治療ニヒリズムとマインドレス・インフォームド・コンセント
Therapeutic
nihilism and mind-less consent
Pelagius, 345-420/440
《自分を自分でなおせない思い込み》
「自分で自分を治せないという思い込みが、患者さん
自身を、納得、同意(ICのことと思われる——引用者)というところから話してしまっているんじゃないでしょうか。自分では何もできないんだという思い込
みがね」(中川米造)[加藤 1986:118]
《イヴァン・イリイチの 警鐘》
現代医療は治療のプロトコルがきめられて、エビデン ス競争が自己目的化し、患者は良くも悪くも現代医療の実験対象になるという悲劇があります——必要かつ最低限の緩和でいいという患者の自己主張は「治療拒 否」の敗北主義(治療ニヒリズム)と看護師も含めた医療者集団からレッテル貼られてしまいます。本当の悪者はICを尊重しない後者の連中なのですが……。 患者が考えるIC(フォークIC)は本物ではなく、患者の目をみたりすることの少ない書面上のIC(マインドレスICと呼びましょう)のほうが医療者の連 中は「本物の中の本物のIC」だと信じているのです。したがって、現代の医療って最先端の医療というよりも「ココロを失った動物実験」にすぎません。コ ミュニケーションできる動物の間の獣医学におけるヒューマニズムのほうが「健全なパターナリズム」が残りもっとまともかもしれません。
ちなみに「治療的ニヒリズム」とは、積極的な現代医 療の介入ではなく、人間がもつ自然治癒を優先する治療方針のことで、治療を拒否する考え方ではありません。むしろ、功利主義的な治療介入を是とするひとた ちが「治療拒否する愚かな連中」と揶揄するつもりでつけられたレッテルです。
《ペラギウスの教訓》
アウグスティヌスのライバルだったペラギウスによる と、神は人間を善なるものとして創造したのであり、人間の原罪は神が善のものとして創りたもうた人間の本質を汚すものではないとする。故に神からの聖寵を 必要とはせず、自分の自由意志によって功徳を積むことで救霊に至ることが可能であるとするものと考えた。その人間の救霊に至るまでの道としてアダムを悪し き例とし、イエズス・キリストをよき例とした。また人間個人は自ら救霊に神の救いを必要としないので、イエズスの受難は人間全般の罪をあがなったものでは ないと考えた。 また幼児洗礼を否定していた、という。
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