修辞を学ぶ
シリーズ:医療人類学における実践的課題
解説:池田光穂
文献研究の第一歩は医療人類学の概説書を読むことである。
英文の概説書は質と量において他の言語のものを凌駕しているが、日本語にもいくつかのものがある (1)。概説書はその分野を鳥瞰するために是非とも必要な知識を集めているが完璧なものではない。すでに述べたように、理論的な研究に力点を置いたものが あると思えば、応用を前提に紹介したものもある。またその著者の出身分野によって生物医学的な説明あるいは社会文化的のもののどちらかに肩入れする傾向が あることは確かである。たとえばある病気とそれに有効性のある薬草の摂取行動が観察されれば、生物医学者はそれがいかに薬理学的に有効であるのか、その生 化学的な機構や他の類似物質との関連へと話が発展していくのに対して、社会文化論者はその薬草が長い歴史の中でどのように伝承されてきたかとか、薬草がど のように儀礼に統合されて行くかなどという社会的な連関を強調しやすい。そのような偏り(バイアス)を除くためには、(a)他の概説書を併せて読む、 (b)その著者の専門分野や他の著作から研究の傾向を知る、(c)批判的読書を心がける、という処方があることを銘記しておこう。
そのうち批判的読書は最も重要なものである。
遅発性ウイルス感染で紹介したクールの食人感染説や古代アステカ人のによるタンパク質補給の為の 食人説など、人類学的な研究には「食人」(カニバリズムあるいは人喰い=anthropophagy)についての報告があるが、そのあらゆる文献を渉猟し たアレンズは、いかなる人類学者も食人について実見しておらず、最も信憑性の高いものでも「食べた後の」その灰を見たに過ぎないことを、その著書『人喰い の神話』で述べている。我々を含めあらゆる人々は未知の、特に我々にとって野蛮と思われる人々に対して人喰いのレッテルを貼る。人喰いは人が犯してはなら ない強力な禁忌(タブー)なので、そのレッテルそのものは我々の想像力を喚起して、その内実である「具体的な逸話」が生産される。現地の人々と生活を共に して直接データを採集する人類学においても、現地の人々の情報を鵜呑みにして十分な検討をおこなわなかったのは、人喰いの逸話を信じ込む素地を彼らと同様 我々も共有しているからである。かくしてアレンズは、食人は我々を含め人間にとって文化的偏見から由来する「神話」であると結論している。文化人類学界内 部にはアレンズの主張は性急すぎるという批判があるが、ひとつの当然と見なされた事象に対して疑問を投げかけその問いに固執し続けることによって、解決済 みの常識を覆す彼の態度は見習うべきであろう。アレンズに批判されている食人=タンパク質補給説を奉ずる当事者であるハーナーやハリスも自説への執着とい う点では彼に負けずとも劣らずであるが、その賛否は読者に任せよう(2)。
医療人類学の教科書や総説だけが、この分野の視野を提示している全てではない。
特定の社会における文化現象の記述である<民族誌>は社会人類学や文化人類学における包括的な視 点の重要性を具体化したものであるが、そこに盛り込まれている方法や主張は次にのべる野外調査のために参考になるだろう。ということは民族誌の読書やその 分析的研究は調査研究へのインスピレーションを得るためにも重要になってくる。しかし、多くの概説書は著者の特定の学問分野に対する理念や展望を明白ない しは暗黙に主張しており、そしてそれを正当化するために様々な具体的民族誌や報告をうまく(著者の主張に合うように)配列しているのが現状である。した がって、ここでもまた、批判的な読み方と、資料解釈の深化が必要である。
論文のスタイル−ある疾病の記録
書物になった民族誌のようなまとまったテキスト以上によく読まれるのが学術雑誌に掲載された論文 や事例報告等の短い文献である。これらの文献は概説書や民族誌の様に比較的長大な構想で書かれることは少なく、字数も制限されており、具体的な報告とそれ に関する考察が(時には例外もあるが)簡潔にまとめられている。
