民族=国家[国民]医療
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民族=国家医療(ethno-national medicine)は聞き慣れない言葉である。なぜなら、このページで池田光穂が最初に提唱した用語だからです。
このことばをまず、定義してみましょう。
社会の植民地化や独立後の近代化プロセスの中で、非西洋医療(non-Western medicine)や土着の民俗医療(folk medicine)が、人々の国民=国家アイデンティティ(national identity)形成のよすがになり、治療者集団の養成やテキスト編集などの知識の集積が行われ、その再生産が軌道にのった時、それは民族=国家医療な いしは民族=国民医療(ともにEthno-National Medicine)と呼べるものとなる。
民族=国家医療の形成は、それが生起した政治的領域における、国民(nation)、国家 (state)、民族性(ethnicity)の定義と、それらの歴史的構築によってさまざまな形態をもつ。つまり、この用語は、社会における医療のあり 方を分析するためのモデルであり、普遍的な民族=国家医療が存在するわけではない。
用語の復習:
最初に用語を復習しておきましょう。
まず、国民はネーション(nation)、国家はステート(state)といい、国民という単一 の帰属意識によって構築された国家体制を国民国家すなわちネーション・ステート(nation state)と読んできました。
国民をとりまとめるのは、国家による強制力がはたらく場合、市民(civil)が自主的にさまざ まな権力プロセスを経て構築する場合、マスメディアなどによって「我々じしんの国家」すなわち「国家の主人公」というイメージが形成させられる場合、など がありますが、その多くの国民国家形成は、それらの複合的な作用によるものです。
また、国民国家へ帰属意識の形成途上には、家族・土地・友愛の共同性など、人々を結びつけるさま ざまな情緒的な装置が作動してきたことも、よく知られています。
したがって、国民国家は、民主主義のみらならず、全体主義、独裁制、共産主義、君主制のもとでも ありうる国家形態ですし、また、国家概念の究極の形態でもありません。
ただ、国家とその構成要素である国民が、その総意にもとづいて構築されていると信じられる(=人 々の多くに合意が形成される)場合、それは国民国家の形態をとっていると言い、21世紀に突入した現在、もっとも多くの国家形態が、これを中心的なモデル に採用しています。(連邦制をとる[federalism]か、共和制をとるかは別にしても、その基本理念は民主主義によって支えられています)
他方、民族(ethnos, ethnic community)とは何でしょうか? それは、国民を構築するよりも、より本質に近いと帰属メンバーが考える集団のことです。国民国家と言ってもその 多くは、多言語状況にありますので、言語や文化風習を共にする共同性のほうが、成員(メンバー)のみならず、他者の集団からもより、本質的なものだと考え られやすいからです。
しかし、民族もまた文化という共同性によって構築される点では、国民と同じような性質をもってい ます。ただし、成員からはより「構築性がひくい」と認識される傾向があります。民族間どうしの結婚(通婚)があったり、移民後に母なる文化を放逐してもや はり「民族は民族だ!」と思う人が多いように、虚構であることをメンバーがうすうす感じていても、他の集団に対する重要なマーカー(徴)になります。[→民族境界論を参照してください]。
日本語で民族というと、民族主義(nationalism)の「民族」と混同されますが、この使 い方の混乱は、戦前の国家主義(nationalist)たちが、「我々大和民族は・・」と言った時に遡れます。日本では極端な保守主義者である右翼のこ とを「民族派」と呼びますが、こういう主張をもつ人や集団は、政治社会学の用語としては文字どおりナショナリスト(nationalist)と呼んだほう が良いでしょう。ただし、ナショナリストは、右翼と暴力団が混同されて——事実、戦後の暴力団は政治結社を形成して国家による取り締まりに対抗したことが あります——非常に、悪いイメージがありますが、多くの国民国家の成員は、多かれ少なかれ穏健なナショナリストです(後者を「マイルドなナショナリスト」 と呼んでもいいかもしれない)。[→民族・民族集団を参照してください]
はい、ここまで国家に帰属する国民と民族について大まかに理解できたと思います。
ここから、やっと民族=国家医療の説明に入ります。冒頭の定義を再掲しましょう。
社会の植民地化や独立後の近代化プロセスの中で、非西洋医療(non-Western medicine)や土着の民俗医療(folk medicine)が、人々の国民=国家アイデンティティ(national identity)形成のよすがになり、治療者集団の養成やテキスト編集などの知識の集積が行われ、その再生産が軌道にのった時、それは民族=国家医療な いしは民族=国民医療(ともにEthno-National Medicine)と呼べるものとなる。
このような例は、インドのアーユルベーダ、中国の中医、日本の漢方、ネパールのチベット医学、ジ ンバブエのハーバリスト(薬草師)などがある。どういう点で、民族=国家医療であるのか簡単に説明をしよう。
