オートエスノグラフィー分析
auto-ethnographic analysis
元サンダカン八番娼館にいた木下クニの思い出のために
解説;池田光穂
オートエスノグラフィ(auto- ethography)とは、自叙伝や闘病記のように、自分自身が参与したことを、自分自身の語りを通して表 現した(広義の)民族誌的メディ アのことである。
この概念は、文化人類学的分析にとって機 能的な定義である。したがって、この資料は、異なった研究者にとっては、異なった資料体になること は明らかである。つまり、犯罪学者にとっては、犯罪分析の資料、心理学者にとっては、本人のアイデンティティや行動特性を理解する資料となる。
オートエスノグラフィーの分析が、人類学 にとって比較的難解であるのは次のようなことからである。つまり、自己と他者との峻別や、この他者 表象をめぐるさまざまな学問的理解という、一般の(狭義の)民族誌的メディアにかかわる資料体そのものの理解が複雑な上に、さらに、自己表象の問題という 新たな分析視角加わるからである。
しかし他方で、オートエスノグラフィーへ の関心とその理論形成についての議論が盛り上がることは、他者表象を中心としてきた、狭義の民族誌 的メディアの議論に対して、さまざまな理論上の刺激を与えることが確実だからである。
もちろん、オートエスノグラフィーという 概念がまったく問題をもたないかというと、なかなか概念的には問題含みの概念であることは確かである。
このばあいの、オートエスノって、なにが
オートなのでしょうか?——表象される自己を表象するという意味でループをなしているので、セルフ(=
自己)=オートエスノとなるのでしょうか。自分の心象風景という「吐露」ではなくて、自分を他者の観点から「模写」するという意味なのかな? ひょっとし
て、オートの用語にそんなに固執しないのであれば「じぶん流民族誌」なのか、ただたんに「自分の活動をかいた記録」になるでしょうか? エスノ=民族=他
者表象という自明性をはかいするのでオートというよりも「自己を抜け出る」民族誌なのかな?
【実習課題】
以下の文章は、ポール・トンプソンの著作にあらわれた、テリー・コリンズ(1981)による詩の作品(酒井順子訳、一部変えてある)で ある。テリーは、解雇による怒りを表現したものであるとトンプソンは解説するが、この詩作が成長する経緯は次のようなものであった。まず、テリーは最初の 2行を書き、タイプされて、コピーされて(感圧紙を使うタイプコピーか複写機かは不明)、グループ(オーラルヒストリーを作るプロジェクトメンバー)によ り討議され、テリーがそれに書き加え、スペリングと節について助言が与えられ(誰が助言したかは不明)次のような作品になったという。
首切りにあった(T.A.P.コリンズ)
職場のその男は
ボスに俺がのろすぎると言った
ボスは俺の母さんと父さんに手紙を送った
だから俺たちは「身体障害者職場定着促進係官」に会いに行った
俺は彼女に、ボスは首を切るぞと俺を脅かしたと言ってやった
彼女はすごく怒ってボスに電話をした
俺と、もう一人の少年は追いやられた
ドアから、まるで犯罪人のように
だけどそのことについて何も言えなかった
ボスにとっては、時間と素早い動きがとりえの男にくらべて
俺はのろすぎた
ボスは俺を首にした
それはそこで11年9カ月働いていたんだ
この詩の作品を、オートエスノグラフィーという観点から解釈・論評しなさい。
【出典】トンプソン、ポール 2002『記憶から歴史へ』酒井順子訳、東京:青木書店
【応用問題】
我が国(日本)における「生活綴方運動」は、誰がどのような経緯でできあがっていったのか。また、その手法や目標とされた実践は、その 後どのように展開したか(また終焉したか)。そして、それは、我が国の社会の形成にどのような意味をもったのか。さまざまな立場から批判的に分析してみな さい。
【メモリー】
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