ここではひとつの試みに米国の医療人類学会の発刊する「季刊医療人類学」(新版)に掲載された M・ニッチャー(Mark Nichter) 論文「キャサヌール森林病:開発原病の民族誌」(3)[→Kyasanur Forest Disease: An Ethnography of a Disease of Development, https://doi.org/10.1525/maq.1987.1.4.02a00040][Nichter-1987.pdf with login/password of AAA]を例にあげて医療人類学のひとつの論文の構成を見てみよう。なおこの論文は事例であ り、すべての医療人類学がこのように書かれたり、書かれるべきであるというわけではない。ただ著者から見て生物医学、宇宙観(コスモロジー)、医療セク ターの諸点から的確にまとまった民族誌として紹介するにふさわしいと判断したためである。[なお番号は論の展開に沿って筆者が便宜的に振ったもので原文に はない。]
(一)論文の全体の主張はこうである。キャサヌール森林病(Kyasanur Forest Disease)は南インドの森林破壊に伴う<開発原病>(disease of development)(4)であり、この疾患が流行していたカルナータカ(Karnataka)州の住人がどのように病気を捉え、どのように対処して いったかについての民族誌的検討である。論文の焦点は疾病の流行に伴って現れた<説明モデル>の社会的・歴史的次元である。つまり身体疾患が社会の状況を 説明する<自然の象徴>(natural symbols)として用いられ、封建的な王がその王国の安寧に責任を持つという説明をする<身体と土地の喚喩関係>に言及し、さらにそれが住民のヘルス ケアの意志決定の問題まで関連しているという事実である。
(二)序論は、この病気がインドの南西部にのみ見られ、突然の悪寒、発熱、頭痛、身体の痛み といったインフルエンザ様の症状に始まり、下痢や嘔吐がしばしば見られたあと、長期にわたる高熱が続き、最悪の場合には肺炎や出血あるいは脳炎をおこす、 という生物医学的な症状の記述に始まる。病気は一九五七年に報告されているが、長い間死亡の報告はなされなかった。しかし八二年になって突然カルナタカ州 の南部に流行し、八四年までの病院での死亡率は一二から一八パーセントにまでなったという。この現象の民族誌とは、住民が病気の流行を広範な社会的不幸と いう文脈で説明しようとしたことにあり、人々はまるでジグソーパズルを繋げるように原因を説明していったことである。そしてこの現象は色々な説明が可能で あったのに、どうしてある特定の説明だけが人々に採用されていったのか、と説明することがこの論文の課題である。
(三)「疾病の特色」では病気の疫学について語られる。キャサヌール森林病はある種のダニが 媒介する脳炎で、その病原は(節足動物が媒介するのでその名がある)アルボウイルスの一種であり、それは南インドの生態系に古くから存在していた。それが 七〇年代にこの地域でカシュー(粘着性のゴムが採れその実はカシューナッツとして知られている)を栽培するために広範な森林伐採が行なわれ、森林と村落の 間に多くの薮ができることになった。この薮がダニを生育させる温床となり、家畜を通じて人に感染するようになったのである。病気はダニの繁殖サイクルに完 全に一致し、若いダニが出現する十二月に流行し始め、一月から二月にかけてピークを迎える。流行は村ごとに突発的に発生し、村に大打撃を与えた後は、住民 に免疫が形成され鎮静化する。また病気は森と集落を家畜を使って行き来して働く貧しい農業労働者に多発している。キャサヌール森林病の流行は、文字通り開 発が生態系を変えることによって病気を発生したという点で<開発原病>なのである。
(四)「トゥルバの宇宙観と社会変化」、トゥルバとは現地の人々のことで、彼らの話すトゥル 語に由来する意味。ここでは病気が解釈される社会的な文脈を紹介するために彼らの宇宙観(コスモロジー)から説明に入る。彼らによると世界は三つの領域か ら成るという。つまり、人間と野生と超自然のそれぞれの領域であり、そのうち超自然は、耕作地である人間の領域と森林で象徴される野生の領域を媒介してい るといわれている。そして野生と超自然がうまく治められると、それらは人間に生命力や安寧を与えることになる。逆に制御ができないと、収穫の不良や病気の 流行などの原因となる。その信仰の土壌に加えて現地では守護神(bh<ta)を祀り憑依を伴う儀礼が、家庭から、村落、王国に至るまでのさまざまな レベルで取り行なわれていた。しかし一九七〇年代中頃に農地改革が実施されたため王族が没落し、彼らが催す大規模な守護神の儀礼が行なわれなくなった。人 々は病気や不幸の原因は守護神への義務の不履行であり、それは神が怒っている証拠であると考えていくようになった。
