する裏切
りであると非難した。
◎メルロ=ポンティ『ヒューマニズムとテロル』の課題
「近代政治におけるヒューマニズムと恐怖の間の未解決のアンチノミー、すなわち人間の価値が暴力によってのみ達成できるならば、そして自由主義の考えが非自由主義的であるという真実を隠蔽しているなら、公正な政治的行動はどのように決められるのだろうか」ということだ。
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Barricades on Rue Saint-Maur, Paris, 25 June, 1848.
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