インドのアーユルベーダーは、極めて古い歴史をもつ(それはインド哲学やさまざまな身体技法の歴 史ぐらい古い)。にも、かかわらず、アーユルベーダーの今日の隆盛は、アーユルベーダーのテキスト校注、近代的な学校システム、そして、インドの国民国家 の治療資源として威信という、さまざまな治療の文化的諸制度の近代化によるものである。また、アーユルベーダーの今日的な形態のルーツは、イギリス統治者 たちが、被統治者である土着民への公衆衛生を地元のシステムを利用して遂行した時に、その流用の可能性が検討された時に始まる。その際に、アーユルベー ダーの復興に貢献したのは、伝統的知識の継承者のみならず、インドの自立を夢見るナショナリストたちの政治運動によるものである。
中医は、中国の近代化の中で取り残され、忘却されつつあったが、朝鮮戦争の後に、国際的には孤立 し、またソビエトの覇権から徐々に遠ざかる中国のナショナル・アイデンティティ構築形成のプロセスの中で、徐々に評価が確立し、中国医療が近代科学の歴史 的検証を経て、合理化されてゆくプロセスのなかで成長していった。中国の近代科学の発達は毛沢東の率いる文化大革命時 (1965-76)に、歪な自民族中心主義の形態をとった。しかし、経済を中心とした改革開放の長いプロセスのなかで、中医と西医(=西洋医学)の併存方 式がとられ、国家=国民科学(national science)としての二元的医療が確立するに至った。
日本の漢方は、西洋医療の採用によって大打撃を受けるという近代化の神話が信じられている。しか し、実際には種痘の実施などは、蘭方医によりおこなわれ、農村医療のプロトタイプが江戸時代末期に登場している。また、漢方医はいきなり廃止されたのでは なく、その新しいリクルートが公的に認めなかっただけで、漢方医療の概念と実践は残り続けた。また、皇漢医学(医療)という国家=国民科学 (national science)という復古主義も生まれた。この復古主義は、古代中国の医療テキストが日本においては古くから遺されていたために、本場中国に知識とし て、1950年代中頃にこのテキストとテキスト校注が「帰還」するという興味深い現象もおこった。
温病之研究 / 源元凱著. -- 人民衞生出版社, 1955. -- (皇漢醫學叢書) 2. 救急選方 ; 醫略抄 / 丹波元簡編. -- 人民衛生出版社, 1955. -- (皇漢醫學 叢書) 3. 古書醫言 / 吉益東洞著. -- 人民衞生出版社, 1955. -- (皇漢醫學叢書) 4. 青嚢瑣探 / 片倉元周著. -- 人民衞生出版社, 1955. -- (皇漢醫學叢書) 5. 中國接骨圖説 / 二宮獻彦可編著. -- 人民衞生出版社, 1955. -- (皇漢醫學叢 書) 6. 中國兒科醫鑑 / 湯本救眞閲 ; 大塚敬節著. -- 人民衞生出版社, 1955. -- ( 皇漢醫學叢書) 7. 長沙證彙 / 田中榮信編. -- 人民衞生出版社, 1955. -- (皇漢醫學叢書) 8. 藤氏醫談 / 近藤明隆昌著. -- 人民衞生出版社, 1955. -- (皇漢醫學叢書) 9. 方機 / 吉益東洞口授 ; 乾省守業編. -- 人民衞生出版社, 1955. -- (皇漢醫 學叢書) 10. 方劑辭典 / 平岡嘉言編. -- 人民衞生出版社, 1955. -- (皇漢醫學叢書) 11. 名家方選 / 元倫維亨, 村上圖基編. -- 人民衛生出版社, 1955. -- (皇漢醫學 叢書) 12. 幼科證治大全 / 下津[壽泉]編. -- 人民衞生出版社, 1955. -- (皇漢醫學叢書 ) 13. 類聚方 / 吉益東洞編. -- 人民衞生出版社, 1955. -- (皇漢醫學叢書) 14. 藥治通義 / 丹波元堅編. -- 人民衞生出版社, 1955. -- (皇漢醫學叢書) 15. 藥徴及藥徴續編 / 吉益東洞, 邨井◆U6776◆著. -- 人民衛生出版社, 1955. - - (皇漢醫學叢書) 16. 證治摘要 / 中川成章編. -- 人民衞生出版社, 1955. -- (皇漢醫學叢書) 17. 醫◆U8CF8◆ / 丹波元簡編. -- 人民衞生出版社, 1955. -- (皇漢醫學叢書) 18. 醫事啓源 / 今邨亮祇卿著. -- 人民衞生出版社, 1955. -- (皇漢醫學叢書)
民族=国民医療の確立とは、民族のもつ医療体系が、知識の実践の体系として当該の国民に対して文 化的評価を得ることが不可欠である。そのプロセスには、民族医療の知識が、国民によって領有(appropriate)されるという現象がみられる。[→ 池田光穂 2002「民族医療の領有について」『民族学研究』67(3):309-325]
竹山晋一郎(1900-1969),1941『漢方医術復 興の理論』東京:森山書店(この書物は、竹山の死後1971年6月に改稿版が東京の績文堂出版から発行される)。
これからの研究課題
民族=国民医療の確立と、インターナショナルなネットワークや近代医療の地政学的展開の関連 づけ。とくに、プライマリヘルスケアの役割や、その概念の変遷など[→その後のヘルス・プロモー ション]
民族=国民医療の確立における、帝国医療の影響[→帝国と医療]
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