(五)病気の民俗的な解釈に入る前にまず現地の医療体系についての知識がなければならない (「KFDの原因についての解釈」)。現地の保健文化は、先に述べた守護神崇拝、インドの伝統医学であるアユルベーダ、占星術と、医師や売薬業者による現 代医学(インドやバングラデシュではしばしば「アロパシー医学」と呼ばれる)によって多元的に構成されている(↓医療的多元化)。人々は病気になったとき にそれが生起する状況を観察し、その病気を診断していく。しかし予測どうりの経過をたどらなかったり、薬が効かなかったりすると、病名の変更が行われ新し い治療が始まる。従って病気の知識を生産するような社会的、文化的、心理的、歴史的な要因を知ることは重要になり、キャサヌール森林病もそのような文脈の なかで探求されなければならない。
彼らがこの病気を守護神の怒りであると意味づけした理由は、(ア)病気の症状と守護神がおこ す災難−突然の高熱、体の痛み、など−が一致したこと、(イ)その流行が孤立した村落で始まり、それがその住民の(宗教が規定するところの)道徳的な違反 に由来するものであると考えられたこと、(ウ)現代医療の医師が病気のコントロールに失敗したので住民は超自然的なものに理由をもとめる結果になった、と 考えられる。しかしそれはこの土地に農地改革が行われたという社会的な変動にも大いに関係している。先に述べたようにそのために守護神への儀礼が減少した が、病気の流行に伴って儀礼が今度は急増し大量の供物が捧げられることになった。これは土地所有者である王族と小作人である臣民の間には保護と貢献という 相互義務を負っており、同時に王族と臣民は守護神に対して義務を負うものとされているからである。
占星術師たちは、バランスを失った生態、崩壊した王政、王国の境界を守れない弱体化した王と いう文脈の中で、病気が森からやってきたものであると告げたが、病気の流行は次第にエスカレートしていった。彼らは住民の要請にたいしてそれにはより深い 理由があると考えるようになった。ある占星術師は患者が病院で死亡することを、その霊魂が満足しないために不吉なことであると考えた。現に病院収容患者は 重症期の者が多かったので病院自体が死を意味するものになっていたのである。
流行と同時に汎インド的な女性神マーリアンマン(M<riamman)がこの病気と関 連づけられるようになった。つまりこの女性神はもともと天然痘や熱のある病気の神として考えられていたが、天然痘の撲滅と共にその神の破壊的な作用に対す る畏敬の念が消失していた。現地の帰依者によって守護神とマーリアンマンが関係づけられるようになっていたうえに、さらにこの女性神を奉じるカーストの影 響力もあって、この病気は守護神を超えてより一般的に森林病の原因として統合されるように至った。
インドの文化的な脈絡のなかでは病気の原因とカルマ(業)の関係がしばしば論じられるが、こ の事例では他人の家族や自分の共同体ではない場合にのみカルマの論理がもちいられた。保健職員とメディアによって住民はこの病気が森林からもたらされるダ ニによって起こると知らされたが、森へ行くことを禁じられている子供たちまでこの病気に罹ったために(実は衣服を伝ってダニが移動していた)、この理不尽 な謎を人々は神に関係する「土地のカルマ」と説明した。しかしそれはヒンズー文化が他の人々に比べて不幸の原因を容易にカルマに帰するという一般化はでき ない(この文脈で著者であるニッチャーは十分な検討なしにカルマの論理を用いる研究態度を戒めている)。
(六)「医療資源の利用」では、このような病気の理由づけのもとにどのような伝統医療も含め た医療資源(medical resouces)を利用しているかに触れる。この病気の症状は多様であり、また流行年によって病像が変遷しているので専門家であっても診断が難しい。先 に述べたように病院には急性期の患者が多く収容されたので、病院は死に行く場所だと烙印を押された。また病院で死んだ満足の足らない人の霊魂は、将来その 親族を悩ますものだとされた。そしてそれに追い打ちをかけるように患者の収容増による病院の条件の悪化が重なって病院の人気は下がる一方であった。ところ が現代医療以外の治療師のところには患者が集まり、またその名声を落とすことはなかった。それは治療師たちが急性期の患者を病院へ送り死の評判を着せられ ることを避けたという消極的な理由の他に、彼らが住民の支持する民俗的な<熱/冷二元論>を用いて病気を取り扱うということを行ったからでもあった。住民 や治療師は病気に際してそれを悪化する原因を「熱いもの」と考え、体を「冷やす」こと−−ココナッツのはいった冷たい水を飲む−−を行う。しかし現代医療 (アロパシー医学)がおこなう錠剤やカプセルの投与や注射は体を「熱くする」ものであると考えられ、錠剤を定期的に飲むことなどは伝統的な立場から見ると 体を弱くすることに他ならないのである。現代医療の薬を途中で飲まなくなることは、二次感染による病気のぶり返しを起こし、その結果現代医療への不信感は つのっていく。治療者たちは住民が恐れる死のシンボル−−それは病院で用いられるブドウ糖と塩類の「点滴」である−−を用いずに、レモンとある種の果汁あ るいは経口補水塩溶液を用いてこの病気の脱水症状を管理した。
(七)行政は流行に伴って医者を要請したり、移動医療班を編成したが、当初はこの病気と森林 伐採の関係を関連づけることをせず、伐採労働者が感染したダニを流行地に持ち込んだと説明した。やがて住民によって救済委員会が結成されたが、委員会は医 療的な支援よりも栄養補給や(ダニの駆除の)薬剤散布の重要性を主張した。行政は医療的な技術(ワクチンの開発)に傾斜し、ダニの温床である家畜や薮への 薬剤散布には、皮肉なことにも生態系を破壊するという論法をもちだして消極的であったが、救済委員会の圧力により開始せざるを得なくなった。政府の活動は この疾病を管理するために住民の自助努力を引き出すには至らなかった。政府がキャサヌール森林病をウイルスとダニの疾病としたのに対して、救済委員会は開 発当事者がプランテーション建設に際して社会的および生態的な調査を行わなかったことに注目して、この病気を開発原病とした。
(八)以上の記述をまとめて著者は次のように結論づける。守護神の儀礼の中で表出される封建 的領主と小作人の父権的な関係は農地改革によって衰退してしまった。しかし彼らの宇宙観、神話、儀礼のなかにそのことは残されており、森林病の流行に対す る彼らの解釈や病気の悲劇性を我々は歴史的脈絡の中で理解しなければならない。彼らはその伝説や儀礼のなかで森林をコントロールする必要を主張しており、 現に一年に一度森の中で儀礼的な狩猟をおこない、守護神の慰撫し、狩猟の成功と彼ら自身の繁栄を祈る。昔はちょうど猪や象によって畑が荒されるように森が 人間の領域を侵犯して秩序が壊されたが、現在では人間が森を破壊することによって流行病を引き起こすに至った。森にいるウイルス感染したダニとの接触は、 秩序が壊された世界の中で守護神と接触することに等しい(なぜならば守護神は世界を無秩序にした人間に対して怒っているからである)。その意味でキャサ ヌール森林病は、いにしえから現在に至る人々と国家と環境の三者の関係が錯綜する土地に根ざす問題なのである。
ちょうどカミユの「ぺスト」という文学作品のように、この文献はキャサヌール森林病を記述するの に様々な視点から捉えられている。アルボウイルス感染症の一種という<疾病>は、社会文化的な意味づけを通して守護神による天罰という<病気>になる。そ して政治経済的な視点から捉えると<開発原病>となることが包括的に述べられている。ひとつの病気を記述するのに著者は民族誌的なスタイルを取った。しか しそれは現地で得られた資料を逐次的に羅列しているのではなく、疾病分類的にあるいは疾病統計的に(→二、三)、社会的文化的背景(→四)、現地の人々が 解釈する様々な病気の諸相(→五)、医療行動からの視点(→六)、疾病に対する政治的対応(→七)という様々な諸相が著者の枠組みに従った上で配列整理さ れており、初めての読者にも理解し易いように書かれているのである。
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